ゆっくりと真っ赤な扉が開かれる。そこには白衣を着た男が立っていた。ユートは思わず克己を見る。克己が愛おしげに見つめていた懐中時計の写真とうり二つの男が目の前にいる。色は劣化し、擦り切れているものの、そこには無邪気に笑う幼い克己と頭をくしゃくしゃに撫で、笑っている男がいたのをはっきりとユートは目撃していた。
「克己、」
「なんで」
「大丈夫か?」
「なんでだよ、おっさん」
ユートの声は耳に入らないらしい。明らかに狼狽している克己は、目の前の現実が受け入れられてはいないようで、さっと血の気がひいていく。
「おれは、アンタが褒めてくれるから、がんばって、」
悲痛な叫びなど意にも介さず、無情にも男は武装をこちらに向ける。
「目が覚めたようだな、克己、ユート」
背後の扉が閉じる音がする。そして、静かな声がユートの耳に響いた。表情ひとつ変えないまま、男はどこか虚ろな目を向けてくる。
「私がお前たちの試験官だ。さあ、戦ってもらおうか」
足下には肉片が飛び散っている。致死量と思われる赤が床を塗らしている。おそらく数人分のドールが完全解体されたのだろう、惨状が広がっていた。
「これは性能試験だ。合格することがお前たちの試験となる。こころしてかかれ」
男が宣言すると同時に、かつてドールであった少年、もしくは少女たちの肉片はひとつに固まっていく。そして嫌な音を立てながら形をなし、ユートと克己の前に立ちふさがる異形と化す。
「おい、克己?」
「おれは、おれは、なんのために、そんな」
完全に戦意を失っている克己に、慌ててユートは呼びかけるが聞く耳を持たない。
「克己!」
思い切り声を上げると、ようやく克己はユートを見た。ふらふら前線に行きそうな気配すらある仲間の手をつかんだ。
「君と彼に何があったのかは後で聞く。でも今は集中してくれ、頼むから!彼の話を聞くにしろ、こいつらを倒さないと駄目だろう!」
「倒す、倒す、そうか、そうだよな、おれがこいつを倒しておっさんに褒めてもらえばいいんだよな、うん、うん、そうだよな」
言葉は狂気じみているけれど、その瞳には若干の生気が宿る。でくの坊になられては、さすがにユートでもかばいきれない。戦闘態勢に入った克己に、ほっとユートは息を吐く。そしてライフルを装填しようとしたとき、どこかで見た糸がユートを後方へはじき飛ばした。突然の衝撃にかろうじて受け身をとれたユートだったが、何するんだと声を上げようとして、見えたのは豪快に体がはじけ飛ぶ克己の姿だった。
「克己っ!」
男からのショットガンをもろに食らった胴体からはらわたが豪快に吹き飛ぶ。血しぶきと言うには歪な色をした液体があふれ出るが、ドールである克己は微塵も痛がる様子はない。知識としては知っていても、目の前で肉片が散らばり、上からその液体をもろにひっかぶったユートはたまらず叫ぶ。
ぱきん、と機械が壊れる音がした。
こいつ、と射程を合わせようとするユートの援護より早く、何本もの刀が体に突き刺さっている大男の豪快な一撃が克己に襲いかかる。ショットガンの衝撃から立ち直る前の一撃だ、ろくに受け身もとれないままの克己はなすすべがない。両足が切断され、足が吹き飛ぶ。
「いってえな、この野郎!」
露出した骨で歪な体勢を強いられることになった克己は、ユートの知る笑みを浮かべている。どうやら手痛い一撃を二発も食らったおかげで、嫌でも目が覚めたらしい。ユートはほっと胸をなで下ろし、戦闘態勢にはいった克己の支援をすべく銃を構える。
「おれの方が優秀なんだよなー、お前は後ろで見てろよ、ユートクン」
おちゃらけた調子のまま、彼は動く。速い。一瞬ユートは彼を見失った。あのときは視界の隅にとらえることができたが、それは叶わない。克己の周りにうごめいていたゾンビ、そしてオチムシャがあらぬ方向につり上げられる。一網打尽にした無数の糸が腕から伸びていた。ざしゅ、と鋭利な音が響き、すべてのゾンビが一瞬で吹き飛んだ。そしてオチムシャを形作っている部位がその攻撃により崩れ始め、下半身が吹き飛んだ。ぐちゃりと上半身だけが残る。
