ペルソナ4 第1話
ペルソナ1話

「いらっしゃーせー!」

駄目だ、何度聞いても吹き出してしまう。コントローラの意味深な振動を感じながら、くくくっ、と私は肩をふるわせた。ニコニコ動画のとある実況プレイ動画がきっかけで、今まで全くしたことがなかったこのシリーズを買いにGEOに走って、早数ヶ月。攻略サイトも本も封印してやっとこさたどり着いたのは、ノーマルエンド。千枝に気が引けて他の女の子達との恋人フラグを全てへし折ったのはいい思い出だ。不思議なことに二週目となると自重できる自信はない。仕様なのだろうか、おそろしい。自然と6股を目標にしている私がいる。引継ができるとはいえ、また初対面の春から開始なのは寂しいが、勇気などのパロメータがすでに振り切れている主人公の誕生だ、まさしく番長と言うにふさわしい。今度こそ序盤で選択できなかった台詞を選んでやる、と言う意気込みがわいてくる。


それにしても、オス、というたった二文字で、あの堂島さんを引かせるとは一体どんな感じで返答したのか気になる、一週目は無難によろしくを選んだ私だった。




時計を見ると、もう八時だ。そろそろ支度をしなくては。カレンダーでセーブした私は、そのままテレビを切った。 支度を済ませて、カギをかける。マンションを出る。その足で大学の講義棟へ向かう。
確か3,4時間目の体育が休講のため、今日は午前中だけしか授業に出なくてもいい日程だ。一限目はともかく二限目はビデオ講義で感想を記入して終わりだったはず。ラッキーだな、と考えながら、携帯をチェックすると昼飯の誘いが来ていたが、ゴメンと断る。今日はペルソナ4をやりたい気分なのだ。ただでさえ導入部が二時間を超える(3からのお約束らしいがあいにく私は未プレイだ)長編シナリオを一度こなした身としては、さっさと終わらせて二週目の特典を楽しみたい。科目名と教室を一応確認した私は、残念なことに友人が一人もかぶっていない授業を受けに向かった。

一限はあっというまだった。

休み時間中に一番奥の席を陣取る。英語の予習プリントを引っ張り出して、辞書を傍らに埋めていく。空き時間は意外と長い。この講義の先生は出席が早く、もう出席カードが回ってきた。在籍番号と名前を書いて隣に一席空けて座った男子学生(どの学部かも学年かももちろん名前も知らない)に回す。グループのようで、会話が聞こえてくる。ビデオ上映中にモンハンをする気らしい。お前らね。


真っ暗になった教室。おそらく受講者数は200前後。わりとみっちりしていて、肌寒くなってきたと言うのに、少々暑い。だからか私と同じ列の窓を背にする誰かが、いくつかの窓を開けていて、カーテンが揺れるたびに光が漏れていた。先生のマイク越しの声に従って先に配られたプリントに名前などを記入しておく。 ビデオ上映開始。

問題提起に対する自分なりの解答を書くらしい。ビデオの要点をかいつまんで並べ立て、もっともらしい理論を繋げて、最初に考えた結論に持っていく。一度明るくなり、15分ほど時間が始まる。あと30分も授業があるが、どうやら残りは自由観覧らしい。テストにも出るとほのめかす発言が聞こえるが、私はさっきからうとうとしていたので、睡魔に勝てずにそのまま意識を飛ばした。
やはり、暖房器具を早々に押入から出すべきだったか、と反省した。だから朝早くに目が覚めて、ゲームをすることになるのだ。気をつけよう。自己完結した私は、思った。夢を見ていると自覚せざるを得ない状況下に置かれたとき、私は混乱するどころか冷静になる人間だったらしい。あまりにもシュールな夢だ。私は、一呼吸置いて辺りを見渡した。


夢を見ているにしては、あまりにも鮮明で、五感も冴え渡っていて、現実と見まごうばかりの心地がするが、だまされてはいけない。なぜならば、私は今、ほんの数時間前に下ばかりのゲームの世界の教室に存在しているからだった。夢と呼ばずになんというのだろう。

私は、女子の制服を着ていた。あのスタイリッシュな制服だ。はは、と少しばかり笑いがこみ上げてくる。それとなく身体を触れてみる。やはり、そうか。私はかつて高校生時代に極めてプライベートな問題をかかえていたのだが、そこまで完全に再現しなくてもいいだろうに、変なところで現実主義なのは私が見ている夢だからだろう。ということは、病院に定期的に通院している、と言うことになるのだろうか。それとなくカバンをみると、やはりビニル袋が見えた。…あまりにもシュールすぎて閉口した。

