ペルソナ4 第3話
ペルソナ3話

八十神高校の吹奏楽部は毎週月曜日、火曜日、木曜日が主な活動日となっているが、それはあくまでも木管楽器、金管楽器、打楽器とコントラバスが顧問の先生指揮のもとで全体練習をするための曜日と定められているだけである。当たり前だが、楽器を演奏することは毎日の練習の積み重ねがモノを言う。地方大会や参加するイベントが近くなればむろんそれ以外の曜日が追加されることもあるし、それぞれのパートごとに分かれた練習はそれとは別に行われている。さらに部員はそれぞれ担当楽器の経験も技術もばらばらに近く、パートの全体練習だけでは到底一つの水準まで到達することは相当難しい。そのため吹奏楽部は放課後以外にも昼休みや朝の時間、そして休日祝日を通して個人が好きな時間に好きなだけ練習を行う個人練習が大半を占めていることが多い。運動部と違って曜日と時間に練習場所を拘束されないのが文化部の特権である。専用教室と化している音楽室は、たいてい放課後ともなれば何曜日でも個人練習にいそしむ部員たちの姿が見られた。そのため、音楽の授業を選択した生徒の中でうっかりテストを受けることが出来なかったりすると音楽室に呼ばれるため、ピアノの前で一人歌わされたとかいう黒歴史を目撃することが出来るというささやかな笑い話がある。ちなみに音楽室と準備室以外にも少子化の影響で使われなくなったため、特別教室に変更になった教室が多いこの実習棟は、少しずつ吹奏楽部の活動範囲が広がりつつあるのは秘密である。音楽室と準備室の鍵は一つにまとめられているため、職員室に行って借りるための名簿に署名すれば誰でも借りることが出来る。ただし、教室を借りた人間は部活動日誌に時間帯と練習内容、参加した人間を書いておくことが義務付けられている。私は金管楽器の中でもホルンを担当しているが、4人いるうちのリーダー格である3年生になったばかりの先輩に言わせれば、わざわざパートごとに個人練習まで監視するようなめんどくさいシステムになったのは、昼休みに練習と称したランチタイムを実行していた不届きモノがいたのが原因だそうである。暗黙の了解で音楽室でこっそりは許されていたそうなのだが、証拠は持って帰ること、掃除すること、というのが鉄則だったにも関わらず、ごみ箱にパンの袋を捨てるという初歩的ミスを顧問の先生が見つけてしまったそうだ。よりによってそれが教室掃除が終了後、音楽室を使用する学年は無く、吹奏学部しか使用しない条件下での暴挙である。一時期自由な教室の使用に制限をかけるかどうかまで問題になったそうなので、先輩方は相当ご立腹のようだったが、幸い私ではない。



いつものように私は朝一番に音楽室と準備室を開けると、ホルンの練習をするべく譜面台といす、ケースを引っ張り出した。しん、と静まり返った中で、かち、かち、かちとメトロノームの音が響く。その中で私は楽器に息を吹き込む部分、マウスピースというがそこに唇を当てて早速音を出す練習を始めた。真っ白な平原に足跡を残す優越感に似ている。メトロノーム待ちが発生しないのが朝練の特権だ。各パートごとにさっさと用意してくれればいいものを、この学校ではどうやら金管楽器、木管楽器といった具合に数が決まっているらしい。ホルンとトランペットじゃ細かい練習や調整は違ってくるというのに。愚痴をこっそり秘めながらもだいたいやることは変わらない。姿勢と呼吸法を慎重に確かめながら行って、マウスピースの練習の後、実際にホルンを使って音を出す。楽器をあっためるウォームアップ。チューニング、ロングノート、基礎練習、応用練習、課題曲の練習、と教本や顧問の先生や先輩方から渡された課題を消化していけばあっという間に1時間が経過してしまう。完璧はプロの世界の特権だ。アマチュアは練習の中で成功していく喜びを学んでいくことが大切だと挟み込んであった雑誌の切り抜きに書いてある。よほど熱心に練習していたらしいこの世界の私を反映するように、部員に配られたであろうファイルに挟み込まれている楽譜はどれも3色色に染まっていた。



