ペルソナ4 第2話
ペルソナ2話

八十神高校は、屋上が解放されている極めて珍しい学校である。もちろん落下防止のフェンスはきちんと管理されており、千枝の記憶が正しければ入学したばかりの時点で新しくするための工事が行われたばかりだ。3つ上の近所のお姉さん(もう大学に行ってから見かけなくなった。やはり都会はいいのだろうか、と一抹の寂しさを覚える)から、屋上から見える景色と心地よさとそして食べる焼きそばパンについて力説されてきた千枝である。雪子とお弁当を囲むのは日常だが、入学当初からいち早く屋上という、中学時代では許されなかった領域へのあこがれが募っていたわけである。入学説明会で屋上について封鎖だといわれたときには、大いに落胆したものだ。



実際に屋上が解放されたのは、ゴールデンウイークが終わったすぐ翌日のことだったが、初めて駆け上がった扉の先は、一気に開けた空におおう!と笑顔だった。何もかもが新鮮に見えた時期だったことある。整備されたフェンスに合わせてアスファルトはきれいに掃除され、ペンキで塗りつぶされていた白は、汚れもない。五月晴れの空にうかぶ積乱雲のごとくキラキラと光り、それはそれは蒼い空によく映えていた。今も、きれいに雲ひとつない空が広がっている。あーあ、と千枝はため息をついた。おなかすいた。片手に箒がなければ、いうことはないのだが。くすり、と雪子が笑ってチリトリを持ってきた。 現在でも恰好のお昼スポットである。さすがに外履とくらべて、内履きはあまり汚くないが、外から桜の花や葉っぱ、埃がとんできて汚れてしまう。おかげでほかの学校と違って八十神高校では屋上も重点的な掃除場所となっている。



そう、まさに今のように。



箒で掃いて、ゴミを集め、ホースで水をまいてから磨き、しかも雑巾で拭くのである。管理している教師が真面目なため、不幸にも千枝たちのクラスは大いに苦労しそうである。生徒たちは勿論会話にいそしみながら、掃除をこなしていた。千枝も例にはもれず、こっそりと花びらを集めながら、委員長の視線をかいくぐって雪子に声をかけた。本当はうずうずしていたのだが、この話題を雪子も初めて同じクラスになった神薙さんもどうやら慎重なようである。あの会話で花村に説明を求められた神薙さんは、小中と同じだったと簡潔にいい、諸岡先生に呼ばれてから会話を離脱し、一定に距離を置いている。寂しそうに時折、反対側の方向で男子生徒たちと楽しそうに会話が弾んでいる神薙さん(どうやら女子より男子の方が話しやすいらしい。さっきまで委員長とも話していたようだし、交友関係は広そうだ)を見つめている。


「ねえ、雪子。神薙さんと仲良いの?晃ちゃん、なんて。名前で呼ぶって珍しいね」

「うん……えっと、その、何て言うのかな。仲良かったって言うか」


過去形である。雪子と千枝が知り合ったのは中学時代だが、雪子が捨て犬を抱えて公園で途方に暮れているところに声をかけたのがきっかけである。選んだ中学校が小学校時代の学区から微妙に外れたために友達がおらず、心細かった時期の出会いだ。もともと人見知りがあり、控えめな雪子はなかなか友達が少なかったため、お互い仲が良くなるのは早かった。高校に入って小学校時代の友人たちとも再会したが、やはり出来上がったグループの中には入りずらい。で、今に至るわけだが、千枝の記憶の中では、雪子が名前を呼ぶほど仲がいいのは自分だけだったはずだ。それがほんのちょっぴりまわりへの優越があるのだが、彼女が現れたことで、うん?と心の中でもやもやがあったのだ。それもたった数秒だ。読んだ瞬間の神薙さんの一瞬驚いた反応、それを見て距離感を自覚して苗字にさんづけに直してしまったのを見てしまえば、それは嫉妬ではなく心配に変わる。たった一人の親友だ。悲しい顔をされては、やはり気になるのが友達というものであろう。


「なにかあった?」


うんと、と雪子は言いよどみ、困ったように笑う。どこから話せばいいかな、と聞いてくる。こういうときの雪子は頭の中で話を組み立てて、千枝にわかりやすいよう要点をそろえて、かつ簡潔になるよう考えている途中だ。こういうときは、すっぱりと聞いてくる千枝の好奇心が、迷いを生む雪子を引っ張っている。バランスがいい。 ぽつりぽつり、と雪子は話し始めた。 げた箱を間違える。「か」と「あ」は同じ高さの列にあり、名前を書く習慣のなかった雪子はたまたま同じサイズの靴だった神薙さんと間違えかけ、たまたま通りかかった神薙さんが「それおれの!」と怒ったのが出会いだという。おれ?と千枝は疑問符。


