ペルソナ4 第11話
ペルソナ11

人が生きる世界を「表」とするなら、まったく同じ風景でありながら人が全く存在しない、代わりにシャドウと呼ばれる存在が生きているこの世界は、さしずめ「裏」といえる。ジュネスのテレビから出入りする都合上、月森たちはこの世界を「テレビの世界」と呼んでいるとはいえ、ここはまさしく異界だった。常に空には月と思われるものが存在し、世界は赤と黒のストライプが交錯する不気味な配色に覆われている。月森たちが月だと便宜上呼んでいるそれの満ち欠けによってシャドウは色濃く影響を受けているようだ。いつもなら月森たちとの実力差を察知して逃亡を試みるものですら、満月になると狂気に駆られ、理性を失って牙をむくことがある。それならば満月を回避して、と考えるのが普通なのだが、この世界の月は、月森たちの世界の月の満ち欠けと連動しているわけではないのだ。恐ろしいほどのスピードで刻々と変化していく不思議なものである。そのため、月森たちはこの世界を徘徊するときには、決まって注意深くあたりを見渡しながら、祈るような気持ちで空を見上げるのだ。


月森たちにとって、新月もまた別の意味で避けなければならないものだからである。おなじはずのシャドウであろうと、月森たちのような人間であろうと、出会う者には容赦なく死を与える者がこの世界に突如出現して、跋扈するからだ。その出で立ちはさまざまだったが、共通して骸骨だった。その白骨化した空洞の向こう側におぞましい何かがこちらを覗いている。相手に死を与えることに存在意義すら見い出す、死神のような出で立ちをしたシャドウは、恐ろしいほど強かった。初めて出会った時、勝負を挑んだときの絶望感はもう二度と味わいたくないのが本音だ。全滅しなかったのは、ひとえにクマが帰還できる作用を持ったアイテムを持っていたからに他ならない。今の月森たちの実力では到底勝てそうもない相手だったから、運悪く遭遇した時、月森たちは逃げの一手を選択するしかなかったのである。最悪、ペルソナの何体かは生贄に捧げて、その隙に逃げ出すことしかできないこと嫌というほどわかっていた。


今は満月でも新月でもない、弓のような三日月である。さいわい、今の月齢はまだ若い。ペルソナの復活のために、ベルベットルームに引き返す事態を避けることができて、とりあえず、みんな安堵のため息である。月森たちの目の前には、小西先輩によって出現した稲羽市商店街のバス停から不自然な形で繋がっている温泉街が広がっている。本来ならばその中央の通りをのぼっていけば、稲羽の山と自然を堪能できる名店として全国に名を知られた旅館がある。しかし、この場所を作り上げた人間の影響で跡形もなく消え去ってしまっている。あるのは日本家屋の温泉街に突如出現する、西洋風の立派な城だ。すべてが燃えるように真っ赤に染め上げられた城、それを中心に繁華街のように広がる温泉街。あまりにも違和感がある存在だった。





正方形が等間隔に並べられている大理石の床を革靴がこつこつと音を立てる。豪華絢爛なシャンデリアと金色の燭台に照らされて、何重にもわかれた薄い影が煌々と揺らめいた。黄金色の縁取りがある真っ赤なじゅうたんが延々と続いている廊下。天井まである高い窓ガラスは真っ赤なカーテンに覆われていて、外の風景を見ることはできない。時折黄金色の彫刻が施された白亜の柱と巨大な絵画が目を休めてくれるが、どこまでも続く原色の威力は強力だ。クマからもらった眼鏡によって、体調不良に陥る霧が遮断されているはずなのに、脳天がくらくらするのはきっと薄暗い真っ赤な空間にいるせいだろう。いつシャドウに襲われてもいいようにと携えている武器の重さを感じながら、月森は何度目になるか分からない階段を駆け上がる。


