メメントスは、大衆意識から生まれた欲望の吹き溜まりである。だれもが持ち得る強すぎる感情から生じたゆがみは時にパレスとなり、メメントスから独立して孤立無援の領域となる。そこの主の意識を投影した人間が生まれる。認知上の人間、とモルガナは称した。まるでクローンのようにそっくりだが、現実世界ではいっさい影響を与えない、いわば偽物だと。その偽物はこまったことに、メメントスが大衆意識であるが故に、大衆がイメージするものが具体化してしまうことがよくある。
凶悪事件が起こるたびに規制線が張られ、物々しい警備体制がひかれ、その中に入っていく武装をした集団を目撃した大衆によって生まれた悪魔討伐隊と出会ったのは数日前の話だ。銃声が響くのに、情報規制がかけられ、内部で行われている掃討作戦の内容が全くわからない。軽率にその様子をネット上に乗せようとしても、決まって不自然な形で圏外になってしまう。それもこれも悪魔によって魔界化してしまったエリアの奪還作戦のため、悪魔の掃討を行っている。しかも敵がスマホを通して悪魔を召喚するのを防ぐためのジャミングなのだが、なにも知らない一般人にとっては凝り固まったイメージは覆しようがない。悪魔の存在は非公開が原則だ。
認知上の悪魔討伐隊は、ランダムで出現し、突然経路を道路封鎖してしまう。自己生成される迷宮が一本道だった場合、怪盗団は無理矢理突破することになる。困ったことに侵入者に対しても問答無用で攻撃を仕掛ける彼らである。見た目は普通の人間である。しかも中には来栖たちが顔を合わせたことがある、アキラやツギハギ、といった人間によく似た顔があるのだ。やりにくいことこの上なかった。
ようやく銃撃戦が終わりを告げ、来栖は息を吐く。認知上の存在は死んでしまってもすぐ復活する。はやいとこ、封鎖された場所を突破しなければならない。たいてい黄色いテーピングがされている。その先は大衆が知らないためだろうか、何かを隠している、という期待からか、高い確率で宝箱が出現するのだ。
「よし、宝箱だ」
この間作ったばかりのピッキングツールを使用して、宝箱をあける。中には貴重な宝石が入っていた。そういえば悪魔討伐隊は悪魔と交渉するために宝石を集めて回っている。怪盗団にとっても貴重な取引先だということを考えれば、ほかにも宝石を集めて回っていることをしっている人間がいるのかもしれない。なにはともあれ宝石をしまい込んだ来栖は、振り返る。認知上の悪魔討伐隊はランダムに出現する、シャドウとは異なる存在だ。倒してもうまみがないため、基本的に状態異常にして戦闘終了をもくろむ。今回も混乱している彼らは自滅を繰り返している。
来栖は混乱状態にある彼らがばらまいたお金を拾いあつめる。次々に倒れては不定形のなにかに戻り、近くにある排水溝の中に吸い込まれていく様子をながめていた。広範囲にかけられた混乱の効果はテキメンで、敵味方の判断すらわからなくなった彼らは差し違えたり、自滅したり、スキルカードやお金をばらまいたりして、次々に倒れて消えていく。
たいてい最後まで残るのは、状態異常に耐性があるのか、モデルとなった仲間のように運がバカ高くてそもそもかからない個体のいずれか。今回はアキラによく似た個体が残った。
偽物か、そうでないかはすぐわかる。アキラの怪盗服は白と茶色の和装の上から青色のコートを着ているのだ。そして左手にはガントレットとよばれている端末がついた機械仕掛けの腕の装備。偽物は悪魔討伐隊が悪魔掃討作戦を決行すると着ることになっている服装のはずだから、自衛隊やSWATとよく似た服装なのだ。だから、目の前にいるアキラは大衆のイメージでできあがったよくわからない部隊の人間である。
「アキラ」