「うん、昔はすっごく男の子っぽかったの、晃ちゃん。小学校は制服がなかったんだけど、ずーっとジーパンで、男の子みたいな恰好してて。髪の毛、極端に短くて。男の子に間違われるのが当たり前だったみたいだけど、うれしそうだったなあ。なんかね、千枝みたいに、いろいろ引っ張ってくれて、頼りにしてた、んだ」

「なんかイメージ違うね」

「うん」


変わっちゃった、と雪子はちらり、と掃除している神薙さんを見る。千枝の神薙さんのイメージはまさに相反している。なんか、頭良さそう、かっこいい、と第一印象で思った。初登校で本でも読んでいそうな感じだ。なにせ初対面が部活の応援大会のブラスバンド部でホルンを吹いていたのだ。千枝が尊敬するカンフーのような、スポーツマンとは違うかっこよさがある。それに加えて、花村と話しているのを見るあたり、冷静沈着で落ち着いた話し方。「私」で、真面目そうな調子、忘れていた宿題に頭を抱える花村に移させていたのだ、いい人なのだろう。しかも割と話しやすそうな感じ。きっかけがあればなあ、とぼんやり考えていた矢先だった。 そんな神薙さんが、あたしみたい?指さすと、うん、と雪子は言う。ちょっとだけショックをにじませる千枝である。竹で割ったような性格と快活さをいいところ、といわれることが多いものの、ボーイッシュさを強調されるのは微妙になる。かわいいものが大好きなのだ。雪子と買い物にいくたびに、おそろいなものを買うのだが、赤の対比はたいてい青や黄色、といった色になり、もちろん緑も好きなのだが学校に持っていくと「意外だね」といわれるのが億劫でいつもきまった色になってしまう。雪子にも求められているのだ、と自覚してしまうたびに、ちょっとだけテンションが下がってしまう。


「千枝?」

「ううん、何でもない。で、なにがあったの?」

「中学校って、制服あるでしょ?晃ちゃん、卒業のころからなんか、少しね、男の子っぽい、って感じじゃなくて、本当に男の子って感じになってきた気がするの。背も高くなって、体格も良くなって、声も低くなって。中学校で、先生に呼び出されてたの」

「なんで?」

「入学式で、制服着てこなかったから」

「あら」

「なんか、制服着ると気分が悪くなるみたいでね、先生たちも困ってたんだけど、親御さんも原因が分からないっていってて。だんだん元気なくなっちゃって、私も心配だったんだけど、大丈夫って言ってて。そのうち、学校来なくなって、入院しちゃったまま、お婆さんの所に住むことになったって電話があってね」


私、何もできなかったの、と雪子はいう。千枝は雪子、と呼ぶしかない。神薙さんの気持ちも雪子の気持ちもどちらもわかる気がする。どんどん元気がなくなっていく一番仲良しな友達を心配させたくない、という気持ちと、心配なのに言ってくれないことへの不満と不安、いえない気持ちを分かってしまう歯がゆさの気持ち。あまりに近いがためにいえない気持ち。きっと千枝ならはっきりいうだろうに。なにがあったのかはしらないけれど。いろいろと考えてしまううちにあーもー!となって全部ぶつけてしまい、喧嘩になってあとで後悔して、仲直りするパターンを千枝は思い描く。


(ああ、きっと雪子にとって神薙さんはあたしみたいだって思ってたけど、きっと神薙さんは雪子みたいなんだ。似たもん同士だったから、仲良くなったんだ)


千枝は思った。


「夏休みに一回だけ、電話がかかってきたの。話したいことがあるって。大丈夫だったはずだから、OKしたの。商店街の神社で待ち合わせするって。でもね、その日はお手伝いさんの一人が風邪ひいちゃって大変なことになってたから、手伝ったの。気づいたのは留守電のときで、待ってるって。でも、もう時間もう一回かけ直したら、大丈夫だと思ったよ、って笑ってくれて、病気になっちゃったから大学病院に入院するっていう話だったって教えてくれたんだけど」

