デイジー・ベルをうたって(お題箱より遊作BLD・連載主→遊作)
『誠也!』


HALの声は届かない。和波が最後に見たのはサイバースの風だった。ああ、僕はやっぱりダメな子なんだ。白衣の男たちに刷り込まれた脅迫観念に押しつぶされそうになる。


『くっそ、いっただろ!お前は俺様に全部任せてニコニコしてりゃいいんだよ!なんも心配すんな、俺様がなんとかしてやる!』


デュエルディスクから黒い物体が和波をつつんでいく。不思議と恐怖はなかった。そして、数ヶ月間、和波の記憶は存在しない。


「ねえ、君」


好奇心にみちた誰かの心が流れ込んでくる。直前までサイバースの風に見放されて落下していた和波は、気づけば知らない場所にいた。デュエルディスクがない。HALがいない。ここはどこだろう?まさかハノイに捕まった?あそこに連れ戻された?HALは?!必死で辺りを見渡すが、知らない場所だ。押しつぶされそうな不安を思い出してしまった和波は、フラッシュバックに襲われる。このままおちてしぬ、という感覚だけは強烈に焼き付いていた。一気に湧き上がる恐怖に和波は悲鳴をあげる。


「い、いきなりどうしたの?大丈夫?」


心配そうな感情が流れ込んでくる。血の気がひき、青ざめる。がたがた震えが止まらない。体は浮遊感から解放されず、くらくらする。うずくまってしまった和波に、誰かさんが心配そうにのぞきこんだ。逆光で顔はわからない。動かない和波が心配なのか、誰かさんが肩を揺らす。ねえ、と優しい声がする。


「え?」


顔を上げると、あ、よかった、大丈夫そうだね、とニコニコ笑うだれかがいた。ようやく、響いていた心の声と実際に口に出されている声とが一致する。このとき、和波は心の声と実際の声が同じように聞こえていた。二重に聞こえた。本音と建前がリアルタイムで同一音声状態だった。だからなおのこと混乱したのだ。なにもかもが二重に聞こえてきたから。でも。


「君、は?」


和波は初めて心の声と実際に口に出されている声とが一致して聞こえたのだ。


『マジかよ』


HALは二の句が継げない。


(ね、いったでしょ、HAL!あの声は間違いなくあの子だよ!)

『なんでわかるんだよ、声変わりしてんのに!』


生体情報が和波の直感が正しいと教えていることに、明らかにHALは動揺している。


(ボクの初恋だもん、当然でしょ!)

『ものの見事に男な訳だけど、どうするよ、誠也』

(……どうしよう?)


あわよくば数年越しの拗らせた初恋を、なんて考えていた和波は告白する前に玉砕してしまうことを知る。playmaker、もとい藤木遊作、どうみても男の子だった。


(おっきくなったなあ。あの頃はボクのがおっきかったのに)

『たしかに今となっちゃ、誠也のがちっせえな、あはは!』

(せ、成長期がまだなだけだよ!)

『そんな誠也に朗報だ』

(パーソナルデータから予測するの禁止!そんなことに使わないでよ、ボクの情報!)


むくれる和波にHALは笑う。本来なら自我を持ったAIなんていう危険な存在に、個人情報とよばれるものをすべて渡してしまう、なんて前代未聞の馬鹿だが、あの時あの瞬間においては最適解だった。今のHALだって和波のサイコデュエリストとしての力がなければ、精霊として存在できずすぐに見つかってしまうわけだから、お互い様だ。運命共同体とは言えて妙である。


『で?どうすんだ、初恋のあの子に会えたわけだけど?』

(……手を貸すに決まってるでしょ、今更男の子だったからってやーめたはできないからね!)


なかば、ヤケだった。

まさか遊作の記憶がふっとんでいるとは思わなかった和波である。黒歴史を知られることは免れたが、かえってplaymakerに協力したい理由がファンだからでは説明できない事態が増えてきた。なんでだ、と聞かれてもスピードデュエルを楽しそうにするから、と笑うしかない。なんていえばいいのだ、動画を見るたびにやっぱ好きだなあと思うのに。


最近、初恋が深刻化してんぞ、とHALに笑われてしまった。すぐその意味に気づく。どこにいようがわかってしまうのだ。遊作限定の声フェチなのかもしれない。アイが代行したところですぐ気づいてしまうくらいには深刻化している。

