遊矢はデュエルの高揚感だけが残っていた。
「遊矢、大丈夫?」
心配そうにのぞき込んでくる幼なじみに生返事を返して、遊矢はあたりを見渡す。見慣れない天井。間仕切りのカーテン。そして遊矢が寝ているあんまり寝心地がよくないベッド。どうやら学校の保健室のようだ。起きあがろうとすると、柚子が無理しちゃだめよとあわてて立ち上がる。
「柚子、オレ、なんでここに?」
「覚えてないの?」
驚いたように聞き返す柚子に、気まずくて苦笑いしたまま遊矢はうなずいた。思いだそうとするのだが、かすみがかった記憶の彼方はぼんやりとした高揚感に満たされているだけでなにも浮かんでこない。あの高揚感を遊矢は知っている。ずっとわすれていた感覚だった。まだ遊矢の世界がちっぽけだったころ、お父さんが舞網市のヒーローだったころ、みんなでわいわいデュエルをしたときいつも感じていた高揚感。デュエルが楽しくて楽しくてたまらなかったころの気持ち。遊矢がお父さんみたいなデュエリストになりたいという夢を抱くにいたった、原点とも言うべき大切な記憶。突然失踪したことでその夢は具体的な形を帯びる前に、なりたい、から、ならなければ、になってしまった。具体像が描けないまま時間が過ぎて、焦燥感だけが先にあり、意固地になってしまっていると自覚しながらなにもできないでいる。模索するにもどうやって?が先立ち、立ち止まってしまっている。そんな遊矢にとって、目が覚めるような鮮烈な感情だけが強烈に残っている状態だった。きっと楽しいデュエルをしたんだ、そんな気持ちだけが今のふわふわとした遊矢の頭の中でうかんではきえていた。
がらがら、と保健室の扉が開かれる。権現坂の声に遊矢はどーぞと促した。
「大丈夫か、遊矢は・・・って起きたのか」
「ありがと、権現坂。遊矢は今起きたところなの。無理しちゃだめよ、遊矢」
「あーうん、ありがと?」
「その様子だと覚えてないのか?」
「そうみたい。なんか記憶が飛んじゃってるのかな?」
「そうか」
「なあなあ、ふたりだけでしゃべってないで教えてよ。オレ、なんでここで寝てるんだ?学校に帰る途中じゃなかったっけ」
柚子と権現坂は顔を見合わせる。遊矢は不安げに二人を見比べる。交通事故にあった?いや怪我はない。病院で目が覚めるだろうしお母さんもきているはずだ。事件に巻き込まれた?それなら警察がいるはずだ。お父さんが失踪した前後の警察の動向をつぶさにみてきた遊矢は経験上、ある程度は知っているつもりだ。さっぱり思い出せない遊矢は疑問符が飛んでいる。柚子は言葉を探しながら言った。
「ねえ、遊矢。城前克己さんって知ってる?」
遊矢は瞬きした。
「城前克己って、あの城前克己?決闘者の?」
「うん、そう」
「知ってるもなにも、今の舞網市で知らない決闘者っている?こないだの実況みんなでみたばっかじゃないか」
なんで今世間を騒がせている有名人の名前が出てくるのか、遊矢はてんでわからない。遊矢の反応を見て、柚子は権現坂に視線をとばす。なにがどう関係あるのかわからず遊矢は眉を寄せた。
城前克己は、1年ほど前から舞網市を中心に活躍しているアマチュアデュエリストである。今年行われるプロデュエリストの登竜門ともいうべき、世界大会の予選に参加するためにやってきたと噂されており、その実力は折り紙付きだ。アクションデュエルのプロを目指すなら、レオコーポレーションのお膝元であるこの町に拠点を構えるのが通例なのだ。年齢は17だから遊矢たちより3つ上。出身は地方都市である。大きな大会になるとデュエルの専門チャンネルは連日連夜実況を行っており、遊矢たちもテレビにかじりついている。エクシーズ召喚を駆使して戦う彼は、アクションデュエルに挑戦しはじめてまだ日が浅いにも関わらず、すさまじい速度で上達しているのだ。もともとスタンダードデュエル専門だったというのだから、プレイングはお墨付きである。遊矢は城前克己というデュエリストが結構お気に入りなのだ。純粋にみていて楽しいデュエルをするから。お父さんとはまた違うあこがれ、有名人に向けるあこがれを遊矢はもっている。
「遊矢ね、倒れたのよ」