教卓で説教を延々と話している諸岡先生(やはりあの奇抜すぎる外見と微塵も共感できない口調、発言自体は筋が通っており正論にもかかわらずなぜか肯定したくない、あまりにも損している存在だ。もったいない)。私の隣はメガネをかけた男子生徒だった(文化祭の実行委員だった生徒のはずだ)。ちら、と見れば里中や天城、そして花村もいる。主人公はいない。それとなく髪を抜いてみる。黒だ。つまり、私イコール主人公ではない。
一体どうして私はこんな夢を見ているのだろうか。どうせなら主人公になって、みんなの中心にいたいというのに。どうしてわざわざ生徒Aになって傍観しなければいけないのだろうか。少しばかり不満だったが、仕方ない。まあ、いいだろう。それはそれでおもしろいではないか。どうせ夢なのだ。何時かは覚めて、忘れてしまうのだ。精一杯楽しもうじゃないか。そこまでの思考にいたるまで、あまり時間はたっていなかったらしい。


席替えをする、と委員長らしき女子生徒(おそらく授業開始持に号令をかけていた生徒だろう)が前に出て、ルーズリーフに番号を書いてハサミで切っているところだった。いつの間にか隣の席の男子生徒が、黒板に席と思われる◇を並べている。なるほど、男女混合にするのか。ろくに諸岡の話を聞いていなかった私だったが、周囲の発言や不満を総合すると、どうやらこれが最初で最後らしい。普通月1の頻度ではないのか。ゲーム中は全く疑問にもはさまなかったが、思えばこれも諸岡が嫌われる一員だったのか、と思うと納得だ。できれば花村達の近くがいい。こっそりと会話している分を聞ければ、それでも十分おいしいだろう。委員長がやってきたので、私は言われるままに紙を引き、番号を覚えてそこに名前を記入して別のかごに入れる。後で座席表を書くらしい。どのあたりだろう、と私は立ち上がると黒山の人だかりに近づく。ずっと探してく。そして、ふり返って、確認する。……もしかして、花村の隣だろうか。うわ。これはラッキーと言うべきなんだろうか、運が良かったというべきなんだろうか、私はただ遠巻きに彼らの様子が確認できればそれで十分満足だったのだが。むしろ巻き込まれたくない…夢だからそこまでのご都合主義はさすがにないだろうが、むしろ夢だからこそあり得そうで怖い。なるべく不自然ないように、いこう。私はふう、とため息をついて、ご丁寧に高校時代愛用していたカバンを再現してくれたそれを片手に、花村の隣に向かった。




天城の隣にいるらしい男子生徒に、変わってくれとぶつぶつつぶやいている花村は、言わずもがな、却下されて口をとがらせていた。はあ、とことさらにため息をつかれる。私の印象をそのままに反映しているためか、不運が第一印象(何せ初登場で種なしの危機に瀕して、しかもテレビで膀胱炎というパンチ付きだ。仕方ない)。里中と天城は会話に夢中でこちらに気づいていない。会話の相手を失った花村は、大きく脱力して、ふてくされた様子で机に突っ伏していた。私は花村をなんだと思っているのだろうか、と小一時間考えたいと思う。さすがにもっと愛想良く何処かに行っていそうなのに。…よほどショックだったのだろうか。


「幸先わりいなあ」

「それはこちらの台詞だ。初対面のくせに、ずいぶんな言いようだな」

「うをっ!!」


がばっ、と勢いよく後ろをふり返った花村は、ぎょっとした様子でこちらを見上げる。気配や足音を忍ばせたせいだろうか、一瞬素の花村が覗いた気がする。驚きが治まってくると同時に、ちょっとだけ覗く本音。いらっとした顔。いきなり後ろに立つんじゃねーよ、なんだよこいつ、なんかムカつくな、失礼な奴。舌打ちすら聞こえてきそうだが、空気を読む能力に長け、しかもそれを悟らせないように周囲が抱いている印象を完璧に被って雰囲気すら貼り付けることができる花村がそんなへまをするはずもない。すぐにお調子者の花村の顔になる。全部わかっているが、あえて気づかない振りをする。今の花村にとってはそれが普通だろう。私も影村より花村の方が好きだ。どちらも彼だとしても。


