ペルソナ4 第4話
ペルソナ4

昼ごはんもそこそこに、第一回何でも相談室が開幕していた。


「飯田……さん覚えてるか?雪」


飯田が何者なのか、少しでも情報が欲しかった私は、単刀直入に聞くことにした。綾音が先輩呼びをしていた時点で1学年は除外される。そもそも今年の1月のコンクールに参加している時点で今の2年生、3年生なのは確定している。先輩は飯田くんと言っていたから、今年卒業したという可能性も低い。あの人は年上は性別関係なく先輩呼びする人だ。でもコミュ内では、部長が飯田と呼び捨てしていたから、特定するのは難しい。部長はどうやら同級生も下級生も関係なく呼び捨てにするらしく、結局2年生なのか3年生なのか分からないままだ。金管楽器を担当するグループ同士でパートは固まっているが、なにせ吹奏楽部は男女部員数が多い。未だに顔と名前が一致しない人も多い。かろうじて同じホルンパートの人たちは覚えられたが、同じ金管楽器を担当する人たちの顔は覚えられても、肝心の名前が分からないままだった。学年章でなんとか判断しているレベルだ。平部員の私は先輩と顧問の先生の電話、メルアドしか知らない。連絡網は個人情報がどうたらという理由でマネージャーが管理しているらしく、知るすべは無いのである。せめて学年だけでも知りたかった。ちなみに今朝、先輩から衝撃の事実を知らされるまで、私はずっと個人練習に勤しんだり、ホルンのパート参加しており、まだ全体練習はしていない。だから全く分からないのである。


そんな私の切実な事情など知るはずもない天城は、一瞬きょとんとしていたが、すぐに思い出したようで覚えてるよと笑った。


「飯田先輩?覚えてるもなにも、晃ちゃんの彼氏だった人、だよね。忘れないよ。
……晃ちゃん、呼び方変えちゃったんだね」


どうやら3年生で確定らしい。つまり、私は10月まで飯田先輩と部活を共にするだけでいいというわけだ。同学年でないだけでも、ずいぶんと出会いは薄れていく。ある意味ほっとした。そこにものすごい勢いで食いついたのは、やはり里中だった。里中を見ていると、私と彼女との世界で完結しがちだった学校生活に色々と繋がりを持たせてくれた、リーダー格の女子生徒を思い出してしまう。そうだ、たしか、あの人と私達が知り合うきっかけを作ったのもまた。デジャビュを感じて苦笑いを浮かべた私は、詳しく聞きたいと顔に書いてある里中をなだめる。好奇心旺盛なまなざしが見上げてくる。私と里中の身長は約10センチある、あと5センチ高ければ、とどうでもいいことを考えつつ私はどうしたものかと考える。興味津々で急かす里中と沈黙する私に、困惑していると汲みとってくれた天城が助け舟を出してくれた。


「晃ちゃん困ってるよ、千枝」

「えーっ、でもさ、すっごく気になるって。いいなあ、彼氏かあ。アタシなんてさー、もうみーんな天城越え狙いで雪子に夢中になっちゃうんだよ?ひどくない?アタシは空気かっての!もー」

「そ、そんなことないよ、千枝」

「そういうところが雪子らしいんだけどね、はーもう、世の中不公平だよ」


里中の根本にある天城への女性としての劣等感はやはり相当深いようである。里中の初恋は恐らく幼稚園から中学まで同じだったのだろう、例の幼馴染だろう。よく泣き虫でいじめられていた気弱な幼馴染を助けるために、ガキ大将チックなことをやっていたらしい里中である。よく男の子と遊んでいたらしいから、ヒーロー物にハマるきっかけも幼馴染の思い出と共にあるのかもしれない。それが、中学時代に出会った天城との出会いで一気に変わってしまうのだ。あのあからさますぎる天城と里中の扱いの違いには清々しさすら感じられたが、恋愛ルートは里中一直線だった私には殺意しかわかなかった。しかもカツアゲに助けられておきながら、なんだあのとんでもない態度と台詞は。間違いなく主人公がコミュの中で激怒した数少ない場面の一つである。仄かな恋心を抱いていた幼馴染が天城になびき始め、やがて天城と接触するためのツールとして幼馴染から認知されはじめる。相当な苦痛だろう。覚えがある話である。まあ、私の場合、自ら茨の道に飛び込むような大馬鹿者だから、自業自得なのでおいておくとしても。初恋は叶わないとは言うものの、かなってしまったら主人公とのフラグが粉砕されてしまうのだ。幼馴染くんには悪いが、当て馬としては十分な働きだったと思われる。そして密かな人気があるにもかかわらず、全く気づいていない一条涙目な展開は、里中の良さでもあるからよしとして。そんな苦い失恋を経験した里中としては、興味がひかれるのも無理は無いと思うが、私はあいにく語れるような経験は把握しきれていないのだ。はてさて。