同期しているデュエルディスクが起床時刻をすぎても一度も更新されない時点で和波は草薙に連絡を入れた。和波は遊作の連絡先も住んでいるところも知らないことになっているのだ。学校にもこない、ホットドック屋にもこない、夕方になったら初めて気づく、そんな日が多かったらしい。


「いやー、助かったぜ和波君」

「やっぱり風邪ですか、藤木君」

「ああ、死にそうな声出してたぜ」

「アイ君は?」

「いつも脱走しないように鍵掛けてるらしいからなあ」

「?」

「はは、和波君とHALみたいな関係じゃないってことさ」

「しっかし、よくわかったな?」

「HALがおかしいっていうから気になったんです。僕も姉さん忙しくて、ほとんど一人暮らしみたいなものだから、風邪ひいたとき大変だったし心配で」

「あー、なるほど」

「ま、なにはともあれ、これで大丈夫だろうさ。ここだ」


車が止まる。ここですか、と見上げるオンボロアパートに草薙はうなずく。


「路駐取られたら困るから頼んだぜ、和波君」

「はーい」


隣から降りた和波は買い物袋をかかえて遊作の家に入る。合鍵は草薙から借りたものだ。


『合法的に入るの初めてだな』

(だねえ、ゴーストとしては好き勝手出入りしてたからなんか新鮮)


呼び鈴を鳴らすが音がしない。壊れているようだ。


「藤木くーん、大丈夫ですかー?和波ですー。入りますよー?」


大声で呼んでみるが返事がない。寝ているんだろうか。勝手知ったるとばかりに、初めて来たという体の癖にやたら配置を熟知している空き巣のごとく、遊作がいそうなところをしらみつぶしに歩いてみる。どこにもいない。ロボッピは充電中のようでスリープモードだ。これではマスターはと聞いても教えてくれないだろう。草薙が言っていた最近新調した南京錠つきの防弾ガラスやらが使われたケースはあけてある。どうやらここにはいないらしい。隠し部屋のようだ。


「草薙さん、藤木君どこにもいないんですけどっ!だ、大丈夫でしょうか?!どこかにいっちゃったとか?!」


焦り気味な和波の声に、あー、と草薙が笑う。


『今から教えるとおりにやってみてくれないか、和波君。たぶん、遊作、寝落ちのパターンだなこれ』

「ね、ねおち?」

『ああ、和波君がノートをとってデータを送ってくれてるだろ?でも塵も積もればなんとやらでな、このままだとついていけなくなる、とさすがに焦ってたからなあ、最近』

「あ、そ、そうなんですか?」

『playmaker、最近人気者になっちゃったからな。中学と違って高校は専門性が高くなるから、どうしてもな』

「なるほど」

『というわけで、だ。和波君、これからも遊作の学力のためにノートよろしくな。補修でplaymakerの活動に支障が出た、なんてなったら、笑えねえ』

「あ、ははは、そ、そうですね!」


草薙から言われたとおりに隠し部屋に入っ和波を待っていたのは、アイだった。


「和波ー!来てくれると思ってたぜ!」


アイはすっかり涙目だ。どうやらデュエルディスクがパソコンに端子でつながれており、データの解析をしていたらしい。この状態だとパソコンはオフライン状態である。ネットとつながる手段を封じられている状態だ、さすがにアイはどうしようもなかったらしい。勉強でできなかった穴埋めを睡眠を削ることでとり戻そうとしていたところ、連日連夜の無理がたたってばたん、きゅー、というわけらしかった。


「だ、大丈夫ですか、アイ君」

「大丈夫じゃねーよー!こっちはずーっとこの調子なんだぜ。徹夜とか次の日のパフォーマンス落ちるからやめろって言ってやったのに、これだ。なーにが黙れだよ、俺が言ってることは適確だってのに」


ご機嫌斜めのアイだが、和波が遊作を運ぼうとしているのをみて、さすがに無理だと思ったらしい。ちょっとこい、と言われ、和波は近づく。言われるがままデュエルディスクの操作を行う。


「俺が運んでやるから、遊作には借りが一つだっていってくれよー」

「はい、もちろんです」


ぶわっと現れたアイの実体が遊作を運び、近くの簡素なベッドに寝かせた。


「あ、驚かないのね?」

「え?ああ、その姿ですか?はい、僕、何度も見てますから」

「まーじでか。その姿も見せちゃってるのね、どんだけ深い仲なのお前ら」

「あはは」

「冗談はさておき、やーっとパソコンから出られたぜ!なあなあ、HALんとこに同期させてくれよ!遊作、結構頑張って俺の記憶復元したんだぜ!」

「そうなんですか?!はい、わかりました。ちょっと待ってくださいね」

和波はいつものようにデュエルディスクの設定を互換同期に切り替える。手動ではなく自動だ。さすがに複雑なプログラムはわからないから、HALの言われるがままに行う。アイが久しぶりに話し相手ができて心底嬉しそうなので、そのまま和波は立ち上がる。さすがにこのまま遊作をほっておくわけにはいかない。