「おいおいおーい、いきなりなんだよ、びっくりしたなあ!っつーことは、もしかして お隣さん?オレ、花村陽介ね、よろしく」

「ああ、よろしく。神薙 晃というんだ。仲良くしてくれると嬉しい」

「おう、もちろん。やっぱ初めてだよな?前のクラスじゃ見たことねーし」

「そうだな」


前のクラスなんて知らないが。話し相手ができて嬉しいのか、さっきの不快感は払拭されたらしい。私も同感だ。私は席に着席し、初対面をいいことに仕入れておくべき情報(もしうっかり口に滑らせて、先ほどのような表情をさせないためにも。おそらく花村は一瞬冷え込んでしまう自分をひどく嫌っているきらいがある。ペルソナ4のキャラ達はいずれも人間らしい影を持っている。私はいずれも大好きだ)を入手する。もちろん私についても公開しておく。ジュネス関連の先入観や負の感情を花村には持っていないと認識できたらしい。またあしたな、と言われ、手を振って別れるほどには仲良くなった。さて問題は、私の家はどこにあるか、と言うことである。











家が何処かわからない。私は途方に暮れた。


高校時代を忠実に再現した私のリュックは、携帯が入っていない。
かつての母校は携帯の所持自体を禁止し、ばれた場合保護者を呼んで契約破棄を強いられるような厳格な規則がウリの高校で、たいていの生徒は携帯を持たないか持っていても高校に持っていかないかのどちらかだった。私は後者で、もし持っていたとしても充電が面倒で平気で放置していた。携帯を頻繁に使うようになったのは、大学進学後に全ての個人情報を暗記するのが面倒で全て登録してからだ。だから連絡を取るには公衆電話を探す必要があるが、残念ながら八十神高校に公衆電話はない。今は2011年、しかも携帯は認められていて、公衆電話自体は平成に入ってから減っている。大した理由がないのに、職員室に助けを求めても貸してはくれないだろう、家がわからないなんて話しても冗談だと一蹴されれば終わりだ。


定期が出てきた。どうやら私はバス通のようだが、期限はなんと今日までである。生徒手帳を広げてみた。当時、私は少々個人的な問題を抱えていて、祖父母に預けられていた。ご丁寧に反映されていて、真っ先に祖父母の携帯番号、すぐしたはおそらく祖父母の家の電話番号が書いてあり、両親の携帯番号はなし、実家の固定番号しか書いていない。このときは今思えば、両親と弟とは少々距離を置くべき時期だったので、仕方ない。不仲というわけではないのだが、私も家族もあまりに近くにいるとじっくりこの問題について向き合えないし、受け入れられなかっただろうことはよくわかる。

なぜ祖父母が携帯をもっているのか。それは、専業農家の延長で直売所を園芸試験場と契約して行っていた祖父母の手伝いに駆り出されるからだ。この稲葉市に反映されるとしたらジュネスに地元の野菜として出荷されていることだろう。公衆電話さえわかれば連絡が取れそうだ。電話帳を広げれば「神薙」なんて珍しい名字だから一発でわかるだろうが、あいにく表示された集落名がわからないし、地図帳を広げるのも面倒だ。




私はまばらになり始めた教室を後にする。木造校舎はいいな、と思った。校舎をのんびり探索したいところだが、うちに帰れないと本気でしゃれにならない。ぶっちゃけ校舎内の詳細な場所などゲーム中はスキップを多用していたので覚えていない、だいたい特別教室なんて使わないし。いくら田舎とはいえ木造建築なんて校舎が残っているのはまず有り得ないだろう、戦後直後じゃあるまいし。耐震の問題で2006年あたりで全国の高校は改装を強いられたし、鉄筋じゃない校舎は名物になってもいいレベルだ。ちなみに私の母校は私が二年生の時に改修工事が始まり、卒業式はプレハブ小屋というシュールさを強いられた。




げた箱が何処かわからない。たしか主人公は真ん中あたりにあったはず、と私はずらりとならんだ木製のげた箱入れをきょろきょろと見回す。残念ながら出席番号なんて忘れた。どうやら男子と女子で別れているらしいげた箱の一角に、運動靴のつまさきとかかとにでかでかと「神薙」と書いているところがあった。まごうことなき私のげた箱だ。名前をわかるところに書いておかないと平気で借りたり、盗んだりするバカが一人はいるのが田舎の高校である。たいてい一度は盗まれるとそれが友人でないかぎり二度と帰ってくることはない。履き替える。そして私は玄関を出た。