返事はない。ただ、呼ばれたことに反応した気がした。一瞬驚く来栖だが、ありえない、とすぐ否定した。あたりまえだ、彼はアキラの姿をしているだけで、よくわからない部隊、という概念が形になっただけなのだから。大衆は悪魔を使役していることを知らないから、偽物は悪魔を召喚してこない。武装している剣や銃で攻撃してくる。それでも自身のエネルギーを転化して精製する攻撃だ、一定数をすぎると転化するマグネタイトが枯渇してなにもできなくなる。回復要員をつぶしてしまえば、ただ殴ってくるだけになる。今の来栖には回避すらたやすい。振りかぶった勢いで剣は壊れかけのLEDを破壊し、あたりに破片が四散する。一瞬あたりが暗くなるが、電気で光っているわけではない。すぐに原理不明の光があたりを照らす。剣が突き刺さり、抜くのに手間取っている偽物を来栖は捕まえた。
「捕まえた、なんてな」
抵抗する身体を羽交い締めにする。認知上の存在を好きかってしても、本人にはなんら影響はない。来栖は舌なめずりした。いつか、ほんとにこんなことができたらいい。たった2つしか違わないくせに、いつもいつも子供扱いしてばかりいるアキラが悔しくてならない。だからって偽物に八つ当たりするのはどうかと思うのだが、この衝動は定期的になにかにぶつけないといつかアキラにぶつけてしまいそうな気がして怖かった。さんざん弄んだあと、アキラに似た誰かさんは来栖の腕の中で不定形にとけ、どこかに消えていった。
いつも空虚な気分になる。無性にアキラに逢いたくなった。メメントスから帰還した来栖は、その足で最寄り駅のターミナルに向かう。夜から非番だと聞いていた。
『今どこ?』
『蒼山一丁目』
『学校?』
『メメントス』
『お願いチャンネルかな?』
『そんなとこ。アキラは?』
『渋谷』
『ターミナルいく』
『了解、待ってる』
ターミナルを抜け、いつもの見慣れた渋谷駅の雑踏にとけ込む。待ち合わせ場所と添付された画像と同じ看板の下に、アキラが運転する車があった。スマホをみているアキラの助手席側を叩くと、気づいたアキラがあけてくれた。
「あれ、モルガナは?」
「竜司たちと回転寿司にいった。たぶん、今日は誰かの家に泊まるんだろ」
「ん?メメントスにいったんじゃ?召集かかってないなとは思ってたけど。来栖君、まさか一人で?」
「そのまさか。ほしいスキルがあったから潜ってた」
「はあ?!なに考えてるんだ、来栖君。いくら君がシャドウをペルソナにできる力があるったって、危なすぎるだろ!なに考えてるんだ!」
「ああ、ごめん。そこまで考えてなかった」
「あーもう、意味分かんねえ。時々キャラが行方不明になるよな、来栖君て。未だに謎だよ、そこらへん」
苦笑いを浮かべながら、アキラは後方を確認し、ウインカーを出す。
「ほんとになにやってんだろ、僕。これ買ったときには女の子乗せてる予定だったんだけどな」
「武器じゃなくて?」
「うるさいな。たしかに見られて困るものしか積んでないけど、そこまで寂しい大人になるつもりはなかったんだよ」
ネオンがまぶしい渋谷のスクランブル交差点を抜ける。
「僕と違って来栖君は女の子たちとデートに忙しいようだし、夜景でも予習してみる?」
「アキラよりは使う機会があるかもな」
「ほんと辛辣だな君」
アキラは職業病の悲しさを背負っている。今の東京の電力は、地下にある無限発電炉ヤマト、魔界からマグネタイトを変換し電力にする技術で無尽蔵に供給をうけている。おかげでイルミネーションは年々派手さをましている。おかげで魔界と現実世界をつなぐ穴は大きくなり、悪魔もわき出しやすくなる季節の到来だ。そこにたくさんの人がやってくるとなればもう、悪魔討伐隊にとっては連日連夜ぴりぴりした日々のはじまりでもある。