「そっか。だからあたし知らなかったんだ」

「うん。……でもね、そのせいだと思うんだ。初めはときどき電話くれてたんだけど、私も部活が忙しくてなかなか時間が合わなくなって。気付いたら、晃ちゃん、全然電話かけてくれなくなっちゃった。あの留守電の時、晃ちゃんの声、泣いてた気がするの。なんか言わなきゃいけないって感じだったのに私、約束破っちゃったから、結局打ち明けてくれなかったんだと思う。もしかしたら、病気のこと、詳しく教えてくれるつもりじゃなかったかなあ、って」


謝りたいんだけど、ちょっと難しいね、と悲しそうに雪子は笑う。そんなことない!と思わず千枝はさえぎった。ぽかん、としている雪子に、私が何とかしてあげなくちゃいけないじゃない!晃ちゃ、じゃなかった、神薙さんも雪子も悪くない。どっちも一生懸命お互いに考えてたのに、タイミングが悪かっただけだもん、と奮い立つ。


「雪子も神薙さんも悪くないよ。きっとタイミングと時期が悪かっただけでしょ?大丈夫、また仲良くなれるよ、雪子」

「……千枝」

「大丈夫、あたしにまかせといて!」

「……ありがと、千枝」


あたしたち友達でしょ?当たり前じゃない。千枝はにっこりと笑った。チャイムが鳴ったのは、数分後のことである。






ともだちのともだちはともだちっていうじゃん。雪子が心配抱えてるなら一緒に抱えてあげるのが親友ってもんじゃない。問題解決に協力するのが当たり前でしょ。一肌脱いであげるよ!心配なんていらないよ!だってあたしがついてるんだから!だからあたしが頑張らなきゃね。雪子のこと一番にわかってあげてるのは他でもないあたしなんだから。だからだからだから。

じゃま、しないで。

ともだちのともだちはともだちなんだから!











「神薙、明日の苺と若菜とえっと……」

「榎茸か?タケノコか?」

「タケノコな、八時半のやつ八時に変更してくれってお願いできねーか?なんかお前んち誰もいないみたいだって親父からメールきてんだけどさ」

「八時に変更?確か明日は給食センターの搬入と直売所の当番が重なるぞ?一応メールするけど、最悪無理かもしれないな」

「なんか新しい家電製品の運搬の関係でこむんだってよ。ごめんな」

「いや気にするな」



私は祖父母にメールを送る。時々あの人たちは携帯電話の携帯を忘れて自宅に置き去りにするから、返ってこなければ直接ビニルハウス園芸場に足を運ぶ他あるまい。携帯しなければただの固定電話だと指摘しても治らなければ意味はない。どの世界でものんびりとした祖父母の人柄は変わらないらしい。密かに私はためいきをついた。私はすでに花村と携帯の赤外線通信はすませてある。ちなみにダイレクトメールは登録外のスパムを遮断できる方法を教えてやろうかと思ったが、花村は都会時代のクラスメイトたちとの関係が切れていることを自覚したくないことを直前で思い出したがゆえの成り行きだったことは秘密だ。



八十稲羽市は田舎にありがちの食育を目指す地域である。食育とは自分達の町で育った野菜や果実、特産物を食べよう、もっとよく知ろうという試みのことだ。祖父母も直売所の運営にあたって、タイミングよく八十稲羽市の政策に合致した展開を望めたのでいまにいたる。小中学生向けに話をしたり、田んぼを貸して無農薬栽培させたりといった感じだ。他にも給食センターのラインにのせてもらったり、ジュネスに地元と宣伝して売ってもらったりしている。今の時代、ただ生産して市場に出すだけではどこの農家もやっていけない。海外からどんどん安い製品が入ってくる以上、安全性とか新鮮さとか武器にするしかないのだ。法人化しないと金をくれないと市がいっている以上、なにもしないと日本の九割の農業は死滅する。厳しい話、うまく立ち回れるものがやっていけるのだ。ゲーム中ではジュネスを敵視する人たちがいたことは事実だし、実際に大型のショッピングセンターの誘致にさらされた商店街や自営業はあんな感じだ。しかしながら、ジュネスの恩恵にあずかっている人たちもいるのである。だから田舎の人間関係は複雑なのだ。だから一辺倒になってはいけない、と遠回しに私は敵じゃないアピールをしたのだが、花村に何処まで伝わったかは不明である。難しい話すんなあ、お前と苦笑いされたのはいうまでもない。

