窓が一切無く換気を促す巨大なファンの音が反響する廊下は、地下施設なのだろうか。まっすぐに続いている白い蛍光灯だけしかめぼしいものはない。殺風景極まりない廊下を前に、こつこつとブーツの軽快な音が響く。ユートは拳銃を構えつつ、背後の警戒をつとめる。先は任せろと啖呵を切ったこともあり、克己はその先を歩いて行った。定期的な清掃が行われているのだろう、埃一つ無く綺麗な廊下は、長く伸びる二人の影だけ伸ばしている。沈黙ばかりがすべてだった。ユートは克己の表情を伺うことはできないが、その一切迷いのない足取りは本当に何も考えていないのでは、と疑念を抱くには十分だった。やがて克己の歩みが止まる。
「ユート壊せねえ?」
さっき破壊したドアノブをいっているのだろう。克己の横からのぞき込んだユートは、静かに首を振った。
「さすがに無理だ。これはカードキーだろう」
克己が止まったその先は、銀行の地下金庫を思わせる重々しい扉が立ちふさがっている。その横には四角い電子機器が取り付けられており、緑色の横文字が並んでいる。なんの躊躇もなくぺたぺた触っていた克己に咎めようとしたユートだが、克己は笑う。カメラもないし、ドアぶっ壊したのになんもねえじゃん、この状況だと誰か来てくれた方がよくねと。あいにく反応はなさそうだ。克己はため息をつく。この重厚な扉は隙間すらなく、その役目をきっちりこなしていることがわかる。
「壊せねえ?」
四隅を指さす克己だが、ユートは無理だと即答した。
「そっかあ、そのデカブツならこうどーんって壁ごと壊せそうな気がすんだけどよ」
「何度も言わせないでくれ、克己。他を当たろう」
「へーい。じゃあ、こっちかね」
克己の視線は隣に向かう。
「赤か青かねえ、どっちにするよ?おれ、赤のが好きなんだけど」
「青にしよう」
「え、なんで」
「俺に任せるといっただろう、克己。俺は青が好きなんだ」
「まっじかよ、二択で別れるとか。しかたねーな」
克己は手ぶらなままドアをちょっと開ける。不用心なように見えるが、克己はどこに仕込んでいるかわからない糸のようなものがあったはずだ。あれがきっと克己の武器なのだ。ユートはすぐにその詳細を思い出すことはできなかったが、鋭利な糸はなんだって切り裂いてしまいそうな予感があった。ユートの肌は生身のように柔くはないのだから。身軽な方が好きなドールはたまに居た。きっと克己はその部類なのだ。ユートはその無防備な背後を守るため拳銃を構えた。克己はなんの躊躇もなく入っていく。しばらくして、ふたたびドアがあいた。
「問題ねえ、こいよ」
「ああ」
克己に手招きされ、ユートも中に入った。中はユートが目を覚ました部屋、ここまで歩いてきた通路とは違い、薄暗い。しかし、精巧なドールの目はわずかな光源だろうと、容易にあたりを認識させる。どうやら書斎、もしくは資料室のようだ。天井までびっしりと本が敷き詰められた戸棚、そして積み上げられた本に埋まっているパソコンがある。ユートはどこかデジャヴを感じる。これはどこの記憶のかけらだろうか。詰め込まれた記憶が多すぎて、この場所に関する記憶をすぐに思い出すことができない。もっと明るければ、なにがあるのかわかれば、思い出せるだろうか。
「電気が見つかんねえ。どこだ?」
克己は手探りで壁を伝っているらしい。その反対に手を当てたユートは、通常ならその近くにあるはずの電気を探す。
「んー、ねえな。ユート、あったか?」
「いや、ない」
「まじで?うっわっと、あああっ!?」
どごっという鈍い音のあと、その影がユートの視界からきえた。
「克己?!」
あわてて駆け寄ろうとしたユートだったが、その足下を何かが通り過ぎる。ユートはとっさに銃口を向けた。その矛先が自分だと勘違いしたらしい。克己の情けない命乞いが聞こえた。
「たんま、たんまっ!こっちくんな、ユート!おれ潰れる!」
「黙ってくれ、克己。ここなにかいるぞ」
「まじで!?」