時計を見れば、そろそろ朝は寝坊が得意なのだというリーダー格の先輩がやってくる頃だ。昨日のパート練習の時に先輩から復活おめでとうとうれしそうに肩を叩かれた。おかしいとは思っていた。どうもこの世界の私は去年の2年生の3学期あたりは学校を休みがちだったようである。1年生と2年生の前半は全力投球で練習していたのが明白なのだが、後半につれてあれだけ熱心に書いてあった3色ペンが減っており、まっさらな楽譜があることもたびたびだ。朝練すら辞めていた時期があったらしく、留年しなくてよかったねと冗談交じりに言われるあたり本格的に出席日数がまずかったようだ。ここが私とこの世界の私の大きな相違点の一つだろう。私は一度大学病院で精神的な意味で安定を図るために治療やカウンセリングの施設が整った環境を確保するために一度故郷を去ったことがある。そして高校時代は弟や両親と和解するために3年間だけ帰ってきた。以後はこれからの人生を歩むうえで過去を知っている人間と会うのがつらかったため、家族や彼女以外は一切連絡もとらず、同窓会にもいかず、成人式にもいかないまま今に至っている。多分この世界の私も似たような人生を歩んできたのだと思うが、彼女の位置にいるはずの天城が私の個人的な事情を知らない時点でまず大きなターニングポイントがあったことは間違いない。私が3年間女の身体のままでも我慢して女子生徒として過ごすことが出来たのは、理解してくれた学校の先生たちと何よりも彼女がいたからだ。私を受け入れてくれた彼女との思い出を少しでも刻みたかったという気持ちがある。だが、この世界の私は天城がいるから帰ってきたわけではなさそうだ。しかももっぱら部活に全力で打ち込む以外は特に友好関係を広げるわけでもなくクラスメイトの一人としてぽっかり浮かんだままだったようだ。唯一の繋がりは同じ部活のクラスメイト。不幸にも違うクラスになってしまっているが、彼ら、彼女らは私のことを何かと気にかけてくれていたらしい。とりわけ、おはよう、と元気よく顔を出してきた先輩はその一人だった。



ここで一つ疑問がわく。親しい人間はいるが、私自身が抱える個人的な事情を把握している人間が学校関係者以外誰もいないという、ある意味孤立無援状態なまま私はこの高校に通っているらしいのである。しかもどうやらこの世界の私は両親や弟と和解に至るまでの過程は経ていないらしい。正直言って、どうしてこの世界の私は自分の身体が女であり、神薙晃#は女であると認識している人間しかいないこの故郷に、幼少期から身体と心の問題を抱えて自壊寸前までいった記憶しかない故郷にわざわざ帰ってきたのか理解できない。会いたい人間が一人もいない世界に何故この世界の私が飛び込もうと思ったのか、皆目見当がつかない。天城や里中との関係にひと段落つきそうな私の中で、もっぱらの問題はそれだった。他に行く場所が無い、という悲壮な展開だけは無いはずだ。距離をとっているとはいえ両親や弟とは別に勘当したわけでも、不仲なわけでもない。ときどき発生するどうしようもない扱いの違和感に私が絶えられないというわがままでしか無いはずなのだ。他に私の記憶との相違点と言えば、直売所と園芸施設場を運営している祖父が10年ほど早い通院生活をしていることくらいだろうか。酒とたばこと脂っこいものが大好きな祖父は身体に腫瘍が出来て、手術したもののその副作用で座ったり立ったりする動作に障害が残ってしまい、農作業に支障が出てしまうようになったのだが、それが早まっていた。だが、もともと直売所は近隣の農業関係者と共同で行っているから助っ人の手立ては幾らでもあるし、使いきれない農場は農業志望の若手に格安で土地を貸しているから困らないはずなのだ。私が手を貸す時は出荷の最盛期と婦人会や集落の行事の関係で誰も直売所に出られない時に手伝うか、小遣い目当てで手伝うくらいで特に問題は無いはず。分からないことだらけだ。考えるだけで疲れてしまう。だから私は部活に行くのだ。ここでは何も考えなくていい。



何も知らない先輩が隣で準備が整ったらしい。私に笑顔を向けてきた。


「相変わらず早いねえ、神薙さん。いやあ、やる気取り戻してくれてよかったよかった。3学期辺りから、もうやめちゃうんじゃないかってハラハラしてたんだよー、みんなでさ。ホルン1本でやってるの2年生は神薙さんしかいないじゃない?後輩に指導してくれる人誰もいなくなったら流石にヤバいんだよねえ。吹奏楽部はホルン4人は必須条件だから。ホントごめんね、アタシらのせいだよね」

「いえ、そんなことありませんよ」

「あーもー、優しいなあ。1月の大会でアタシらの代で銅賞なのは残念だけどさ、そのせいで一番がっかりさせちゃったのは事実だもん。神薙さんが一番頑張ってたのみんな知ってたし。今年こそは頑張ろうね」


その言葉に私は思わず顔を上げた。はい、といった私に、声が小さいよ、と先輩は笑った。どうやら私が担当したグループは、毎年行われる地方大会で金賞を獲得出来なかったようだ。ここも相違点かもしれない。ちなみに金賞、銀賞、銅賞とランク付けされており、事実上銅賞は参加賞とも揶揄される。毎年優秀な成績を収めているのは飾られている棚を見れば分かる。これは大きな挫折かもしれない。私よりもはるかに部活に一心不乱に打ち込んでいたであろうこの世界の私が、大きな目標としていたであろう大会の結果だ。部員の何人もがハラハラするほど落ち込んだのは事実だろう。


