「え、こられない?」
スマホ越しに困惑するアキラの声が聞こえてくる。来栖はすっかり水っぽくなってしまったアイスコーヒーを飲みながら、様子をうかがってみるがまだまだ電話は長くなりそうだ。えー中止かよ、せっかく杏殿の誘い断ってきたのに、と来栖の鞄の中でモルガナが不満そうにぼやく。
もともと気が滅入る依頼だったから、注意になるならそっちの方がいい。そう来栖は思う。悪魔退治を手伝ってほしいという、アキラに言わせれば陰鬱な声が指定してきたのはフロリダ。深夜の12時。さすがに真夜中出歩いているところを見つかり、補導されて佐倉に話がいってしまえば、ようやく勝ち得た信頼が一気に失われてしまう。それは困ると仲介のアキラに頼み込み、なんとか時間をずらしてもらったのに、肝心の依頼人が遅刻、しかもこられないかもしれない、もう約束から1時間もたっているのにだ。はあ、と何度目になるかわからないため息のあと、アキラは申し訳なさそうに戻ってきた。
フロリダで名前を出すと、すでに依頼人の名前で予約が入っており隅の席に案内された。この時点で嫌な予感はしていたらしい。遅れるかもしれないが絶対に待っていてくれと言われていた時点で。
「もう少しまとう、来栖君」
「じゃ、そのあいだの料理は来栖もちな!」
「うん、仕方ない。いいよ、僕が誘ったしね」
「やった!なにする、ジョーカー?」
「そうだな、じゃあ、これを」
「おごりとわかった途端容赦ないな、君」
「ばっかいえ、ビックバンバーガーのチャレンジ制覇する男だぞ、ジョーカーは。サンドイッチひとつで腹一杯って柄かよ」
「たしかにそうだ」
アキラは苦笑いして、万が一今回の依頼がキャンセルになった場合の段取りを組み始めた。時間をつぶすついでに店内を見渡していると、カウンターに若い女性が一人いる。ボックス席には中年の男女が座って談笑している。ここにいるのは悪魔に関わる職業の人間ばかりだそうだから、きっとふつうの職業の人はいないのだろう。フロリダはいつもより客足が少ない。どうやら依頼も少ないようでマスターはいつもよりひまそうだ。
オーダーを頼んで料理が並び、夕飯をかねた食事も終わり、すっかり皿が片づけられた。そろそろ悪魔討伐隊の本部に行って悪魔絵師の依頼を受けようか、とアキラが提案してきたころ。突然の轟音が響く。ドアを蹴破って入ってきたのは悪魔だった。押し止めようとしたカウンターの女性が強烈な一撃を食らって豪快に吹っ飛ぶ。あやうく巻き込まれかけた来栖はアキラに誘導され、難を逃れた。なんだなんだと飛び出したモルガナは自身が二足歩行の姿になっていることを確認する。どうやらフロリダがメメントスと現実世界の境が曖昧になる現象に飲まれてしまったようだ。中年の女が悲鳴を上げる。男はマスターに声をかけ、女をスタッフルームに押し込んでいる。
「アキラ君、頼んだよ!」
「はい、わかりました。マスターはツギハギさんに連絡、お願いします」
悪魔退治の専門家がいてくれて助かった、とマスターの言葉を背に、青いコートをなびかせアキラは魔獣に拳銃を向ける。
「ワガハイたちも行くぞ、ジョーカー」
「ああ、いわれなくてもわかってる。平穏な時間は取り戻させてもらう」
討伐が完了したことを知らせているアキラの隣で、モルガナは大きく伸びをした。
「ほんと物騒だな、悪魔をけしかけてくるなんて、どこの悪い奴なんだ」
「まったくだ」
「ワガハイたちも気をつけような、ジョーカー」
「ああ」
ツギハギへの連絡を終えたアキラをマスターが呼び止める。どうやら依頼人も悪魔の奇襲に会い大けが、今回の依頼は延期、穴埋めはいずれする。代わりに今フロリダにいる家出した娘をこっちまでつれてきてくれないかという依頼だったらしい。