「なあ、なんか今日はシャドウ多くね?」


疲労の色が見え始めている花村に、賛同するように月森がため息をついた。


「いつもより多いな。それにこっちに気付かれることも多い」

「あ、やっぱそーだよね。なんかさ、いつもよりシャドウが強い気がするのは気のせい?」

「気のせいじゃねーと思うぜ、里中。なあ、月森?」

「ああ」


かちゃりと音を立てて月森は眼鏡を外した。あたりを見渡して眼鏡をかけ直す。


「このあたりに立ち込める霧が濃くなってるんだ。オレたちがシャドウに気付くのが遅れてるのか、シャドウがオレたちに気付きやすくなってるんだろう」

「うっげえ、まじで?」

「まじ最悪じゃん、はやいとこ雪子を助けないといけないのに」

「落ち着いていこう、二人とも」


こくり、と二人はうなずいた。月森は一番後方にいる、このメンバーの中で唯一眼鏡を掛けていない神薙を見下ろした。月森の視線に気付いた神薙は、その不躾な視線が不快なのか不機嫌そうに真一文字に口元を結んでいる。ぎらぎらと輝いている強烈な金色は、神薙の体の主導権を握っているのがシャドウであることの証明でもある。この世界はシャドウしか存在しない世界であり、異端者は月森たちの方である。だからこの世界の住人である神薙のシャドウは、月森たちのように眼鏡は必要としないのだ。我が物顔で槍を振り回し、先行する月森たちによって始末し損なったシャドウが神薙とクマめがけて襲い掛かってきた時に、容赦なく串刺しにするくらいの気概はある。無言のまま見上げてくる神薙に、そんな怖い顔しちゃやーくまよ、とぽてぽて歩いてきたマスコットがたしなめる。うっせえ、と口の悪いボヤキが溶けて行った。はじめこそ、ふたたび現れた強烈なシャドウの気配に悲鳴を上げて硬直してしまったクマだったが。こうして幾度もシャドウの攻撃を目の前で粉砕してくれる神薙の後姿をみて、しだいに怯えなくなってきた。つかうくま?とカパリと開いた後頭部から取り出した飲料水をさしだされた神薙は、受け取ったものを見つめていたが、興味なさそうにそのまま月森に投げ渡した。がーん、とクマはショックの眼差しである。里中と花村は笑った。ありがとう、と笑った月森はプルタブをひねった。うっかりアキちゃんと呼んでしまい、無言でジオを撃ち込まれたクマである。花村とおなじように呼び捨てにすることにしたらしく、アキラに渡したのにぃ、と不満そうに頬を膨らませた。


「晃、全然疲れてないねえ。やっぱシャドウだからなの?」


シャドウはいつもの神薙なら絶対に見せない、ニヒルな笑みを浮かべた。そっかあ、と里中はその笑みを肯定ととったようで、一人で勝手に納得したのか頷いている。それは自嘲なのか、嘲りなのか、月森はわからない。ただ里中の言うように、初めてこの世界にやってきたにも関わらず、神薙は全く疲労を感じさせない足取りで月森たちについていっている。呼吸ひとつ乱れない。汗すらかかない。シャドウとの戦闘すらあっさりとこなし、本来なら四苦八苦するはずの魔法の発動や攻撃のタイミング、武器の誓い方に至るまでまるで初めから分かっているかのように、完璧にこなしてしまう。でも、さすがに経験則では月森たちに劣るので、前線にはでていない。もっぱらとどめを刺し損ねた残党を潰す、クマのアナライズ情報を月森たちに叫ぶ、アイテムを投げ渡すくらいの役目に収まっているが、涼しい顔で平然としているのを見ると、さすがに異常性を感じざるを得なかった。月森の視線に気付いたらしい神薙のシャドウは目を細める。


「なに不思議そうな顔してやがる、月森。シャドウが活発化する時期が近付いてんだ、俺が調子いいのは当たり前だろうが」

「月齢の影響はうけないのか?」

「さてね。この身体で満月や新月を迎えたことは無いから、どうともな」

「神薙はどうしてる?」

「今、こいつの主導権は俺が握ってるからな。五感も思考も俺が塗り潰してる状態だ、いまアイツがどうなってるのかはわからねえよ。すべて遮断された状態なら、暗闇の中にいるのか、深い眠りについてる状態なんじゃねえか。所詮、俺はこいつがもってるはずの一つの感情が、関連する記憶と一緒に独立して自我を持っただけだ。あいつが拒否してる以上、共有化なんざできるかよ」


「そうか、そうだよな。これがペルソナとシャドウの違いなのか」


「だろうよ。ったく、めんどくせえ。さっさと俺が神薙の一部だとこいつが認めれば、こんなめんどくせえことしなくていいのによ。どこまで拒否る気だ、こいつ。うんともすんともいいやがらねえ」


どこか寂しそうな表情をのぞかせるシャドウに、月森は神薙の抱えるものの大きさを垣間見た気がした。人はひとつの感情にずっと留まっていられるほど暇ではないし、その時の感情をそのままの状態で永遠に保ち続けていられるほど我慢強くもない。やがて経験として記憶に代わり、感情は風化していき、心の疼きを感じることはあっても当時の心境をそのまま再現できなくなっていく。何倍にも薄めた状態で、ようやく飲み干すことができるものもあるだろう。でも、あるキャパシティを超えてしまうと、それができなくなってしまう。だから本能として忘却という防衛手段に出る。神薙の場合、記憶の深淵に眠っていたはずのそれが目を覚ましてしまったのが今のシャドウと神薙の関係になるのだ、と体の主導権を握る男は言う。口ではなんとでもいえるくせに、シャドウがペルソナにならない時点で存在を認めていないのは明らかだろうが、偽善者め、と悪態をついたシャドウは吐き捨てた。月森はなにもいえなかった。知らなかったから気付けなかった。このシャドウがしれっと言い放つことは、本来の意味から考えればあまりにもえげつないことも。神薙の知らない間にどんどん埋められていく外堀の危険性も。月森はそうかとしか言えなかったのだった。


「アキラもセンセイも、なあに難しい話してるクマかー!全然わかんないクマよ、入る余地ないからつまんなーい、考え過ぎて頭がくらくらするクマよ。っていうわけで、ポテロング食べてもいーい?」

「こーら、クマっ!こっからいい話系の流れだったのに、なんで割り込んでくんだよ!折角オレも里中も黙ってたってのに、空気よめ!」

「そーよ、そーよ!それにポテロングは食べちゃダメだって、クマきち!これはあたしたちにとっては生命線なんだからね!あんたは何にもしてないじゃん!こっちはすっごく疲れてんの、いらいらさせないでよね!」

「えええええっ、ヨースケはともかくチエちゃんまでーっ!?ひっどいクマーっ、クマはこれでも頑張ってるのにーっ!ね?アキラ。アキラは見てくれてたクマよね!?クマの華麗な活躍劇!特等席で見てたよね!?ヨースケたちにいったげてー!」