「私、吹奏楽部でホルンを担当してるんだ。………実は、飯田先輩、トロンボーンの担当してるんだ」

「えっ?!ホントなの?晃ちゃん」

「……ああ」

「ええっ?!それホント?すっごい偶然だねえ。あ、もしかして、体験入部の時、再会しちゃったりしたの?」

「違う。私は、ずっと楽器を演奏してみたかったけど、小学校も中学校も部活がなかったから、決めてたんだ」

「そっか、でもさー、それって運命感じない?」

「悪いけど、私はちょっと、気まずいんだ」

「そっかー、残念。うーん、恋愛関係って奥が深いねえ。アタシだったら、なんかちょっと意識しちゃうかも」

「ねえ、晃ちゃん。悩んでたの、もしかして、飯田先輩となにかあったの?」

「……1月に、ちょっと」

「晃ちゃん」

「ん?」

「もし、飯田先輩がもう一回、やり直そうって言われて困ってるんなら、私、やめた方がいいと思うよ」


はっきりと、天城は私を見据えて言い放った。いつになく真剣なまなざしに思わず私も里中も口をつぐんでしまう。天城は少しだけ悲しそうな顔をした。


「あの時は、飯田先輩と付き合ってるの晃ちゃんだから、私が言うのもどうかと思って言えなかったこと、いっぱいあるの。晃ちゃん、飯田先輩と付き合い始めてから、すっごく頑張ってたよね。女の子の服とか、お化粧とか、いろいろ頑張ってたよね。でもね、私、晃ちゃんの相談に乗って、一緒に買い物したりするとき、すっごく辛かったんだ」

「雪…」

「だって晃ちゃん、ずっとつらそうだったんだもん。晃ちゃんらしくいたほうがいいっていっても、全然聞いてくれないし。晃ちゃんのまわりがどんどん女の子で埋め尽くされていくたびに、どんどん晃ちゃん、一人ぼっちになっちゃうんだ。気付いてなかったよね?晃ちゃん、飯田先輩に誘われるたびに、どこか遠くを見るんだよ。でね、私は大丈夫だっって口癖みたいにつぶやいて、まるで思いつめた顔して出かけていくの。今みたいに。晃ちゃん、気付いてる?今、晃ちゃん、あの時と全く同じ顔してるの。今にも泣きそうな顔してる」


天城は一呼吸おいて、再び前を見た。


「飯田先輩のこと、大好きなら、それでもいいと思ってた。でもね、晃ちゃん、どんどん体調悪くて休みがちになっちゃったの、もう、見てられなかったんだよ?晃ちゃんは、無理しなくても晃ちゃんのままでいいのに、全然分かってくれないんだもん。まるで女の子にならなくちゃいけないって追い詰められてるみたいで、どんどん壊れてく晃ちゃん、もう見るの嫌だよ、私。ね、晃ちゃん。お願いだから、今度は絶対に無理しないで。相談して?」

「……あー、なんか無神経なこといろいろいっちゃって、ごめんね、晃。アタシ、なんにも知らないのに」

「いや、説明できない私が悪いんだ。気にするなよ。雪もごめん。心配、かけちゃったみたいだな」

「………ホント、だよ。すっごく心配したんだよ?私、遠慮なんてしちゃったから、何にもできなかったから、晃ちゃんに嫌われたのかってずっと……!」

「ごめん、雪。もうどこにもいかないから。な?……私も無理したって反省してる。飯田先輩とはよりを戻す気はないからさ、安心して、な?」


むしろ男性と付き合うなど私は絶対に無理だと断言できるのだが、さすがにそこまで言うのはまだ早い気がして言葉を飲み込んだ。


「こりゃー、相談会を定期的に開かなきゃいけない流れかなー?もう、雪子も晃も水くさいんだから。ずーっと心のなかに貯めこんでたら、苦しいだけっしょ?ね?アタシ、なんにもアドバイスとかできないけどさ、二人が優しすぎるってことはよーく分かった。思いっきり感情吐き出さないとダメだって。うん、よし、じゃあこれから週に1回は必ずお悩み相談室つくろーよ。かくしっこなし、なんでもいいからしゃべること!いい?」