眠っているせいか年齢相応にみえる。顔立ちは整っている。180センチほどの身長でスタイルがよく、愛想さえ覚えれば女の子から人気がありそうなのにもったいない、なんて他人事のように思う。復讐を第一とするために、わざとデュエルを楽しむ人たちから距離をとるのは子供ならではの潔癖さなように和波は思う。顔によく思っていることが出る遊作は、不愛想だがよく見ればわりと表情豊かでわかりやすい。和波とは正反対だ。嘘が苦手なのに嘘をつくタイプの人間なのだ、遊作は。それがとてもかわいいと思ってしまう。いうまでもなく末期である。180もある自分より体躯のでかい青年を前にかわいいが出てくる時点で、いろいろと終わっているなあ、と笑いがこみあげてくる。

ゴーストだったら悪戯の一つもするだろう。ダミーデッキとサイバースデッキを入れ替えるとか、アバターを別のものと入れ替えるとか。さすがに今は和波として来ているからそんなことできっこないが。


「藤木君、大丈夫ですか?藤木君」


どうしよう、としばし考え、とりあえず無難にゆすってみることにする。


「ん、」

「あ、おきました?」


どうやら気のせいだったらしい。すぐに寝入ってしまう。え、どうしよう。


「アイ君、毛布どこにあるか知りません?」

「さー?こいつ、いっつもそんなの使わねえからなあ」

「上からとってくるしかないのかな」


さすがにゴースト時に得た知識を有効活用するわけにはいかない。めんどくさいけれど、情報が得られなかったのだ、言われたとおりにするしかないだろう。


「もし、藤木君起きたら、これ飲むよういってくださいね」

「りょうかーい、んじゃ頼んだぜ、和波。いってらっしゃーい」

「はい、いってきまーす」

「大げさだねえ、本体様も誠也も。すぐそこじゃねーか」

「んー、なんとなく?」

「なんとなく、ですね、あは」


笑って、和波はふたたび外の部屋に出る。とりあえず、目についた使えそうな毛布とってきました、って感じでソファにかけてあるものを取ってくる。冷蔵庫を開けてみるが、草薙の言う通り病人が食べるようなものはなにもない。というか、水すらない。どうやら買い出しする時間すら惜しかったようだ。これは両手いっぱいのものを持ち込んで正解というやつである。今度ゴーストとして突撃隣のplaymakerを敢行するときは、いろんな食べ物を押し付けるのもいいかもしれない。そんなことを思いつつ、隠し部屋に戻る。


ハノイとの一戦を観戦中、あいつにもう一度会うため、という言葉が出てきたとき、流れ込んできた映像を見て、和波は失恋を悟ったのだ。たとえ、遊作に声をかけた存在が、和波にとっての初恋ともいえるあの子、つまりは藤木遊作の声だったとしても。HALの生体情報と照合しても同一の声だとしても。記憶喪失な中ぼんやりとしたイメージは深層心理により近い。幼いころ大切だった誰かがいて、それを遊作自身が声を思い出せないから自分の声で上書きしているだけなのだろう、と和波は解釈した。もう一人の僕、というべき誰かがいたのだ、今の和波の取っ手のHALといえるような存在が。その瞬間から遊作とっての、利用価値もあって、協力者としての価値もあって、ある程度信頼置かれる、そんなポジションになりたいと思った。せめて良い印象を持ち続けもらいたかった。

だから、和波は、かつて遊作にされたようなことを返している。うれしかったから。人に好かれ、性格も穏やかで優しい、遊作自身に忘れ去られてしまったかつての遊作みたいな、そんな人になりたくて、いまの和波がいる。憧れに近い好感ををこじらせて、初恋になってしまったことを思えば、やってることは執着に近いかもしれない。ばれたら最悪だ。悪夢だ。だから平常心をたもて、と念じる。心配するクラスメイトであれ。深呼吸一つ、和波はドアを開けた。


