待合所があるエリアにようやくたどり着いた来栖は、迷うことなく全面ガラス張りの大型の待合室に飛び込んだ。多数の椅子が設置され、たって電車を待つことができるようにスペースも確保されているそこは、怪盗団にとって休憩の合図らしい。シャドウの出現する確率がとても低いことも相まってようやく一息つくことができる。自動販売機、無人の売店が鎮座しているが、そこにある新聞、雑誌、軽食はどれもよく似たなにかであり、読むことはもちろん食べることはできない。残念ながら個室を提供するほどのスペースはないらしく、周囲を囲っており冷暖房完備なところが再現されている程度にとどまる。それでも、モルガナカーには冷暖房がなく、現実世界の環境が反映されるメメントスではこれから夏に向かう季節柄、単純に暑いのだ。一歩はいればひんやりとした空気があたりを包む。あーつかれた、とモルガナは大きく伸びをする。おつかれ、と来栖から水筒を渡されたモルガナはうれしそうに受け取ると一気に飲み干した。来栖から渡されるお茶に置いておいてくれ、といいながら側の椅子を叩いた祐介は、その返事を待つことすら惜しいのか熱心にスケッチを書き込んでいる。祐介の向かいに座ったアキラの隣で、悪魔絵師はぱらぱらと溜まったデッサンを眺め見ている。記憶の中に刻まれたものと向き合うように鉛筆を走らせている。来栖はアキラにもお茶を差し出した。
「ありがとう」
一応携帯食は持ち込んでいるが、冷えたお茶があるならそちらの方が体も喜ぶだろう。お言葉に甘えて受け取ったお茶を口にすれば、ひんやりとした感覚が一気に身体を落ち着かせてくれる。ようやく精神的に落ち着くことができそうだ。
「アキラたちはどうしてここに?なにか事件でも?
「いや、違うよ。この人は僕の組織の開発部の人でね、メメントスのことが知りたいから連れて行ってくれって頼まれたんだ。いわゆる護衛任務。来栖君は?」
「似たようなもの、だな」
「みたいだね」
アキラは苦笑いした。悪魔絵師も祐介もお互いに似たようなことをしているにも関わらず、スケッチブックに目を向けたままいっさい口にしない。ただ黙々と作業を進めている。これならあちこちモルガナカーでかけずり回らなくてもよかったのに、とすっかり身体を来栖に預けてリラックスモードの黒猫はぼやく。どうやら彼はコウセイの美術の特待生であり、マダラメのパレスを攻略した時の衝撃から極度のスランプに陥っているらしい。その脱却に向けてメメントスという新しい題材に目下挑戦中なのだという。集中し始めたら周りが見えなくなるのだ。来栖がつゆ払いを申し出た結果、今日はずっとメメントスに潜りっぱなしなのだという。
「元はといえば、ジョーカーが悪いんだぞー」
膝の上のモルガナの両頬をつかんでぐりぐりし始めた来栖の目は笑っていない。
「なにすんだよ、ジョーカー!元はといえば、ジョーカーがフォックスの約束いつまでも放置すっからワガハイまで拉致られたんじゃないかあ!」
「うるさいモルガナ」
「やめろおっ!八つ当たりすんならスカルにしろよな!フォックスにジョーカーの忙しさの理由ちくったのスカルだぞ!」
「スカルはいつかシメるからいいんだ。今はモナ」
「なんでだあっ!」
羽交い締めにされてくすぐられ始めたモルガナは、ひいひいいいながら涙目になって大笑いし始める。アキラは助けを求められるものの、来栖の目が若干マジになっているため、流れ弾を回避することを優先することにした。先輩のSOS無視するな新入り、とモルガナの悲鳴が聞こえるが、リーダー命令で待機を命じられてしまえばアキラは肩を揺らしながら待つしかない。ひとしきり笑った後、気づけばモルガナがくすぐられて疲れたのかぐったりと伸びていた。
「一応、理由を聞いてもいいかい?」
「いいのか?」
モルガナを盾に使われ、次はお前がこうなる番だと言外に言われ、アキラはやめとくよと笑った。
「さっきからなにを楽しそうにしてるんだ、おまえたち」
ようやく次回作の構想に納得がいったのか、不思議そうに来栖たちを見てくる祐介にモルガナは恨めしげに見上げるだけだ。捕まった宇宙人のごとくぶらさがっていたモルガナだが、来栖はようやく膝の上に戻した。
「いや、なんでもない。それより、かけたのか?」
「ああ、テーマについては方向性が固まった。今度は構図、構想、想像を膨らませるにはデッサンあるのみだ。今日はとことんつきあってもらうぞ、ジョーカー」
「はは、フォックスは熱心なんだね」
「俺の協力をしてくれると言ったのは、他ならぬジョーカーだからな。だが、モナが言ったとおり、多忙な男だ。約束を取り付けるのも一苦労でな、スカルが深夜にメールすることを教えてくれなかったらもっと遅れるところだった」
「それについては謝るよ、フォックス。でも、ここのところ毎晩真夜中に爆撃して、メメントス、ルブランで夕飯の繰り返しはそろそろ勘弁してもらいたいんだけどな」