快活に笑う里中の提案に、私は強引だなあと笑った。私がはっきりと宣言したことも功を奏したのか、悲壮な顔をしていた天城もすっかり落ち着きを取り戻して笑っている。今、天城屋旅館はスキャンダルの渦中にいていろいろ大変だろうに、いらぬ心労をかけてしまったらしい。ごめん、と改めて天城に笑い、肩を叩いた私に天城は小さく頷いた。


これでわかった。
私が巡ってきた過去とこの世界の私が辿ってきた人生は、いくつかのターニングポイントを除いて、ほとんど変わらないということが。これでようやく動き出すことができる。私が自分の判断で動き、考え、そして日々を過ごしていくことに、どうやら何ら問題はないようだ。











放課後を告げるチャイムが鳴る。今日は昼から雨が降っているが、小雨程度だ。霧が出るには気温が暖かすぎる。


「神薙、マヨナカテレビってしってるか?」


記憶に新しい、2日前。天城を「雪」と呼んでみたら、とてもうれしそうに笑った。里中がうれしそうな割に、どこかさみしそうな複雑そうな顔をしたので、できたら名前にしたかったんだが、あの顔を見た手前、引っ込みがつかなくなった。今はおそらく仲がいい、といえるくらいの指折りには入れられると思う。結局、天城と私の間に何があったのか私は知らないままだ。おそらく、私とかつての親友との間に起こった出来事の踏襲にすぎないだろうことを考えると、若干鬱になるので、実はありがたかったりする。いずれは向き合う必要があるだろうが、今はまだいいだろう。

クラス分けが行われてから、数日が経っている。また同じだったクラスメイト同士で固まっていた少数グループは、初めて同じクラスになってから徐々に2の2の中で緊張感がほぐれはじめ、いわゆる友達の友達経由で少しずつグループ同士で大きくなっていく。私はといえば、不本意ながら女だった時代に戻ってしまったとはいえ、やはりずっと男として生活してきた感覚は抜けない。未だに男女の区分が伴うトイレとか更衣室とか、一瞬歩みを止めてしまう。本来なら花村経由で知り合った、馬鹿ばかりやっている男子生徒たちと一緒に多少の下ネタの混じった話をする方が向いている。だがそれだけでは難しい。生物学上の同性同士の友人は最低限度いないと、私の特異な体質を露見してしまう前に、彼女達を通して自分のたち振る舞いを調節するというプロセスが失われてしまう。天城は午後は休むとかで出席しておらず、里中は里中で花村とカンフー映画のDVDは何がいいかということについて盛り上がっているのでおいておく。今は委員長経由で比較的一人の時間も友人たちとの時間も大切にできる、穏健な子たちのグループに入れてもらった。


よう、と声をかけてきた、人懐っこそうな笑みを浮かべた子供っぽい男子生徒がいる。私は覚えたばかりの名字を呼んだ。ペルソナ4をプレイした方は猫背の男子生徒を覚えているだろうか。林間学校で愛用のロケット花火を持ち込み、酔いの回る先生のテントにぶち込んで、諸岡先生を絶叫させた武勇伝をもつ、彼である。ミスコンでも大がかりな仕掛けをもくろんでいたが、久慈川に見とれて失敗したはずだ。昨日、里中と別れてから、降り始めた雨に雨宿りついでに立ち寄った四六商店で知り合ったのである。いたずらグッズを買い占めていた彼は、無理やり紙袋に詰め込みすぎて底を破いて、商品をぶちまけた。思わず笑ってしまった私は、女子生徒に笑われたとショックのあまり沈黙してしまった彼をフォローすべく一緒に拾い集めたわけである。中に、久慈川のDVD、しかも初回特典つきのそれを見つけ、思わず見入ってしまった私を見て、彼がおおっという顔をして話しかけてきたのは余談である。昨日、バスに乗るとき、すっかり財布がピンチ状態で呆然としていた彼に、50円かしたのだが、律儀に返しに来てくれたらしい。ありがとな、と差し出された50円玉を私は財布に入れた。


