明晰夢の冒頭はいつも退屈だった。暗闇に浮かぶいくつもの光の球体。とりわけ輝きを放つひとつから産み落とされた小さな一滴が彼方にある球体に吸い込まれた。波紋を描き、球体の表面が波打ち、波紋は球体全体に広がっていく。ひとつ、またひとつと落ちていく滴が彼方の球体に落ちるたびに、その球体はいっそう輝きを増した。その光の波紋は幾重にも広がり、反響を繰り返し、虹色に輝いた。
そして、彼女は落下する夢を見る。いたはずの場所がどんどん遠ざかり、手を伸ばしても手をさしのべてくれる者はいない。無慈悲な闇が広がっている。彼方の球体に落とされた彼女は、光の濁流にのまれた。豪快な光の飛沫があがり、波紋が幾重にも広がっていくのが見えた。くるしくて、たまらなくて、ただ必死で手をのばした。そして彼女の意識は暗転する。
朗々と響く声がする。それに返答するのは、泣きたくなるほど恋しくてたまらない声である。彼女は言葉を発しようとしたが、声の出し方をしらない体は息を吐き出すだけだ。
「運命に導かれし者よ、汝の名を名乗れ」
「我が名は未だ決まらず。千の名と千の姿があり、未だ定まらず」
「汝の名を名乗れ。さもなくば何人たりとも通すわけにはいかん」
「我は×つの封印を解き放つ。第一の封印はまもなく解かれよう。第二の封印は」
「汝の名を名乗れ」
遊里子、という言葉が彼女の脳内に反響した。そして思い出す。遊里子は自分の名前だと。初めてもらった名前だと。うれしくてたまらなくなった彼女は遊里子という音を出す。気づけば脳内に問いかけてきた最愛の存在はいなくなっていた。
「遊里子、そう名乗ったな?遊里子には秘められし力がある。汝が頼りし力を示せ。さすれば扉は開かれるだろう」
「私は、」
紡がれた言葉を彼女は思い出すことができないでいる。
「目覚めろ、遊里子。これは使命であり宿命だ。さあ、扉を開くがいい。さすればお前は新たな力を手に入れる。だがその代償に一番大切なものを失う」
そして彼女は目を覚ます。
目覚まし代わりにつかっている携帯電話が設定した時間でもないのになりっぱなしだったからである。手探り状態でなんとか捜し当てた彼女は、うつらうつらしていたソファから体を起こした。
『遊里子ねえちゃーんっ!!』
今にも泣きそうな遊馬の声がする。思わず彼女は笑った。
「どうしたの、遊馬くん」
『あれない!?』
「あれ?なんのこと?なにか忘れ物でもしたのかな?」
『ないんだよ、父ちゃんのペンダントおっ!大事な形見のペンダントっ!』
「あの金色の鍵?」
『そうそう!皇の鍵!』
「ふふっ、遊馬君たらどこまで抜けてるの。安心して。デュエルしたあの部屋に落ちてたわ。今、ちゃんと持ってるから安心して。大事なものなのに、またうちにおいてきちゃったみたいね。どこかに落とさなくてよかった」
『よ、よかったああーっ!どこで落としたんだろってずっと探してたんだよ!ごめん、遊里子ねえちゃん!オレ、今から取りに行く!』
「今から?」
ちら、と時計を見ればバイバイといつもの3人が帰ってまだ1時間もたっていないが、季節柄日が沈んで真っ暗だ。日が沈む前にと帰したのに。それでも街灯を頼りに歩けばなんてことはない。毎日のように遊びにいっている近所のお姉ちゃんの家である。
「それなら私もいった方が早いね。もう外真っ暗だし、小鳥ちゃんたちを送ってあげる。今どこにいるの?」
遊馬が告げたのは、九十九家と遊里子の家の間にある公園だ。
「わかった。今からそっちにいくね。遊馬君たちはそこで待ってて。すれ違いになっちゃいけないわ」
『うん、わかった遊里子ねえちゃん!それじゃ待ってるぜ!』
携帯をポケットにしまう。そして上着を羽織ると、いつもの鞄をもって玄関に向かう。不思議なデザインのペンダントを片手に遊里子は公園に向かって歩き出したのだった。
「あ、満月なんだ、今日」
ふと見上げた空には、星のまたたきをかき消す月明かりがある。眠らない街ハートランドの郊外にある閑静な住宅地には高いビルは少ないから、まだ夜空が見えるのだ。きれいである。それにいつもより明るい。影が伸びるくらいだからライトはいらない。遊里子は歩き出した。
「待て」
「?」
「こっちだ」
そこには見たことのない青年がいた。
「やっとみつけた」
「え?」
「今、この瞬間に動けるのはナンバーズの使い手だけだ」
「なんばーず?なんのこと?」
首を傾げる彼女に、青年は目を見開く。想定していた反応と違ったからなのか、それともその手にある鍵が原因だろうか。
「それは・・・・」
青年は笑う。