「もうさー、必ず休む時には連絡入れてくれてたのに、留守電ばっかりで出てくれなかったのはもう正直心臓にわるかったよー。まさか学校まで休んじゃうとは……。もう今年からはもっと新入部員ばしばし鍛えようね、うん。スパルタするって決めたんだ、みんなで」

「はは、じゃあ私が飴をするということで」

「えええっ?!ずるいぞ、神薙さん!ここは一人黙々と練習して新入生をビビらせるくらいの演奏をしてもらわないと」

「指導しなくていいのは楽ですね」

「ちょ、違うから!ずびしって新入生に横から指摘してもらう役だから!こう、さ、クールにカリスマ性あふれる先輩を、ね!だって来年は指導役なんだから」


たわいもない会話の中で、貴重な情報を拾い集めていく。キャラ変わって無―いー?と先輩に言われ、私は少しばかり表情がひきつった気がした。


「なんていうか、神薙さん、やっとデレてくれたね!」

「・・・・・・・はい?」

「今まではもっとこう、ホルンに全力投球!って感じでさ、一人黙々とやってるタイプで寧ろアタシ達とはあんまりしゃべってくれなかったよねえ。打ち上げとか全然乗ってくれないしさ、もっと早く仲良くなりたかったなあ。神薙さんがこういうふうに笑って喋ってくれるの初めて見た気がするよ。あーもう、練習しなきゃうまくならなのは当たり前なのにねえ、アタシら不真面目でごめんねホント」


音もなんか柔らかくなった気がする。ピリピリさせちゃってたんだねえ、ごめんね、と先輩は言った。









この世界の私は少なくとも八十羽高校に入学してからホルンを担当してきた経験があるわけだが、今の私はこの身体の持ち主とは別人だ。ブランクがあるなどという笑い話ではないが、経験自体なら大学に入ってからもブラスバンド部の門を叩いて2度目の大学生活に花を添えるべく頑張ってきたわけだからずっと向上している自信はある。しかし、このホルンを演奏し続けてきたという事実は元の身体の私の方が上なわけだ。代々大切に扱われてきた年代物のホルンとこつこつ貯金し続けてようやく購入できた私専用の新品なホルンとは全くの別物である。アマチュアはアマチュアなりに頑張ってきたわけだが、高校時代に全力投球していたであろうこの世界の私は恐らくやる気と向上心という面では全盛期に近いものであり、社会人になって一旦ブランクを抱え、必死で取り返しながら調子を取り戻そうと悪戦苦闘していた私では雲泥の差がある。打ち込む真剣さがもろに技術に現れてしまう。そもそも今の私と身体の持ち主は別人である。演奏の仕方だって、癖だって、厳密にはきっと違うはずなのだ。ホルンは金管楽器の中でも特に音が外しやすく、音程も取りにくく、そして音色が鋭くなってしまいがちだ。吹奏楽部は木管楽器と金管楽器、そして打楽器とエレキやコントラバスで構成されるが、ホルンはその中でも木管楽器と金管楽器を繋ぐ大切な役割がある。身体の構え方、息の吹き方一つで大きく変わってしまう音色は、やはり先輩方や同学年のホルンパート部員にもろに伝わってしまったらしい。


そして少しだけ、この世界の私の立ち位置について把握できる気がした。朝の朝礼が始まるまで、私は先輩と二人でのんびりと朝練を行ったのだった。


「そうそう、神薙さん」

「はい?」

「飯田くんとのあれ、どうなったの?」

「い、飯田、くん?」

「うん、そう。トロンボーンの」


私は思わず凍りつく。飯田といえば、吹奏楽部のトロンボーンを担当している男子生徒としてゲームに出てきたはずだ。交通事故で演奏不可能なけがを負い、松永が急きょ代役としてトロンボーンのパートを担当することになったイベントが確かあったはずである。ブランクからすぐに復活した部員がすぐに本調子を取り戻して発表会の担当を出来るとすれば、練習期間にもよるがそれはある意味天才の領域だ。ケガが完治した奴が現れた時には空気読めと思ったものだが、先輩とも同級生とも分からないその飯田という男子生徒と私は一体何のつながりがあるのだろう。一抹の不安を覚えつつ沈黙してしまった私に、にやにやと先輩は笑う。悪寒が走る。呼吸が止まる。聞きたくない。その先は。嫌だ。やめてくれ。思わず言いかけた言葉は恐怖のあまり出てこなかった。