「マヨナカテレビ?」

「真夜中ちょうどO:OOに真っ暗なテレビをのぞきこむと、運命の相手が見えるんだってよ。面白いよな、今時都市伝説なんてさ」

アホらしいけど、ちょっと気にならね?と笑う。そもそもこの街が都市と連想できるかどうかという問題もあると思う。そこでふと私は心の中で、あ、しまった、と叫ぶ。面白そうだな、と笑うが、やはりひきつりが出てしまったらしい。あ、別に俺は信じてねーからな、誤解すんなよ、とあわてて弁解に入るのがあべこべで面白い。そういえば天城達との買い物ですっかり忘れていたけれど、昨日の夜は雨だったじゃないか、なんでマヨナカテレビを試さなかったんだ、私。うかつだった。

「とかなんとか言っちゃって、本当は試したんだろ?昨日」

「げっ、なんで分かったんだよ!」

「ほら、かかった」

「うっせーぞ、遅刻魔」

「あはははは。こいつから聞いたんだけど、神薙、りせちーすきってほんと?よかったら、オレなりに集めたベスト盤、かすぜ?」

「お、ありがとう。私、未だにウォークマンなんだ、CDに入れてくれるとありがたいんだけど」

「え、まじで?珍しいな、へええ。いーぜそれくらい。じゃあ明日朝にで渡すな」

「その前にちゃんと来いよ」

「時間どおりにきたら、負けかなと思ってんだ」

「おいおい、モロキンになぐられっぞ?」

茶髪の男子生徒が声をかけてきた。確か開会式そうそう暴走族がうるさくて寝不足だから、というとんでもない理由で堂々と遅刻してきた男子生徒だ。おとといは自転車が盗まれた、昨日は今にも生まれそうな妊婦さんを病院まで運んだ、今日は確かあれだ、不良に絡まれた、だった。前代未聞の連続遅刻記録を更新し続けている、いろんな意味で目立ちすぎている奴だ、名前はすぐに出る。

「神薙見見習えよ、お前。毎日早く来てんだぞ」

「え、まじで?」

「いや、私の場合、バス通なんだ。ほら、バス通だと7時すぎにはバス停にいないと遅刻確定だから」

「うへえ、俺寝てるって。無理だわ、うん。それはそうと、なんか見えたのか?マヨナカテレビってやつ。なんか見えたんなら、俺もためそっかなあ、今日確かしぶしぶだけど降るよな、雨」

「へへ、実はな、見えたんだよ。ぼんやりしててよくわかんなかったけどさ、女の人が!」

「まじか!ちょ、詳しく聞かせろよ!」

「本当に?」

「ほんとだって。どっかで見たことあんだけど、わかんねーんだよなあ、誰だっけ。今日もっかいみりゃ、わかっかな。そーだ、今日、みんなで見ようぜ?」

「おー、いいな」

「わかった」

約束な、と遅刻魔が笑う。私はうなずいた。いたずら常習犯の彼は、もしかしたら里中の言っていた「俺の運命の相手は山野アナだーっ」と叫んでいたという男子生徒なのかもしれない。私はそろそろ部活があるから、と二人に別れを告げた。





今日の部活は昨日と同じでホルン同士のパート練習と個人練習が中心で、肝心の先輩と顔合わせする可能性がある合同練習は明日に迫っているため、特に問題なく一日が終了した。祖母からのメールで、私はガソリンスタンドに向かっていた。天城が休んだのは無理もないと思う。だろうな、とある程度予想はしていたものの、とうとう天城のおかあさん、つまり天城屋旅館の女将さんが疲労困憊と心労が重なって、入院してしまったのだとメールには書かれていた。体調不良で倒れたとかで、天城が早退するのはよく見かけたが、ずいぶんとまあアナウンサーは辛辣なイビリをしているらしい。祖父母は今病院に搬送された女将さんをお見舞いに向かっている最中で、今日は遅くなる、と書いてある。時間があれば私ものっけて行きたいらしいが、早く行ってあげてほしい、と部活中送られてきたメールに返したため、私はいつもどおりバスで帰ることになっている。夕ご飯は勿論何もないだろうから、食べてくるなりかって帰るなりしてほしいとのことだ。本当なら行くべきなんだろうけど、やはり確かめておきたいことがあったので、ずるいとは思いながら、急ぐ。