「は?」

「うあーん、センセェーっ!」


みんながクマをいじめるくまぁー!と抱きついてきたクマに月森が苦笑いする。それをみつめるシャドウの眼差しは冷ややかだ。シャドウは本来ものを食べないし、飲まないし、そもそもその必要がない、全く違ういきものである。クマがシャドウであることを忘れているために、月森たちを真似して、物を食べたり飲んだりしていることがシャドウにとっては滑稽でたまらないのだ。おなかすいた、という感覚すら学んだものだと知らないクマは、そもそもその行動自体がシャドウにとっては異端であること自体忘れてしまっている。神薙という人間だった記憶があるだけで、もうシャドウという存在に身を落としてしまったのが神薙とかつてよばれていた男の末路だ。目の前にいるのは、その真逆の方向に歩み始めたばかりのシャドウがいる。これから人間になるためにいろんなことを学んでいるクマを、神薙のシャドウは冷たい眼差しで見つめていた。ついと視線をそらして前を見据える。里中と目が合った。


「どったの、晃。なんかいる?」


は、とシャドウは笑った。


「そりゃそうだ。ここらへん、かなり危ねえぞ。まったくつまんねえ、気に入らねえ世界から、お前らの世界に流れ込める場所だ。それに時間も近付いてるからな。そりゃあ、お祭り騒ぎになるってもんだ。そうだろ?」

「あっちゃー。やっぱ、アタシらの世界とこっちの世界が繋がっちゃうって、シャドウも分かってんだ?」

「オレ達は知ってるさ。ここはそういうところだ。昔からな。ここんところ、いろんな奴らが増えてるから、お前らといるのも退屈しないで済みそうだ」

「それって、やっぱり天城とか小西先輩とか、いろんな人がこの世界に入ったせいで、どんどん八十神稲羽が出来てるからか?」

「それもあるけど、真夜中テレビを見てる人間が増えてるからじゃないか?花村」

「あー、シャドウはオレたちの感情の断片だもんなあ。見てる奴らの影響も受けてんのか。それってやべーじゃん、どんどん増えてくってことだろ?こええ」

「だーかーら、チミたちにそれをなんとかしてもらいたいって言ってるの!」


クマはぷんぷんと怒るのだ。クマが知っている世界はもっと静かな場所だった。でも、真夜中テレビが始まって以来、定期的に霧が濃くなり、シャドウは狂気に駆られて凶暴化するのが常態化してしまっている。クマが知っているシャドウよりも知らないシャドウの方が多くなってきており、月森たちをサポートするのも一苦労らしい。月森たちがいない間、シャドウから身を守るために必死で逃げたり、隠れたりするしかないマスコットはわりと苦労人である。


「わーかってるって。真夜中テレビの犯人を突き止めて、止めさせればいいってことだろ?天城を助けられたら真夜中テレビも終わるしな。しばらくは静かになるだろ」

「そうだといいクマ」

「よおし、そろそろいこっか、月森君」

「ああ、そうだな」


月森たちは螺旋階段をゆっくりと登って行った。









雨の日の0時、一人で消えたテレビを見つめると、自分の運命の人が見える。八十稲羽市に伝わる都市伝説は、実行したクラスメイトたちが同じ人間を目撃したことで、運命の人という部分は否定され、代わりに少々内容が変化していた。彼らが見たのは不倫していた女性アナウンサーが社会的な立場と世間の人気、そして邪な関係を築いていた男を奪われ、多額の慰謝料を請求されて発狂しているところである。そして、昼ドラマも真っ青な修羅場展開が続いた挙句、現実を受け入れられなくなった女性は首をつって自殺した。そこまでが真夜中テレビのおおまかな内容である。アナウンサーのファンだった男子生徒が一番鮮明な映像で真夜中テレビを目撃出来ていて、名前くらいしか知らない男子生徒は砂嵐のような画像の中で、展開されるドラマを目撃したものだから、その人間に興味がある人間がより詳しく見えるんじゃないかっていう内容になっていた。それだけならまだよかった。


問題はその女性アナウンサーが死んだことだ。連日のように報道されている女性アナウンサーの動向である。いくら旅館側が隠しても、警察が出入りするようになれば、きな臭い匂いを嗅ぎつけた野次馬根性の情報通は、あっという間に女性アナウンサーの行方不明に勘付いて、たちまち町中の噂になってしまう。その矢先の出来事だったから、なおさら真夜中テレビを知ってる彼らは夢中になった。そして、後日、アナウンサーが住んでいるマンションから突き落されて、電柱に絡まったような状態で発見され、感電死したことが周知の事実になる。彼らはその死体がまるで首つり自殺したようにぷらんぷらんと振り子のように揺れていたという目撃情報を聞いて青ざめるのだ。真夜中テレビと現実世界の不可解な符合である。やばい、と本能的に感じ取った人はその日から見るのは止め、オカルトチックな展開が約束されたことを知った人が興味本位で見始めた。小さな田舎町で始まった連続誘拐事件はここから幕を開けることになる。