ソメイヨシノがきれいに咲いていた。はらはらはら、と舞っている。むしろ舞いすぎである。懐かしいなあ。まあかれこれ、うん年振りの高校だ。一度は社会人を経験し、もう一度大学に入り直した身としては、今更ながらコスプレしている気分である。やめとこう、恥ずかしくなってきた。無駄に時間を取られてここまでようやくたどり着いたためか、生徒の数はまばらである。ばいばい、と校舎前で別れたり、自転車小屋でしゃべっているこたちを見ると、いやでも自分の異様さを自覚する羽目になる。まるでキオクソウシツにでもなった気分だ、高校時代を再現するのなら、ただでさえ少なかった私を受け入れてくれた友人達を出してくれてもいいだろうに。ああ、早く帰りたい。


何よりも、私の生物学的な性別を自覚させられる制服を、一瞬でも速く着替えてしまいたかった。


「もしもし、お祖母ちゃん?おれだけど、今八十稲葉駅。ごめん、今日で定期切れるの忘れてた。買いに行きたいからさ、迎えよろしく。うん、えーっと、14800円、ああ、そう、3ヶ月定期。 おう、じゃ、よろしく!」


八十稲葉駅は無人駅である。さいわい公衆電話はまだあった。がちゃん、と受話器を切り、外に出る。三十分くらいだろうか、時計を見ながら私はベンチを探した。たしか早々に宿題が出されていて、花村と里中が絶叫したはずである。





トラックで定期を買い終えた私と祖母は、そのまま天城屋旅館に向かっていた。なんでだっけ?と忘れた振りをして聞いた私に、祖母は何も知らず教えてくれる。私の叔母(父の姉)は、八十神市特産の野菜を扱う専業農家に嫁いだらしい。そこのお姑さんは天城屋旅館のお手伝いさんとして働いていて、そのつてでときどき育てた野菜を出荷するそうである。ちなみに今回は、以前お裾分けしてもらったお刺身のお礼として、お花を届けにいくらしい。ろくに集落に済んでいるご近所の屋号を覚えない私に、祖母はもっと付き合いを大事にしなければいけない、と笑って忠告した。

「今は忙しいみたいだし、倒れないといいけどねえ、女将さん。雪子ちゃんは確か同級生だったわね?なんか言ってた?」
「さあ?今日同じクラスだってわかっただけで、別に仲いいわけじゃねえしな。まあ、なんか里中としゃべってたけど、なんかつかれてたっぽい」
「まあ、毎日取材とかパパラッチとか大変だって、美保子サンいってたしねえ。それにしても、仲良かったのに、高校に入ってからすっかり距離置いちゃったわね、晃ちゃん」

私はこわばるのを感じた。そもそも私の中の思い出で、最も私という希有な存在を受け入れ、かつ親しくしてくれた友人は、旅館をそっくりそのままペンションに置き換えただけの天城の位置に相当する。たまたま知り合い、自己紹介する中で縁を感じて、親しくなった経緯がある。つまり、この夢の世界では私を理解してくれた彼女は、存在しないということだ。天城がそのポジションのままならば、赤の他人のごとく花村との談笑にふけっていた私を無視するはずがない。突然態度が変わった、と驚いたようなそぶりは微塵もなかっただけに、私は祖母の話が信じられなかった。どういう位置づけなのだろう、私という存在は。私は彼女と、そしてもう一人いる。入学初日に仲良くなった、男女かまわず気軽につき合える、里中と花村を足してわったようなもう一人の友人のつてを頼って、かろうじてクラスメイトたちと繋がっていた。……私は考えていた以上に、孤立していたようだ。


「仕方ないだろ。男に免疫ないっぽいし、もう近づきずらい」
「晃ちゃんがそう言う態度だから、じゃないかしら?男の子だろうと女の子だろうと、ちゃんと話せば晃ちゃんのことわかってくれるわよ。勝手に門を閉じないの」


わかっているけれども、この世界での私が今どういった状況に置かれているのか、もう少し把握しないと身動きがとれない。わかってる、とこわばってしまった私の表情を、ぶっきらぼうに感じたのだろう祖母は、またぶーってしないの、と朗らかに笑った。





