「ねえ、さっきから何してるの、遊矢?」
不思議そうにのぞき込む柚子に、ずーっとパソコンと格闘していた遊矢はようやく顔を開けた。
「よーし、これで完了!」
「え、なにしたの?」
「んー?城前たちんとこにいくための下準備だよ」
「どうやっていくの?ワンキル館の施設には近づくなって言われてるんでしょ?」
「まーね。オレ達は言われてるけど、ソリッドヴィジョン派遣しちゃ駄目だとは言われてないしー」
「すっごい屁理屈ね…」
「へえ、じゃあキミは侵入者ベルが鳴り響く中、いろんなところに隠れながら埃だらけになって侵入するのが好み?」
「……どうやるの?」
「へへ、最新のセキュリティには案外地味な突破口があるのはお約束だよね。手口としては古典的だよ」
遊矢のところにお目当てのデータを送ってきているのは、見たこともないアドレスだ。
遊矢がいうには、城前の端末をハッキングしたとき、ついでにワンキル館内で清掃活動をしている業者の出入りのデータを入手したという。そこに不定期の清掃業務をねじ込み、清掃員の格好をさせたソリッドヴィジョンを用意して堂々と侵入させたという。ワンキル館がMAIAMI市の業者と契約するようになったため、そっちのサーバをつつけばナンバー証のデータをあっさり入手することができたという。あとはソリッドヴィジョンに映像を投影して出力すれば、本物と寸分違わぬ偽物のできあがりだ。遊矢の技術は20年後の中でもかなり高性能なものである。地元の業者にあわせてセキュリティレベルをそれなりに下げている意表を突いていろいろと内部情報を抜き出すことができた。あとはワンキル館の部署で権限がある人間を洗い出し、その交友関係の中からセキュリティ管理が甘い人間の端末をハッキングし、乗っ取り、遠隔操作を行う。あとは引っかかるのを待つだけだ。メールを開く。行きつけのサイトにアクセスする。方法はいろいろあるが、その人間の端末さえハッキングできれば、あとは重要書類を作りそうな会議などのスケジュールの前後を狙いうちして、会議が終わったころ、資料の破棄を命じられた部下なりスタッフなりの行動に会わせて清掃活動を行えばいい。規定とは違う手順で入手した資料を復元してPDFで送ってもらえば、少々しわは目立つものの内部の地図とか大事な資料の流出は完了である。
「しれっといってるけど手間掛かってるのね」
「そりゃそうだろ、こんな大きな施設なんだ。それなりに下準備は必要だよ。イブ達と違ってこっちは体一つで転移してきたんだから。オレが持ってるのはこの体一つだよ」
「でも、清掃員の人に成りすます理由はなんなの?」
「じゃあ聞くけどさ、柚子。たとえばだよ?会議の資料を破棄するのにカードが必要な部屋があるとするだろ?そこに入ろうと思ったら、重そうな清掃道具持ってる人がいて、カードの取り出しに手間取ってたらどうする?」
「え?それは、扉抑えててあげるわ。きっとゴミ捨てにきた人でしょ?」
「ぴんぽん、柚子みたいに良心につけ込んだ手口なんだ。そうやってセキュリティカードがないのに入っちゃう。せっかく清掃員が来てるなら、手持ちの資料も一緒に持ってって欲しいし、ゴミ捨て中に混ぜてくれっていうだろ?それを狙うんだ」
「うっわ、悪質ね。でも、普通、資料って粉々にするんじゃないの?」
「そういうのを面倒臭がる人は結構いるんだよ。そういう人にお役目が回ってきた時を狙うんだ。半年もあれば1度や2度はあるよ。みんな忙しいからね。この方法でパスワードとかIDアドレスとか、そういったものは入手できたんだ。今回地図も手に入ったし、準備完了だね」
エンターキーを叩くとワンキル館の内部資料に真っ赤な矢印が伸びていく。
「わー、すごい。ほんとにスパイみたいね」
「まーね、これくらい朝飯前だよ。というわけで柚子、お願いがあるんだけどさ」
「え、なに?もう嫌な予感しかしないんだけど」
「はいこれ」
「……なにをさせられるのか大体わかったわ」
遊矢が差し出したのは、このパソコンとさっきまでつけていたヘッドセットである。
「というわけで、ナビゲートよろしくー!」