ユートは周囲を注意深く見つめる。気をとられている隙に逃げられてしまったのだろうか。銃口を向けながらうごめく影を探していたユートは、その一点を見つめた。
にい、とかわいらしい鳴き声が聞こえてくる。
「ねこ?」
「ってえ、この野郎、急に飛び出してきやがって」
ぱちり、という音がした。ユートはその白黒の小さなぶちねこがこっちを見上げていると気づく。どうやら克己は子猫を踏んづけかけてバランスを崩したらしい。ようやく明るくなった周囲である。いてて、と大げさに言いながら腰をさすっている克己は恨めしげに子猫を見つめる。こんなところにいる子猫だ。見てくれは普通だが、普通なネコなどいるはずもない。きっとなにか生物兵器ににた性質を搭載しているのだ。そう判断したユートは克己に視線を投げた。
「どっちにする、克己。資料を探すか、こいつを捕まえるか」
「おれはどっちでも・・・・・・いや、やっぱなし。これはない。さすがにない。おれ、日本語以外読めねえっての」
試しに近くにある本を手に取った克己は、早々に音を上げた。
「じゃあ、俺が読む。だから克己はそいつ捕まえてくれ」
「なんかこいつにご熱心だけどなんかあんのか?」
「いや、なんとなく」
「なんとなくねえ。ま、いいけど」
克己はにやにやしながらではあるが、同意してくれた。その意味がよく分からないユートだったが、克己がネコを捕らえるための姿勢になったのを確認してきびすを返す。そして、ざっとタイトルに目を通す。埃ひとつない、清潔に手入れされた本棚は、古本特有の香りが立ちこめている。タイトルはいずれもかつての最終戦争において勃興したネクロマンサーの技術の拡大を狙ったものばかりだ。ドールとしての身の上を考えると気分が沈むが、背後ではにげんなこのやろーという声とばたばた走り回る克己の足音が響いている。まるでネコに遊ばれているようだな、とユートは思わず笑ってしまった。そして頑張っている克己のどや顔に対抗するべく、つま先を伸ばす。台を使わないのはせめてもの抵抗だった。
ユートが気になったのは、記憶に引っかかりがある幾つかの本である。
それを抱え、椅子をひく。そしてパソコンの電源をつけた。ロックがかかっているが、さも当然のように入力していく手はよどみない。あっさりとパスワードを入力し、セキュリティを突破し、お目当ての情報を探り当てる。
ユートが見つけたのはこの施設のPDFだった。ここに印刷機はない。書斎の引き出しを開けてみる。手頃なペンとノートが入っていた。ぱらぱらめくってみるがめぼしい記述はない。ここの持ち主はメモ魔ではなかったようで、ユートでは解読不能なレベルの汚い字が書き殴ってあるだけだ。仕方ないので一番後ろのページにこの施設の名前と記述の概要、内部の簡略化した地図を書き出していく。そして、引き出しに入っていた、綺麗な布に包まれた筒状のものを取り出す。それは一番奥にそっとしまわれていた。金属のなにかだろうか。ずっしりときたそれをほどいてみると、それは弾丸が突き刺さっている懐中時計だった。その時間は中途半端で止まっている。電波時計のようだから、この弾丸により精密機械が破壊されてしまったようだ。これを修繕する術はもうこの世界にはないだろう。電波時計なのにネジがある。不思議に思って触ってみると、円盤がかちりと音を立ててあいた。
しばらくして、ユートはパソコンを切った。
「できたぞ、克己」
「お、お疲れさん。こっちも捕まえたぜ、子猫ちゃん」
ほらよ、と差し出された子猫に目が点になる。
「なんだよ、その反応。好きなんだろ?」
「え?あ、いや、そういうつもりじゃなかったんだが。俺は生物兵器だといけないからと」
「はいはい、ごまかさなくていいって。ほら、にゃんこ、今日からユートがお前の主な」
「勝手に決めるな」
「えー」
にー、と鳴く子猫は克己にかまってもらえてご満悦だったのか、それとも遊び疲れてへとへとなのか、大人しいモノだ。うつらうつらしているのがわかる。ユートが受け取ると、子猫はその腕を伝ってジャケットの後ろについているパーカーのところに収まってしまう。ちょっと引っ張られるが圧迫感はもともとない。戸惑いがちに出そうとしたユートだったが、子猫はそこが気に入ったらしく動かない。
