誰かのためにこれから舗装する道なのか、自分が舗装してきた道なのかで意味が変わる海外のことわざを遊作は思い出した。ひとつは、よかれと思って行ったことが悲劇的な結果を招いてしまうこと。悲劇的な出来事が皮肉にも善意の行いであること。端的に言えば、大きなお世話。ふたつは、善意を持っていても、実行が伴わなければ、いずれその人は地獄へ落ちるだろう、という戒め。この場合は舗装されているのはこれから行く道ではなく、これまで来た道である。天国を目指して信仰する人は多いが、そのために善行を重ねる人は少ない。そうした人々が落としていった善意が地獄への道となっている。
地獄への道は善意で舗装されている、とはよく言ったものだ。今の遊作の心境はまさにこれである。
ひとつは、クラスに馴染ませようとする島や和波、葵の好意。ふたつは、デュエル部で蔓延している訳あり苦学生という勘違いを訂正できないまま半年間放置していた、遊作の怠惰。どちらの意味でもここまでかちっと当てはまる状況はそうないだろう。遊作は黒板に書かれた藤木遊作という言葉を見て、深い深いため息をついた。
「えー、これから文化祭のステージ発表を何にするか決めたいと思います。なにがいいですか?」
委員会と係決めの時に適当に手を上げた、いかにもやる気がない実行委員の一人が黒板の言葉をそのまま読み上げる。たたき上げとなるものなどなにひとつ用意していない。丸投げである。クラスごとにそういった出し物があると知ったクラスメイトの中には、意外とやる気がある生徒がいるようだ。はーい、と手を上げた女子生徒にみんな注目する。
「私、中学の時演劇部だったんですけど、そのとき作ったシナリオがあるので、それ使い回したらいいと思いまーす」
「え、どんなの?」
「いろいろあるよー、よかったら見る?」
紙袋をがさごそ漁り、彼女は机の上に並べる。はい、はい、と周りに配り始めた冊子を流し読みして、クラスメイト達は後ろに回していく。遊作も何冊か目を通す。ステージ発表は必ずしなければならないのだ。合唱コンクールと併せて2大行事である。
「めんどくさかったら当日映像流しちゃえばいいと思うんだよね、結構忙しいでしょ?あんまり日がないし、ぶっつけ本番するか、放課後残って当日楽するか。どっちがいい?」
あ、他にいい案あったら私は全然いいよー、と彼女は笑ったが、ぼんやりと参加していたクラスメイト達に代案などあるわけもない。それに彼女が用意してくれたものは、拘束される人間が10人以下だ。これは役に当たらなければ楽である。それに読んでみると結構面白そう。やる気のなかったクラスメイト達の気持ちが方向性は違えども輝き始めたのだった。どれが面白そうなのかざっと読み回し、上がった手が多かったシナリオは、白雪姫だかシンデレラだかの物語を混ぜたものだ。
「でもこれ人が足りなくね?」
ひい、ふう、みい、と数えていた男子生徒がつぶやいた。
「いっそのこと男子と女子入れ替えれば?」
自分がなるとは思いもしないのだろう、男子生徒が半笑いで言った。あ、それおもしろそう、と食いついたのは誰だったのか、今となっては誰も思い出せない。
「最後にデュエルかー、デュエル部がすれば?」
ここでひとつのシナリオにクラスの人気がやたら集中した理由をデュエル部の面々は察するのだ。
「私はいいわよ、王子役。台詞少ないし」
下手にお姫様役をするとブルーエンジェルをしている自分がでてきそうだ、という葵の声が聞こえた気がした。財前葵という言葉が黒板に書かれる。じゃあつぎは、と島、藤木、そして和波に視線が投げられる。
「でもこれ、カードねえとだめだろ?俺、現物持ってねえんだけど!?」
ほぼ勝利宣言だった。たしかに演出的にデュエルディスクとカードは必須である。すさまじい勢いで埋まっていく外堀。
「えっと、これってデッキはどうします?お姫様と王子様が一緒のデッキなのが大事なんですよね、これ?」
「私が使ったことがあるテーマだとうれしいけど」
「ですよねー。えーっと、それじゃあ、やっぱりハーフデッキです?ほら、この間大会したじゃないですか。現物のデッキはスキャンするとき使ったのありますし。藤木君のデッキと合わせたら2つ用意できますよね」
「それもそうね」
「貸してもらえます?藤木君」
「ああ、別にいいよ。それくらい」
「なら、男性陣でじゃんけんね」
「ですねー」