「誤魔化してもダメダメ。ほら、中学生の時、付き合ってたんでしょ?」


がつん、と殴られる気がした。


「大会の後、2人きりで話してたじゃない?水臭いなあ、いってくれたらよかったのに。ねえ、より戻したの?」

「………いえ、むり、ですから」

「そっかー、残念」


はにかむ先輩に別れを告げられ、最後まで茫然自失で立ち尽くしていた私は、チャイムの音が鳴ったが、我慢できず私はそのままトイレに直行した。不意打ちだった。すっかり受け入れたとはいえ、私の中ではまだ混沌としている部分を容赦なく抉る場面だった。気分は最悪。おそらく真っ青になっているだろう。なんであの人と同じ立場にいる人間が同じ高校に通ってて、しかも同じ部活にいるんだよ、なんでなんでなんで。ふざけるな!最悪だ最悪だ最悪だ!なんでよりによってあの時と全く同じ状況下が今ここで再現されなきゃいけないんだ、ふざけるな、中学校のときじゃないのかなんでなんでなんで。頭がぐちゃぐちゃして泣きそうになる。そしてようやく私は、この世界の私がこんなに一生懸命に打ち込んでいた部活から逃げるように学校を休みがちになった理由が分かった気がした。


私は、私が男であり、女の身体であると自覚するまでには、自分が一体何なのか分からずに、ずいぶんと無理をした時期がある。それが結局自壊寸前まで直行する原因になるのだが、飯田はまさに私のその時期を直撃する人間関係を結んでいた人間の位置にいる。もし、相違点が無いとすれば、この世界の私は飯田と付き合っていた時期があるのだろう。私と彼女とあの人の関係をそっくりそのまま投影するとすれば。私は天城のことが好きであると自覚することが出来ないまま、天城がとられてしまうという危機感と恋愛すれば女になれるかもしれないという破綻した思考回路で、天城に好意を抱いて近づいてきた飯田に牽制する形で付き合ってくれと告白したのだろう。そして結局1週間も持たずに別れた。天城は彼女と違って男性に苦手意識を持っているからどうかは分からないが、少なくとも私の場合、最終的に彼女とあの人が結ばれた年賀状を最後にこの初恋は終了している。


しばらくトイレにこもり、落ち着くまでじっとしていた。大丈夫。もう1度は通った道じゃないか。彼女から、あの人との関係について執拗に聞かれたことも、勝手に気持ちを邪推されて不仲説を流されたことも、もうとっくに過ぎてきた道じゃないか。相手はまだ高校生のガキだぞ。あの人とは違う。ただ、私と付き合ったことがある、というだけの男子生徒がいるだけじゃないか。私は男だ。もう、混乱していたころの私じゃない。話しかけられたら、もう興味は無いとすっぱり言ってしまえばいい。私は女性が好きで、男性を好きになることはないのだから。


無理はしない。帰ったら祖父母に打ち明ける必要がありそうだ。何年たっても辛いモノは辛い。だから、改めて思うのだ。何故、この世界の私は、この学校に在籍しているのだろうかと。ますます分からなくなってしまった。


ようやく落ち着きを取り戻した頃には、もう一見目を告げるチャイムが鳴ってしまう。慌てて走った私は、朝練に熱心なのはいいが授業はちゃんとするようにと先生に怒られたがそのまま中に入れてもらえた。


「雪、今日の昼休み、図書委員の集まりがあるんだ。四限目終わったら、すぐに図書室に集合だって」


次の授業の準備をしに行く途中の天城を捕まえて、先ほど諸岡先生から預かったばかりの連絡紙を渡した。教卓に近いのは天城にも関わらず私に連絡が先に回されたのは、単純にホームルームが終了し慌ただしくなった教室内で、教卓横のドアから出ようとした時に声をかけられただけである。ロッカーに教科書も資料集も問題集もルーズリーフすら全てロッカーに放り込んでいる私は、勉強机の中に入っているのはファイルと筆記用具、辞書だけだ。巣窟と化している中から目当ての物を発掘するのはなかなかに骨が折れる。整理整頓してもすぐに崩れてしまいそうな私のロッカーは、雪崩寸前のところでいつも無理やり扉を閉めていた。ひでーなおい、と笑う花村が通り過ぎたので、英語の翻訳の宿題用にノートを貸す約束は反古にしてやった。鬼といっていた気がするが、聞こえない。天城たちの後ろで必死に電子辞書とともに格闘している姿が見えた。ありがとう、と受け取った天城は目を通す。一緒に昼食を食べる約束をしていたらしい里中が時間が取れるかどうかを心配している。今日はいい天気である。屋上で食べるのもいいが、ベストポジションを確保するとなるとなかなか労力を要するのはお約束だ。