次の真夜中テレビに映ったのが女性アナウンサーの第一発見者になってしまった小西早紀であり、翌朝彼女が行方不明になってしまったことが周知の事実になると真夜中テレビで動向を見守る人間がイモづる式に増えていった。だが、彼らの好奇心は満たされることはなかった。女性アナウンサーの時と違って、真夜中テレビが最後まで放映されなかったからである。一番盛り上がっていたところで、突然真夜中テレビが消えてしまい、全く映らなくなってしまったのだ。そして彼らは小西早紀が無事に保護されたことを学校の緊急集会で知らされ、安堵のため息をついた半面、物足りないと思ってしまう自分に気付いて戦慄するのである。所詮はブラウン管越しにみる他人事の世界である。自分が真夜中テレビと同じような目に合ってしまうならともかく、実際には見ている人間には全く実害がない、あくまでも対岸でしかない、怪奇現象に過ぎないのだ。寸止めで一番いいところを見逃してしまった彼らはこう考える。今度こそ、見逃さないようにしないと。はじめこそ、一度だけ、のつもりだったのに、皮肉にも真夜中テレビが一番の見せ場を前にしてはCMを挟む番組編成のような構造になってしまったせいで、次に期待する人間がゆっくりと増え始めていたのである。


もうこのころになると、真夜中テレビに出る人間が、行方不明になっていることは周知の事実になりはじめる。その人間に一番近しい人が真夜中テレビを一番鮮明な画像で見ることができるという事実も公になりはじめていた。だから。神薙晃という少女が行方不明になった時点で、ある程度予想できたことだといえる。この世界で神薙晃という少女を本気で心配しているという意味で気にかけている、今すぐにでも行方が知りたいと考えながら真夜中テレビをみる人間は折り数えるほどしかいない。真夜中テレビは、みたい、と思ったものをみせる。土砂降りの雨の中で立ちすくんでいる神薙晃がいれば、目が離せなくなるのはあたりまえだ。それを察知した真夜中テレビは、どんどん画像を鮮明にしていき、まるでこの場にいるかのような臨場感を醸し出しはじめる。みたい、という気持ちが加速する。たとえそれが善意からくるものであっても、だ。辰姫神社が舞台のドラマはこうして幕を開けた。ぎらぎらとした金色の目をしている成人男性から、暴力をうけ、暴行を受け、目を背けたくなるような悲痛な叫び声がこだまする。その全貌を目撃する羽目になってしまった雪子は、愕然とするのだ。男性は本気で晃を殺そうとしていた。晃は全力で抵抗していた。それでも男女の差は大きく、なすすべがない。



はじめは意味がわからないことを叫んでいると思った雪子である。



でも、晃と男性のやり取り、そこに込められている感情のぶつかり合い、そして晃が男性を一切否定する素振りすら見せず、肯定すらしてしまっているところまで克明に流れ込んでくる真夜中テレビがある事実に突きあたらせた。雪子が見た真夜中テレビは、あまりにも鮮明過ぎた。晃と男性がまるで鏡のように描写されていた。雪子が知っている晃のちょっとした癖やしぐさ、面影、鳴りを潜めているとばかり思っていた「おれ」の晃が男性の中に見い出せてしまったことで、なおさら雪子は混乱するのだ。神薙晃という少女がほんのわずかにみせるかつての面影に、自分と親しかったころの晃を見い出して安心していた雪子にとっては、記憶の中にいる晃がそのまま大きくなったのが男性の方だったのだ。そんなこと、真夜中テレビが終わってしまった途端に電話をかけてきてくれた千枝にいえるわけがない。はたからみれば、成人男性に殺されそうになっている女子高生という構図である。千枝が男性に憤りを感じるのは無理もない。真夜中テレビにいる人間は、最終的に死んでしまう運命にあるのだ。もし、晃がさいごまで真夜中テレビ内のドラマの出演者として最終回を迎えてしまったら、間違いなく晃は死ぬ。だから、雪子はそんな千枝に賛成するしかなかったのだ。どうやら千枝は砂嵐の中で、そうとうぼんやりな映像しかみえなかったらしい。誰にも言えない事実に気付いたのは自分だけだ、と気付いた雪子は、それこそ誰にも言えなくなってしまったのである。そして、その矢先に天城屋旅館の取材があり、母親の代行として出演するという大役が舞い込んできた。気丈にもすべてをこなしきった雪子が最後に覚えているのは、ぴんぽん、というチャイムの音だけである。





気が付いたら、ここにいた。ぎらぎらとした瞳をもつ、まるでお姫様のような衣装を身にまとった、もう一人の天城雪子がいた。私は貴女の影、真なる私、と歌うようにつげた真っ赤な城の主に、雪子は晃がいた真夜中テレビの世界に自分も引きずり込まれてしまったことを悟って悲鳴をあげるのだ。真夜中テレビに雪子はいる。きっと真夜中テレビは今日から天城雪子が放送されるはずだ。つまり、最後は殺される。そのことだけが強烈に脳裏に焼き付いていたからである。おびえきっている雪子を見下ろす黄金色の瞳は、今まで雪子が発したことがない声色で甲高く笑って見せた。その独特の陰影、人外であることを象徴するらんらんとした瞳、そして雪子を全否定するような発言を繰り返す相容れない存在、それは真夜中テレビでみたせ成人男性とあまりにも似ていた。晃を殺そうとしていた、成人男性はやっぱり晃だった。そのことが嫌でもわかってしまい、余計に雪子はつらくなる。もう一人の自分、となのる存在が目の前にいる。真夜中テレビで遭遇するのがもう一人の自分なら、晃の目の前にいたのが晃のもう一人の自分ということになる。脳裏を焼き付いて離れない、彼の悲痛な叫びと晃がオーバーラップする。雪子は何も言えなかった。めんと向かって彼女と会ったのは、その日きりだ。外側からかけられる鍵つきの最上階に幽閉された雪子は、そのまま倒れ込んだ。1週間がたっただろうか。真夜中テレビに、天城雪子に成り代わって出演している真っ赤なドレスのお姫様がいる。憔悴しきった雪子は、鉄格子の窓ごしに、彼女を見ている事しか出来なかったのである。