「もういっちょ行くぜ!」
違う方向から繰り出された繊維が絡め取り、オチムシャの腕を切断した。さきほど一撃を食らわせてきた刀が転がる。様々な部位で作り上げられていた張りぼては、完全に解体されてしまった。
「どーよ、ユート。おれ、すごくね?」
「ああ、すごいな」
「だろー?もっと褒めてもいいんだぜ?」
「俺を巻き込まないようにしてくれたことは感謝する。でも、戦場で油断は禁物だぞ、克己」
ユートがとっさに近くにあった肉片を投げる。突然の奇襲に手元が狂ったのか、ショットガンの一撃はあらぬ方向に飛んでいった。
「うっひいっ!?サンキュー、ユート!」
「当ててからいってくれ。この一撃はさっきの礼だ」
よほど気が立っていたらしい。すさまじい集中力を発揮したユートは、男が構えるときに生じるわずかな隙を見逃さなかった。ショットガンを構えつつ、懐からコマンドナイフを取り出そうとしていた男の両手を確実に打ち抜く。はじけ飛んだ両手から、ショットガンとコマンドナイフが遠くに転がった。
「すげえ!」
「今だ、克己!これで相手は無力化できたぞ」
「ああ、一気に行くぜ」
克己の前に立ちはだかるのは、白衣の男を守るように立ちふさがるソルジャーたちだ。一斉射撃の体勢に入るが、すかさず克己の糸が妨害に入る。しかし、白衣の男は克己の行動がまるで分かっているかのように、その機動を読み切り、指示を出す。打ち抜かれた糸は爆風にあおられて機動がずれ、横の瓦礫を裁断してしまった。容赦ない弾丸の雨が克己に降り注ぐ。頭に複数の被弾を浴びた克己は、ぐらつく体のまま糸を巡らせる。
「克己!」
目が吹き飛んだせいで射程がわからなくなったのだろう、あらぬ機動を走る手を無理矢理軌道修正すれば、目前に迫ってきていたソルジャーたちは、一気にはじけ飛んだ。悪臭漂うが視界は良好だ。攻撃手段を失った白衣の男はもはや単純な行動しかしてこない。妨害を代行する手駒はもうない。盾もいない。近づくことしか能が無いでくの坊と化した白衣の男めがけて、淡々とユートは処刑を執行したのだった。
「・・・・・・また、か」
完全解体される直前、男の諦めきった言葉だけが妙にユートの耳に残った。
ふう、と息を吐いたユートは、とりあえず、崩れ落ちてしまった克己の体の修復に入る。あごまで吹き飛んでしまったのだ、ろくにしゃべれないだろう。さいわいユートは怪我一つ無い。ここにある肉片はすべて克己に渡してしまっていいはずだ。ドールがどうやってできているのか知っているのが、こんなにありがたいときがくるとは思わなかったユートである。目玉が吹き飛んだ時点で男の最後を克己は見ることはなかった。それだけが救いだ。少々材料が足りなかったため、はらわた等欠損は出てしまったが移動に必須な部位は集中的に直した。ついでにあごも。さすがにしゃべれないのはつらいだろう。体が馴染むにつれて、瞬き数回、克己は体を起こした。
「さんきゅー、ユート。しゃべれねえ、みれねえってのはきつかったんだわ」
「よかった、その様子だと大丈夫そうだな」
「んー、あえて言うなら腹がすかすかなの変な感じ?」
「仕方ないだろ、ここじゃ足りない」
「そーだな。どっかにねーか探しに行くかね」
「そうだな。でも、その前にせっかくだからなにか探さないか?」
「それもそーか。なんか残してねーかな、おっさん。勝ったんだから試験は合格だろ?合格祝いにアンタの大事なもんもらってくぜ」
がさごそと白衣を探るとカードキーが出てくる。じゃーな、と自ら屠った男にそういって、克己は先を急ぐ。
「いいのか?」
「なにが?」
「彼は、その、君の大切な人間だったんだろう?」
「まあ、一応?おれを初めてまともに扱ってくれたの、おっさんだったからな。褒めてくれたのはおっさんだけだった。だからおれはあそこに居ようって思ってたのによ、自分から壊しちゃせわねーな」
「そうなのか」