「・・・・・・・・・・お前、すごいよな」

開口一番、ジュネスという言葉がなかった初対面の挨拶は、私が考えていた以上に花村にとっては衝撃だったらしい。もともとコミュニティーを早々にMAXにして、六月から絶賛放置だった私は忘れていたが、花村は本来高校生が知らなくていいであろう田舎特有の人間関係の閉鎖さと結束さ、どろりとしたしがらみを見せられていて辟易している節がある。田舎生まれ育ちの人間はある程度受け流す、気にしない図太い神経がある程度育まれる傾向にある。むろん私のように。だが、やはり都会からきた花村には慣れない部分が多いのだろう。一度殴りあいをしたのだ、花村の心情はある程度わかるが、初対面だった花村が知るはずもない。ジュネスと契約している農家の娘(正直ぐさりとくる)だとしった後の花村は、なるほどと勝手に勘違いしてますます気兼ねない。愚痴り相手と化している。一度コロッケ屋にも遊びに行ったが、さすがに主人公の相棒役をとるのはまずいのでそれきりだ。実際この時期は農作業が忙しいので仕方ないが。

「家電製品?テレビか?」

「もうすぐ七月だろ?だから、な。察してくれ」

「がんばれ。そうだ、惣菜買うついでに、店長さんにうちの携帯番号とか教えようか?」

「おお!さっすが神薙、頼りになるな!じゃあ一緒に行くか」

「ああ」

私は携帯を見る。やはり一通も返っていない。たしか今日は法事があって帰りが遅いと祖母がいっていたはずだ。惣菜でもかってかえろうかと立ち上がる。がたがたがた、とせわしない音が響く。生徒の目線がいく。私たちも前を見た。マナーモードらしい天城の携帯が鳴っている。電話らしい。恥ずかしそうに教室から出ていった天城がしばらくして血相変えて帰ってきた。どうしたの、と心配そうな里中に天城がわたわたとした様子で鞄に荷物を積めながら小声でいう。あんまり大声で言えないらしい。


「ち、千枝ごめん!私、帰るね!」

「うん、早く帰ったほうがいいよ、雪子!ばいばい」

「うん、またあした!」

天城が血相かえて教室から飛び出していく。心配そうに見送った里中と私は目が合う。掃除の時間からちらちらと視線は感じていたものの、今度はしっかりと覚悟を決めたように、なぜかひどく私がなんとかしなければいけないという焦燥感と義務感で真面目な顔をしている。かつて私がよくした表情だ。天城に関してはおそらく天城のお母さんが過労とアナウンサーの心ない辛辣な言葉に耐えられず倒れたのだろう。天城とかつて仲良かったことが判明したが、天城は私の親友だった彼女ではないからどんな毎日を過ごしてきたのかわからない。どうせよというのだ。心配だが、どうしようもない。帰ったら祖母に聞いてみようと思っていると、里中が近づいてくる。私と天城の関係に気づいてからこの調子なのを見るともしかして嫉妬されているのだろうか。このときの里中は天城との親友であることに愉悦と劣等感、互いに依存と複雑な関係を築いている。私は限りなく異物だろう。

「なになに、ジュネスいくの?」

「げっ、里中!別に食いに行くわけじゃねーよ」

「わかってるって、花村には愛しのさ」

「里中!べ、別にそんなんじゃねーよ。それにわざわざ今言わなくったって!」

「じゃあアタシが交じってもいいってこと、そーよね?ね、いいよね、神薙さん」

あれ?少々肩透かしを食らった気分だ。里中は快活な笑みを浮かべて私の様子をうかがっている。てっきり天城経由で何かしら接触すると思っていたのだが。里中は策略とか計画とかには無縁に正々堂々としているイメージがあるのに。暫し考えてから遅れていいよと肯定した私に、なぜか花村があわてている。

「マジかよ、里中くるのか」

「なーんで嫌そうな顔するわけ?ははーん、そっか花村、さっきから神薙さんと話してると思ったらそういうわけ?お邪魔しちゃった?」

「ちげーよ!里中が来ると必ずなんかおごらなきゃいけないだろ。まだバイト代入ってないんだよ。神薙はんなことしないからいいんだよ」

「しっつれいねー、アタシだって限度は弁えるってば」

「だーもう、仕方ないな!」
「あはは!そーこなくっちゃね!ねえ、ゲーセン行こうよ」


里中が恋人だった私には願ってもない。花村はいやそうな顔をしていたが、里中は行こうよ、と手招きするので先を急いだ。両手に花なのに何失礼な顔してんだかと笑う里中に隠れてぼそりと花村が私に、どこに乙女がいるんだよ、なあと同意を求めてくる。けりが炸裂するのは御免だったので、私は直ちに背後で聞き耳をたてている里中に花村を密告した。