『さあ、もうそろそろ余興は終わり。さあ、始めましょう、時間よ』


突然、どれだけ頑張ってもびくともしなかった扉が自然と開かれた。人体の構造的にありえないほどの笑みを浮かべた彼女が現れたとき、雪子は死期を悟って青ざめる。瞳が飛び出しかねないほど大きく開かれた黄金色が、涙目の雪子を映していた。うやうやしく礼をした彼女は、つかつかつか、と雪子が一度も履いたことのない高い高いヒールを鳴らしながらやってきた。せめてもの抵抗で、ずるずる、と後ろに後退する雪子を楽しそうに見下ろしている。とうとう壁際まで追い詰められた時である。


「雪っ!」

「………あき、ら、ちゃ……」


今、世界で一番逢いたくて、一番逢いたくない人の声が雪子の頭の中で反響する。ぐるぐるする思考回路は、ごちゃごちゃとしている心理状態のまま、雪と呼んでくれた親友の名前を呼んだ。八十神高校の女子生徒の制服を着た女の子がそこにいた。よかった、よかった、生きてる、晃ちゃん、生きてた、よかった、と雪子は口元をほころばせた。しかし、そこにちらつく強烈な金色に凍りつくのだ。目の前にいる洋装の雪子と同じ、ぎらぎらとした金色の瞳をした神薙晃がそこにいる。あきらちゃんは?どうしてこの人がここにいるの?え、え、どうして?混乱している雪子は、雪を解放しろといきり立っている晃の姿をしている何かに、晃の面影を感じてしまい、ことさら訳が分からなくなっていた。


『なんだ、生きてたの』

「え?」


信じられない言葉を言い放つお姫様に世界が凍りついた。


『どうして生きてるの?てっきり死んだと思ってたのに。そっちの方が絵になるなあって思ってたのに、残念だわ』

「なっ!?なんてこというのっ!?ちが、違うの、晃ちゃ、私はそんな!」

『うふふふふ。なにを言いつくろってるの。どうせならって思ってたくせに』

「なにがどうせならなの!?私は、そんな、一度もっ!」

「雪子っ!」


千枝の声が聞こえた。雪子はばっと顔を上げた。


「天城、無事かっ!?」

「天城さんから離れろ!」


花村と月森の声が反響する。みんな、とかすれるような声が滲んだ。ぴたり、と彼女の歩みが止った。くるり、と反転した彼女は、少しだけ顔をゆがめた。


『あら、やだ。ホントにきちゃったの?私の王子様』


反転する声色に、月森たちは仰天した。


『どうしてきちゃったの、私の王子様』

「どうしてって、アタシたちは雪子を助けに」

『いらない』

「え?」

『いらないっていってるでしょう?私は、王子様を捜す私でいたいのであって、ほんとうに王子様を捜しているわけじゃないの。だから、いらないの。王子様なんていらないの。ここから連れ出されてしまったら、私はここから逃げられない可哀想なお姫様じゃいられなくなってしまうもの』

「ど、どういうことなの?」

「やめて」

『私はここから逃げ出すことができない、可哀想なお姫様でいたいのよ。天城屋旅館の雪子ちゃん、天城屋旅館の後継ぎ、いずれは女将さんになる人、そんな目で見られるのがいやだ、いやだっていってるのに、いろんな理由を付けて、閉じこもっているのは自分の方なのに、滑稽ね。すべてを捨てることができない卑怯者なの。臆病者なの。本気で逃げ出すこともしないで、流されるがまま、みんなに言われるがまま、毎日毎日過ごしている、他に歩む道すら許されない可哀想な私。それなら受け入れてしまえばいいのに、甘んじているしかない私はカワイソウな私に酔っていたいの。本当はそこまでこれからのことなんて何一つ考えていないのよ。そんな私が可愛いの』

「やめてっ、私は、そんな、こっ」

『私は雪子って名前が嫌いだわ。だって、雪ってすぐに解けて、きえてしまうでしょう?それって私にそっくりだもの。みんなの期待に応えるために生きてきた、天城屋の雪子っていうハリボテを失ったら、すっからかんで、なにもない、つまらない私そっくりだもの。だから赤色がすきなのよ。千枝が雪子には赤い色がよく似合うねっていってくれたから。赤色のものに包まれると、私がまるで価値があるように感じてうれしかったもの。天城屋旅館の娘っていう肩書きを失った、ただの天城雪子の価値を認めてくれるような気がしたの。滑稽よね。好きな色すら自分で決められないなんて、バカみたい』

