来栖が御子柴を見かけたのは、数週間後の帰り道だった。いつもの遠回りな通学路を歩いていると、いつぞやのスーツとはちがい、コンビニ帰りなのかどこかラフな格好をしている。ビニル袋を下げているから、きっと買い物の帰りなのだろう。志穂の住んでいる御子柴の実家と反対方向にあることを除けば、だ。あまりにも遠回りな買い物である。やあ、と笑いかけた御子柴に、お久しぶりです、と来栖は返した。
「君はたしか、来栖君だったかな」
「はい。えっと、御子柴さんでしたっけ」
「ああ、そうだよ」
「どうしてここに?」
「そうだね、散歩かな」
「散歩?」
「散歩」
「こんな時間に?」
「こんな時間だからさ。今日は夜勤明けで休みなんだ」
「そうなんですか。おうち、反対方向なのに?」
「まあね、考え事するには散歩が一番なんだ」
御子柴はすこし苦笑いを浮かべる。しばし言葉を探して沈黙したあと、なにか考えるようなそぶりを見せた。そして、意を決したように、来栖に問いかける。
「ひとつ聞いていいかな、来栖君」
「なんですか?」
「志穂のことなんだが、前の学校でもあんな感じだったか?」
「えっと」
「答えにくい質問ですまない。実は、その、なんていったらいいんだろうな。志穂があんな風に元気になったのは、なんというか突然なんだ」
「突然?」
御子柴はこくりとうなずく。
「突然人が変わったように明るくなってしまってな、正直僕は無理してるんじゃないかって心配してるんだ」
「でも御子柴さんにはうれしそうに笑ってましたけど」
「だからなおさら心配してるんだ」
「というと?」
「昨日まであの男と同じくらいの背丈の男が近づくたびに、体が拒否反応を示してた女の子が、次の日には普通に挨拶してきて、学校まで送ってくれ、なんて笑いかけてきたらどう思う?」
「それは」
「これでも親戚づきあいは長い方なんだ。ごめんねって青ざめた志穂を見て、実家を出ないといけなくなったって僕は困らないさ。それが突然あんな感じなんだ。正直、志穂の精神状態が心配でならない」
御子柴はためいきをついた。やはり鴨志田が残したトラウマは深刻なようだ。志穂を気遣い、実家をでようという話でまとまりかけた次の日から、突然志穂は人が変わったかのように明るくなったという。大丈夫だというアピールもかねて、かつての年の離れたお兄ちゃんのように無邪気にじゃれついてきたりもしたという。年頃になり、照れることを覚えて、距離が離れていたというのにだ。さすがに御子柴の実家は志穂の家に連絡を入れ、すぐにカウンセリングの先生のところに通ったり、話をきいたりしたのだ。だが、驚くほどの速度でトラウマとおぼしき症状を克服し、自身に起きていたことを明確に客観視して受け入れてすらいる。忘却などの防衛本能が働いている兆候もない。いったいどうしたんだ、と聞いても、もう大丈夫だからとしかいわないらしい。
来栖は脳裏に浮かぶ志穂の笑顔を思い出す。どう見ても演技にはみえなかった。それを伝えると、僕もそう思う、と御子柴はうなずいた。
「だからなおさら混乱してるんだ、みんな」
「そうなんですか」
「いきなり重い話をしてごめん。ただ、杏ちゃんが君をずいぶんと頼っているようだからついね。志穂のこと、気にかけてやってくれないか?よかったら」
「俺にできることなら」
「ありがとう、すまない」
御子柴と別れた帰り道、来栖はあたりに人影がないことを確認して、公園に寄った。突然、スマホのブザーが鳴ったのだ。開けてみると、あの夜以来アイコンをタッチしても反応しなくなってしまった、異世界ナビが反応しているではないか。ぎょっとした来栖はあたりを見渡す。世界はまるで夜のように暗くなっている。ずっと向こうの空に月が傾いているのが見えた。
「なんだこりゃっ!?」
メメントス消失と同時に存在理由を失い、ただの猫に転生したモルガナだが、この異世界はメメントスと似たようなエリアらしい。久しぶりに二足歩行になっていることに気づいたモルガナは、首元がスースーするとわらった。
「モルガナ、これやるよ」
差し出されたのは、怪盗団ブームの時に流行ったロゴ入りのスカーフだ。