こないだのハロウィンなんか地獄だった、とアキラは来栖をみる。仕方ないだろ、こっちだって用があったんだ、と来栖は目をそらした。あまりにメメントスが活性化しすぎて悪魔がよってきてしまい、連日連夜その掃討に追われた不眠不休の毎日を思い返す目は据わっている。あまりに忙しすぎて来栖たちにSOS出そうとしたら、まさかの既読無視。しかもハロウィンの影響で混雑しすぎて、武器商人やアルバイト先にたどり着けないから、昼もターミナルをつかわせてくれ、ときた。さすがにキレたアキラはメメントス経由でいけとぶったぎり、数日SNSに出没することをやめたら来栖から謝罪がきたのである。あの来栖が謝ったとにわかにタイムラインが騒がしくなったが、どこからどう見ても自業自得である。ようやく機嫌を直したアキラから久しぶりにドライブに誘われたのだ。
雑談をしながら車は首都高速湾岸線出口からすぐの大黒ふ頭西緑地にでた。ベイブリッジを真下から望むことができる夜景が広がっている。
「たしかにきれいだけど、車じゃないとこれないだろ、ここ」
「相手が免許持ってるだろ?」
「そういう問題じゃない」
「そう?」
「そう」
わかってない、といいながら来栖は反対側にある工場の夜景に目を向ける。ちょっと距離がある。いつも中華街に竜司と遊びにいくから、ちょっと変な感じだ。さすがに車と電車では見える景色が違って当たり前だが。
「坂上君たちは寿司だっけ。なら僕たちも食べにいこうか、みなとみらい」
「アキラのおごりだよな?」
「メメントスで稼いできたんだろ、集るなよ」
「年下におごらせる気?」
「先輩にたかるな、割り勘だ、割り勘」
「えー」
「えーじゃない」
ほらほら、のった、と後ろからぐいぐい押され、アキラは車に押し込められた。車はみなとみらいにむけて走り出す。ベイブリッジ越しにマリンタワーが近づいてくる。反対側にあるスカイツリーがどんどん遠ざかっていった。
「ちょっと寄りたいところがあるんだ。いいかな?」
「いいけど、どこ?」
「んー、夜景がきれいなところ」
「ふーん」
山下公園を抜け、中華街を通り過ぎ、桜木町駅方面に向かう。日の丸がある交差点を通り過ぎると、ランドマークタワーやコスモワールドが見えた。ライトアップされている赤煉瓦倉庫を通り、ようやくアキラは大桟橋に車を止める。ようやく来栖はずっと口が開いていたことを思い出す。ここまでくる道のりはずっとイルミネーションがきれいだった。初めて東京の秋から冬にかけてのイルミネーションをみることになる来栖は見入って当然である。うーん、と伸びをしたアキラは息を吐いた。
「のど乾いたな。来栖君もくる?」
橋の向こうにある自販機を指さすアキラに、来栖はうなずく。デートスポットなのだろう、カップルがちらほらいる。車が運転できるようになったら来るか、相手に道案内してあげたらいいんじゃないかなとアキラは投げやり気味にいった。自販機のあたりまでくるとカップルずれからは距離ができる。屋根が死角になるようだった。こっからの眺めもなかなかだろ、と笑うアキラに、来栖はうなずいた。あーさむい、と缶コーヒーをカイロがわりにしながら、首をちぢこませる。来栖はコーヒーを飲み干した。白い息がとけていく。
「アキラ」
「ん?」
「ここが寄りたいところ?」
「そうだよ、ここ。きれいだろ、夜景。人が見えなくなるから、二人きりになるにはちょうどいい。変わってなくて安心した」
「来たことあるんだ。彼女できたことないのに?」
「そうだよ、あるんだよ、実は。姉さんと彼氏が連れてきてくれた。今思えば僕同伴じゃないと夜のドライブは許してもらえなかったんだろうな、たぶん」
「へえ。じゃあ、アキラに隠れてなんかしてたかもしれないんだな」
「ああ、たぶんね」
「こんなこととか?」
「来栖く、?」
言葉はからめ取られてきえた。
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