ハノイの騎士による謀略にはまり、絶体絶命の危機に陥った遊作を他のエリアに弾き出したのはゴーストだった。おまえ、なんで、といいかけた言葉は遮られてしまう。
「このアバター、気に入ってだんだけどなあ」
ゴーストのアバターが剥がれていく。構成しているデータが致命的な破損を受け、その修復速度を上回ってしまったのだと遊作は悟った。
「ま、HEROの真似事はできたわけだし、結果オーライってとこかな?」
「おい、大丈夫なのか?!」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ、使えなくなるだけだしね。それじゃ」
ウインクひとつ、繋がっていた回線を完全に遮断されてしまう。遊作は後ろ髪をひかれつつ、ログアウトした。形成を立て直さなければどうしようもなかったのである。
その日から、ゴーストの目撃情報はパタリと途絶えてしまう。
ハノイの騎士の動向を探りながら、いつもと違う眼差しで音がなるのを待っている遊作に、草薙が笑う。いつものようにハッキングを仕掛けてくるであろうゴーストに借りは返すとでもいっつやらないとなと言われ、ああ、とうなずくものの、こころあらずといった様子だ。
デュエルは好きだけども、だからこそいいデュエルをするやつは巻き込みたくないスタンスの遊作にとってはどうしても耐えられない状況だったのだ。まさかこんなことになるとは思わなかった。いつものゴーストなら、やあやあ少年君、とハッキングを仕掛けてきて助けてやったんだからデュエルしようと特攻してくるはずなのにと。一週間、一月、とたつにつれて、なんで連絡がこないんだ、とイライラすら募り始める。しびれを切らした遊作は、ゴーストと知り合ってはじめて、ゴーストを本気でどこの誰だか調べるために時間を費やし始めたのだった。気づけば3ヶ月がたっていた。
夕暮れ時、橙色に染められた教室。部活や勉強、遊ぶため、様々な理由から生徒たちが出ていった教室は閑散としている。
これで女子高生と男子高校生が二人きりなら甘酸っぱい雰囲気があり、同性同士なら親睦を深める雰囲気があったかもしれない。だが、和波を呼び止めた遊作の間にそんな雰囲気はなかった。
「おい和波、いや、今はHALか?」
和波は驚いたように目を丸くする。
「ど、どうしたんですか、藤木君?」
なにかあったのか、と不安そうな顔が遊作を見上げる。
「僕はHALじゃないですよ?」
こんなところでHALの名前出さないでくださいよ、誰かに聞かれちゃったらどうするんですか!なんて騒がないのは、遊作がわざわざ口にするくらいだ、異常事態だと勝手に脳内補完しているのかもしれない。ずいぶんと買い被られているものだ、と改めて遊作は思った。
「今のお前が和波じゃないと考えてる理由は3つある。1つ、ゴーストが消息を絶った日、いつもなら探知できないはずのアドインがわかった。それは和波のデュエルディスクだった。少なくてもあのゴーストは和波か、HALが中の人間だったということだ。2つ、あの日から和波がHALを呼び出すときはいつも精霊プログラムの状態であり、和波が仲介してた。俺たちの前に和波とHALが同時に存在したときはなかった。3つ、和波はいつも島とデュエル部に行くが付き合いが悪いとぼやいてた。聞いてみたら3ヶ月前から忙しいのか部活にでてない」
すっと和波の表情が抜け落ちる。そして、絶対にしないであろう笑顔がうかぶ。違和感しかない。にっと口を釣り上げた和波は、遊作をみる。
「誠也の姉さんすら気づかなかったのになあ、やるじゃねーか!」
「和波は大丈夫なのか!?」
「うわっ?!なんだよ、急に!近い近い!」
「あたりまえだろう!リンクヴレインズでなにかあったらログアウトした時精神的ショックがフィードバックして電脳死するかもしれないのはお前だって知ってるはずだ!表に出てこれないほど悪いのか?」
「あー、この身体、俺が代わりに憑依してると思ってるわけね。安心しな、これは誠也のアバターを出力したやつだ」
「なに?」
「おいおい、サイバース由来のデータは出力しただけで実体化すんの忘れたのか?エース入手してんだろうによ」
「なにいってるんだ、和波は」
「たしかに誠也はイグニスじゃねーさ、でも仕方ねえだろ。守るには俺が取り込むしかなかったんだからよ。あのバカ、フルダイブしやがって」
「まさか」
「そのまさかだと言ったらどうする?」
「和波に会わせてくれ」
「仕方ねえなあ、わかったよ。んじゃ、ここに来い」
HALが渡したのは、アドレスが書かれた付箋だ。ここにログインしろといいたいらしい。