「……あのね、遊矢。一応聞くけど、私、ほんとに素人よ?失敗してもしらないからね?ソリッドヴィジョンにさせればいいじゃない」
「仕方ないだろー、無茶言うなよ。ソリッドヴィジョン遠隔操作しながら侵入とか絶対無理だよ。それとも柚子も一緒にくる?警備員とおっかけっこして、下手したら警察に捕まっちゃうけど」
「……やらせていただきます」
「おっけー、交渉成立な。じゃ、これから使い方教えるから、しっかり覚えてくれよ」
「わ、わかったわ。やってみる」
「やってみるんじゃない、やるんだよ」
「うう、わかったわよ!やればいいんでしょ、やれば!」
「記憶力がいいのはわかってるからさ、柚子。自信もっていいんだぜ?」
「うれしくないわよ……!」
「へへ、その様子なら大丈夫そうだな。じゃあ始めるよ」
嬉々として話し始めた遊矢に何度もストップをかけながら、柚子は必死で作戦を頭にたたき込む。ヘッドセット、パソコンの使い方、指示の出し方、もし見つかったときの対処法、そして無事にワンキル館の5号館地下に侵入できたときの手順。
「え、ログインは城前さんたちの入ったところとは違うの?」
「そりゃそうだろ、オレたちは招かざる客なんだ。MAIAMI市が丸ごとすっぽり入っちゃうくらいの大きさみたいだし、どれくらい再現されてるのか気になるしね。ちょっとくらい寄り道してもいいだろ?ワンキル館が何をしようとしているのか、わかるかもしれないしね」
「そっか。で、ここにある数字を入力すればいいのね?」
「そ、ここにある数字が一番大事なんだ。オレがログインするエリアの座標を入力するところ。へんな数字いれないでくれよ?ここ失敗したら、壁の中に閉じ込められた、なんてしゃれにならないことになるんだからな」
「わかってるわよ、そう脅かさないでってば」
「ほんとに念には念を押していってるんだからな、柚子。いくら失敗してもオレが機転効かせてどうにでもするけど、これだけはほんと頼むよ。柚子にしかできない作業だからな?」
「わーかったってば!で、この数字を入れたら、遊矢の持ってるそのカメラと遊矢は、仮想現実のMAIAMI市のどこら辺にログインするの?」
「うん?お墓だよ」
「え、お墓?」
「うん、お墓。街の外れにあるだろ、外国人用の墓地。あそこ」
「レオ・コーポレーションとか遊矢の家とか、わかりやすいところじゃなくて?」
「あはは、たしかにあるってわかってるならそれが一番いいんだけどさ。もし設定されてなかったら、デバック空間とかに迷い込んじゃうかもしれないじゃないか。さすがにそうなったら詰みだからね。ワンキル館が真っ先に構築するだろうエリアを選んだって訳」
「なんで墓地なの?」
「もちろんワンキル館はあるだろうね、仮想現実の中心地として。ただそこは城前達の領域だ、いきなり魔王の城に転移する勇者なんていないだろ。魔王の秘密とか伝承とかそういうのを知るイベントがあって、そういうダンジョンで重要なアイテムをゲットできたりするじゃないか。そういうことだよ」
「もっとわかりやすく言ってよ」
「早い話がないんだよ」
「ないって、なにが?」
「オレのきた20年後の世界にも、その世界と混ざり合っちゃってるこっちのMAIAMI市にも、城前の前任者のお墓がないんだ。ワンキル館はもちろん、外国人墓地にも。あの一族は信仰してる宗教的に個人個人のお墓が用意されて土葬されるはずなんだ。あの人は敬虔な教徒だったから、教会でお葬式して、土葬って流れのはず。絶対に火葬はない。墓地は絶対大きいスペースが必要なんだ。それなのに見当たらないなんておかしいだろ?このMAIAMI市はあの人の死までは既定路線の世界線なんだ、絶対にどこかに墓地があるはずなのにない。絶対におかしい」
「だから、仮想現実につくっちゃったの?ぜんぶソリッドヴィジョンでできた、MAIAMI市に?そんなのってありなの?いくらなんでもむちゃくちゃじゃない?」