ようやく目を覚ました女性は、よく見ると背伸びしたいお年頃の女子高生だった。
「助けてくれてありがとうございます」
お辞儀する彼女に事情を聞いてみる。
「私、滝水ケイといいます。ごめんなさい、ご迷惑おかけして」
ケイは父親が悪魔使いであり、何度かここに来たことがある。ちょっとした喧嘩で行くところがなくなり、ここで時間をつぶしていたらしい。お父さんが大けがをしたと聞いて、さすがに顔色が悪い。衝動的な家出のようだ。ケイがいうには、今回の悪魔襲撃は父親が追いかけている悪魔からの報復らしい。人間に化け、人間社会に紛れ込んでいる宿敵は、こうやって何度もケイたちを襲撃するらしい。けがをしたら宿敵の思うつぼだ。傷が重いなら動けない。入院場所がアキラたちの組織とつながりが深いところだと判明してちょっと安心のようだ。
「お父さん、おかしいんです。ここのところ、お父さんもお母さんもおかしくて。ちょっとしたことで怒られて」
滝水が追いかけている悪魔について、ケイはなにも知らされていない。ただこれを肌身話さず持っていろといわれただけだ、と差し出されたのはお守りである。どうやら悪魔を寄せ付けない由緒正しい神社のもののようだが、アキラは管轄外である。詳細はわからない。葛葉に聞けばわかるかもしれないがそれはまた別の話だ。
送ろう、と来栖が提案すると、さすがに父親が大けがを負ったとなれば気分も変わったらしい。ケイはあっさりとうなずいた。悪魔退治の専門家がいることも心強いようである。そしてケイは来栖たちにつれられて、吉祥寺の郊外に足を踏み入れたのである。
「ケイ、なにをしていたの!」
玄関を開けるなり血相かえてかけてきた母親の悲鳴がひびく。ごめんなさい、と縮こまるケイに母親はあきれ顔である。人様にまでご迷惑をおかけして、とめまいを覚えるのか、頭が痛いのか眉を寄せた。そしてアキラたちに気づいた彼女はどちら様でしょうかと困ったように続けた。
「私をここまで護衛してくれたの」
「護衛って、まさか、ケイ、またヘアリージャックにおそわれたの?大丈夫だった?」
「うん、大丈夫。来栖さんと津木さんが助けてくれたの」
「まあ、そうなの?こんなに若いのにデビルサマナーだなんてすごいわね。娘を助けてくださりありがとうございます。ってことは、ケイが家出したときお父さんが連絡入れていたのはあなたたちだったのね。ところでうちの滝水は?」
「今治療を受けています。命に別状はないかと」
「えっ」
「申し訳ありませんが、滝水さんの希望で入院先をお教えすることはできません。俺がくい止めるから心配するな、という伝言を預かっています」
「・・・・・・そう、ですか、ありがとうございます」
「お母さん、なんでお父さんそんなことになってるのに、なにも教えてくれないの?私のこと嫌い?」
「滅多なこと言うもんじゃないの!ケイはもう寝なさい、今何時だと思ってるの!」
「お母さん!」
「お母さんはこの子たちとちょっと大事な話があるから、ほら、ケイは先にご飯たべなさい。夜食用意してあるから」
おなかが空いているのは事実なのだろう。不満げな顔をしたままケイは引っ込んでいった。大きくため息をついた母親は悲しげに目を伏せる。もう限界かもしれない、とつぶやかれた言葉は悲痛に満ちている。
「ねえ、来栖さん、津木さん。うちの旦那からの依頼はケイをうちまで送り届けることなんでしょう?それなら、お金は出すから、別件依頼を受けてはもらえないかしら?」
「どんな依頼です?」
「うちの旦那が追いかけている悪魔の目的は私なの。だから、送り届けてくれないかしら?そこですべて終わらせるから」
A:母親の依頼を受ける
B;母親の依頼を断る
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