「……やっぱり、いない、か」

いまどき無人ガソリンスタンドの方が普通なのに、未だにスタッフ在住のガソリンスタンド.MOEL石油というとんでもない名前の一見何の変哲もないガソリンスタンドを遠目に覗いているが、らっしゃーせーの人はいなかった。やはり外部から来た人間以外には興味がないらしい。雨だからいるのだろうか、と思ったものの、残念だ。そもそもこのマヨナカテレビの噂を流したのはあの人のはずで、ちまちまと話しかけまくって広げたのかと思うとシュールさが際立つ。こみあげてくる笑いを殺して、私は商店街に足を延ばす。愛家もいいが、今日はジュネスに行きたいので我慢する。とりあえず惣菜大学のコロッケはおいしかった。



きょろきょろ、とあたりを見渡す。花村が言っていた通り、やはりさびしい売り場である。あと3ヵ月後に迫った地デジなのだから、各メーカーはかきいれ時とばかりにせっかく価格競争を繰り広げているのに、専門店でないのは仕方ないが、品揃えは微妙だ。今日の新聞に挟まれていた某大型電気量販店の方がずっと魅力的といえる。まあ普通こういった場所よりも車が普通の移動手段な田舎では、よくあることだ。休日にみんなで出かけて食べに行くついでに国道あたりまで出かけるものである。某演歌歌手の広告を見つけた私は、これか、と一台のテレビの前に立ち止まる。これが数日もすれば花村と里中と主人公が落下することになるテレビか。やはり何の変哲もない、テレビである。


手を押しあててみた。


独特のつるつるとした感触と、触れる部分だけ微妙に歪む画面。画面が付いていないので温かさはないが、独特の生暖かさがある。周りの家電のせいだろう。やっぱり、さすがに主人公でもないのに行けるとは思わないけど、残念だ。ため息をついた私は、食品売り場に行くことにする。この世界のポテロングやおっとっと、赤いきつねと緑のたぬきが私の知っているものかどうか、確かめなくては。





私の家は、母屋と離れ2つで構成されている。母屋は無論生活の拠点であり、祖父母の寝どこもそこにある。私はどうしても宿題や予習(さすがに高校の勉強にはブランクがありすぎて、うろ覚えもいいところ。しかも新しい、学んだ覚えもない部分が結構あるので、勉強しないと辛いのだ)、ゲームとかネットのせいで夜更かしする。祖父母は10時には消灯してしまうため、私の部屋は離れにある。一階は車庫を改造した農作物の保管庫兼梱包場所になっており、二階が私の部屋があり、直通である。かつて若き頃の両親と1,2歳だった頃の私が、新しい住居を構えるまで暮らしていたところでもある。唯一の難点は私の部屋と物置と化している居間以外、洗面所しかなく、トイレはもう一つの離れに設置されていることだ。もう一つの離れは、保健所の指導の関係で、衛生面に気を使う加工品用のキッチンとか大きな業務用の冷蔵庫が置かれた場所である。そこは蔵を改造したものだ。


カーテンを閉める。雨は細かい粒となって窓ガラスに張り付いてはいるが、流れるほどではない。一応消灯する。携帯の光を頼りに、私はテレビに向かった。何か映るだろうか。話が正しければ、まだテレビに入っていない例のアナウンサーらしきシルエットが、予告風に表示されるはずである。汝は我、我は汝、という常套句が頭に流れるのだろうか、とわくわくする。携帯は、59分をさしている。あと一分だ。私は、息をのむ。




じじじじじ、と初めてのムービーのように、突然テレビにスイッチが入る。異常音を発しながら、真っ白になる。びーびーじゃじゃじゃ、というノイズが混じり始める。おおお、と私は声を上げた。すごいすごい、やっぱりマヨナカテレビはさすがに見れるらしい。これなら、主人公や仲間たちには悪いけれど、画面越しに楽しませてもらえるかもしれない。前のめりで私は見る。確かマヨナカテレビは見る人間の興味の度合いが反映されるらしい。それも見ものだ。私は、不謹慎ながら、わくわくしながら見守った。




