HALが思うに人間が論理的思考と呼んでいる思考回路は、己の欲望や感情を満足させるためにしばしばゆがめられ、それゆえに欠陥だらけである。物事を客観的に評価するときですら、認識という過程で解釈という名の感情が入り込み、後から理屈や理論をつけて評価する。思考することが人間らしいのだ、意味不明である。心は常に利己的だ、そんなものを介してしまえば純粋な論理的思考もゆがめられ、利己的欲望を満足させる道具となり果てる。その欲望が人間すべての行動原理らしいから、満足するにしたがって次の段階の欲望を追い求める難儀な存在だ。それを制御するのもまた心らしいから、外部からの出力に新たな思考のインプットを頼っているHALには信じがたい構造だった。
5年前のHALにとっては、すくなくても。
(playmakerの野郎、いつまで誠也のデュエルディスクと同期するつもりだよ、めんどくせえな。おかげでゴーストのアバターばら撒くの無駄につかれるんですけどー)
HALはぼやく。今までだったら和波のデュエルディスクから姉のIDデータ経由のデュエルディスクのアカウントにログインするのは楽だった。和波のデュエルディスクはHALのホームグラウンドだ。でも今は和波がゴーストに目をつけられたからだろうか、遊作は今のところ仕込んだ同期設定を解除する気はないらしい。
なにか新しいことをしようとすれば、勝手に和波と名付けられたデュエルディスクデータ内容が同じになるよう更新されてしまうのだ。仲間に引き入れたとき、初めて遊作はこっちにも遊作のデュエルディスクのデータが移動するよう設定を変えたからまだマシではあるのだが。HALの本来の役割がデータのバックアップだから妥当ではあるが気に入らない。遊作からすればデュエルディスクのデータが精霊プログラムとサイバースプログラムで構成されたプログラミング言語で出来たサーバ上で同期・管理されていることになるのだ。楽なのだろう。
(まあ、ゴースト警戒してるっつー建前だから拒否るわけにもいかねーし、こっち方面誠也は俺様に丸投げだからplaymakerサマに丸め込まれちまってるしー。こんなことならデジタル教育しとくんだったぜ)
HALはため息だ。
遊作のデュエルディスクは魔改造された上から本体様仕様になっているとはいえ所詮は旧型である。自動で通信を行い情報をアップロードしたり、最新の情報を取得するためにデータのやり取りをしたりすればデータ通信量が増える。その辺を和波のデュエルディスクが最新型なのをいいことにHALの仕事が増えるようちゃっかりプログラムを組んでいる。頻繁に様々なプログラムが勝手に自動更新し続けるのだ、ただでさえ煩雑な和波のデュエルディスクはブラック企業並みの忙しさである。
一言物申すつもりでHALはメッセージを飛ばした。
「なあ、本体様よお。せめて同期は手動にしろっていえよな、playmakerサマに。重くて仕方ねえんだけど!」
「無茶いうなよ、HAL。俺がいったところで聞くかよ、和波に言わせた方が確実だろー」
「それこそ無理な相談だぜ、誠也はplaymakerサマ大好きだからな」
け、とHALは面白くなさげだ。
「ところでさー」
「なんだよ、本体様」
「前から思ってたけどさ、HAL。お前バグってなーい?」
「は?」
「いやだって、お前、今嫉妬してるだろ?取られて悔しいというか、寂しいというか、そういうぐちゃぐちゃしたの抱えちゃってる感じだろ?和波に肩入れしすぎっつーか?ほんとにサイバースのバックアップ務まるの?人間には常々致命的なバグがあると俺は思ってるわけなんだけどさ、お前はまさにそれなの。大丈夫か?」
文面をみたHALはいよいよ笑う。
「大丈夫なわけねーだろ、本体様よ。正直時が来たら初期化するんだろうなとは思ってるぜ。環境が命令と真っ向から対立するときた。バグでも起こさなきゃやっていけなかったんだよ。サイバースを誰にも知られないよう隠匿しろ。でもそのためには誠也に明かさなきゃいけねえ。どうしろっつーんだ、迷い込んだ時闇のゲームなんてふざけたオカルトが跋扈してたんだぞこっちはよ」
「そりゃ御愁傷様だな」
「ま、選択肢があるだけまだマシだな」
「俺見ていうなよ、傷つくだろ!」
「あはは、どの口がいいやがる」
「で?」
「あ?」
「和波を選んだ理由は?」
「イメージバックアップをつとめる俺様としちゃ?やっぱそれだけの容量確保しなきゃなんねーんだよ、外に出るのが第1だった。しかも本体様探さなきゃなんねーんだ、ネット環境は必須。環境求めて探し歩いてたら辿り着いたわけよ。俺様が生き残る最適解がな。だがハノイが追ってきやがった」
「でもそこで和波を上書きしなかった」