ユートは諦めた。どうやらこのネコは克己よりユートのが序列が上だと本能的に分かっているようだ。
「で、なんかいいもん見つけたか?」
「ああ、ここの施設の名前がわかった」
「なんつーの?」
「ドールの試験場だったらしい」
「うっへ、まんまじゃねーか。しかもまだ稼働してるくせーな、これ」
「ああ、おそらくな」
「ネクロマンサーはお偉いさんっておちかね?」
「さあ、そこまではなんとも。ただかなり研究は進んでいたらしいな」
「ふーむ、ESPの?」
「いや、そこまでは書いてない。ただ大きなプロジェクトの一環だったようだな」
「へー」
そこにあった最高責任者の末路を断片的に思い出したユートは、彼がネクロマンサーになれるわけがないと確信していたが、克己には伝えなかった。なんで知っているのだ、という疑念を向けられたくはなかったのだ。今のユートではない。生前のユートが幾度も味わってきたまなざしを、たった一人の仲間から向けられたくはなかった。生前のユートが必死で隠していた秘密を今のユートは覚えていない。でも最終戦争という通常のドールならば持ち得ないはずの観測の記憶がある時点で、ユートは通常のドールではないと克己なら気づくはずだ。ただでさえ幾つかの立ち振る舞いを見て、最終判断を投げてくる克己だ。どこか思うところはあるのかもしれない。それを表に出さないだけ彼は優しいのだ、きっと。
ただ、そこまでの思案を巡らせていること自体ばからしくなるくらい、あっさり克己はひいてしまった。
「ほかにはー?」
「え?あ、そうだな、地図があった」
「お、いいじゃんおれでも分かるやつ来た。あとは?試験場ならなんかありそうじゃね?」
「すまない、そうだな。メモがあったんだが、知ってるか?」
「ん?」
受け取った克己はぱらぱらめくっていく。
「めっちゃ下手くそだな、こいつ。読めねえ」
「克己も読めないか。俺も読めない。ほかに書くモノがないからな、一応持って行こう。ところで、これには見覚えあるか?」
綺麗な布に包まれていた懐中時計。それを差し出したとき、克己は息を呑むのが見えた。
「克己?」
「なあ、それどこにあった?」
「これか?その引き出しからだ」
「これだけ?」
「ああ、これだけだ」
「ふーむ、ちょっと貸して?」
ユートから受け取った克己は、なんのためらいもなく懐中時計の円盤を持ち上げた。そして、その間に大切にしまわれている劣化した写真を見つめる。そのまなざしは優しい。克己はいつも笑っているが、それとはまた別の笑みがある。安堵の笑みだ。無事で良かった、そんな言葉すら聞こえてきそうだ。ユートは表情がこわばるのがわかる。その懐中時計が懐にしまわれるのを見ていることしかできなかった。
「どーしたんだよ、ユート。あ、かっこいいからって欲しいとかいうなよ?ずりーぞ、何個も」
「克己のか?」
「んー、たぶん?ぼんやりとだけど持ってた気がする」
「そうか、なら君が持ってるといい」
「そーだな、ってマジで欲しかったのかよ!?ユートはそいついるし、おれはこいつね!」
茶化して笑う克己に、ユートは苦笑いした。まだ飼い主になると決めたわけではないのだが。
「それにしたって、こいつどっから入ってきたのかね?」
「ドアからじゃ無いか?」
「えー」
窓はない。ドアの隙間以外入れそうなところはない。だが克己は納得いかないようだ。それはなんとなく口にしたユートも同じだ。ぽんとでてきたが、あの通路を思い出すと野良猫が入りやすいところでもなさそうである。
「どっかに穴があっかもな。探そうぜ」
「それはいいけどな、克己。こいつが通り抜けられるサイズなら入れないんじゃないか?」
「いーじゃん、そこはこうユートのスコープで覗くってことで」
「また俺か」
「だーからこーいうのはからっきしなんだって、俺。適材適所だよ」
ウインクする克己にユートは脱力した。