「そんな、酷いっ!」

『うふふふふ。友達、親友、仲の良かったお友達、そんな建前なんてどうでもいいのよ。どれもこれも、他の人から言われて安心してきた言葉じゃない。天城雪子にとって、どんな存在なのか、どういう立場なのか、ぜんぶ、ぜんぶ、他の人にはっきり言われて安心してきた言葉じゃない。あなたにとって、天城雪子がどう思っているのか、どう考えるのか、なんて、一度も考えたことなんてないじゃないの。いつもいつも先延ばしにしてきたくせに。ほっといてきたくせに。そうよね。できるわけないわよね。いつだって天城雪子はひとりでは何も決められないほど、主体性がないんだもの、流動性なんだもの、浮遊点でしかないんだから。かわいそうなわたし。からっぽなわたし。いらないからってほっといてきたから、すっからかんのわたし。ほんとうはいつも誰かに世話を焼いてもらいたいの。小さいころから、ずっと、ずっと、いつだって私は誰かによって求められてきたから、生きてきたのよ。そうやって、すべてが決まってきたの。それが理想なの。ねえ、そうでしょう?それなのに他の人に求められる姿でいるために、ホントのわたしをずっと押し殺してきたとでも思っているようだけど、私はあなた、あなたは私、だからはっきりわかるのよ。あなたにそんなものは初めからないじゃない。自主性なんてもの、あなたにあるわけないじゃない。いつだって誰かに依存して、自立と自由を捨ててきたじゃない。今さらもとめるの?ばかみたい。ありもしないものを求めて、今いる場所から逃げたいって願うばかりの自己陶酔のお姫様の癖に、笑わせないでよ』

「・・・・・・・っ」

『天城屋旅館っていう恵まれた家庭に生まれたけれど、私はそのせいで自立と自由を求める条件を生まれつきもつことができなかったのよ。お父さんも、お母さんも、中居さんたちも、みんなみんな、いらないの。ねえ、そうでしょう?』

『だ・か・ら』


にまあっと雪子のシャドウは笑うのだ。大きく弧を描いた口元である。


『私はあなた、あなたは私、私はあなたの本当の姿、真なる姿。あるべき姿。どうしてあなたがそこにいるの?どうしてそこにいるだけで幸運なくせに、どこかに行きたいだなんておこがましいにも程があるあさましい願いを抱いているの?いらないんでしょう?逃げたいんでしょう?罪悪感から逃れたいんでしょう?なら、頂戴。いますぐ頂戴。そこは私がいるべき場所よ。あなたにはふさわしくないわ』


影が落ちる。がしゃん、という鉄格子が降りる音がした。











いつもの聡明な雪子だったなら揺らぎすらしなかっただろう。鋭い直感と高い知性をもつ雪子は、いつだって心に安定があったから。状況の変化や展開を落ち着いて見守ることができる冷静さや自分の気持ちや相手のことを信じて待つことができたはずだ。それは雪子が精神的なつながりをとても大切にして、尊重してきたからに他ならない。でも、雪子の価値観や世界観、道徳的な感情を大きく揺るがすいろんな事件、さまざまな出来事が立て続けに起きて、少しずつ少しずつすべてに亀裂が入っていた。とどめだった。最後の楔を打ち込んだのは天城雪子を名乗るお姫様だ。その根底からすべてを覆されてしまった雪子の心はぐらついていた。突然の変化や展開があり、考えられなかったような事実を突きつけられた。それも親友の千枝や晃、友達の花村、会ったばかりの月森の目の前で。雪子すら気付いていなかった深層心理から現れたもう一人の雪子は容赦なく雪子の心をえぐった。



シャドウは雪子のひた隠しにしていたことを暴露しつづけた。望まない変化の気配に気付いて、激しい感情に心が乱されたこと。 見たくない現実に背を向けてしまったこと。何を信じていいのかわからなくなっていること。それなのに、その選択すら何かの抑圧の上に成り立っていることに気付いてしまったこと。雪子の心が無視されるような、息苦しさを感じていること。本当のことを知るのを拒否しているからそうなるのよ、とシャドウは笑う。 情報はたくさん与えられているのに、受け取ろうとしていない。 見たくないものがあると気付いているのかもしれない。 ただ心を閉ざしているだけかもしれない。どうでもいい。今の雪子は天城雪子に相応しくないから。



不安定になる。精神的に不安定になる状況は、あまりにも今の雪子にはきつかった。心に靄がかかり始める雪子に、シャドウは容赦なく言葉のナイフで雪子の精神をいたぶった。諦め。悲観。無気力。不安定。優柔不断。現実逃避。疑心暗鬼。自己中心的。不安や悩みばかりで、自分の考えに押しつぶされてしまいそうになる雪子は、耳を塞ぎたくなるがその気力すら残ってはいなかった。気持ちをはっきりさせることができず優柔不断になってしまう、だからこそ千枝や晃のようにはっきりとした意思のある人に惹かれることまで本人のめのまえで暴露されてしまうのだ。たまらなかった。あげくの果てに、将来の展開や変化に雪子の気持ちがまったく含まれていないことに対して後ろ向きになること。もし雪子がそれを揺るがすことを仕出かしたら、決まっていた物事に急に陰りがさし行き先が見えなくなることが不安でたまらなくなること。背反する気持ち。自己中心的な考えに、いつだって計画や企画が流されてしまい、見込みが立たないことを揶揄された。



シャドウはいうのだ。雪子姫の城をこの世界に生み出したのは、他ならない天城雪子自身であると。めまぐるしく変わる状況や事態に限界を感じてついていけなくなり、自分の中に閉じこもってしまいたい気持ち。不安ばかりが膨れ上がって、自己中心的になってしまった結果、現実逃避したい気持ち。将来への自信が無くなり、心に靄が立ち込める気持ち。それらが複合してこの世界はつくられたと雪子のシャドウは笑う。もちろん私もよ、と笑う。この空間は天城雪子によってつくられた、天城雪子のための空間である。だから、この空間の主には当然天城雪子が選ばれるべきだ。すなわちそれは雪子のシャドウが天城雪子であることの証明でもある。そうでしょう?と赤いドレスの女は笑った。