「ねね、晃。代理の人とか立てれないの?せっかくいい天気なのに」

「ごめんな、千枝。最初の集まりだから、名簿作ったり、仕事の説明とかあるんだ。一人だけなら私が行けばいいんだけど、今日は雪も一緒に行った方がいいらしい」

「ごめん、千枝。私、図書委員やるの初めてだし、やっぱり行っといた方がいいと思う。多分休んじゃうことも多いだろうし、先生に言わないと」

「そっかー、じゃあアタシも行っていい?」

「うん、多分大丈夫だと思うよ。図書委員の人って、奥の方の大きな机使うみたいだし、入口の方の本棚辺りだったら入ってよかったと思うから」

「うん、分かった。じゃ、そこらへんで適当に本でも読んでるよ。そっこーで終わらせなきゃね!そーだ、晃。せっかくだし、そのまま一緒にご飯食べない?お弁当じゃないなら、アタシ、購買行ってきたげるよ?」

「え?いいのか?」

「うん、晃ちゃんがよかったら」

「あったり前じゃん。多い方が楽しいでしょ?あー、でも多分教室だよね。あーあ、屋上で焼きそばパン食べることの素晴らしさについて、晃に語ろうと思ってたのにー」

「あはは。ありがとう。じゃあ、お願いしてもいいか?」

「ん、了解。じゃー、何がいい?パン?おにぎり?ラーメンとかはちょっと時間的に厳しいかもだけど」

「おにぎりだったら中身はなんでもいいな。もし売り切れてたら、焼きそばとか適当な惣菜で。パンはおやつなんだ。私の中では」

「おおう、流石は農家の娘さん。やっぱりお米派なんだねー」

「晃ちゃん、昔からご飯はあんまりサンドイッチとか食べないもんね」

「雪子は?なんか飲み物とかいる?」

「ううん、私は特にないかな」

「ああ、千枝。お金は…」

「ん?あー、いいっていいって後で。ご飯渡す時にちょーだい?だって購買競争率高いんだもん。毎日特攻しているとはいえ、連勝記録を伸ばすのはなかなか疲れるんだー。リクエスト通りとはいかないかもしれないしね」

「千枝、最近お昼買ってるよね」

「うん。お母さんに頼んだらお弁当作ってくれるとは思うんだけどさー、アタシも朝起こされて手伝わなきゃいけなくなるのはもうやなの!こっちだって頑張ってるのに、いっつも怒るんだよ、お母さん。キッチンから追い出されちゃうんだ。ひどいよねえ。それに楽しみもあるんだ」

「楽しみ?」

「うん。何としても今月中にパンのラインナップ制覇するんだ!」

「千枝、野菜ジュースはとらなきゃダメだよ?」

「あはは、分かってるって。栄養の偏りは美容の大敵だもんねー」


んじゃ、いきましょ!と笑う千枝に誘われる形で私たちは生物室に足を運んだ。部活が怖い。逃避するように私は天城達に続いた。しばらく廊下を歩いていると、不意に天城が立ち止まる。


「晃ちゃん」

「ん?」

「どうしたの?さっきから元気ないよ?」

「なんでもな」

「あるでしょ」

「う」

「ウソつく時、晃ちゃんいつも「なんでもない」って言って、大げさに首ふるんだ。この癖、変わって無いね」

「……はは」

「なんかあったの?晃。もしよかったら、相談乗るよ?調子悪いんだったら保健室言った方がよくない?大丈夫?」

「だいじょう」

「晃」

「晃ちゃん」

「「ウソはダメ」」

「・・・・・・・・保健室は、いい。そこまでひどくないから」

「うん、よろしい。隠さなくなっただけでも大進歩じゃん。ねえ、雪子」

「うん!晃ちゃん、昼休みでよかったら話そうよ、ね?無理しないで?」

「分かった」


うれしそうな彼女たちの笑顔が、余計に胸をえぐった。












窓は十六当分割された珍しい枠にはめられており、春先の穏やかな風景を写している。外を望めば、グラウンドとフェンス、そして敷地内をぐるりと回すソメイヨシノの桜が望める。白い綿菓子のような雲がのんびりと流れており、暖かな光が図書館に日溜まりをこぼしている。図書館の窓は、すべて落ち着いた緑色に統一されたカーテンが隅に束ねられていた。