「え、いつ?」
「今日、学校の帰り。ほんとに覚えてない?」
遊矢は首を振る。
校舎のチャイムが鳴り響き、下校時刻を告げる放送が流れる夕焼けの通学路を柚子と権現坂と歩いていたのはぼんやりと覚えている。今夜行われる世界大会の予選の第二回戦に城前克己がでるのだ。舞網市から未成年のプロデュエリストがでれば、赤馬零児につづいて2人目となる。そういった期待もあり、報道は結構過熱気味であり、遊矢たちもそれを一生懸命応援しているところだった。次の対戦相手について予想しながら歩いていたはずである。柚子はためいきをついた。
「気づいたらいないんだもん、びっくりしたのはこっちよ」
「え?」
「一緒に歩いてたはずなのに、いきなり消えたからな。探したぞ」
「え、え、怖いこというなよ、ふたりとも」
「遊矢が覚えてないんじゃ、どうしようもないけど・・・・ほんとに覚えてないのよね?」
遊矢は大きくうなずくほかない。
「そーよね、覚えてたらのんきに城前さんのこというわけないもんね」
「そうだな。ほんとうに記憶が飛んでる」
「さっきからなんなんだよ、ふたりとも」
「あのね、遊矢。落ち着いてきいて?遊矢はね、河川敷で倒れてたらしいのよ。ほら、あの赤い橋の下のとこの」
「はあっ!?おれが!?あっちって通学路の反対じゃん!」
「だから驚いたといっただろ、遊矢。城前さんがいなければ、行方不明扱いで大騒ぎになってたところだ」
「え、も、もしかして、オレを見つけてくれたのって城前とかいう?」
「そのまさかだ」
「えええっ!?」
「××先生がいうには、遊矢はふらふらしてて、心配だからってついてきてくれたみたいよ。制服からここの生徒だろってことしかわからないから、あとはお願いしますってかえったらしいけど」
「城前さんが言うには、家に連絡するのは嫌がるし、警察は拒否されるし、ほっといてくれって言われたけど、足取りがおぼつかないから気になったらしい。今は大丈夫なのか、遊矢?」
遊矢はうなずくしかなかった。まるで夢遊病である。たしかに今日は眠かった。授業中もあくびをかみ殺すのに必死だった。昨日買ったパックに生まれて初めてエクストラデッキに入るエクシーズモンスターが手には入ったのだ。テンションがあがりきってすっかり夜遅くまでデッキ調整したことは反省しなくてはいけない。それでも一番眠かった時間を乗り越えればわりと頭はすっきりしていた。まさか起きたまま寝てしまったのだろうか。それを口にしたものの、柚子たちは明らかにそれは違うと口をそろえる。現に、もう6時を回っている。2時間も寝ていたのだ、遊矢は。それはもうぐっすりと。いくらゆすっても起きない。突然の急変である。柚子たちが心配するのも無理はない。城前が目撃した遊矢は、お父さんが失踪して絶望のただ中にいたころの幼少期の遊矢そのものだったからである。今でも影を落としている最愛の父親の失踪は、遊矢の精神的な成長を著しく妨げていることを幼なじみたちはよく知っている。表面を取り繕うことを覚えてしまった遊矢が心配でたまらないのだろう、それはよくわかっている遊矢である。今回ばかりはてんで記憶にないが、どうした?と聞かれたら、さあ?としかいえない。
「ぜんぜん覚えてないなあ・・・・・・なんで思い出せないんだろ。あの城前だろ?城前克己だろ!?あー、もう、なんでサインもらわなかったんだろ、オレ!デュエルしてもらったのに覚えてないとかーっ!!」
遊矢の絶叫に柚子たちは目を丸くする。
「デュエルしてもらったって、それほんと?」
「思い出したのか?」
「ぜんぜん?だからいやなんだよ!なんかこうさ、すっごく楽しかったって感覚は残ってるんだ。すっごく白熱したデュエルみたあとみたいな、一進一退のどきどきするデュエルしたあとみたいな、そんな感覚は残ってるんだ。でも、ぜんぜん思い出せない!」
笑いながら説明する遊矢に、ふたりは少しだけ肩をなで下ろしたのだった。
「あれ、オレのエクシーズ、こんなカードだったっけ」
《オッドアイズ・アブソリュート・ドラゴン》を手に、遊矢は首を傾げた。
新たなるデュエルの幕があがる、数ヶ月前の話である。