「ま、あの様子だとネクロマンサーぶっ潰さねえと延々試験やらされるみたいだし、おっさん助けるためにもこっから出なきゃな」
「克己、まさか聞こえて?」
「耳は破壊されてねーだろ」
「・・・・・・」
「そんな顔すんなよ、調子狂うじゃねーか。ほらほら、宝探しと行こうぜ。試験に合格したんだから、それなりのもん用意してんだろーしな!」
赤い扉に引き返す克己をあわててユートは追いかける。扉を出ると、すでに克己はカードキーを通した後だった。地面が揺れる。壁が揺れる。すさまじい轟音が響き、内部で機械仕掛けの装置が作動したことがわかる。ガシャンと言う音が反響する。やがてゆっくりと扉が開かれた。
「お、いいもんあるじゃん」
そこは緊急時の避難経路だったらしい。ドール用の予備の部品やパーツ、克己やユートが興味をひかれるような武装、変異パーツ、改造パーツが置いてある。一歩足を踏み入れると、後ろの扉が音を立ててしまった。
『合格おめでとう、君たちは戦場で戦うに値する性能を持ったドールであることが証明された。さあ、ここにあるものは合格祝いだ、受け取って欲しい。そして次なる戦いに向けて、幸あらんことを』
録音された電子メッセージが垂れ流される。うへ、と克己は顔をゆがめた。
「嫌って程聞いたんだけど、おれ」
「ドールの生産工場みたいだからな」
「まーじかよ。どこのどいつだよ、おれみたいなこと普通の人間にさせんなつーの。壊れるに決まってんじゃねーか」
克己の言葉には怒りが混じる。克己の問いかけに、男はすべて沈黙で返した。あれはきっと気が遠くなるほどのドールとの戦闘による完全解体、あるいは完全解体したドールたちを処分するために異形を生成して次を待つという事実に消耗して自我が希薄になったのだ。永遠に解体され、解体し続ける自身の運命に絶望したその先で、感情を持つこと自体やめてしまったのだろう。そう思ったらしかった。
「克己、もしかして君は」
「まあ、目覚めたばっかのドールは自分が人外の怪物なんて自覚すんの難しいからな。こうやって教え込むんだよ、そんで意図的な戦略と配置をするんだ。惨めなもんだぜ、憐れまれるし、どんなにぶっ壊れても蘇生されるし。やっと終わったと思ったのにこれだろ。ネクロマンサーは何が好きでおれなんか」
はあ、とため息をつきながら、克己は目の前の武器を物色している。いつだってこの部屋を通ることが許されるのは克己を完全解体したドールたちだけだった。その存在は知っていたけれど、こうやって入るのは生まれて初めてだと無邪気に彼は笑っている。ユートは複雑な心境のまま、その反対側に向かう。
「克己、こっちに来てくれ。肩を治そう」
「あ、まじで?パーツまであんのか。すげーな」
お目当ての武装が見つかったようで、これをついでに固着してくれ、と差し出される。わかった、とユートはうなずいた。
「しっかし治すの上手いな、ユート。手先器用じゃね?」
「そうか?」
「そーそ、おれがやるとなんかこうぐちゃってな?」
「それはいい加減すぎるだけじゃないのか?」
「うっせえ」
軽口を叩く程度には回復しているらしい克己である。狂気に満ちていたときに口走った対抗心は、明らかに寵愛の片鱗が見え隠れしているユートに対する嫉妬も混ざっていた。かつての自分を思い出し自尊心を高く持たないとやっていけなかったころに戻ってしまったのかもしれない。あのときの克己は正直怖かったユートである。そして、生前の彼の境遇をしった今、なおのこと自分の生前を形作る記憶を言い出しにくくなってしまう。今はまだおいておこう。そう決めて、ユートは自分の強化に集中することにした。
しばらくして。
彼らがその先にあった階段を上っていくと、荒廃しきった街並みが広がっていたのだった。
「さーて、いくか。ここを出たのがおれ達だけってことはねーだろ。とりあえず、探してみようぜ?」
「ああ、そうだな」
強い風が吹いている。今にも降り出しそうな曇り空だ。まずはあらゆる化合物が混じり合った雨をしのぐ建物を探すべきだろう。二人は歩き始めたのだった。