「昴は一人じゃないよ。おれも母さんも一緒に昴の父さんの話聞いてやるからさ」
「………は、い。ありがとう、ございます」
力なくうなずく昴につたうものがある。拭っても拭っても零れ落ちるそれ。こらえきれなくなったのか、榊邸のリビングは午前中ずっと泣き声が響いていた。
榊邸の電話が鳴ったとき、時刻は2時を回っていた。電話に出た洋子さんは、だんだん表情を曇らせる。電話を切り、少しだけ落ち着いてきた昴の方を見た。
「誰からだった?母さん」
「警察の人からよ」
昴の表情がこわばる。洋子さんの表情から察したのだ。洋子さんは、昴の肩を手に、まっすぐ見下ろす。
「いい?昴君。今からあたしがいうこと、よく聞いて」
「は、はい」
「警察はね、大人の場合は、自分の意志で姿を消した時や事件性があった場合、捜してくれるの。捜してくださいっていう届を出さないといけないわ。ただ、それには条件があるの」
「条件?」
「ええ。その届が出せるのは、お父さんか親戚の人だけなの。恋人や友達じゃだめ。昴くん、親戚の人とあったことある?」
昴は首を振った。
「ない、です、一度も」
「そっか。それなら、お父さんを説得しましょ、昴君。あたしも協力するわ」
「………ありがとう、ございます」
洋子さんはためいきだ。遊矢も複雑な顔である。失踪した遊勝さんを捜すため、あらゆる手段に奔走した3年前。まさかこんなときに役立つとは思わなかったという顔だ。重苦しい沈黙の中、昴が住む高級マンションがテレビを騒がせているアクションデュエルの小型機の故障の速報でうつされることは無いまま、夜になった。遊矢とデュエルをしたり、テレビを見て笑う余裕が出てきた昴のお父さんから電話がかかってきたのは、8時を回ったころだった。
チャイムが鳴る。
扉の向こうには、スーツ姿の男性が立っていた。昴は遊矢の後ろにいて、出てこない。ドアを開けた洋子さんとにらみつけるように見上げる遊矢、複雑な顔で沈黙している我が子を見て、昴のお父さんはほっとした顔をした。はあ、と大きくため息をついた彼は、ありがとうございます、と開口一番に深々と頭を下げた。
「よかった、ほんとうによかった。昴を守ってくれてありがとうございます、なんとお礼を言っていいか」
肩すかしを食らった榊親子は顔を見合わせる。昴は名前を呼ぶお父さんの傍による。がばっと抱きしめられてしまった昴は、明らかに泣いている男の背中に何も言えなくなってしまう。頭を撫でられ、昴は目を閉じた。あ、あの、と洋子さんが言った時、はっと我に返ったらしい彼は眼鏡を外し、ハンカチで乱暴にぬぐうとかけ直す。そして立ち上がった。
「ご挨拶が遅れてもうしわけありません、こんばんは。いつも昴がお世話になっております。昴の父です」
「こちらこそ、昨日は遊矢がお世話になりました。遊矢の母です。ここじゃなんですから、どうぞ」
「いえ、ですが」
「立ち話もなんですし、どうぞ。長くなりそうですし」
「……昴」
「もう、無理だと思いますよ、昴のお父さん。昴、あのまま家に居たら、煙を吸って死んでたかもしれないんだ。なんにも説明しない人に、昴は任せられないよ」
「……僕は、帰りたくないよ、お父さん」
「そう、か。わかりました。ただ、このことは他言無用でお願いします」
昴が遊矢のところに行ってしまい、寂しそうな顔をしながら、彼はうなずいた。リビングに通された彼は、出されたコーヒーに手を付ける。そしてゆっくりと話し始めた。
「これから私がお話するのは、すべて事実です。これを知ってしまった以上、あなた方も巻き込んでしまうことをお許しください。まず、××年前に起こった爆発事故についてお話しましょう。あの日、私はアマチュアデュエリストとして参加した一般人にすぎませんでした。月に一度の抽選に幸運にも当選し、デュエル大会に参加したのはあれがはじめてでした。デュエルの実力は大したことありませんから、私は早々に3回戦で敗退し、他の試合を観覧していたんです。決勝で優勝した人が塾長とデュエルをするエキシビジョンマッチで、あの爆発は起こりました。ちょうど、アクションデュエルが流行り始めたころでしたから、あの塾にも今となっては古いですが、当時は最新の機械があったのです。今、クリフォートとインフェイルノイドが実体化して騒ぎになっていますが、それと全く同じことが起こったのです。二人の使うモンスターが実体化し、いうことを聞かなくなりました。それだけでなく、魔法や罠まで私たちに牙をむいたのです」
ここまで話した時、洋子さんが青ざめた。
「ちょっと待って。魔法まで実体化したの?それってまずくない?たしか塾長のデッキって、現世と冥界の逆転じゃなかった?」
「えっ!?××年前ってことは、エラッタ前だよな?ワンキル出来るじゃん!」
「そうよ、あの塾はワンショット塾とも呼ばれてたからね。そっか、現世と冥界の逆転のデッキを使ってるときに、今みたいな実体化……よく生きて帰れたわね」
「すべて、彼女のおかげでした。デュエリスト参加者が一夜にして消えた理由は、以上になります。異次元との境目というか、あの裂け目にみんな飲み込まれていきました。二度と会うことはできませんでした。私は彼女が住んでいる次元に落され、そこで地獄を見ました。彼女と会えなければ、私は元の世界に帰れず死んだに違いありません」
「……やっぱり、昴のお母さんって……?」
「ああ、遊矢君の想像してた通り、彼女は人間ではない。アクションデュエルの機械がなければ、こっちの世界に実体化することができないんだ」