ぶつん。



「あれ?」



切れてしまった。おかしいな、なんでだ。思わず手を伸ばした私は、戦慄した。突然這い出してきた冷たい手が、私の手首をつかんだのである。



「ひっ、やめろ、はなせ!誰だよ!」



必死で私は抵抗する。すさまじい力で引きこんでくる手は、ずるずる、と私をテレビに近づかせる。



「だれ、かっ、たすけっ」



頭が真っ白になって、声がかすれてでない。こわいこわいこわい、誰か!すがろうにも周りは何もない。必死で抵抗するも、私はテレビの目前まで引きずられてしまう。



「――――――――っ!!」



背筋が凍る。ぞぞぞっと這い上がる悪寒。テレビの画面に映った姿に、私は戦慄した。



「あん、た、はっ……!」



歪に笑う、本来の姿の私がそこにいた。

「───────酷いじゃねえか、放置なんて。久しぶりに話でもしようぜ」

はっきりとそういったのである。そこから先はブラックアウトしてしまい、よく覚えてはいない。










『よかったら、また考えてくれないか?』


耳にこびりついて離れない言葉がある。耳を塞いでも、目をとじても、直面している現実が有ることに代わりはない。彼は小さく首を振った。少しは大人になっていると思っていたのだ。もっと冷静に、慎重に、相手も自分も傷つけないような距離を保ったまま、言葉を送ることができると信じていたのだ。心のなかで何回も何回も繰り返していた練習など、意味を成さないことを彼は痛感した。曖昧な自信はあっという間に崩れ去り、そこにいたのは混乱状態になって恐怖にかられ、臆病にも何も言葉を残すことができないまま、その静止を降りきって飛び出してしまった、あの時と何ら変わらない自分がいるだけだったという事実。コンクールが終わり、楽器や楽譜、荷物をもったまま待機して、団体バスを待っている人が大勢いたというあの場所で。中学時代に逃げるように去ってしまった自分を再びまっすぐに見つめて全力投球で思いをぶつけてくれた先輩に、何という言葉を返せばいいのか、全く分からなくなってしまったのだ。あの頃とは違い、自分はどんな人間であるのかはっきりと理解していながら、彼には致命的なまでに何もかもが足りなかった。時間も経験も心理的余裕も。真摯にぶつかってくれた先輩に対して、はっきりと自分の意志だけ伝えて、その理由と真意だけは曖昧なままサラリと流してしまうというきりの良さも。こちらからも誠実に対応したいと覚悟して、こちらの抱えていたことを全てさらけ出してから、意志を伝えるという勢いも。そして全てを曖昧にしたまま、スルーしてしまうという選択肢も。何一つ取ることができないまま、彼はあの時と同じようにその場を去るという選択肢を選びとった。その行動そのものを返答として解釈するという自由を先輩に委ねてしまったという事実に気付いた時、彼は吹奏楽部に行けなくなった。伝えようと思っていた言葉も全て遅すぎると勝手に早合点して、どんどん追い詰められてしまう。平生さを失った彼の頭の中からは、すこんと自分の個人的な事情を把握している先生達や家族の存在は抜け落ちてしまい、打ち明けることができないまま、ずるずると時間だけが過ぎてしまう。



気づけば、学校が終わればすぐに帰宅して農業と直売所を手伝うという生活サイクルが完成しつつあった。



ひんやりとした世界に、白い吐息がひとつ産み落とされる。ゆっくりゆっくりと灰色の空に溶けこんでいくそれを見上げた彼は、今にも泣き出しそうな雲行きに自らの心境を重ねあわせながら、再びぐるぐると思考の海に沈んでいった。遠くでかーん、かーん、かーん、というワンマン電車が通過する踏切の音が聞こえる。ちらほらと同じ八十神高校の生徒達の帰宅風景が見えるこの通学路は、まだまだ長い。田んぼの畦道から、シャッターがちらつき始めた商店街を抜け、高速道路へと抜ける国道と県道が交差する通りへと差し掛かる。車の行き交う騒音を目前にして、ようやく彼は本来自分が通るべき通学路をとっくの昔に通り過ぎ、いつもならば到底来ないような場所にたどり着いてしまったことをしる。渡りかけた歩道を引き返し、迷惑そうに一瞥してから排気ガスを置き去りにして走り去ってしまったトラックにも気づかず、彼は再び道を引き返す。時計を見れば、いつも乗るバスの出発時刻までもう10分もない。次までは約30分の待ち時間となるが、恐らく八十稲羽駅に到着する頃には、隣接のバス停に十分間に合うだろう。溜め息のついでに舌打ちし、小さく愚痴をこぼした。安物の大きなこうもり傘は恐らく学校の玄関前に置きっぱなしであることに、ようやく気付いたのである。今日に限っていつもいれている折りたたみの安物傘がない。ぽつぽつぽつと降り始めた雨に不機嫌そうに顔を歪ませた彼は、仕方なくたまたま目に入ったガソリンスタンドへと駆け込んだのだった。