天城屋旅館は、想像以上に大きい。さすがは稲羽市で一番大きな旅館である。やはりゲーム越しにみるより、実際に訪問してみた方が老舗の歴史が一目瞭然だ。車内で待ってる、といったのだが、どうやら祖母は私が天城と会うかもしれないことを警戒していると勘違いしたらしい。運んでくれとばかりに花たばのはいったバケツを抱えて私は一緒に裏口の玄関まで同行する羽目になった。正直気まずくて、私は直立不動である。

「あらら、神薙さん!いらっしゃい」

「この前はあんな上等なお刺身ありがとうね、これ、お礼に。あとこれ、漬けて食べるとおいしいから、どうぞ」

ありがとう、どういたしましての応酬である。私はメンドクサイ社交辞令だとしか思えないが、当人達はとても嬉しそうだ。私はどうぞ、となるべく目を合わせないようにしつつ、頭を下げると、ビニル袋を女将さんに渡した。あらあら、と受け取った女将さんは番頭サンを呼んでいる。バケツから花をあげ、差し出されたバケツに移し替えていると、女将さんに声を掛けられてしまった。

「あら、もしかして晃ちゃんかしら?久しぶりねえ、大きくなって」
「……どうも」

むろん初対面である。知りもしない幼少期の思い出を語り出され、無断で話の餌にされてしまい、ふたりの会話がヒートアップする。やはり端々では客人である例のアナウンサーのストレスを発散したいらしい。女性のストレス発散はやはりおしゃべりらしい。私はますますいたたまれなくなり、苦笑している番頭サンに声を掛けた。 トイレと適当にでっちあげ、私はお邪魔することにした。どうせあと30分は終わりそうもないだろう。





母屋と旅館は別である。当然ながら借りたのは、母屋の方。天城に会っていくか、と聞かれたが、私はすぐ帰るので、と断った。天城と私の関係がどうなっているのか、今日登校日で半日同じ教室にいただけではわからない。私は距離感に酷く敏感なタチである。ただのクラスメイトと化している天城とどれだけ親しかったのか、祖母との会話だけではわからない。小学校中学校と同じだったらしいが、天城は里中と中学校以来の付き合いのはずで、一番の親友同士であるはずだ。友達、と一概にいっても、当人達だけにしかわからない距離感というものがある。あいにく記憶までは継承されていないので、どう仲良くなってどう距離を取っていったのか私にはさっぱりなので、わかるまでは距離は取ったままの方がいいだろう。意外と学校生活の友人関係は、繊細で、複雑で、当人達にしかわからないことはたくさんあるのだ。


もし、私の個人的な問題が発端だったなら、と連想するだけで、身がすくんだ。ああ、私の高校生活は恵まれていたのだ、と今更ながらに実感する。そういうわけで、ろきょろ、と廊下を確認しながら玄関に向かう。不審者ではないが、正直天城には会いたくない。










私はちょうど母屋と旅館を繋ぐ通路にさしかかった。


中庭が見える通路にさしかかる。おそらく庭師が毎日整備しているのだろう、立派な日本庭園だ。錦鯉が泳いでいる。暫し足を止め、見とれていた私は、遠くで祖母が呼んでいるので、返事をした。





そして、見納めに、ともう一度ふり返って、見てしまった。




中庭をはさんで、ちょうど向かい側。しかもぎりぎりの敷居とガラスの間。アナウンサーが酷く憤慨しながら人を呼んでいるのが、かすかに聞こえる。そして、そのそばで警察らしき若い男が、アナウンサーと激しく口論している様子を、私は見てしまった。何気ない風景だが、真相を知る私は怖くなって逃げた。だから知らなかった。私の走り去った後、私のいた方向をみつめて、意味深に笑う警察が居たことなど、知るはずもなかったのである






今日の日程は、午前中は朝のいろいろな決め事会議の後、大掃除と中庭の草むしり。午後は一年生向けのオリエンテーションを中心に、部活動紹介や生徒会からの報告、春の地方予選に向けた応援会などの特別スケジュールが待っている。基本的に朝から体操服、ジャージ姿が許される。ささやかな気が休まる時だ。