不愉快な鎖の音に天井を見上げた雪子が見たのは、視界を真っ黒に覆い隠すほど大きな壁である。凄まじい勢いで降ってくる天井。絹を割くような悲鳴をかき消すのは、がしゃあん、という轟音だった。真っ赤な絨毯がへこみ、大理石の床が大きくえぐられるほど大きくて真っ黒な何かが落ちてきたのだ。シャンデリアが落ちてきたと錯覚した月森たちは血の気がひいた。雪子が下敷きになったのかと思い、慌てて駆け寄ろうとしたが突然現れた巨大な鉄格子が月森たちと雪子を遮る。それは鉄の鳥かごだった。ドーム型の鳥かごだった。まるで牢屋のようである。衝撃のあまりバランスを崩して倒れてしまった和装の雪子の目の前に現れた扉が開き、歪に笑うシャドウが雪子を突き飛ばす。ぐらぐらと揺れる冷たい鉄の床を滑り落ち、反対側にひっかかってしまった雪子に傾く鳥かご。がしゃん、と錠の落ちる音がした。ぎりぎりぎり、と鎖が逆転する。巨大な鳥かごが宙を浮き、雪子を連れ去って、一気にステンドグラスが眩しい天井に引き上げられてしまう。



代わりに落ちてきたのはシャンデリアだった。叩きつけられた衝撃で絢爛豪華な装飾が弾け飛ぶ。ガラスが砕け散る音がして、電飾は一つ残らず床に散らばった。骨格だけが残ったシャンデリアがゆっくりと浮き上がる。電灯があったところに明かりが灯った。こうこうと炎が揺れる。シャンデリアの周りをロウソクの明かりが取り囲んだ。その付け根には雪子を連れて行ったものと同じサイズの巨大な鳥かごが月森たちの前に立ちふさがる。音もなく開かれた鳥かご。真っ赤なドレスを翻し、かけて行くのは雪子のシャドウだった。錠が空く音がして、シャンデリアに飛び乗った雪子のシャドウが扉をしめる。鎖がシャンデリアを釣り上げはじめた。月森たちは身構える。ゆらり、ゆらり、と左右に揺れはじめたシャンデリア。再び鳥かごの錠があく。中から現れたのは、おぞましい赤だった。


『我は影、真なる我』


空間全体に響き渡る不気味な笑い声は、あたりに火の粉を撒き散らしながら歌い出す。シャンデリアがぎいぎいきしみながら揺れて、赤色の絨毯に影が落ちた。それは見たこともない大きな大きな紅蓮の鳥だった。鳥かごの扉は開け放たれている。心ひとつで飛び立てるはずだ。そこにはなんの障害もない。月森たちは雪子のシャドウの攻撃に警戒体制をとる。しかし、雪子のシャドウは鳥かごにとどまったまま動かない。真っ赤な翼を広げて鳥かごから飛び立とうとするが、鳥かごがひっくりかえりそうになるくらい揺れた。違和感を覚えた月森たちに、みろ、と神薙のシャドウが指をさす。雪子のシャドウの足元に視線が集中した。雪子のシャドウは飛び立たないのではない。飛び立たてないのだ。なにせ二つある脚がふたつともしっかりと鉄の床と完全に同化しているのだから。無理やり引き離そうとしている脚が悲鳴をあげている。雪子のシャドウが吐露した背反する二つの気持ちを象徴しているようだった。飛び立てない鳥は苛立ちを月森たちに向ける。


『どうして?どうして私に武器を向けるの?あなたたち。私は雪子、天城雪子、私の方があの子よりずっと天城雪子に相応しいのに!』

「そんなことない!」


声を上げたのは千枝だった。


「あんたになにがわかるのよ、雪子を返して!」


『おかしなことをいうのね、千枝。天城雪子のことは1番私が知っているわ。私は天城雪子だもの』

「その声でアタシを呼ばないで!たしかにあんたはアタシの知らない雪子の一面なのかもしれない。でも、雪子は、あなたたち、なんて言わない。いつだって雪子は名前で呼ぶの!名前で呼ばれないつらさを1番知ってる雪子がそんなこというわけないじゃん。天城屋のお嬢さんって呼ばれることを嫌がってたのは雪子だもん。あんたがいくら雪子だっていいはっても、アタシは認めない。どかないよ。だってアタシは雪子の友達だもん。友達がピンチなんだ、戦う理由なんてそれで十分でしょ!」


ギラギラとしている金色の目が千枝たちを見下ろす。激情をはらんだ眼差しが千枝に注がれる。無神経でわがままなシャドウは、かみ合わない会話を千枝と続けた。シャンデリアのように不安定な自分を隠すようにプライドが高い女として強烈な発言を繰り返す。神経質で、ヒステリーの気配がする発言は、次第に怒気を帯びていった。気に入らない、と殺意が千枝をみつめていた。


『そう、そうなの、だれよりも天城雪子に相応しい私を認めてはくれないのね。なら、いらないわ。私に千枝はいらないわ。千枝の肩をもつ晃ちゃんも、花村くんも、月森くんも、誰もいらない。相応しくない。私の王子様には相応しくない。この世界にはいらないわ。やっぱり私を救い出してくれる王子様はいらない。消えてしまいなさい!』


