カウンター≒クロックワイズ | ナノ


2006.02.22 23:02:09  




 はっと意識が覚める。

 突然明瞭になった意識に、俺は慌てて辺りを見渡した。すると地上では天竺と東卍が殴り合いを始めていた。それを見て、俺は今置かれている状況を改めて理解した。こんな時に意識を飛ばすなんて馬鹿らしい。そうどこか散漫とする思考を取り戻すように俺は頭を振った。


「邪魔なんだよ、テメェは」


 握った銃の感触は初めてで、人に銃口を向けたのは初めてだった。だが、その光景はどこか見覚えがある気がした。それに気づくと、今自分が置かれている状況にも違和感を覚え始める。いや、違和感なんてあるはずがない。そう頭で理解しているはずなのに、その違和感は消えない。なにかがおかしい、と理性が言っていた。


「テメェだけは許さねぇぞ、稀咲」


 理性は何度も俺に告げてくる。なにかが違う。なにかがおかしい。この違和感はなんだ。このデジャヴはなんだ。知らない。知らないぞ、こんなこと。記憶に無いそれが、何故か頭の中に流れてくる。知らないそれを、何故か身体が覚えている。なんだ、これは。


「もっと飛ばせ!! 追い付かれるぞ!」


 まるで白昼夢を見ているようだ。自分を俯瞰して見ているような感覚がする。現実の自分が今追い詰められているのに、どこか俯瞰して見ている妙に冷静な自分がいる。

 夢を見ている。
 夢を見ている。
 夢を見ている。


「逃がすかよ!! 稀咲!!」


 俺は繰り返し、この白昼夢を見ている。





   * * *





「ああ、よかった。ちゃんと逃げ切れたね、稀咲」


 雪が降る真っ暗な空を眺めながら、逃げ込んだ路地裏で壁に寄り掛かって座り込んでいると、聞き慣れた声が水面に滴が落ちるように降ってきた。ゆるりと首を動かして声の方を向けば、小鳥遊がそっと微笑みながら俺を見下ろしていた。

 なんで此処が分かったんだ、という疑問は出なかった。当たり前のようにそこにいる小鳥遊を、俺は一度視界に入れるとそのまま目を逸らして視線を下げる。そんな俺に小鳥遊は数歩ほど歩み寄る。


「半間も後からきっと来るよ、だから大丈夫」


 小鳥遊は項垂れる俺にそう言った。小鳥遊は結局俺の計画がどうなったか分かっているのだろう。そして俺が逃げ切るのに半間が足止めをしているのも知っている。だからそんなことを言うんだ、と冷静な理性が告げる。

 小鳥遊は普段と変わらない、柔らかい声色のまま続ける。


「ねえ、次はどうする? 稀咲なら何度でも仕切り直せるよ。だから次に行こう、いつもみたいに」


 小鳥遊はいつも俺にそう言った。同じ言葉をいつものように繰り返す。どこか自信気に、なんの疑いも無い曇りの無い声色で、小鳥遊は繰り返す。


「ねえ、稀咲」


 小鳥遊がそうオレを呼ぶ。そうして俺を覗き込んでくる小鳥遊は、そっと目を細めて笑んでいた。


「――もういい」
「――……え」


 俺の言葉が静かに木霊した。小鳥遊は信じられないとでも言うように、呆然と目を見開く。それを一瞬だけ盗み見て、俺はまた視線を下げた。


「何度繰り返して≠熾マわらねぇ」


 俺の計画は完璧だった。緻密に仕立て上げた計画は狂うことなく回るはずだった。だがその計画はあと一歩のところで崩壊を繰り返す。花垣武道という存在によって、俺の計画は無に帰す。それはこの先も変わらない。たとえ立て直しても、必ず花垣武道によって阻止される。何度繰り返しても、それは変わらない。

 は、と乾いた息を零す音が耳を掠めた。

 小鳥遊のそんな表情を見るのは初めてだった。昔から感情を読ませない微笑みを浮かべていたそれは消え、今は顔を歪ませながら、それでも口元に笑みを浮かべている。なんとも矛盾した、感情が表に出た表情だった。