眩しくて目を細めた私は、急に目が眩んだので視線を教室内に向けることにする。瞼の裏側でススワタリがちらちらと霞んでは消えた。どうやら八十神高校はずいぶんと年季が入っているらしい。図書館独特の雰囲気と匂いが気分を落ち着かせ、真面目にさせてくれる。確か太陽の光は本を日焼けさせ、紙の痛みを早めてしまうから、紙を劣化させる元だからなるべく避けたほうがいいはずである。本来ならこのように西日に当たるところに本棚を置くべきではないと思うのだが、収納ペースの確保を優先するとなると、そうも言ってられないらしい。ブラインドはやはり難しいのだろう。大学の広々とした機能的で清潔な図書館施設を思い出し、無意識のうちに比較してしまった私は、無性にこの図書室が懐かしくなった。私の頭の中にある図書室となんら変わらない風景がここにある。教室2つ分ほどの広さがある図書室は、私の記憶の中ではずいぶんと広かった気がするけども改めて見るとそうでもなかったりするらしい。同窓会に一度も参加したことがない私は、再び母校に足を踏み入れる懐かしさなど今まで感じたことはなかったからなおさらだ。


入り口には、本の貸し出し、返却を行っているカウンターがあり、その前に置かれたテーブルには新しく入った新書籍が並んでいる。四方は本棚で埋め尽くされているが、古典や日本文学の漫画、雑誌、今映画化やテレビドラマ化で注目を浴びているような話題作が重点的に置かれており、読書はあまり好きではないけれど、原作は気になる、あるいはちょっと入り浸りたいという生徒向けに種類は充実している。テーブルと椅子も申し訳程度に置いてあるが、里中は最近話題になっているドラマの原作を手にとるなり立ち読みし始めたので、そういう生徒のほうが多いのだろう。


先に進むと、ペルソナ4でおなじみの光景が広がっている。窓がある壁を除いて3隅は手前よりも高い威圧感有る本棚が陳列しており、垂直に同じ高さの本棚が佇んでいる。くすんだ金色のプレートにはそれぞれの本棚に収容されている書籍の種類、ジャンルが並んでいる。隅のほうに勉強用の机と椅子が置かれており、奥のほうに進むと市場の大きなテーブルと椅子が5組ほど並んでいた。そう、主人公と愉快な仲間たちがコミュニティへの布石である音符を稼ぎながら、知識のステータスを少しでも伸ばそうと苦心するあの風景がある。思わずその風景を見つけた私は、真っ先にそこにある椅子を引いた。もしその場面が再現されるなら、彼らは私の前に向かいあわせの形でいるに違いない。そして、向かいあわせの形で筆箱を持った天城が座った。私もポケットに入れっぱなしになっていた無地のスケジュール帳を引っ張り出す。高校時代からずっと使い続けてきたこのシリーズは、相変わらず私の持ち物として馴染んでいる。どうやら好みの傾向はこの世界の私と変わらないらしい。挟み込んでいた付属のペンも非パリ出して、机の上に置いておいた。


「司書の人、いないんだな」


ぼそりと私の過去の記憶との相違点をつぶやくと、天城に驚きを持って拾いあげられてしまった。


「あれ?晃ちゃん、図書室使ったことない?うちの高校、細井先生なんだよ。担当の先生って」

「そうなのか、私、朝の時間に宿題済ませるか、家で勉強するからあんまり使わないんだ」

「え?そうなの?晃ちゃん、本読むの好きでよく図書室行ってたのに?」

「今は、買って読むほうが好きだな。ブックオフとかで」

「そうなんだ。なんかおもしろい本あったら教えてね」

「ああ」


私を見つめながら、なんだか嬉しそうに天城はニコニコしている。図書館に入ってからやたらと機嫌がいい天城は、3クラスずつある各学年から集められた2組ずつの図書委員、16名の目がなければ大笑いに飛躍していたに違いない。天城にとって5年ぶりとなる親友だった人との再会だ、里中にはない強引さと積極性のせいでなかなか聞けないことも置いのだろう。ましてや親友の里中を前にして遠慮している部分が有るのは事実だ。恐らく5年間の空白を埋められることが嬉しいのだろう。実際にこうして面と向かって談笑し、仲良くコミュニケーションをとっているのが、天城が求めている神薙晃#という人間ではなくゲームをプレイした赤の他人である私であることが残念でならない。本当に、どこに行ったのだろうか、この体の持ち主は。ただ、この問題について考察するには情報も足りないし、原因も不明、正しく一寸先は闇状態の無限ループに陥りかねないから、敢えて押し殺した。時間の浪費にしかならないネガティブ思考は、今はまだ求められていない。その時になったら悩めばいいと思考を切り離す。現実逃避と放置は得意分野だ。