「ま、まじかよ、くっそー!回避したかと思ったのに!!」
これで確率は3分の1か、とぼんやり遊作が考えていたときだった。
「あ、でもこれって、デュエルが一番の見せ場ですよね?」
おいばかやめろ。遊作は思わず和波を見た。どこまでも劇を面白くするための提案である。和波の顔に役を回避したい、という思惑は全く見えてこない。むしろやりたそうだ。みんながやらないなら僕やりますよー、とにこにこ笑っているあたり、余計たちが悪い。言葉尻をとるやつがこのクラスにいるから問題なのだ。お、と余計な気を回そうとする島の視線が突き刺さる。遊作は嫌な予感しかしない。
「そーだよ、誰がやってもいいけどさ?やっぱハーフデッキでデュエルするなら、一番使い慣れてるやつがやるべきじゃね?」
「それもそうね、実際、藤木君はあのとき優勝したわけだし。あのデッキに関しては、一番うまく扱えるの藤木君なのは事実よね」
「すごかったですよね、あのデュエル!デュエルタクティクスがある人が使えば、どんなデッキだって輝けるんだって思いましたもん、僕!」
「だーかーら、紙束だっていったことは謝っただろ、和波!まあ、実際、俺もそう思ったっつーか?他の奴らが見たら、デュエル部入ってくれる可能性も?ちょっとは?あるんじゃないかなーって?」
ちらちら見てくる島のデレが重い。いつもは目立たない生徒について、ここまでデュエル部がよってたかって持ち上げたらクラスメイトの興味や好奇心が賛成票を投じるに決まっているではないか。
「こらこら、クラスの発表を部活の宣伝にするな」
一応担任の先生は口を挟むが、自主的に意見を出し合い、いい感じに進んでいく話し合いに口を出す気はないようだ。はーい、という言葉が入る。でも、ここまで来るともう外圧しか感じない。担任の先生も授業を抜け出したり、早退したり、問題行動が目立つ遊作がクラスに溶け込む好機だとでも思っているのだろうか、そのまなざしはどこまでも優しい。いつもクラスメイトと親睦を深めているか否かが如実に出てしまった悲劇である。
どうする?と選択肢が浮かぶが、遊作には事実上用意されたカードはひとつしかなかったのだった。
「よろしくね、藤木君」
「ああ」
「じゃあ、衣装合わせとかもしなくちゃね。二人とも、放課後暇な日教えてね」
シナリオ担当の女子生徒はこれから改変作業に入らなきゃとやる気満々である。とりあえず、少しでも台詞を減らさなければ、と遊作は彼女に直談判するハメになったのだった。
「ただいま」
「こんにちはー、草薙さん」
「お、今日は早いな二人とも!」
夜の営業に向けた仕込み作業に入っている草薙が笑顔で出迎えた。和波は制服に着替えるため、学生鞄を抱えて隅の方による。遊作はカウンターの前で今日あったことを話し始めた。特に変わったことはなかった、とさらっと流す。中間テストも期末テストも補習を難なく回避した二人は、問題なくplaymaker家業にもアルバイトにもこれそうだと。そっか、よくがんばったなー、と草薙はうれしそうに笑う。で、考えたのか?ご褒美、と聞いてくる草薙に、そういえばすっかり忘れてた、と遊作は返した。和波の意見を聞いてそれから考える、と続けながら、その話題で乗り切ろうと決意する。
「今日もよろしくお願いします、草薙さん」
「おう、よろしくな、和波君。それじゃ、いつも通りにセッティング手伝ってくれ」
「はーい」
「和波、今日はこっちに展開するって」
「わかりました!」
カフェナギというロゴが入ったエプロンを翻し、和波は車から降りてくる。遊作と二人で開店に向けた準備を始めた。前は遊作と草薙で準備していたのだ、仕込み作業はそれと連動していたためなかなか大変だった、と草薙から話は聞いている。少しでも早く仕事を覚えなくちゃ、と必死な和波に草薙は好意的だ。手伝ってくれるならバイトしてくれりゃ金出すぞ、と遊作にラブコールを送っているのだが、今のところ、やだ、でばっさりである。遊作はエプロン姿の和波がくるくる働いているところをお客としてみるのが楽しいのだ。自分がやったらどうあがいても仏頂面のアルバイトができあがる。それに和波を見ている時間がなくなる。宿題だって進まなくなる。それは嫌だったが言えるわけもない。
「そーだ、草薙さん。来月の水木金ってお休みにできます?」
「ん?三日もか?どうしたんだ、和波君。授業参観とかはまだ早いだろ?」
