ペルソナ4 15
中間テストが終わり、休みあけとなった月曜日のこと。張り出されているテスト結果を確認したら、月森と雪はトップ、私はなかよく千枝と花村と同じく中の下くらいだ。一週間の無断欠席が痛かった。なんとか赤点は免れて吹奏楽部に無事参加することができたのだった。

定期演奏会から外されている私も一応全体練習には参加する。月森は松永綾音と一緒に既に来ていて、練習をしているようだ。

「晃、もう来てたのか。早いな」

「こんにちは、飯田先輩」

「よかった、来てくれてよかったよ」

「はい」

「なあ、よかったら、終わったあと一緒に帰らないか」

「......わかりました。私も飯田先輩と話さなくちゃいけないこと、ありますから」

「うん、俺もだよ。じゃあまたあとで」

「はい」

金管パートの先輩、後輩、ついでに月森からの視線も感じるが、私は気にすることなく楽譜に目をやり、楽器をあたためながらチューニングをはじめた。

みんながだいたい準備できた頃、顧問の先生は現れる。指揮者を担当している先輩が前にたつ。私たちは全体練習の位置についた。

一瞬の静寂。打楽器がリズムを正確に刻み始める。それぞれのパートがそれぞれの相応しいタイミングで音を奏で始め、私もまた楽譜と指揮者をにらめっこしながら演奏をはじめる。

飯田先輩はトロンボーンの主旋律を担当していた。芯の通った見事な演奏だった。心を込めて音を飛ばすことに関しては天才的ですらある。ひとつの心象風景になっている。その演奏が美しいたたずまいを持ち、押しつけがましくなく想像力に富んだものであることはいうまでもない。

細部が全体を活気づけ、また全体が細部に於いて生き生きと精彩を放っていた。通人ほど退屈する楽章でさえ、きびきびとした音符の筋肉まで見えそうな躍動感で、誰が弾いてもなかなか立派に聞こえない難物も、こんなに良い曲だったろうかと思うくらいだ。

トロンボーンという楽器の良さは、まさしくこの親密さだった。こんなに近くでこんなにやさしく歌うことが出来る。楽器自体が自分の体温であたたまってゆく。しかしそこには、聴いている人間の温もりまで混ざり込んでいるような気がした。

それでも。

うまく誤魔化したので気づいた者はほとんどいなかったが、次第に全体に上ずって性急になる。いつものあの輪郭の冴えた精緻な構築物のような音楽は、見る影もなかった。不調であっても技術的には高度なだけに、却って指だけよく回る表面的な演奏に聞こえた。奏でる旋律がかつてのようにハリのある運動の軌跡を示さず、和音が曇りを帯びてたちまち潰えてしまう。

「飯田、どうした。今日は調子が悪いな」

それでも顧問の先生の耳はごまかせなかったようで、きっちり指摘されている。

「すいません、気をつけます......」

飯田先輩は申し訳なさそうに肩を竦めた。

顧問の先生が各担当に課題を出し、次の全体練習までに仕上げてくるようにと告げていた。私は課題曲の楽譜が渡された。この精度によって次の月の演奏会に出してもらえるか決まるらしい。分かりました、と私はうなずいた。

ホルンの先輩たちに課題曲のポイントを聞いて回り、楽譜に3色ペンでメモをとっていく。あとはひたすら個人練習だ。

やがて音楽室にも下校時間を告げるチャイムが鳴り響く。私たちは片付けをはじめた。

私がホルンのケースをしまっているとメールが来た。どうやら神薙晃は生まれてこの方電話番号を変えたことがないらしく、ショートメールである。

玄関で待っててくれ、とある。私は分かりました、とだけ返して玄関で待っていた。

外は午後からの下り坂で雨が降っていた。私は安物のビニール傘を片手に飯田先輩を待っていた。

「待たせてごめん、少し川の方まで歩かないか?」

「分かりました、いきましょう」

雨はまだ降り続いている。

なんともいえない空気が私たちの間にじんわりと湧いてくるのがわかった。それはふたりの間に蒸気のように漂う気配だった。長い長い沈黙ののち、飯田は口を開いた。

「考えたんだけど、さ」

飯田は言った。

「やっぱり1月の時と俺は変わらない。ずっと、好きだったみたいなんだ」

私は黙った。急に何もかもが近くに見えるように思えた。川の土手も、雨に濡れる道路も、傘を持つ自分の手も。恋の視覚だと思った。

「晃がいなくなって、3年たつけどさ。一人だとつまんないんだ。ずっと、心のどこかで君と行くことを想定してた」

「......」

飯田は思い出話を始めた。4月からの記憶しかない私には初めて聞く話を。

飯田はいうのだ。私を見るたびなぜか「使命」という言葉をいつも思い出した。何か重いものを背負っているが、それをやむなく受け入れている、そういうシリアスさを感じた。それをどうして自分が感じるのかわからない。でもそういうところに惹かれた。