あーおもしろかったね、と里中が伸びをする。だーもう、小銭せびりやがって!とぼやく花村がつま先を踏まれて顔をひきつらせる。私はくすりと笑った。この二人は本当にいい友人同士だ。里中狙いの一週目は、完二の調査で里中をとられ、嫉妬のあまり舌打ちしたのもいい思い出である。花村はずっと先輩一途だ、余計な御世話という奴だった。むしろ敵は一条だった。じゃあな、と花村と別れる。惣菜を買いたい、といったところ、じゃあアタシもなんか買ってこう、と笑う。エスカレータに乗り込んだ。


「ねえ、神薙さん」

「うん?」

「あのさ、今度は雪子も一緒にこない?おせっかいだとは思うんだけど、アタシ、雪子も神薙さんと一緒にどっか出かけてみたいんだ」

そうきたか。まさかの時間差攻撃に正直舌を巻く。

「いいと思う、な。たぶん」

「ほんと?」

「うん、ありがとう。どう天城さんににこえかけていいかわからなくて困ってたんだ」

「そっか、あはは。よかった、本当に神薙さんと雪子って似てるよね。仲良くなれそうでうれしいよ、アタシ」

「そうか、な?」

「うんうん、そうだ、ならさ、雪って呼んだげてよ神薙さん。雪子、晃ちゃんって呼びたがってたから、喜ぶよきっと!ついでにアタシも呼んでいいかな?」

「ちゃんづけ、か。呼び捨てじゃダメか、な?」

「アタシはいいよ、なら千枝ってよんでね」

「わかった、千枝」

何処まで言葉を崩していいかわからないが、乗っかってしまった方が無難だろう。ようやくココロのなかの呼び名と呼称が一致して私は密かに安堵した。











例のアナウンサーのお客さんのトラブルは、どうにか収拾がつき雪子は無事に登校できている。あのアナウンサーが毎日苛立ち、そして当たり散らしている様子は目に余るし、みないきり立っているものの、状況が状況なだけに旅館は細心の注意を払い、神経を尖らせていた。周囲や世間からの好奇、格好の餌食をものにしようと狙っているマス・メディアから逃れようと必死なのだろう、とはある程度予測できるところだ。だが、それだけだ。母が旅館にアナウンサーを受け入れた理由が雪子は皆目見当がつかない。彼女の地元がここだから、彼女の家族に馴染みがあるから、なのか、母は口を割らない。複雑な心境は予想できるものの、雪子は疑問を抱えながら旅館の手伝いをするしかない。アナウンサーのスキャンダルなんて、それこそ小説やドラマの世界だ、その程度の知識では計れる心境など高が知れている。未だに男の子といる自分すら想像できない雪子にはどうもわからない世界である。だから世間の関心が納まるまでお客さんは居続けるだろうし、母の言うとおり旅館としての勤めを果たすだけだ。 というわけで、目下彼女の悩みは、たまたまとはいえ、ふたたび出会ったかつての親友であるわけで。千枝が仲直りのけんびきを買って出てくれたとはいえど、正直まだ心の整理がついていない。部活にいったであろう晃を見届けて、どうする?と千枝が聞いてくる。せっかく同じ図書委員になれたのだから、そのときにでも、と言葉を濁す雪子に千枝がすかさず来月まで待つのか指摘した。


「実はさ、雪子。昨日ね、花村とジュネスにいくとこ捕まえて、アタシも行っちゃった、ゴメンね」

「えっ、晃ちゃんと?」

「うん、なかなか二人きりで話すチャンスがなくてさ、二人とも帰っちゃいそうだったから勢いで」


ゴメンねと手を合わせてくる千枝に雪子はただただ驚くばかりで二の句が紡げない。なんという行動力だろう、と幾度も千枝の即決さと行動力が眩しく映ったものだが、今回は際立っている。事情を証してから昨日の今日なのに、だ。雪子はすぐにでも、と昨日散々急かした千枝に首を振り、結局最後まで引き止めたのだが、待ってはくれなかったようだ。千枝に話したことに気付いただろう晃を思い、雪子は怖くなる。