「でも、仮想現実には外国人墓地なんて一番必要なさそうなエリアが真っ先に作られた形跡があるんだよな−。ユーザーにいろんなサービスを展開するにしたってさ、仮想現実にお墓なんて大事な場所、エリアはエリアで独立させるべきだろ?でも独立してない。真っ先に作ってる。やっぱワンキル館にとっては大事なところなんだよ。真っ先につくるくらい、さ」
「……そうなんだ」
「ま、そこがホントにお墓なのかどうかは、いってみないとわかんないけどな。というわけで、オレ、そろそろいくね。ほんと後はよろしく頼むよ、柚子」
「わかったわ、後は任せて」
「いい返事だ。期待してるよ!それじゃ、いってきまーす」
「いってらっしゃい」
Dホイール用のヘルメットを片手に、意気揚々と城前の部屋から出て行った遊矢を見届けて、柚子は小さく息を吐く。そしてヘッドセットに手を伸ばした。すでに展開されているのは侵入経路を示した地図、そしてハッキングしている防犯カメラ。遊矢の位置情報をリアルタイムで教えてくれる点滅する赤。焼き付け諸刃の知識で何処までできるのかなんてわかったもんじゃないが、頼まれた以上はやらなくてはならない。
「安請け合いしちゃったけど、戻ってきたら覚悟しなさいよね、遊矢。雇用主をタダで働かせるなんていい度胸してるじゃないの。1時間ごとに残業代請求してやるんだから」
柚子の不穏な笑い声が届いたのかいないのか、ぞわっとした悪寒に遊矢は体を震わせる。
(どうした、遊矢)
「んー、なんか嫌な予感がしただけ」
(勘弁してくれ、これからなんだぞ)
「わーかってるよ、うるさいなあ。大体なんでオレなんだよ、ユートでもいいだろ?」
(馬鹿言え、私はDホイールを全く運転できない)
「だからそのどや顔やめろってば!」
精神体となっているユートはすでにDホイールの後ろに座り、準備万端である。早くしてくれ、と急かされて遊矢はちょっといらっとした。ここから5号館までは地味に距離があるのだ。これから分刻みとなるスケジュールである。一刻の猶予もない。Dホイールを駐輪場から出した遊矢は、ワイヤレスのイヤホンを忍ばせた。
「まだ起きないのかよ、ユーゴもユーリも」
(ああ、うんともすんとも言わない。ずいぶんと深い深層意識にまで沈んでいるようだ。浮上までには時間がかかるだろう)
「ようするに寝てるってことじゃないか。一応聞くけどさ、気配はあるんだろ?」
(ああ、安心しろ。言い逃げしたまま消えたりはしないさ)
「どうだか」
軽口を叩きながら遊矢はぼやく。ヘルメットをつけ、Dホイールの快音を置き去りにして走り出した。ユートの白いフードがばさばさとはためいていく。透明なはずなのに、まるで存在するかのように、風に煽られて大きく翻った。
「デュエルエネルギー、かあ。ユーゴが起きないのはそのせいなんだよな?」
(ああ、おそらくはユーリもだ。蓮の予測にすぎないが、疑問点は今のところないな。2人とも気配はある。感じ取れる)
「ユーゴですらこれなんだろ?オレが相手したらどうなっちゃうんだか」
(それも恐ろしい話だが、私が心配なのはキミの方だ、遊矢。G・O・Dの誘惑に耐えきれるだろうか、と蓮は意味深に笑ってた。新たな世界線の分岐なんて途方もない力だ。遊矢、キミはG・O・Dを前にしたとき……)
「オレを誰だと思ってんだよ、ユート。オレは世界最高峰のエンターテイナーを目指すエンタメデュエリストだぜ?どんなことがあろうとそれは変わらないよ」
一瞬面食らったユートだったが、静かに口元を緩めた。
(ああ、たしかにそうだな。キミは昔からそういう奴だった。心配するだけ杞憂だったか)
「ほんとそうだよ。みんな、オレのことばっか心配しちゃってさ。オレよりお前らのこと心配しろっての。オレがどうにかなったら、どうすんのさ。ひっどいよなあ、みんな」
(謝る気はないぞ、遊矢。私たちは悪いことは何もしてないからな、何も)
「ったくもー、くだらないことは全然意見が合わない癖に、なんでこういうときだけ満場一致なんだよ、おまえらは!」
遊矢のDホイールがウインカーを出しながら、ゆっくりと曲がっていった。
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