「ここ経由じゃねえとお前が誠也に近づいたことがばれちまうからな。ゴーストの正体は誰にもばれちゃいけないんだよ、だれにもな」
「ああ、わかった」
「んじゃな」
和波の姿をしたHALは去っていった。
「俺はとんだ思い違いをしていたらしいな、HALがとんだ食わせ者かと思ったら、和波のほうがひどかった」
ゴーストの正体が和波である。ここ3か月ほどの間に自覚してしまった感情をどうしたらいいのか、遊作はわからなくなってしまった。ずっと和波の姉がゴーストだと思っていたのだ、遊作は。そのつもりで和波と接してきたし、和波もそれがわかっているようだったのに。今までの行動を顧みて、遊作は言葉にならない衝動に駆られる羽目になる。リンクヴレインズで現実世界でも死ぬような行動に出ればどうなるか、和波もわかっていたはずだ。大好きな姉がどういう状況なのか数年間ずっと見てきたはずなのだから。それなのに助けてくれた、しかも、おそらくはHALに取り込まれてサイバース由来のデータに変換され出力されている最中。つまり、あのとき、人間としての和波は死んだのだ。それはplaymakerに対する尊敬の念を逸脱しているような気がしてならない。いや、それ以外の感情があってほしい、と遊作は望んでいる。
遊作がHALから渡されたアドレスにログインすると、そこはどこかの研究室だった。ゴーストの本拠地なのだろう、とすぐにあたりがつく。
「よお、ずいぶんと早いご登場じゃねーか。誠也ならここだぜ」
それは不思議な光景だった。《デコード・トーカー》をはじめとした、データストームで入手したリンクモンスターのカードを実体化させるときに使うポットをずっとずっと大きくしたような装置が鎮座している。光の粒子が上から下に流れていき、和波のパーソナルデータを再構成している。ほとんどのデータは再構築が終わっており、最終段階に入っているようだった。やーっとお役目ごめんだぜ、とHALは笑う。どうやらHALが和波の代わりに現実世界の生活をこなすのは初めてではないらしい。HALがやたら和波に肩入れするのはこのためか、と遊作は思う。
「んな顔すんなよ、こえーなあ。はいはい、お邪魔虫は退散するとしますかね。用事が終わったら呼んでくれよな。俺は今からSOLテクノロジー社で実験しなきゃいけないんでね」
ログアウトしたHALを見届けて、遊作は和波が目を覚ますのを待っていた。
「…………あれ?ここ、は?」
和波は目を覚ました。フルダイブしたときと同じ、制服姿のままである。音もなくポットが開き、和波はきょろりとあたりを見渡す。HALを探しているのだろうか、そこにいるのが和波の姿をした相棒ではなく、遊作だと気づいて硬直する。ここにいるのは相方だけのはずだから当然といえば当然だが、え、あ、えええっと声を上げる和波は明らかに狼狽していた。遊作はなによりも完全な状態で復元された和波に安堵する。HALは何が何でも守ろうとしたのだろう、見る限り3か月前最後に学校で別れたときの和波となんら変わらないように見えた。ついでに言えば3か月の記憶が存在しない状態なのだ。いつもならHALがデータを渡して補完してくれるのだろう。あきらかにその視線はHALを探している。遊作は面白くなくて手を差し出す。あ、ありがとうございます、と戸惑いがちに和波は立ち上がった。
「ふ、藤木君!?ど、どうしてここに!?」
「それより寝てろ、誠也。いや、ゴーストって言ったほうがいいか?」
「!?」
「感覚的にはすぐ目が覚めたんだろうが、3か月も出力に時間がかかったんだ。どこかおかしくなってないか、調べないとな」
たっぷりの沈黙ののち、自分が置かれている状況を察したらしい和波は、観念したように肩をすくめた。
「…………ぼ、ボク、そんなにかかっちゃったのかあ。おっかしいなあ、あの時はもっと短くて済んだのに」
「ああ、かかっちゃったんだ」
「そっか。心配かけちゃったみたいだね、ごめん。でもよかった、君が無事みたいで安心したよ、playmaker」
「…………いいから寝ろ」
「ゴーストってばれたのに優しいんだ?てっきり一発殴られるかと思ったのに」
「…………まだお前とゴーストがイコールだって、頭が受け付けないんだよ」
「あっはっは、だろうね。ボクの猫かぶりは筋金入りだから!」
「…………その顔でゴーストのキャラはやめろ」
「ひっどいなあ、こっちが地なのに」
「………………」
「君がここにいるってことは、ボクの恰好したHALも見たんでしょ?なにを今更」
「うるさい」
促されるがまま、簡素なベットに寝かされる和波はおとなしいものだ。
「イケナイことしないでよ?」