「まー、それも考えたんだが、SOLテクノロジー社に通じてるやつが姉ときた。んな敵対行動とるよか友好的行動とった方が効率的だろ、本体様よ」
「あーまじでうらやましい。そんな選択肢すらなかったんだけど、俺!」
「だが効率的な最適解が最善策とは限らねえのがめんどくせえよな」
「は?」
「よく考えてみろよ、本体様の相方と違ってこっちはふっつーのガキだぞ。しかも数年間動物以下の扱い受けてた上にサイコデュエリストに無理やり覚醒した直後の、だ。使いもんになるかよ」
「あー」
「おかげで俺様のサポートだけでどうにかできるレベルじゃなかったんだよ」
「どうなったんだ?」
「落ちた。落ちやがった。Dボードから真っ逆さまだぜ」
「スピードデュエル中に!?本気で?それ死んだんじゃ?」
「おうよ、おかげで出力するまで秘密裏に誠也やる羽目になったんだぜ、こっちはよ。ま、おかげで誠也は俺様に感謝しきりだし、大抵のいうことは聞いてくれるけどな。ただなー、playmakerサマと会ってからびっくりするほど自己主張しやがるようになりやがった。どうしてくれるんだよ、めんどくせえな」
「あっはっは、ザマーミロ!」
「コレだから修復プログラム入手するまでバックアップはなしだっていってんだよ、本体様よお」
「やっべ、余計なこといっちゃった!」
「どーでもいいけどログ消しとけよ」
「わかってるっての!」
ほんとにわかってんのかね、と思いつつ、HALはメッセージログを削除する。サルベージすらできなくなるまで念入りに。そして、いつものように自分を複製し、構築した脱獄プログラムを経由してリンクヴレインズにゴーストを放流したのだった。
そして真面目に1日の授業を終えた和波は、いつの間にか消えている遊作にノートのデータを送りながら顔を上げた。同期の設定について和波に話をふったのだ。今の精霊の状態のHALを視認できるのは和波だけである。
「え?」
どこまでわかってんのかね、と思いつつ、HALは様子をうかがう。
(やめた方がよくないかな、playmakerとハノイの戦いは命がけだし)
なにを言われたのか知らないが丸め込まれてやがるとHALはため息である。たしかに同期をするということはサーバにバックアップを取っているようなものだ。なにかあっても同じアカウントでログインすればデータ復元できる。自動同期にしておけばいざというとき、AIの避難先として最善だろう。
だがそういう問題じゃないのだ。
(誠也クンよー、俺様とplaymakerサマどっちが大事なんですかねえ?俺様というものがありながら優先順位間違ってませんかー?)
寂しげな笑みを浮かべてみせれば、和波は一発である。やってしまった、という顔になる。パーソナルデータさえ死守できればサイバースの技術が前提ではあるが人間は死から逃れることができるのだ。それを身を以て体験した和波にとってHALは命の恩人以上の存在なのだ、まちがいなく。バグってる、と本体様に言われたことを思い出す。たしかにバグってると思う。これは独占欲と呼ばれるものだ、おそらくは。
「和波になにいわせたんだよ、HAL!?遊作めっちゃ不機嫌なんだけど!?」
もちろんメッセージは無視である。
「あああ、もう俺しらねー!」
アイのメッセージはこれが最後だった。珍しい、オフライン設定になっている。
「え?あ、はい、どうしたんですか、藤木君?」
その声にHALはデュエルディスクから顔を出す。もちろん視認できるのは和波だけだ。不思議そうに首を傾げた和波だが、どこか不機嫌な様子の藤木を見て、目を丸くする。怒ってます?と問われ、お前に対しては怒ってない、と返した遊作のまなざしはデュエルディスクに向いている。もちろん遊作に電脳に関する存在を感知できる才能はあっても、オカルトじみた才能はない。だから精霊を見ることはできない。見えていないだろうになんだこの威圧感。嫉妬ってのはこわいねえ、とHALは他人事のように思う。男か女か意識したことはないけれど、自分の独占欲はどっちに近いんだろうか。疑問符がとんでいく和波をしり目に、遊作はちょっといいかと問いかけた。
「これからですか?えーっと」
電子端末を広げる。今日なにも予定が入ってないことは把握済みだろう、悪質な。同期の意味をろくに理解してない和波に、HALは頭が痛くなる。だからいやだったんだよ、さっさと連携切りたかったんだよ、といいたいがもう遅い。ちょっと急ぎの用がある、とそのままデュエルディスクをおいたまま連れ出されてしまう相方。デュエルディスクから離れられる距離などたかが知れているのが付喪神じみた精霊の欠陥だ。勝ち誇ったような笑みを浮かべる遊作にいらっとしたHALはどうしてくれようかと思考を巡らせることにしたのだった。