バス通および電車通の学生は朝が早い。一時間に一本しかないローカルの弊害だ。私はあくびをかみ殺し、涙をぬぐう。ただいま、7時5分。35分間私は狭い公共バスにゆられることになる。一回500円。素晴らしく高い。そして15分かけて高校まで歩くことになる。


八十神高校は徹底して自由な校風らしい。なにせパーマも、髪の毛を染めるのも、化粧をするのも、スカートを短くするのも、指定外色の服を上から着ていても一切お咎め無しである。髪の毛を染めようものなら職員室に連行され、強制的に染色材をオトされ、保護者を呼ばれて三者面談行きだった高校自体とはえらい違いで驚いてしまう。髪の毛の色でも届けを出していなければ、基本的に疑われたものだ。少子化で私立に生徒を取られてしまうことへの危機感から、保護者や近所などの世間体をよくするために厳格な校則をしいた我が母校は、そのおかげかなかなかに評判がよく、定員割れを起こすことは少なかったが、八十神高校は真逆の方針をとっているようである。地元とはいえ、生徒は高校を写す鏡である。普通、乱れている、荒れている、というイメージはマイナスにしかならないと思うのだが、どうやらこの街は地元住民がわりと寛容的でありながら子供を母校へやりたがる保守的な土地柄らしい。進学率が半数以下というのもまた、珍しい。普通田舎の公立校は国公立大学への進学率を誇示したがるものである。方針が一切変更される気配がないということは、すなわち閉鎖的なのだろう、いい意味で。なるほど、かのひとが事件の舞台に選んだ理由がわかる気がする。すばらしく、完結しているのだ。



本日二日目。学校に着いた頃には、8時ちょうどを指している。残念ながら特別日程の朝の朝礼は9時15分からである。仕方がないので私はさっさと教室に行くと、荷物をロッカーに放り込んで、職員室に向かう。かつての私が反映されているのなら、私はブラスバンド部であり、ホルンやチューバ、トロンボーンを兼ねていた。ブラスバンド部は、応援会はたいてい体育館の隅っこで演奏をしながら、入場してくる選手達を歓迎することが決まっている。さっさとチューニングや練習を済ませないと。持ち運びもなかなかに大変なはずだ。失礼します、と私は静かに職員室の扉を開けた。


「ああ、神薙、ちょっといいか」


諸岡先生に呼び止められる。ちょっとこい、と応接室に手招きされ、私は身構えた。職員室の奥にある応接室への生徒の呼び出しは、説教と相場が決まっている。しかも担任だ。何かしたっけ、と思いつつ私はうなずいて後に続いた。幸い他の先生方は数人しか来ていらっしゃらない。私は促されるままに、座った。


「お前をもつのは初めてだからな、すぐにでも話さなきゃならんとおもっとったんだ。とりあえず、いろいろ聞きたいことがあるんだが、いいな?」

「はい」

「桂木先生(おそらく保健室の先生だろう)から資料や話は聞いているんだが、正直俺は理解できん。だが、一応教師としてはしっかりしようとは思っているから、正直に応えてくれ」

「わかりました」

「まず、お前は、その……性同一性障害とかいう病気らしいな。それは、同性愛とは違うのか?ジャージで授業に出席したいという要望が届いているが」

「違います。性同一性障害というのは、私がお母さんのお腹にいた頃、なんらかの原因でホルモンバランスが崩れて、身体が女なのに、脳を作る過程で男のホルモンが過剰に出されて、真逆になってしまったことが原因、と仮説されている病気なんです。原因は不明らしいですけど。私の場合、私は「男」ってはっきり自我があります。だから「女」が好きだから男役になろうとしている同性愛とは違います。たぶんその人達は自分が「女」だって自覚した上で同性を好きなんだと思います。……正直最近まで、私は身体は女だけど、男だから女を好きになるのは普通だけど、その人達はおかしいって思ってたこともありました。えっと、そういう訳で、できたらなんかの式以外はジャージで過ごしたいんです。スカート嫌なんで」


ふうむ、と諸岡先生は考え込んでしまう。性同一性障害は同性愛とはちがう、と確固たる線引きは主張したい人によってかわるようだし、もちろん同性愛を自覚していく中で性同一性障害だと診断されるケースもある。ココロと身体が一致しないという違和感が嫌悪感として表れることが症例としてあげられ、自己肯定がとても低くなり、自己嫌悪や否定にかられて、鬱病に陥る人も多いらしい。もちろん嫌悪の感じも個人差があり、我慢できる人は無自覚なままの場合もあるし、耐えきれない人は徹底的に拒絶して不登校にまで追いやられることもあるらしい。そもそも周囲にこの個人的な問題を話すかどうか、という大きな課題がある。とても複雑で繊細な問題だから、ゆっくり説明していくしかないだろう。