雪子にそっくりな造形をしている黒髪の女が叫ぶ。王冠を被り、その内側から頭全体を覆う薄い色をした白のベールがあきらかに浮いていた。人面鳥が絶叫する。黒髪を振り乱し、甲高く響き渡る女の声は、真っ赤な翼をごうごうと焼いた。毛が逆立ち、ぶわっと翼がはためく。しまった、と月森は慌てて駆け出した。はちん、とカードが砕け散る音がした。


「なにかくる!みんな、気をつけろ!」


世界が燃える。それは呼吸器官が一気に焼けただれてしまいそうな熱風だった。竜巻のように渦を巻き、真っ赤な絨毯を巻き上げながら迫って来た暴風は、炎属性であることを示していた。1番前に出て来ていた千枝がペルソナをチェンジすることで対応しようとするが間に合わない。それを庇うようにかけてきた月森もろともまきこんで、窒息しかねない熱波があたりをつつみこんだ。月森、といいかけた花村の声がかき消される。降魔しているペルソナが主を守るために焼き払う風の前に立ちふさがり、無理やり花村をうつ伏せになるように弾き飛ばしたからだ。大理石にキスするはめになった花村は顔面を強く打ち付けた。どわ、とずっこけた花村は扱いがひどくねーかとジライヤを睨むが赤いマントをはためかせるヒーローは素知らぬ振りである。さきほどの攻撃はペルソナが花村の身代わりになったようだ。ダメージは花村に返ってくるが直撃よりはましである。体がやける錯覚にとらわれる。くらくらしたが気合いで持ちこたえた花村は直撃したらどうなってたんだよと冷や汗だ。


あっつうい!とクマは絶叫した。素材不明の体は溶けた気配はないが、頭のてっぺんに生えてる青い毛がちょこっと焦げたとさわいでいる。うるさい、だまってろ、と槍を突き刺そうとしたのは涼しい顔をして立っている神薙のシャドウだ。熱風は一瞬で汗を蒸発させるほどの高温である。熱射病を起こしかねない季節外れの熱波が駆け抜けたはずだ。あついで済むクマと平喘としているシャドウがあり得ないのだ。花村は何処まで規格外なんだよ、シャドウもクマも、とあきれている。一瞬で燃え上がった絨毯が黒い煙をあげながら落ちてくる。焦げ臭い匂いがあたりに広がった。雪子の影は奇声をあげている。


「きてくれ、オベロン!」


カードが砕け散る音がした。花村は安堵のため息である。月森がペルソナを発動したらしい。黒アゲハから鱗粉が零れ落ち、王冠をかぶり赤い王族の衣装をまとった少年が現れる。幼少期に受けた呪いによって体が子どもの姿のまま止まっている妖精たちの王は、月森たちを見渡して憤りをにじませた。そしてレイピアを引き抜き、まばゆい光を月森たちにもたらした。だいぶん回復した気がする。オベロンはその場に止まっている。どうやらメインで戦うつもりのようだ。気に入った人間をめぐって妻と争うこともある妖精王はひどく月森たちを気に入っているらしい。花村は笑った。


「さんきゅー、助かったわ、相棒」

「ありがとクマー!」


月森がああと笑う。オベロンは火炎属性に耐性があるのだ。千枝をかばって熱波にさらされた月森はしっかりと妖精王の加護をうけていた。


暴力的な風は過ぎ去ったが、轟音とともに洗われた宮殿はひどい有様である。もしここに普通の人間がいたら、殺してしまいかねないほどの威力だった。ぞっとするようなものではない。身体の形や色はそのままで、きっと眠っているように見えるだけだ。全身の水分がすべて抜かれたカラカラのミイラが残るだけだ。もし誰かが死体を掴んだら、乾燥のため、その部分はさらさらとなり、手の中に残るだろう。月森に起こされた千枝は弱点の属性のダメージにまだ足元がおぼつかない。大丈夫かよ、と花村は千枝に次の攻撃を回避できるよう魔法をかけた。さんきゅ、と千枝は笑う。月森、と神薙のシャドウが呼びかける。


「月森、クマからのアナライズ情報だ。雪子の影、アルカナは女教皇。火炎吸収、光と闇が無効、氷弱点。気をつけろ、千枝ばかり防御してたら押し切られるぞ」


「了解、わかった。ありがとう。神薙はクマを守ってやってくれ」


「いわれなくても」


よっしゃ、体制立て直したし、いくか、と花村がいきり立つ。クマ、そんな詳しいことまでわからんクマ、いってないし、あれ?もしかしてアキラわかっちゃってるの?シャドウだからわかっちゃったの?クマのビンビンセンサーの上行っちゃうの?!と騒がしいクマを黙らせる。3人はふたたび雪子の影の前にたちふさがった。


『たった一度の攻撃で半壊するくせにどうして立ちふさがるの?いやだわ、もう。王子様は悲劇のお姫様な私を引き立てる人であるべきなのよ。さあ、いらっしゃい。私の王子様!』


まばゆい光に包まれて、雪子姫の白馬の王子様が現れる。雪子の影を守るように召喚された王子様たちをみたシャドウからさっと血の気が引く。両脇を固める2体めの王子様がいる。まずい、と反射的に駆け出していた神薙のシャドウはアイテム袋をひっくりかえした。






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