「そうか、ナンバーズの持ち主ではなくても、そのペンダントの持ち主なら話は別だ。これからナンバーズの持ち主になるということだからな」
遊里子はとっさにペンダントを隠す。
「そのペンダントはこの世界のものではない。そうか、貴様がそのペンダントの持ち主か」
遊里子は考える。青年のいっていることは全くわからないが、ペンダントが標的になったのはわかる。これは遊馬の大事な宝物だ。遊馬はいつもこのペンダントから聞こえる誰かの声に励まされている、と遊里子にだけこっそり教えてくれたことがある。わからないけれど、そんなきがすると遊馬はいっていた。遊里子姉ちゃんなら信じてくれるだろ?と笑った遊馬を思うと、今ここで本来の持ち主について言及したら間違いなく遊馬が被害に遭う。遊里子は真っ先に事実を隠匿する道を選んだ。
「それをこっちに渡せ。そしたら命だけは助けてやる」
「いやだといったら?」
青年は鼻で笑った。
「魂ごと奪わせてもらうまでだ」
「・・・バカな、こいつの魂は・・・!?」
「遊里子姉ちゃん!って、これはオレの皇の鍵!しっかりしてくれよ、遊里子姉ちゃん!」
突然、世界が静止した。すべてが止まってしまった世界で、どうしたらいいかわからなくなった遊馬の脳裏に浮かんだのは、遊里子だった。いつだって遊里子は遊馬の味方だった。デュエルを禁止にされ、カードが手に入らなくて弱いままだった遊馬に力を貸してくれたのは遊里子だけだった。鉄夫たちに見直されたのも、遊里子からいろいろと教えてもらったからでもある。意識を失って道ばたに倒れている遊里子を見たとき、遊馬は血の気が引いたのだ。小鳥たちと違って遊里子は動くようだ。揺さぶってもぐったりしている。意識がない。遊馬は青年をにらみつけた。
「てめえ!遊里子姉ちゃんになにしやがった!」
青年はその一連の動作を見て、合点が行ったように笑った。
「そうか、貴様がそのペンダントの本来の持ち主、すなわちナンバーズの使い手というわけか。なら話は早い。貴様の身代わりとなったこの女の魂はここにある。返してほしければオレとデュエルをすることだ」
「身代わり?魂?なに意味のわかんねえこといってんだ!オレは今それどころじゃ」
「これが女の魂だといっただろう」
青年が手の中にある不思議な色をした球体を握ると、遊里子は苦悶の表情を浮かべてうずくまる。遊馬ははじかれたように顔を上げると、やめろと叫んだ。
「わかった、この勝負受けて立つ!」
遊馬がARヴィジョンを起動したとき、そこにあるはずの光景は遊馬がいつもみる悪夢だった。
『さあ、扉を開けろ。そうすればお前は新たな力を得る。だがその代償に大事なものを失う』
戸惑う遊馬に鍵の中から、いつもの声がした。いけ、遊馬、と言われた気がした。遊里子姉ちゃんを救う力が手にはいるなら、このデュエルに勝てるならなんだってよかった。このときの遊馬に迷いはなかった。このとき九十九遊馬は自分の運命の扉を開いたのである。
すさまじい衝撃があたりをおそった。
「このデュエルに負ければ、君は魂を奪われ、私は消滅する。そうこのナンバーズはいっている」
この、声は。遊馬は目を見開いた。そこには浮遊する生命体がいたのである。その声を遊馬は知っている。いつも遊馬が落ち込むたびに励ましてくれた声である。やっとあえた、そんな気がした。
「あんたは?」
「私か?私はアストラル。そう、このカードはいっている」
「は?」
「私がここにくるまでに、どうやら私の記憶がカードとなりこの街に拡散してしまったようだ。そのカードが100枚ということしか、今の私にはわからない。そういう君は何者なんだ?なぜ私に問いかける?」
「さっきの衝撃は・・・・そっか、アストラルの記憶のカードだったのかよ!?ってことは記憶喪失!?なんだよーっ、今まですっげえ励ましてくれてたからお礼言おうと思ってたのに、オレの名前すら覚えてないとか!せっかくあえたのに!」
「・・・・・・私は君と会話したことがあるのか?」
「あるんだよ。アストラルは覚えてなくても、オレはいつだってあんたのおかげで前を向いてこれたんだ。そっか、よくわかんないけど、オレはアストラルを信じるぜ。覚えてないならいうけど、オレは遊馬、九十九遊馬だ」
「遊馬、か。わかった。覚えておこう。エクストラデッキを見ろ。そこには君の新たな可能性がすでに存在している。さあ、見せてくれ。私の相棒に値する人間かどうかその実力をみせてくれ」
存在しないはずのエクストラデッキにカードが1枚存在している。遊馬は訳が分からないまま、おう、と叫んだ。
「いい返事だ、遊馬。さあ、勝つぞ」