晃は「私」と「俺」を使い分ける子だった。年齢があがるにつれて、学校で先生に注意されたり、反省文を書かされたり、女の子らしくないと親御さんに怒られたりしはじめた晃は、しだいに「私」を使いはじめた。雪子の前ではずっと変わらず「俺」であり続けた晃は、「私」の晃は違っていた。昨日の晃は「私」だった。でもすっかり花村くんと打ち解けていたあの晃は雪子の知る晃であり、スカートをはく彼女は雪子の知る晃よりもずっとずっと大人に見えた。雪子の知る晃ではなくなっていた。沈黙する雪子に、千枝は肩を叩いた。



「心配のしすぎだって、雪子。向こうもどうやって雪子と話したらいいか困ってただけみたいだったしさ。ありがとうっていわれたよ」

「本当に?」

「うん、今度は雪子も一緒にっていったら、いいよって。少なくても、雪子がきらいってわけじゃなさそうだし、怒ってるわけじゃなさそうだったよ?」

「そうか、なあ」



雪子は回想する。夏休みのあの日、久々の親友の電話に雪子はうれしくなってすぐに約束を承諾した。一時に商店街の神社の境内で待っているという彼女に、雪子はいつものように遊ぶのだとばかり思っていた。体調を崩し学校を休みがちとはいえ、雪子と晃は相変わらず遊びに出かけていたからである。だがお手伝いさんが急な用事でこれなくなり、中学進学後からしばしば旅館の手伝いをしはじめていた雪子は母に声をかけられた。まだ十時だから大丈夫だろうと思っていたのが、ダメだった。昼頃から突然の通り雨でますます忙しくなる家の用事、一区切りついたときにはすでに三時を回っていた。雪子は真っ青になり電話に走ると、公衆電話から二回連絡が入っていた。一度目は待ってるという連絡、2件目は忙しいのかと雪子を心配し、なぜ呼び出したのか簡単に説明されていた。難しい病気だから大きな病院に入院すること、引っ越すこと、会えなくなること。あの日ほど旅館の娘としてまわりの期待に答えようと、頑張りすぎた自分を責めた日はなかった。電話をかけ必死に謝る雪子に晃は「だろうと思ったよ」と笑って許してくれたが今思えば旅館を優先させる自分が嫌になったんじゃないかとも思えてしまう。昨日のように、まるで初対面のような対応をされると、彼女のなかではすでに雪子はすでに失われた関係なのだと自覚させられたばかりなのに。



晃が雪子と話したいのに話せない、ととれる千枝の発言は雪子を困惑させる。



「雪ってよんだげてって頼んどいたよ。なんか照れてたけどさ」

「ち、千枝?」

「晃ちゃんでいいって。昨日はさ、まさか同じクラスだとは思わなくてテンパっただけだっていってたよ?」

「でも、なんで、なら、話し掛けてくれないの?おかしいよ」

「ああーそれね」

「?」

「雪子、男の子苦手でしよ?今の晃は確かに花村とつるんでるときには、ほとんど男の子。みたいってレベルじゃないよ。花村の下ネタトークについてけるとかすごいもん。だから、じゃない?」

「遠慮させちゃったのかな?」

「雪子は晃のこと変わったっていってるけど、きっと晃にとってもどこかかわってるんだよ、五年でしょ?別人みたいに思えちゃってるだけだよ、きっと」


大丈夫、と笑う千枝に若干の違和感。なぜ神薙さんから晃に呼び方がかわっているのだろう。あ、昨日ね、話の成り行きで、と千枝は補足する。雪子は複雑な心境になる。まるで千枝と晃が自分をおいてどんどん仲良くなっているようだ。


「アタシもちゃんづけにしようかと思ったら、断られちゃった。雪子専用みたい」

「え?」

「あはは、さーて、早速だけどね、雪子。今日は職員会議で部活は五時半までって知ってる?」

「うん」

「というわけでさ、一応約束はしちゃってます。はい、許可はもらってるから、雪子にも送るね 」

「え、え、えええっ?!」


取り上げられた携帯に赤外線で晃のデータがやってくる。出かけるよ、と千枝は宣言した。雪子はたまらず悲鳴をあげる。悪戯が成功したように千枝は笑う。時計は五時を回っている。