彼の祖父母は最近流行り始めたセルフの方が5円ほど安いため、滅多にこちらのガソリンスタンドは利用しない。そのためセルフのガソリンスタンドと違って常在しているスタッフ、アルバイトの数が多い光景は不慣れであり、八十神高校の生徒であると明らかな服装を見た彼らは一様に彼を見つめた。集中する視線に居心地の悪さを感じながら、彼はそそくさと雨から逃れるように天井があるところまで逃げ込んだのだった。



利用者でもなさそうな高校生が、わざわざガソリンスタンドにやってくる理由など数えるほどしか無いだろう。先程からこそこそと会話していたアルバイトらしき青年たちは奥にある事務所に引っ込んでしまう。恐らく店長を呼んでいるのだろう。本降りになり始めた外をぼんやりと眺めみて、ようやく彼はガソリンスタンドのスタッフ、アルバイトに余計な誤解を与えてしまったことに気付いて、心のなかで小さく焦る。八十神高校は一部の制限を除いて基本的にはアルバイトが許されているが、労働基準法の関係で未成年者は深夜の労働が禁止されているため、いろいろと面倒な手続きが多いのである。MOEL石油という名のガソリンスタンドは、八十神高校の進路指導室が斡旋するアルバイト、パートの募集に名前があったはずだ。彼はハラハラとしながら、どうごまかしたものかと先程まで思い悩んでいた問題はとりあえず頭の隅に追いやって考える。


「君、高校生?」


突然後ろから話しかけられて一瞬呼吸が止まりかけるが、慌てて振り向いた先には柔和な笑みをたたえた青年がガソリンスタンドの赤い帽子をもって会釈したので、ほっとして軽く頭を下げた。はい、そうですけど、とつぶやいた彼は、居心地が悪くなってそれとなく視線をそらす。恐らく染めているのだろう柔らかな灰色の髪質を覗かせるガソリンスタンドの店員は、まるで吸い込まれそうな印象を持つ瞳をまっすぐに彼に向ける。まるで彼の向こう側にいる何かを見据えるような、不可解な違和感がそこにはっきりと存在しているのだが、必死に誤解を解くための言葉を搾り出している彼は気づかない。一見すると女性的でもあり、男性的でもある中性的な声質や外見から、なかなかの美大夫であることはうかがい知ることができるが、その表情からは何も感じることができない。ただ無機質な静寂がそこにある。不意に店員はすっと口元を緩やかに上げて笑みを浮かべたが、そこで紡がれた言葉は彼に届くことなく土砂降りの雨音に溶けていった。


「ガソリンスタンドのバイトかな?」

「え、あ……その、えっと、はい」

「緊張しなくてもいいよ、僕はアルバイトだから」

「あ、そ、そうですか、あはは」


アルバイトという言葉を聞いてほっとした様子で彼は胸をなでおろす。店長が出てくる気配はまだない。しかし、この目の前の青年が居るのに、突然走りだすとか挙動不審にも程がある。でも単なるあまやどりであると言うには、もうとっくに時間は過ぎてしまった。頭の中で焦りが渦巻いている彼は、とうとう最後まで青年の違和感を感じ取る事ができないまま、時間だけが無常にも過ぎて言った。


「まあ、店長も時間かかると思うから、話でもしてようか。そんなに緊張しなくてもいいよ」

「す、すいません、あはは」


ぎこちない笑顔の彼に穏やかな笑みを浮かべた青年は、一瞬だけその鋭利な眼差しをその背後に向けた後、何事もなかったかのように世間話を始めた。暫くすれば、ようやく落ち着いてきたらしい彼は挙動不審気味な態度や言動が自然な振る舞いに変わっていく。気さくな装いの青年に、すっかり安心感を覚えて会話を楽しんでいた彼は、そこでひとつの言葉を耳にする。