「なにをいっているんだ。前は町医者、その前はゴシップ記者、その前は占い師、メイド服の女だ。真夜中のメールをやめたらお前はまた俺の誘いを断り続けるだろう。約束は早いもの順だといったのはお前だろう」
「確かにそうだけど、限度がある。今月の奨学金はどうしたんだ」
「もうないからルブランに世話になってるんだが」
「いいかげん、そのよくわかんねえものにお金つっこむ浪費癖なおさねーとやばいんじゃねーか、フォックス?」
「ふん、モナはわかっていないな。何事も経験からだ。有名になった画家はいずれも様々な女性遍歴や人間関係、人生経験があってこそ、その豊かな表現力が磨かれた。その片鱗はジョーカーがみせてるじゃないか。さすがはリーダーだ」
「いやそれ違うと思うぞ?」
「フォックス」
「ん?なんだ、ジョーカー」
「・・・・・・天才か」
「だろう!」
なにいってんだこいつら、とモルガナは大げさにため息をついて見せた。
「なるほど、これがアキラ君がこれから入団する怪盗団か。ずいぶんと楽しそうだね」
悪魔絵師はようやくスケッチブックから顔を上げた。大きなサングラスから表情は読みとれず、その恰幅の良さからくる威圧感がある。しかし、人好きのする笑みと落ち着いた口調から警戒心はなくなった。画材を片づけながら悪魔絵師はスケッチブックだけ抱えてアキラの隣に改めて腰を落ち着ける。祐介はようやくアキラの同行者に興味がわいたようで、なにやら思考を巡らせる。
「もしかして、画集を出されたことがありますか?」
「ん?ああ、まあね。これでもささやかながら個展や画集といった活動をしていた時期もあるよ」
「やはりそうか、なら、何度目かの画集の企画で、斑目と、いや、斑目先生と対談したことがありませんでしたか?」
「よく知ってるね」
「俺は、いえ、僕は斑目先生に師事していたんです」
「ああ、なるほど。そのときにもしかしたら会ったのかもしれないね。僕は展覧会に出展するのではなく、商業絵を描いていた人間だ。それでも、斑目先生はどこか印象に残ったらしくてね、あちら側からの提案だった。興味深かったことを覚えているよ」
だからか、と祐介はひとりごちる。目の前の男が描くものは非常に特徴的だ。斑目の家に住み込みで絵ばかり描いていた頃、斑目が編集者が持ち込んでくる企画の資料として持ち込んでいた表紙をすぐに思い出すことができた。商業絵を作るデザイナーとの対談は非常に珍しかったことも相まって祐介の印象に残っていたのだろう。ピカソや岡本太郎を好んだ斑目にしては珍しい対談だったから。
「今もそういった活動を?」
「いや、ここにいるからわかるだろ?僕は今アキラ君の組織にいるんだ。そして多くの悪魔について描かせてもらってる。その悪魔を生み出した人間の想像力の源泉になったものが是非とも描いてみたいんだ。その悲願を達成するためにも、こうしてメメントスにつれてきてもらったというわけだ」
たんたんとではあるが、饒舌に語る悪魔絵師にアキラは祐介が気に入ったんだと言うことがすぐにわかった。スランプ気味だという祐介はその語りをうらやましそうに見つめている。俺も是非ともその境地までいきたいものだ、という言葉は少々落ち込んでいるようにも見えた。
「僕はアキラ君の組織に入るときに名前は捨てた。今は悪魔絵師と名乗っている。人のうちに住まう神と悪魔を描く絵師とね。また会う機会があればそう呼んでくれたまえ「
「悪魔絵師、ですか」
「悪魔ばっかり描いてるから悪魔絵師か、すんげえな」
「悪魔を描いているということは、俺たちが知らないシャドウについて知っているんですか?」
「今日シャドウに会うのは初めてだったけど、どうやらシャドウは悪魔とは違った形で絵に魂が宿ったようだね。だから、君の問いにはYESと答えるとしよう。しかし、あれでは本物とは呼べない。もう少し修行が必要なようだね、シャドウを生み出している誰かさんは」
「なら、ワガハイたちが知らないシャドウの情報、もらえるかもしれないな!」
「その程度ならいくらでも渡すよ。ただし条件がある。君たちのペルソナを見せてもらえないか?ペルソナが使える人間はとても少ないからね」
「わかった。怪盗団らしく取引といきましょう、よろしくお願いします」
「悪魔絵師に会いたいなら、僕に連絡をくれれば仲介するよ」
「ありがとう、アキラ」
「どういたしまして」
「誤ったイメージは現実に直面することで修正されるが、自分というイメージだけは修正することができない。修正できるチャンスはそう多くはないが、答えはいつもすぐ近くにあって遠いものだ。それを捕まえれば迷うことはないだろう。君の悩みも解決するといいな」
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