晃は玄関で二人を待っていた。千枝がやっほー、と手を振ると遠慮がちに軽く晃は振り返す。雪子は遠慮がちに笑った。

「ご、ごめんね、千枝が急に」

「アタシが晃呼びになったから、嫉妬したんだよね、雪子?」

「え、あ、もう、千枝っ!」

「嫉妬?」

「あ、晃ちゃんは知らなくていいよ!いこう!」

「雪子ったら、男の子に対する態度になっちゃってるよ」

「?」

「ほら、晃、おもしろいから、早くよんだげてよ」

「あ、ああ、うん。雪、どこにいくんだ?」

「え、あ、と、ジュネスにいくんだよね?千枝」

「うん。新しくインテリアのテナントが入ったって花村行ってたでしょ?せっかくだからいこうよ」


晃はわかったとうなずいた。雪子は笑顔になるのがわかる。五年間のわだかまりが少しだけ溶けた気がしたのだ。 「ほら、いこいこ!」 よかった、と千枝は胸をなでおろす。雪子は最後までまごまごしていたものの、どうやら晃が「雪」呼びしたのが効果てきめんだったらしく、少しずつではあるが、素の自分を出し始めている。雪子の表面上、というと聞こえは悪いかもれない、どちらも雪子なのだから。とりあえず、はたから見た印象と、隠しているわけではないけれども、なかなかお目にかかれない素の部分は結構なギャップがあるのだが、さすがは晃、まったく物おじしていない。ちら、と視線が合い、ごめん、ありがとう、と声にならない感謝を向けられ、千枝はあったかくなる。雪子以外の女の子を交えてジュネスに行くのは初めてかもしれない、とぼんやり千枝は考える。 これで、いいんだよね、とはいいながら、千枝は心の中でぐるぐるしていた。昨日から覚え始めた胸の痛みは、肥大していくばかりである。正しいことをしているのに、間違ってないのになんで心が痛いんだろう。苦しいんだろう。つらいんだろう。千枝はこっそり雪子と晃を見る。やっぱり晃はまだ雪子との距離感を測りかねているのか、花村たちとゲーセンに行った時よりも言葉の崩し方が中途半端で、どこか硬い。まだまだバックアップはいるかなあ、と考察。余計な御世話かもしれないが、今のところ咎めるような眼差しはなし、雪子はむしろホッとしているともいえる。結果オーライ、だ。かつての親友というのに、友達の友達ポジションの千枝の方が話題が弾むのはいただけない。うーむ、と千枝は二人と会話を交わしながら、考える。なんてややこしい関係図なのだろう!頭がパンクしそうだ。 わかってはいる。その根本的な原因は、千枝の場合は、嫉妬だ。どうしようもない嫉妬だ。今まで雪子が頼ってくれるのは、その自分を見せてくれる一番の親友は千枝だけだった。今、その世界が揺らいでいる。危機である。いっそのこときらいになれたら楽なのだろうが、千枝はさらに苦悩する。できるわけないじゃん、何のためにアタシが行動おこしたとおもってんのよ。晃は晃、いい子だもん。一緒にゲーセンを回ったとき、花村と同じくノリがよくて、しかもこちらを気遣ってくれると感じるときが節々にあった。雪子が親友に選んだ理由がわかるのだ。とても傍にいるのが楽なのだ。しかも、どこか不器用で慎重で、自分ではなくまわりの距離感を常に気にしているところが雪子と重なる。思ったとおり、晃は雪子と本質がよく似ている。嫌いになるほうが無理なのだ。千枝はこっそりため息をついた。ま、いっか。だからって雪子とあたしの仲が悪くなるわけじゃないんだし、ね。



いまジュネスで新しく入ったばかりのアクセサリーショップ(しかも近隣ではみない!)でめぼしいものはないか、三人で回っている。どれにする?と雪子とあれこれ目移り(お菓子売場はあとで!)して、決まらない。雪子はチェックのぬいぐるみか、赤いスカーフをまいたくまのストラップで悩んでいる。こっちは、と棚から別のをとった千枝はふと気付く。あれ、晃とここに着てから話したっけ?まわりを見渡すと、いないことに気付く。ばかなにやってんの、アタシ!雪子と晃の仲を取り持つために誘ったのに!