ちなみに私が口にした情報は嘘ではない。私がこの世界に来てから、まず初めにしたことは「この世界の私」について片っ端から調べることだった。自室に入って、片っ端から置いてあるものを全て確認し、読みあさり、把握しようと躍起になったせいでねるのが遅くなってしまい祖母に怒られたのは記憶に新しい。本棚に入っていた「この世界の私」を構成する本や漫画、ゲームといったジャンルは私とほとんど代わりはなかった。ただ大人の事情で微妙に名前が違っていたり、私の世代とは違う、もし私が高校生だったら間違いなく趣味に走っていたであろう作家やシリーズで埋め尽くされていたりといった違いしかなかった。入手先は全てブックオフやゲオなどに固定されているのは、小遣い帳に記録するのが面倒で、まるで家計簿のごとく貼りつけられたレシートから確認済みである。


「細井先生、か。たしか現国の先生だよな」

「そうだよ。私たちのクラスの当だったらいいよね」

「そうだな」


恐るべし、パーティ中ナンバー1の幸運ステータスを持つ天城である。その希望はすぐに叶えられることになるだろう。密かに思いながら、プリントを自分そっくりのパペット人形にくわえさせて現れた細井先生に目を向けた。白髪が目立ち始めた初老の教諭は、聞き慣れた温厚さがにじみ出た口調で、挨拶する。そして手短に済ませたいとばかりにさっそくプリントを回し始めた。読んどいてね、と二度手間を省いてくれたありがたい先生に、3年生の学年章をつけた男子生徒が、細井ちゃんいい加減すぎだろ、と横槍を入れて笑いを誘った。漫画でしかお目にかかったことがない四角い黒縁メガネの先は白くなっており、目を確認することができない怪奇現象は健在だ。誰も突っ込まないのはもはや世界のお約束らしいのでスルーすることにした。回ってきたプリントを確認すると、図書員の仕事は本の貸し出しと借入、新しい書籍を並べたり、整理整頓したり、延滞している不届き者への公開処刑を放送委員に頼むことだった。活動は一週間に1度。平日の昼休みか放課後にカウンターに座って行う仕事が中心のようだ。


「晃ちゃん、この名簿に書いてだって」

「ん?ああ、わかった。ありがとう」


受け取った名簿に、名前と学年、クラス、生徒番号、そして携帯電話の番号とメルアドを記入する。所属する学科がないのと、携帯電話の記入欄がなんだか新鮮だ。地味にジェネレーションギャップに遭遇しながら隣にすわっている男子生徒に名簿を渡す。さて、これから本番である。


「雪、いつがいい?私は部活あるから、月、火、木の放課後は無理なんだ。他の日なら、個人練習だけど、その日は全体練習だし」

「そっか。えっとね、私は旅館が一番忙しくなっちゃうのって、やっぱり金曜日と土日なの。他の日ならなんとかできると思うんだ。うーん、やっぱり一緒に出来る方がいいよね?」

「そうだな。じゃあ、水曜日の放課後か、あるいは昼休みのどっか、ってことか」

「うん」


案の定、コミュを発生させることができない金曜日は無理らしい。旅館という特性上、3連休が絡みやすい金土日はやはり1番のかきいれ時のようだ。細井先生のパペットマペットが創り上げた歪な担当表を見た私は、嫌な予感がした。さあ、書き入れてね、と軽い調子で言われたのでそのまま立ち上がってみるものの、みんな考えることは同じである。文化部、もしくは帰宅部に入っている生徒の条件として、部活の活動日は避けられる傾向にある。それに折角部活がない日は早く帰りたいという人が多い。必然的に昼休みに学年とクラスが羅列していく。そして、やはり文化部の活動日が似たり寄ったりであることが顕著にでた。放課後は水曜日が集中している。とりあえず隅っこの方に書いたものの、9クラスのうち4クラスも集中するとか、なんだそれ。細井先生は、もはやどこの出身か特定不可能な方言を駆使して、ジャンケン大会を開催した。パペットがするのかと一瞬考えたが、最初はグーと以後を言うだけなので、ジャンケンをパペット人形がすることはなかった。ちょっと残念である。私は速攻で天城のところに向かった。


「他のとこ、いくか?」

「うーん、でもまだ決まってない昼休みって、確か体育の日だよ?大丈夫かな?」

「あー……そうだよな」


無理だ。移動教室の曜日はまだいい。だが、体育の時間を控えた昼休みの時間だけは何としても確保しなくてはいけない事情が私にはある。私が女子生徒として八十神高校に在学している以上、カリキュラムが男女別となったときに女子生徒の区分に放り込まれるのは仕方ない。でも、更衣室で天城や里中達と共に着替えることが出来る度胸など私には存在しない。トイレの個室、もしくは私のプライベートな問題を把握してくれている保健室の先生のご好意で、保健室が主な私の安息の場所だった。絶対に更衣室は無理だ。無意識のうちに私が自傷した箇所に手が行ってしまう。必ず着替えるときに見えてしまう箇所にソレは存在しており、四季を通して私は黒のアンダーをきなければいけない。体操服もジャージ無しは無理だ。まして、私の腕は。通院して、定期的にホルモンバランスを意図的に男性に近づけているため、注射針の跡は季節によっては隠しようのないものになってしまう。確実に事情を聞かれたり、あらぬ想像をされてはこちらが困るのだ。もし、ジャンケンで負けたらどちらかに取って都合の悪い日になってしまうが、こればっかりは仕方ないだろう。そのままでいこうか、と合意する。で、つぎは。