けらけら笑うその様子をみた瞬間に、遊作の無自覚な感情などお見通しだったのだ、と悟る。
「ま、ないと思うけどね、君、姉さんだと思ってたみたいだし?黒歴史にしちゃってごめんね」
全然申し訳なさそうじゃない態度である。その瞬間に、遊作の中でくすぶっていたいろんなものがばかばかしくなってしまったのだった。落ちる影に和波は目を丸くする。あ、ごめん、怒った?といいかけて、その距離がどんどん近づいてくると気づいた和波は、あ、いや、その、と狼狽し始める。ごめん、ごめん、謝るから、さ、と落ち着くよう諭してくる言葉を無視する。いたいけな少年の純情をもてあそんでごめんなさい、とかゴーストが口走りそうな言葉をplaymakerの協力者である、嘘がつけなくて素直で控えめな性格のクラスメイトからぽんぽんでてくる違和感はもう最高潮だが、遊作はそれをすべて無視した。
「……ここでしてみるか?」
「一応聞くけど、なにを?」
「わかってるならいいだろ、言わなくても。お前は断るか、断らないかどっちかだ」
「そんな顔で聞かないでほしいなあ」
今、どんな顔をしているのか自覚はないが、和波がひきつったまま後ろに下がっているのだ。きっとそういう顔をしているのだろう。距離を詰めていくと、いずれ後ずされなくなる。背後は壁だ。背後の冷たい感触に、和波はうっわという顔をする。
「それで、どっちを選ぶんだ?俺か?HALか?それとも行方不明の姉か?」
「待って、話が飛躍しすぎてついていけないんだけど」
「飛躍なんかしてない。俺がここにたどり着くまで、HALとどういうやり取りをしたかなんて、HALとは長い付き合いだからわかるだろ」
「待って、ほんと待って、もっとなんかこう、葛藤あるんじゃないの!?ボク、男だよ!?」
「何度もいうけど、もう3か月はたってるからな」
「えー」
壁を背にしたことでいよいよ逃げられなくなった和波は、遊作を見上げる。自然と上目遣いになる。どうみても和波の形勢は不利である。唯一、状況を打開してくれそうな相方がまさかの敵前逃亡の時点で詰んでいる。
「…………嫌なら蹴とばせばいいんだ」
「ちょ、やめっ、ひぃ」
突然首筋を甘噛みされたことで腰から力が抜ける。へたりこんだ和波にのしかかり、遊作は更に距離を詰める。お互いの息がかかるほどの距離まで詰められてしまい、反射的に和波は顔をそむけるが、そんな抵抗遊作が許すわけがない。頬に手を当てられ無理矢理正面を向くよう促され、抵抗しようという意思は見えるが蹴とばすほどではないらしい。体格差からして無理ゲーなのは一切考慮しないようだった。何かがおかしい、と叫ぶ理性は3か月という期間の間に段々と薄れていき、こじらせてしまったようだという自覚はある遊作だが、こうして目の前にして熱に浮かされたような心地なのだ、きっと気のせいではない。目の前の少年を見る。制服の隙間からちら、と覗く白い肌、唇、さらりと流れる髪、その全てが心を揺らす。
遊作を見上げる瞳は、ようやく遊作が本気であると悟ったらしく、どうしよう、で固まっている。なんて答えればいいんだろうか、と必死で考えているようだ。
「待てっていったな」
「あ…………うん、言ったよ。そうだよ、ボク、目が覚めたばっかりだから心の準備がだね、」
「ならいつまで待てばいい?」
「え゛っ…………えっとー、その、うーん…………」
三、と指を出される。
「日?」
「短すぎるよ!せめてか月!」
「長い」
「却下!?う、あ、あんまり待たせるのは悪いとは思うけどさー、お互いにやるべきことあるじゃん?」
「保留するつもりか?」
「で、できたら」
「…………なら、先に行っとくけど、俺は自重しないからな」
「自分の都合のいいほうに解釈するタイプだったー!?」
「なんだ、しらなかったのか?」
「知らなかったよ!君、手を出すの早すぎない!?あのころはあんなに初だったのに!」
「あれだけセクハラかまされたら慣れる」
ひえっと和波は声を上げる。セクハラだ、と叫ぶその潤んだ瞳に、紅潮した頬に、上気した肌に、熱い吐息に、嫌悪はどこにも見当たらなかった。さらに体を密着させ聞いてみると、さらに顔が上気する。
「っ……ぎゃー!」
腕の中で動揺する和波が面白くてたまらない。思考は鈍化していくのに血流はどんどん早くなっていく感覚が癖になりそうだった。両手でがっちりと固定した和波の頭を抱え込むように抱きよせる。一気に血流が早くなるのを感じるのか、和波はさすがに押し戻そうとする。
「待ってやるけど、なにもしないとは言ってないからな」
そうして二人の唇と唇が重なる、という段階になって、遊作は笑った。