「雪子、晃は?」

「晃ちゃん?ああ、たぶん、ほらいた。お菓子コーナーだよ。昔からこういうの苦手だし」

「あ、そうなの?言ってくれたらいいのに」

「あれ?千枝、聞いてなかった?」

「え、晃いってたっけ?あはは、ごめんおなかすいちゃってさー。そーだ、アタシも行ってくるよ。雪子もどお?」

「ふふ、千枝ったら。私はおなかすいてないし、いいよ。まだ悩んでるんだ、行ってきて」

「アタシに至っては目移りしちゃって、全然だけどネ!そーだ、ちょっと待ってて、つれてくるよ」

「千枝?」




30分後、ビニル袋を提げた二人がやってきた。


「私、興味ないし、せっかくだから二人で楽しんだらどうだ?」



晃は困ったように笑う。若干居心地悪そうな様子に、千枝はこちらの幼稚な感情を読み取られてしまったかとひやひやした。今まで雪子が頼ってくれるのは、その自分を見せてくれる一番の親友は千枝だけだった。今、その世界が揺らいでいる。危機である。いっそのこときらいになれたら楽なのだろうが、千枝はさらに苦悩する。できるわけないじゃん、何のためにアタシが行動おこしたとおもってんのよ。晃は晃、いい子だもん。
「晃ちゃん?ああ、たぶん、ほらいた。お菓子コーナーだよ。昔なじみとはいえ、今、雪子と最も距離が近く親友は千枝である。かつてのポジションの千枝が仲を取り持つという奇妙な展開、正直千枝も、うん?と思うところはあったものの順調なような思う。だが、晃はどう思うのか正直考えてはいなかった。なのに勝手に嫉妬してイライラしてなにやってんだろう。頭が冷えた千枝は、まあまあ、と雪子のところに戻す。


「こういうのは、どう?缶バッジ」

「そっか、これなら晃ちゃんも大丈夫?」

「うーん、そうだな」


わりと乗り気だ。よかった、と千枝は息を吐いた。千枝は決まった?と雪子に促され、はっとする。



千枝の先にはピンク色のアミグルミ。かわいい、と目に留まったものの、何気ない口調で、めずらしいねとか意外だねとかいわれるのが怖い。雪子とおそろいにしようか、と視線を移すと、晃が千枝の身長では届かない棚のそれをとったかと思うと千枝に差し出した。


「え?」

「あれ?ちがうのか?悪い、勘違いみたいだ」

「いや、その」


千枝は顔が赤くなる。見られていたらしい。あ、かわいいね、と雪子が笑う。



「か、かわいいけどさ、ちょっとアタシのキャラじゃないかなーって」

「そうか?昨日も似たようなやつクレーンで欲しがってた気がしたけど」

「えーっと」

「似合うだろ、女の子なんだから」


え?君も女の子だよね?とつぶやくと、晃は苦笑いした。ますます赤くなるのを感じる。なんでどきどきしてんだ、アタシ!晃は女の子!女の子!そりゃ男の子みたいだし、実際に男の子にいわれたら、そりゃうれしいだろうけどさ、晃は男の子!必死に暗示をかける。ときめいた自分がわからない。千枝はなかなか女の子扱いされず、心のどこかで雪子をうらやましく思う自分がいる。だが率直に女の子扱いされるのにもまた、なれてはいない。千枝は言葉を濁しつつ、なら買おうかなあ、とぼやいた。二人のやりとりを見ていた雪子が、小さく持っていたカバンをもつ手が白くなる。少しだけ、うつむいた。晃が振り向く。


「千枝と雪は、おそろい、とか買ったりはしないのか?」

「え、あ、うん、たまに買うよ。この前はシャーペンだったっけ?千枝」

「そうそう、四つ葉屋でかわいいのがあってね。そーだ、雪子もこれ、買う?」

「あ・・・・・・うん、そうしよっかな」

「このストラップ、赤ないけどいいのか?」

「うん」

「そーだ、せっかくだし晃のチョイスでいいんじゃない?」

「私が?雪が選んだ方がいいんじゃないか?」

「ううん、せっかくだし、お願いできるかな」

「じゃあ、これ、か?雪が悩んでるのと柄似てるし」

「ありがとう。せっかくだから晃ちゃんも買ったら?」

「え、あ、いや、私はあんまりこういうの好きじゃないから」

「えー、せっかく来たんだしさ、記念だよ記念」

「いや、でも」

「晃ちゃん、女の子っぽいのがいやなら、こういうのもあるよ?」

「うーん」


雪子は顔をほころばせた。千枝もおもしろくなって参戦する。二人のごり押しで、晃も携帯に水色(黒とか紺いろチョイスだったので妥協だ)のストラップをつけることになった。おそろいの言葉にどことなく複雑そうな晃は、雪子から昔からこういうの恥ずかしいんだよねと指摘されて曖昧に笑う。たまに買ったおそろいのアクセサリは大抵部屋に置き去りにされていたと当時の不満を思い出した雪子とそれは困ると笑った千枝の強行採決だったのはいうまでもない。



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