「そうだ、君、マヨナカテレビって知ってるかい?」

「マヨナカテレビ?」


聞きなれない言葉。オウム返しになる不思議そうな顔に、青年は少しだけ笑みを濃くした。


「雨の日に、真夜中に電源を切ったテレビを一人で見ると、理想の自分に会えるらしいよ」

「理想の、自分?」

「将来の自分、未来の自分と言うべきかな?そういううわさ話があるらしいんだ。おもしろそうだよね、今度僕も試してみようかと思っているんだ」


都市伝説ってやつだね、きっと。ちょうど今夜は、雨みたいだし。


青年の言葉につられて外を見た彼は、マヨナカテレビ、と小さくつぶやいた。理想の、自分、か。どこか遠くを見るような眼差しで薄墨色の空を見上げた彼は、再び思考の海に沈んでいく。その様子を間近でみていた青年は、再び柔和な笑みを浮かべて小さく頷いた。





「マヨナカテレビ?あら懐かしい。お祖母ちゃんの子供の頃にも似たようなの流行ったわよ。ねえ、お祖父ちゃん」

「懐かしいな、マヨナカラジオじゃなかったか?」

「あの頃はテレビなんてなくてねえ、お祖父ちゃんと結婚した頃に初めてテレビが流行ってたから、子供の頃なんてラジオが当たり前だったのよ」


思い出に花咲く祖父母の話を聞きながら、彼はますます興味が湧いて質問を重ねた。マヨナカラジオはマヨナカテレビと内容が酷似しており、真夜中の雨の日に電源を切ったラジオを聞いていると声が聞こえてくるらしい。その声の主が将来の自分であったり、理想の自分であったり、運命の相手だったりと様々な噂が流れていたのだが、その噂が爆発的に流行った理由には50年に1度このあたりで発生する濃霧という異常気象が拍車をかけていたらしい。本来寒暖の差が原因で発生する霧だが、その年になると何故か1年中霧が発生すると祖父母は彼に聞かせた。その異常気象により特殊な地場が発生して謎の声らしき音をラジオが拾うとか、異次元に繋がってラジオが本当に声を拾うとかなんちゃって科学レベルの説明ながら、当時の学生であった祖父母たちは真剣に信じていたらしい。この町に住んでいる学生を中心に広がっていった噂は、やがて霧が発生しなくなると同時に緩やかに消え去っていき、当時流行っていたご当地オカルトとして同窓会や思い出話として語りぐさになる程度ですんでいたという。



その興味深い話を聞いた彼は、その日から気の進まない部活のことなど放り出して、すっかりそのマヨナカとつく伝承に夢中になり、近所の図書館やネットで情報を収集するようになっていく。幼少期から共働きの両親ではなく祖父母に育てられてきた彼は、祖母の昔話の読み聞かせや祖父と共に見る時代劇の再放送を見て育ってきた経緯があり、オカルトや伝承といった分野に非常に惹かれる性分が培われていた部分もある。何よりも、あの時出会ったアルバイトの青年に聞いた「理想の自分に会える」という言葉が現在の自分の置かれている状況や環境を考えると、強烈な魅力を感じてしまわざるをえないという背景もあった。



彼が再びこの街に帰ってきた理由でも有るかつての親友とは相変わらず連絡すら取れない状況で、ただ彼女に恋愛感情をぶつけることができる同性に対して嫉妬を覚える日々である。ただヒトコト、謝りたかっただけなのだ。何も言わずにこの街を離れてしまったことを。そして言いたかっただけなのだ。あの時自分が自覚することができず結局ぐしゃりと潰してしまった感情を、教えてくれてありがとうと。結局先輩に対する返答もろくに考えることができないまま、自分で自分がわからないという状況に再び陥ってしまった彼は、半ば現実逃避にもにた心境でそのオカルト探索に夢中になっていく。じわじわと精神的にも肉体的にも蝕んでいく何かをあの時とは違い、はっきりと自覚することが出来ていながら彼は。

最後まで、マヨナカテレビの噂が自分が聞いた話とは実は違うということを認識することができないまま。そして、彼の知るマヨナカテレビが正しいならば何故理想の自分に出会えたであろう人間が、はっきりとその事実を友人に自慢せず、結局「らしい」という伝聞だけが伝わっているのか。致命的な欠陥に気づかないまま、1月某日、深夜零時ジャスト。久方ぶりの暖日で降りしきる雨を確認しながら、マヨナカテレビを実行した。ちなみに、偶然にもその日は平行世界の同姓同名の人間が彼の存在する世界を舞台にしたゲームをプレイし始めたのは、完全なる余談である。




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