「えええっ、ここは返してくれる流れだろー?」
「これはモルガナが俺にくれたんだろ、返すのはなしだ」
「えー。じゃあつけろよ、ジョーカー」
「これをか?」
「そーだよ。ワガハイだけじゃ不公平だろ」
「わかったよ。小さいから腕にでもつけとく」
「にゃはは、忘れるなよ?さーて、どう思う、ジョーカー」
「さすがにおかしい」
「だよな。でも、こんな空間があるってことは、作ったやつがどっかにいるはずだ。探してみようぜ」
ああ、と来栖はうなずいた。
それはあまりにも現実に存在する学校と似すぎていた。モルガナが二足歩行になっていなければ、きっと来栖は初めて来たシュージンと同じように通学路がいつの間にかパレスやメメントスに呑まれていたことに気づかないまま、シャドウに襲われる羽目になったはずだ。さいわい頼れる相棒は自らの役割を思い出して、本来あるべき能力を最大限発揮することができるようになっている。違和感があればすぐに気づくのだ。そして故郷、あるいは創造主の居場所をすぐに知覚することができるようになっている。モルガナはしっぽを揺らす。そしてこっちだ、と来栖を急かした。青い扉の前に、メイド姿の少女が立っている。
「お久しぶりです、暁さん、モルガナ」
「そっちも元気そうでよかった」
「にゃはは、あっというまの別れだったな」
「ええ、そうですね。お二人ならきっと来てくれると思っていました。どうぞ、お進みください。主がお待ちです」
恭しく礼をする少女は、来栖の仕事を担うことができてうれしいのだろう、見るからに足取りが軽い。
「ようこそ、ベルベットルームへ」
イゴールは久しぶりのお客人にうれしそうに笑った。
イゴールがいうには、メメントスやパレスとよく似た事象が観測されたため、転移したという。そしたら、来栖の存在が知覚できた。モルガナは今でこそ猫に転生したが、もとをたどれば隣の少女と同じ人形であり、ベルベットルームの住人だ。かつての仲間がいるのだ、手助けするのは当然の流れである。まして、イゴールは長らく封印状態にあり、本来の役目を全く果たすことができなかったという事実が横たわっている。いつになく積極的なのがうかがえる。ここはパレスによく似た事象だという。つまり誰かの精神世界というわけだ。鴨志田たちのように強烈な感情に支配された、だれかの精神世界。来栖の脳裏に、御子柴の言葉がよぎった。
ペルソナを新調し、身体強化をはかる。お気をつけて、という言葉を背に、二人は夕暮れにうかぶ学校に向かって歩き出した。
誰も居ない学校を徘徊するのはシャドウだ。この精神世界の主がよほど屈折したものがあるのか、やたらと強化されているのが分かる。これまでの困難で培ってきたペルソナですら気を抜いたら持って行かれてしまいそうになるほどの強さだった。セーフルームで休みながら、ゆっくりと先を進んだ来栖たちは、その奥にある部活棟に向かった。部活を退部させられ、一年以上足を踏み入れたことのない来栖には縁遠い場所だ。それでもだいたいの構造が分かるのは志穂に頼まれて荷物持ちなどを行った結果である。やはりというべきか、バレー部の練習場である、すぐ近くの体育館が一番最奥のエリアだった。
体育館のドアを開ける。
おどろくことに、そこには来栖たちの予想に反して、シャドウはいなかった。拍子抜けするのも無理はない。そこには黙々と自主練習をしていたらしい志穂が、ボールを抱えたまま動きを止めたからだ。がらら、という音を聞いたのかと思ったが、どうにも反応がおかしい。びくっと大げさに肩をふるわせた志穂は、おびえたまなざしを来栖に向けたからだ。しかし、それが来栖だと気づいたと同時に、今度は困惑に変わる。
「え、あ、あれ?」
おそるおそる近づいてくる志穂に、来栖とモルガナは顔を見合わせた。
「え、えっと、君、たしか来栖くん、だっけ?」
「ああ」
「どうしてここに?あれ、シュージンじゃ?」
「なに言ってるんだ、鈴井。俺は4月から転校してきただろ。隣の席じゃないか」
「えっ」
志穂はいよいよ凍り付いてしまう。なにがなんだかわからない、という顔をしている志穂に、来栖はとりあえず一緒に帰ろうと提案した。
×