「でもアクションデュエルで実体化できるのは、デュエルモンスターズのカードだけじゃ……?」
「そのとおり。結論から言うと、だ。アクションデュエルそのものが、別の次元を観測して創り上げられたものであるということだよ。もしかしたら、デュエルモンスターズそのものが。私が元の世界に帰るきっかけも、レオコーポレーションの先代社長の縁だ」
「待って、待って、待って。今、とんでもないこと聞いちゃったんだけど」
「だから言ったでしょう。あなた方を巻き込むことになりますと。つまりはそういうことです。他の会社は知りませんが、少なくても××社とレオコーポレーションは別次元を観測する途方もない技術を持っていて、その恩恵がアクションデュエルということです。今でも、レオコーポレーションは別次元に存在する特殊召喚や特別なカードの再現に奔走している。目的まではわかりませんが、彼女の持つ知識や力、昴がもつポテンシャル目的で近づいてくる別次元の干渉から保護してもらっている以上、私はなにも言えません。たとえ、それが結果として、彼女と会えなくなったとしても」
彼はカードを見せてくれ、と昴にいう。うなずいた昴は、カードを受け取る。
「昴、これは染みではなく虫なんだ」
「え、虫?」
「とある財団が世界の在り方を変えてしまうものとして収容しているものだと記憶しているよ。染みのように見えたのは卵だ。紙の上に植え付けられ、印字を餌に大きくなる。時間をかけて幼虫になり、「ゆ」という言葉に似た文字で紙の中を泳ぐ【紙魚】という虫だ。成虫になると紙を突き破って現れると中国で存在は知られていたんだが、発見されたのは、私が巻き込まれたあの爆発事故のときだ」
彼は忌々しそうにカードを見る。
「紙の中で生きているから、こんな風に消されたり、燃やされればあっさり死ぬ。でもデュエリストにとっては致命的だ、たった10匹でもあっというまにデッキをこんな感じにしてしまう。彼女のようにカードを媒介にこちらの世界に来ている存在にとっては、そのゲートが閉じられてしまう。彼女のいる世界の文明レベルは原始的なんだが、どうやら監督している上の存在がいるらしくてね、私のように事故で訪れた者はともかく意図的に接触しようとする者は容赦なく消そうとする。そのたびにばらまかれるのがこの虫だ。もともと、別次元のモンスターたちをリスペクトして作ったモンスターで構成されているテーマが今環境の主流だろう。別物だとデュエルディスクに教えるためにテキストは存在しているんだ。しかし、この虫がテキストを食べてしまえば、デュエルディスクはイラストを読み込むしかなくなる。リスペクト先を忠実に再現した、イラストをね。その結果がごらんの有様だ」
「じゃあ、レオコーポレーションがその世界にアクセスしようとしたのが原因ってこと!?なんとかならないのかよ!」
「それができたら苦労はしないさ。私はデュエルの腕もない、アマチュアの身だ。人間と精霊のハーフである昴は、別次元から何度も誘拐されかけた。そのたびに協力してくれたレオコーポレーションに私はそむくことはできない」
「……そんな」
「仕方ないんだ、昴」
「そんなことない!そんなことないだろ、昴!」
「遊矢先輩…」
「おれは認めない!そんな悲しいことあってたまるか!デュエルはみんなを笑顔にするものだろ!昴のお父さんはアマチュアかもしれないけど、昴は今度大会に出ようっていうくらい強くなってるんだ。守ってもらうしかない昴じゃもうないんだよ!それは一番おれがよく知ってる!な、そうだろ、昴!」
「大会ってまさか、チャンピオンシップスか?」
「うん」
「………ダメだ、といっても出るんだよな?」
「うん、僕は出るよ。デュエルが弱いからお母さんと会えないっていうんなら、僕は強くなる。大丈夫だよ、お父さん。だって僕には、遊勝塾のみんなも、遊矢先輩もいるから」
「そう、か」
はあ、と彼はためいきをついて、肩をすくめた。
「あ、そうそう、昴くんのお父さん。いつもお仕事はこんな感じなの?」
「ええ、そうですが」
「なら、昴くん、うちの子にしちゃってもいいかしら?いつも帰りが遅いなら、一人ぼっちで大きな家にいるのは寂しいわよ」
「………いや、しかし、そこまでお世話になるわけには……って昴……」
「僕がどうしたいいか分からなくなった時、遊矢先輩が助けてくれたんだ。だから、その」
「……はあ。そういう時にする顔は本当にお母さんにそっくりだな」
「じゃあ?」
「ああ、いい子にしてるんだぞ。それと、大会頑張れ」
「ありがとう!」
嬉しそうにはにかんだ昴は、おおきくうなずいた。10時をとうに回っているのに気付いた彼は、名残惜しそうに昴の頭を撫でた後、お願いします、と言い残して榊邸を後にした。 コーヒーカップを片づけに行った洋子さんを見届けて、よかったなって遊矢はいう。
「はい!ほんとうに、ほんとうにありがとうございます、遊矢先輩!」
喜び勇んで抱きついてきた昴を今度はしっかり抱きとめて、遊矢は笑った。
「先輩がいなかったら、僕、どうなってたかわかりません。ほんとうにありがとうございます!僕もいつか遊矢先輩のためになにかしたいです、その時は何でもいってくださいね!」
「わかった。そのときは、よろしくな」
「はい!」
「ちなみにさ、何でもっていうけど、どんなこと?」
「え?え、えーっと、ぐ、具体的にはまだ考えてません」
「ならさ、これはあり?」
耳元でささやかれた言葉に、昴は顔を赤くした。