私の場合、幼少期から男っぽいと言われることは多く、女の子より男の子と遊んだり、話したりする方が好きだった。強烈に意識したのは、小学校・中学校で義務づけられた制服に強烈な抵抗感を覚えたことにあると思う。どうしてか説明できないから、友達もクラスメイトも先生達にも納得させることなんてできず、わがまま、ととられ、孤立することもあった。家庭環境を問題視する人もいて、お母さんやお父さんには迷惑を掛けたと思う。お互いに散々ぶつかり合って、ずっとずっと苦しかった。私は追いつめられて、衝動的に自分を傷つけることがあって、心配したお祖母ちゃんにつれられて精神科の病院に駆け込んだのがきっかけだった。大学の先生を紹介されて、じっくり自分に向き合って、でた答えがこれなのだ。


「わかった。とりあえず、お前がしっかり受け止めてるってことは、わかった。だがなあ、お前は今のところその説明を、同じクラスや部員の連中に話すほどの勇気はないんだろう」

「そう、ですね。正直、そこまでは、ちょっと」

「無理解と思うかもしれんが、この学校はあくまで公共だ。お前だけじゃない。たしかにお前は難しい問題を抱えてるかもしれんが、特別を求めるなら周囲を納得させるだけの環境が整ってないとダメだ。しっかり向き合って、話し合って見ろ。自分ばかり権利を主張しても、それだけじゃ難しい。まあ、こちらもそれなりに配慮はしてやるから、思い詰めることだけはするな」

「わかりました、ありがとうございます」


やはりダメだったようだ。白鐘はいいくせにどうして私は駄目なのだろう。理不尽さが際立ち心がざわざわとするが、感情に任せてぶつけた意見は周囲に納得は残さない。どうせ卒業したら二度と踏まない土地になるのだからことを荒立てるのもと考えると多少落ち着いてくる。当時は思春期特有の自己顕示欲がない交ぜで苦労したものだ。頭を下げて応接室を出た。高校時代はあと3年だと我慢できるだけは落ち着いていたので耐えられるだろう。ふうと息を吐く。


「あ、神薙先輩、おはようございます」

「ん、ああ、おはよう」


えへへ、と節子、じゃなかった松永綾音が笑って近づいてきた。よかったです、朝の準備の時間、間違ってるんじゃないかって心配で、と鍵を持ってほっとしているあたり、やはりどこの高校もやる仕事は変わらないらしい。やはり私はブラスバンド部の金管楽器を担当しているようである。正直、一年生の入学体験は主人公と同時期のはずではないか、と考えていた私は少々面食らっていた。たまにいるのである。小中と希望の部活がなく、高校でようやく入れると意気込むあまり部活入部届けも出さずにやってきてしまう一年生が。この子のトロンボーンに掛ける思いはコミュニティをMAXにしたのでよく知っている。よっぽど好きなんだな、とほほえましい。


「まだ演奏できないのに、無理言っちゃってごめんなさい。でもやっぱり、早く手入れしてあげたくて」

「一人では大変だと思っていたから、ちょうどいい。いこう」
「はい!」


イスや楽譜をおく台を体育館まで運んだり、大量の楽器を運ぶために教室の机やイスをすべて隅に追いやったり、以外とその他の準備も忙しいのだ。もちろんチューニングやメトロノームの準備、楽器を暖めることだって大切だ。うん年振りに楽器に触れられる懐かしさで、私はすっかり忘れていた。夢と言うには、いささか長すぎるこの高校生活。あまりにもとけ込んでいる私という存在の違和感。私が気づかないまま、ゆっくりと、浸食は始まっていた。


委員と係が縦書きで並んでいる。めんどくせえなあ、とぼやいている花村は、部活に入っていないため、名前だけでも書いておかないと諸岡先生がうるさいのだと愚痴っていた。やはり楽な委員は人気がある。あとでジャンケンするらしい。がんばれ、花村に里中。保険委員ならあの後輩君に会えるだろうか(残念ながらフラグをたてるのが遅すぎてランクが5止まりだった)。でも試験前なら普通図書館で主人公は一度くらい、友達を連れて勉強するだろうし、図書委員もおいしいだろう。何故か1年周期の図書委員はなかなか手が上がらないので、私は手を挙げて置いた。へー、と花村は私を見る。まじめなんだなあ、と感心されても困る。打算と煩悩に満ちているのだ。そういや、と小声で花村が聞いてきた。