「そんなことない……稀咲の完璧な計画なら……!」
「何度繰り返して≠焉A橘日向は手に入らない」
「……!」
「俺は、ダークヒーローにはなれねぇ……」
「……」


 俺の言葉に小鳥遊は押し黙る。

 そう、俺はダークヒーローになれるはずだった。ヒーローを尊重していた。でも俺はそれになれない。だからダークヒーローになるはずだった。でも、俺は結局それにもなれない。

 ヒーローにはなれない。お前のようにはなれない。橘日向も手に入らない。俺はまさに道化だった。

 ゆるり、顔を上げた。その先にはなんとも言えない表情を浮かべる小鳥遊がいる。下唇を噛んで、顔を歪めるそいつ。俺はそいつに聞いた。


「なあ――何回やり直した?」


 その言葉に小鳥遊はばっと俯いていた顔を上げた。その表情には驚愕が滲んでいた。それを見て、ああ、と確信に至った。

 昔からヘンな夢を見た。白昼夢のような夢で、現実なのか夢なのかも分からない、妙にリアリティのある夢。それを繰り返し見る。そしてはっと目が覚めると、必ず目の前に小鳥遊が居た。

 空想なんて馬鹿なことは信じない。でも俺はある力を受け継いだその瞬間を知っている。信じたわけじゃない。だが、そいつの口からそれは語られた。なら、現実離れしたそれ≠焉A信じるに値する。

 なにも答えない小鳥遊から俺は視線を逸らした。答えを聞いたところでなにも変わらない。どうで此処ですべて終わる。答え合わせをしたところで意味はない。だから聞く意味はない。


「なんで……ここで諦めないでよ……稀咲の望んだ結末に辿り着かせてよ!!」


 悲痛な声を上げた小鳥遊は今にも泣きそうだった。そして、気付く。その手に握られている小さな古い懐中時計に。思えば昔から小鳥遊はそれを肌身離さず持っていた。今までは眼中になかったが、今になってその存在に気づく。それと同時に、忘れていた昔を思い出した。

 小鳥遊は昔から俺と一緒に居た。一人で居た俺に声を掛け、何を気に入ったのか知らないが、好んで俺のそばにいた。なんでも俺に話してきた。馬鹿な大人たちじゃ出来ない話を繰り広げたりもした。気まぐれに馬鹿な遊びもした。同じ帰り道を歩いた。俺たちは常に一緒に居た。昔も、今までも、そして今も。小鳥遊はずっと、俺のそばにいた。


「――お前を好きになれればよかった」


 そう零した言葉に、小鳥遊は静かに泣いた。々と降る雪が、小鳥遊の内面を表しているように見えた。


「もし、本当に時間が巻き戻せるなら……」


 仮の話は好きじゃない。もしも、なんていう確証の無い話は好みじゃない。そんなものに期待するのも、縋るのも、ただの時間の無駄だ。それでも、もしそんな力があるのなら。


「橘日向じゃなく、お前に最初に出会いたかった」


 そうすれば、なにかが変わっていたんじゃないかと、思えてしょうがない。


「な、に……それ……そんなふうにして、振り向いて欲しいんじゃない……好きになって欲しいわけじゃない……っ」


 とうとう小鳥遊はその場に蹲ってしまった。片手で泣いている自分の顔を隠しながら、顔を俯かせる。俺はそれを見つめていた。初めて、俺は小鳥遊知沙という人間に触れた気がした。


「……頼む」


 地面に着いた懐中時計を握る手に、自分の手を伸ばした。そうして冷え切った指に、指先で触れる。すると、不意にふっと笑む音が聞こえた。


「――本当……稀咲は酷い」


 そう言って顔を上げた小鳥遊は、悲しそうに瞑りながら涙を流して微笑んでいた。

 俺には小鳥遊が分からない。それでも、絡んだ指先は、確かに触れていた。




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