「どっちが、じゃんけん、する?」

「雪でいいと思う」

「えっ?!」


そんなわくわくしたまなざしを向けられたら即答するしかないだろうに。嬉しそうだが、勝てるかどうか不安そうな天城である。持ち前の運の高さを発揮出来ればいいだけだと思うが、ステータスなんてしらないだろう天城にうまいこと持ち上げる方法が思いつかない。間違いなく、花村が代表としてジャンケンするよりははるかに安心なのだが。


「ジャンケン弱いからな、私」

「あ、そっか。うん、わかった。行ってくるね」


どうやら天城の記憶の中にいる神薙晃#はとてつもなくジャンケンが弱いらしい。どうでもいいところまで似通っている事実に、密かに私は打ちひしがれていた。ラックが低いのは、こちらでも健在らしい。ああ、夢のパンチラ昇天撃が。ちなみにその破廉恥な名称は、攻撃モーションのパンチラに定評があるルシフェルに五月雨昇天撃を継承させたネタペルソナの必殺技として、某掲示板のメガテニストによって考案された。雨の日にラックが馬鹿高いルシフェルがすると、クリティカル、ダウンがとんでもないことになる。天使は両性具有であるという常識は、敢えてここでスルーするのが男である。ましてや閣下の堕天前の姿だという事実は、絶対に触れてはならない。ああ、そういえば事故ナギ、作る前にこっちに来たなそういえば。どうでもいい回想に浸っている私とは無関係にジャンケン大会は進んでいく。座っていく候補たち。私は天城をみた。


「……あ」


差し出したグーを降ろした天城は、申し訳なさそうに着席してから私を見た。残念ながらあと一歩及ばず負けてしまったらしい。仕方ないと軽く流して、私は開いている放課後の中から天城が取れそうな時間を優先することにした。幸い図書室の閉館時間は部活動の1時間半の猶予を残してくれている。もう部活を一回休む曜日しかあいていないのだ、どのみち一緒だろう。


「じゃあ、木曜日にしよう」

「ごめんね、晃ちゃん。部活あるのに……」

「完全に休むわけじゃないから大丈夫。全体練習は5時45分からだし、急げばぎりぎり間に合うだろ。ちょっと早く抜ける日もあるかもしれないけど」

「うん。その時は千枝に頼んでみるよ」


むしろ申し訳ないのは私の方である。まだ転校してきていない名も知らない転校生くんが、コミュレベルを上げる貴重な機会を1回潰してしまったのだから。密かに謝罪しつつ私は再びホワイトボードに記入しに席をたつ。どうやら次はジャンケン大会も無いらしい。あっさり決定の赤丸で覆われたマス目。決まった人から解散しているので、私たちも席を立つことにした。真新しいメモ欄に記入する。このスケジュール帳にどれだけの予定を書き込むことができるか、密かな楽しみがここにある。暫く歩いていけば、私たちの姿を認めた里中が立ち上がった。


「おかえりー、二人とも。どうだった?」

「私がジャンケンで負けちゃって、木曜日の放課後になっちゃった」

「あちゃ。あれ?でも木曜日って、晃、部活じゃないっけ?」

「まあ、終わり次第速攻で音楽室にいけば、全体練習には間に合うからな。発表会とかコンクール前はちょっと厳しいかもしれないけど」

「そっかあ、大変だね」

「ごめん、千枝。もし晃ちゃんが忙しかったら、代わりにやってくれないかな」

「えっ?!おおっと、まさかのご指名?大丈夫かなあ、アタシでも」

「埋め合わせはするから、お願いできないか?」

「うーん、じゃあ、なんか奢ってくれたら考えるよ」

「小遣いの範囲なら、なんとか」

「おっけーい、あ、そーだ。それとさ、読みたい本キープしちゃってもいい?」

「大丈夫だと思うよ、よく図書委員の人やってるし」

「聖龍伝説のノベライズが出るんだー、細井ちゃんに頼まなきゃ」


じゃあ教室戻ろうよ、と戦利品を掲げた里中に頷いた私たちは、そのまま空き教室に直行する。ちゃっかりお弁当箱を持ってきていた天城に、今気づいたのは内緒である。














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