「――和波?」

「だ、だいじょうぶですか、藤木君?」


頭痛がするのか、眉をよせた遊作は頭を押さえる。


「そこに冷えピタ入ってるので、使ってくださいね」

「あ、そうそう。そこに入ってるやつ飲めよー」

「あはは、そうですね、まずは水分ですよ、藤木君」


遊作は一瞬驚いたような顔をして、その後草薙とのやり取りを思い出したのか、ああ、とぼんやりとしたまま答える。和波は微笑んだ。よかった、思ったより元気そうだ。


「誰か、きてなかったか?」

「誰か?えーっと、すいません、誰でしょう?僕、草薙さんに教えてもらって初めて来たのでわからないんですけど」

「そうか、ならいいんだ。たまに悪戯していく空き巣がいるから」

「え、まさかゴーストってこんなとこにまでくるんですか?」

「そのまさかだ」


めんどくさそうに遊作はぼやく。


「おかげでこっちをほっとくわけにもいかなくて、」


あくびがとけていく。和波的には放っておいたら、いつまでもリンクヴレインズにログインする昼夜逆転生活に目をつけて、出入りするようになっただけなのだが、意外な効果があったらしい。昼過ぎまで寝ていたこともある遊作にとっては、強制朝型生活はなかなかの拷問のようだ。それでも高校生活が始まり、すっかり朝方になれてしまって、久しぶりに、とかつての生活リズムを取り戻そうとする過程で風邪をひいたらしい。


「とりあえず、これだけでも飲んでください、藤木君」

「ああ、わるい」


受け取った遊作はスポーツドリンクを半分まで飲んでしまう。体は思った以上に乾いているようだった。


「ちょっとごめんなさい」


和波はだらりとしている手を取る。


「熱いですね、藤木君。やっぱり寝たほうがいいですよ、上いきましょう?」


返事すら浮かばないほど、ぼーっとしているらしい。うなずくだけになった遊作が、おぼつかない足取りで歩いていく。


「アイ君、HAL、どうします?」

「データが思った以上にでけえから時間かかるわ、後よろしく」

「圧縮したのになあ、結構でけーんだわ」

「わかりました」


和波は遊作のところについていく。

さすがに倒れられたら、またアイ君に運んでもらわなきゃいけない。悲しい体格差に非情さを感じつつ、和波はビニル袋を運ぶ。冷蔵庫にようやく人間の生活らしさが戻ってきた。ベッドのきしむ音がする。覗いてみると、そのまま倒れてしまったようだ。和波は苦笑いである。結局、また、毛布を取りに戻り、上からかけてやることにする。


「風邪ひいてるんですから、布団被らなきゃだめですよ、藤木君」

「・・・・・・」


返事するのすら億劫らしい。蹴とばされた毛布が転がる。和波は毛布を掛けてやる。手の届くところにスポーツドリンクとゼリーを置いておき、電子端末を立てかける。これで何かあっても平気だろう。あとは草薙に連絡を入れて、下にいるアイとHALを回収して、と考えていると、声をかけられた。


「?」


ふりかえると、ぼんやりとはしているものの、遊作が顔を出している。さすがにぐったりとしているが。


「どうしました?」

「付き合い、いいよな、和波は」

「はい?」

「わるい、ありがとう」

「いえいえ、気にしないでください」


社交辞令かもしれないが意外な一面を知ったなあ、と和波は思う。こんなこと言ってもらえるほど、遊作の中では仲間認定が進んでいるのかもしれない。笑ってかえすと、どこか嬉しそうに遊作は笑った。ああ、これは帰ってほしくないんだな、とマインドスキャンを使わなくてもわかる。以前ここで路上駐車を切られていなければ、きっと草薙もこれたのに。出力したリンクモンスターの受け渡し場所はいつも限られてくるのだ、仕方ないとはいえそろそろ駐車場借りるか、と悩んでいた草薙には早急にお願いしなくては、とも思う。きっと保護者も兼ねている草薙がいたほうがもっとよかったはずだ。


「草薙さんも心配してますし、はやく回復してくださいね」

「ああ、わかってる、心配、かけたな」

「明日、これそうです?」

「・・・・・・いや、たぶんこれは無理だ」

「そうですか、じゃあ、プリントとか持っていきますね」

「助かる、ありがとう」

「はい」


他愛もない雑談である。どこか切ないような、ほっとしたような気持ちになった。


「アイ君たち、連れてきますね、そろそろ」

「いや、まだいい」

「そうですか?」

「ああ」

「わかりました」


たぶん、遊作が求めているのは、和波とは重ならないだろうが、今はなんとなく役得な気分になった。今日は久しぶりに悪夢は見ない気がする。


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