そんな人がにっこり笑ったりすると、それはひどくめりはりのある、本当の笑顔だという感じがする。笑顔の「意味」を発見する。 

ぱっと笑うたびに、その笑顔の分だけ、心が閉じているような印象があった。他者とは決してわかちあえない、私だけの内面の苦悩のようなもの。

そんな私が飯田先輩と呼んでくれるのが好きだった。笑いかけてくれるのが好きだった。たぶん、今もきっと。

飯田先輩は感情を私にしっかり送り届けるという、ただそれだけのことに集中していた。それは小さな固い箱に詰められ、清潔な包装紙にくるまれ、細い紐できつく結ばれている。そのようなパッケージを飯田先輩は私に手渡していた。 

そのパッケージを今ここで開く必要はない、と飯田先輩は無言のうちに語っていた。その時がくれば開けばいい。あなたは今これをただ受け取るだけでいい。

重荷になりたくない。

「すぐに返事を聞きたいとは思ってないよ。また会えなくなる方が俺は嫌だ。あの時はつい気持ちがせいちゃって、ごめんな。目立つような真似して。晃がいちばん嫌いなパターンだったのにな」

飯田先輩はどこまでもいい先輩のようだ。平行世界の私が恋人にしても良いかもしれないと血迷うくらいにはいい人なのだろう。飯田先輩の人の良さゆえに神薙晃が返答に悩みに悩んだ挙句の悲劇の幕開けとなったのだから悲しい話だ。人の思いはままならない。

私はその優しさに付け込まなくてはならない。この返答は神薙晃のシャドウがすべきであって私じゃない。それはあまりにも誠意がない。

だから私は一刻も早く神薙晃のシャドウに新たな器を用意しなくてはならないのだ。

私はかつて恋をしたかった。それも最適な場所で、最適な人と恋をしたかった。この世界の私もそうだと思うから、シャドウが伝えるべきだろう。

私は決意を新たにするのだ。私のシャドウなりペルソナなりが奪われたというならそれを取り戻し、飯田先輩にちゃんと返事をしなくてはならない。

「わかりました。ありがとうございます」

「よかった。あの時とは違う顔してくれて。あのときはホントにごめんな」

「いえ......さらに待たせてしまって、ごめんなさい」

「いいよ。今なら俺も待てる気がするから。そのあいだに、俺も色々、考えないといけないなと思ってるとこだし」

頬を掻きながら飯田先輩はいう。告白した側なのに色々考えないといけないとは一体なんだろうか。首を傾げる私に飯田先輩はなんでもないよと笑うのだ。

「飯田先輩って、小西先輩と同じクラスでしたっけ」

「え?あ、うん、そうだけど」

「......マヨナカテレビ、噂になってるそうですね」

「......そう、だな」

飯田先輩は目を逸らした。

「小西先輩がいってました、小西先輩心配してマヨナカテレビ見たら私のマヨナカテレビがうつっちゃって、見た人が沢山いるって」

「......なんか、ごめん」

「いえ、気にしてないです。私が同じクラスだったら、マヨナカテレビみてたから。あんな形でバレちゃうなんて思ってなかったけど」

「......ほんとなのか?」

「誇張されたところはありますが、私が今好きなのは雪だし、男になりたいのは事実です。だから、飯田先輩、さっきの話、なかった事にしても私は......」

「まじか......そっか......」

「はい」

「そっか......じゃあ俺、ホモになるのかな......」

「え?」

「いやだって、そうだろ?マヨナカテレビみても、こうやって神薙にカミングアウトされてもやっぱ好きなんだよ」

「そ、そうなんですか?」

「うーん......考えすぎてよくわかんなくなってきたんだけど、神薙が月森といるとモヤモヤするのはたしか」

「ああ......」

「どーすりゃいいんだろうな、ううん......とりあえずさ、さっきの言葉はマヨナカテレビも込だから、撤回するつもりは無いよ」

私は考えてもいなかった返事に驚くしかないのだった。


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