「やめてくれ、草薙さん。アンタ、今年も来る気なのか!?」
「いやいや、だって、なあ?誰も来ないってわけにはいかないだろ、遊作」
「来なくていい」
「まーた始まった、照れちゃって」
「照れてない!」
「あはは、そーいや和波君。文化祭とか運動会っていつやるんだ?」
「草薙さん」
「実はその日なんですよ」
「和波」
「え、そうなのか?一気にやるのか、××高校って。結構忙しいな。ま、休みが1回で済むのはありがたいけどな、こっちとしても。よーし、それじゃあ和波君チラシできたら教えてくれ。遊作恥ずかしがっていっつも教えてくれないんだよ」
「勝手にハッキングするじゃないか、アンタ」
「お前が教えてくれないからだろ」
「来なくていいんだ、なんで渡さなきゃいけないんだよ」
「えええっ、なんで渡さないんです、藤木君?!今年は主」
耐えきれなくなった遊作は口を押さえた。こんなこともあろうかとこっちに来てからアイとHALの音声ははじめから切ってある。顔が熱くなるのを抑えることはできそうになかった。ちら、と視線を走らせればにやにやしている草薙がいる。
「しゅ?なんだ、なんだ、面白そうなことになってるじゃないか。教えろよ、遊作」
「絶対に教えない。和波も和波だ、教えたらただじゃおかないからな」
せっかくの晴れ舞台なのに、とでも言いたげにもごもごしている和波だったが、後ろから手を回され具体例をささやかれて真っ赤になる。そして壊れた機械のように何度もうなずいた。この日から、遊作はあの手この手で隙あらば情報漏洩に走ろうとする和波を食い止めた。
「和波、まだ設営終わってないぞ」
「え?昨日と同じ配置ですよね?」
「こっちのテーブルはこっちにした方がいいって草薙さんいってたからな。早く来い」
「え、ちょ、藤木君?!いたい、いたい、引っ張らないでください!」
「……俺、そんなこといってないんだけどなあ」
必要なくなっても繋いだ手をなかなか離さないのはご愛敬。
またあるときは。
「和波、これ飲むか?」
「うひぁいっ!?」
うなじに冷たい飲み物を押し当てられた和波は変な声をあげて飛び退いた。そのまま手を離すと、すーとん、と中に入ってしまう。きんきんに冷えている缶が背中を転がり、和波はたまらず着替え場所に戻っていった。
へんにシェイクされてしまった炭酸が吹き出し、結局草薙から予備のエプロンや制服を借りるはめになった和波は、なにするんですか、と抗議に忙しい。草薙に対する告げ口をすっかり忘れてしまったようだ。
別の日には。
「うわあっ」
後ろから乗りかかられた和波は、悲しいほどの体格差からくる遊作の重さに耐えきれず潰れていく。
「おもい……おもいです、藤木君……つ、つぶれる……」
「そのまま潰れろ、言うなっていったぞ俺」
「ごめんなさい、ごめんなさい、言いませんからどいてー」
「やだ」
頭の上にあごをのっけて腕を組む。気づけば和波はどんどん縮んでいった。
またあるときは。
「うわあっ、なにするんですか、藤木君!僕は机じゃないですよ!」
「ちょうどいいところにあったからな。サボるやつはこれで十分だ」
「え?僕サボってな……ちょ、え、まさかこのまま宿題ですか?!」
「動くな、手元が狂う」
「縮む!縮んじゃいますよ、やめてください、重いです!」
わざと手書きアプリを起動させて操作し始めてみたりして、和波がなくなくその場にじっとしているハメになるまで根比べである。
そして今日も。
「これ、新作だって」
「え?あ、ほんとです……っ!?」
無理矢理突っ込まれたホットドックをもぐもぐするハメになった和波は、小動物のごとく頬いっぱいに頬張る。一個しかないから、と残りをきれいに食べてしまった遊作は手が汚れないように丁寧に折りたたむ。どこがどうおいしかったのか、具体的に挙げていく遊作の横で、やっとのことで口いっぱいのホットドックを飲み込めた和波は涙目だ。
「あはは、大丈夫か、和波君」
「……し、死ぬかと思った」
「ついてるぞ、けちゃっぷ」
「いたい、いたい、ちょ、藤木君やめてくださいよ!」
適当に取った紙のナプキンでぐしゃぐしゃ押しつけてくる遊作に悪意しか感じない和波は、その口元がうっすら笑っていることに気づいて逃げようとする。ぎゃいぎゃい騒ぐ二人を見ながら、草薙は肩をすくめた。実はもうハッキングしてカリキュラムまで把握してるとは言い出しにくい雰囲気である。