「神薙、モロキンになんか呼び出しくらってたみたいだけど、大丈夫か?」

「呼び出し?相談にはのってもらってたが、別に大丈夫だ」

「相談?あのモロキンが?ホントかよ」

「ああ、案外な。ところで、なんで知ってるんだ?」

「時間間違えて早く来ちまったんだよ。ほら、日直は日誌取りに行かなきゃだめだろ?職員室。だからついでにと思ったら、お前見かけてさ。あ、やべ、はいはーい!オレもジャンケン入ってるって!」


あわてて花村は教卓に直行する。よく見れば黒板の右端に、今日の日付と曜日、そして花村と誰か知らないモブの女子生徒の名前が書かれていた。そう言えばまだ私ともう一人、運動部以外という条件付きの図書委員は決まっていない。かつては私と親友がいつも定位置で、神薙さんたちでいいよね?と私たちを繋いでくれたリーダー格の女子生徒(あいにくもう名前は覚えていない)が尋ねに来てくれるような状況だった。まあ、だれでもいい。私はぼんやりと前を見ていた。花村と里中がなにやらこそこそと相談している。どうやら水面下の交渉の末、里中がなるかわりに、すでに里中が決まっていた係に花村が移行するらしい。帰ってきた花村は上機嫌だった。


「花村、お礼にとっておきのDVDかしたげる!」

「え、いや、いいって!」

「いやいや、恩は必ず返すからさ」

「あーどーも」


カンフー映画のDVDなんていらないっての!感想とか聞かれても困るから!と断り切れなかったらしく、私にぼそぼそと文句を聞いてくれとばかりに垂れ流してくる。十分おいしい。里中が一番好きな私としては、彼女の新たな一面がこうしてかいま見れるだけでおいしいものだ。自然と笑顔になる。着実にゲームまでのフラグは進行しつつある。マジかで見られるというのはいいものだ。


そろそろ図書委員をはじめとした、あぶれの空欄にジャンケンで負けたり、どれでもいいと意見を放置したりしていた人達が動き出す頃だ。天城さん、どこにする?と委員長。雪子、旅館の手伝いで忙しいからあんまり来れないもんね、と里中がフォローしていた。


そのとき、天城が振り返ったのでつられて私と花村も里中も視線がむく。素敵な思い付きをしたというにはあまりにも慎重に私と花村の会話を眺めていたらしく、そして勇気が必要だったのか微妙にテンパりながら天城が私をみつめた。なんだなんだと無意識のうちに身構えた私に、天城はみるみるうちに表情が勢いまかせに言い切ろうとしたのがつまずいたかのようにしりすぼみになっていく。


「晃ちゃ、ううん、神薙さん。迷惑かけちゃうけど、いいかな?」

「……ど、どーぞ」


私の返答が素晴らしくぎこちなくなったのは、仕方ないと御察し頂きたい。まさかの名前呼び。しかも花村も里中も委員長も、そして何より私自身がちゃんづけされるなど、誰が予知できようか。天城はなんだか悲しそうな顔をしているが、記憶を継承していない私はさっぱり意味がわからない。微妙な沈黙が落ちた。え、えと天城さんは図書委員だね!と委員長は走り去り、え、神薙、お前天城と知り合いなの?と花村に素で聞かれ、里中にも同様の眼差し。ただどちらかというと天城に向いている気がする。私は逃げたい衝動に駆られたが、天城がじ、と見てくるので、私はゆっくりうなずいて、笑みを貼り付けるしかなかった。張りぼてにもかかわらず、にっこりと嬉しそうに笑う天城が余計私のココロをえぐる。頼むから私の親友と同じような形容をしないでくれ。言いかけた叫びは、もちろん沈黙に沈む。里中と花村の質問攻めが天城に集中し、私はとりあえず一字一句彼女との設定に不備がでないよう、全霊を掛けて話を聞き、振る舞いを迅速に決めるしかなかったのである。









prev next

bkm
[MAIN]
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -