「......ここは」
曇天である。青空が望めないせいで枯れ果てた木々に挟まれた道路は、より寒々しい印象をあたえる。舗装する人間がいないため、ろくに整備されていない道路は消耗がはやい。ガタが目につく。いずれ機能を果たせなくなるのは時間の問題だろう。目前に迫る荒廃した大地に呆然と立ち尽くしていると冷たい風が頬をかすめる。
「行こうぜ、ユート」
知っている声より低い男の声がする。親しげに呼びかけられたトーンは、よく知る決闘者のものだ。二十代後半から三十代前半くらいの男がユートを手招きする。瞬きしたまま硬直しているユートに、いたずらが成功して笑う悪ガキの面影がうかぶ。くしゃくしゃに頭をなでられ、やめてくれ、とユートは語気を強めた。間違いない、これは、この男は、城前克己だ。城前らしき男の言葉にユートは頷くしかない。バイクにのり、荒涼とした道を抜ける。半日かけて、城前はひとの気配がするエリアに移動した。外部を拒むように四方を取り囲むドームをくぐり抜けると、高速の料金所のようなゲートが現れた。
「相変わらず物好きだな、城前」
「うるせー!重力かかるのが気持ちいいんだろーが」
「そんなのお前くらいだぜ。ほらよこせ」
「はいよ」
話しかけている相手は城前の知り合いのようだが、自動販売機だ。どうやらカメラ越しに監視業務についている男がいるようだ。IDカードを差し込むと、緑色のランプがオレンジ色に変わり、電子音声の英語が流れた。なんとなくその端末から伸びているコードを辿れば、一部の線が不自然に伸びて隣のゲートに接続されている。あちらは正常に他のコードと同じく天井に突き刺さっていた。当然繋がっているいくつかの機械は読取らず、おそらく必要な認証をくぐり抜けてしまう。城前の知り合いらしいゲートマンは、行こうとした城前を呼び止めた。
「おいおいおい、そいつは誰だ?」
「連れてきちゃった」
「悪いことは言わねえ、返してきなさい」
「もう有休使えないんだよ」
「次の休みまで匿う気かよ、こっちの身にもなれや」
「そこをなんとか」
「ったく、どう誤魔化すんだ。誘拐犯のがよっぽど説得力あるぜ」
「まあ適当に頼むわ、弾むからさ」
「は?」
「いいバイト見つけたんだ」
「おい副業禁止だろ、てめー」
「ひとのこと言えるのかよ」
「ちげえねえ」
じゃあな、という見送りの後、前のゲートが開かれる。トンネルはどんどん進んでいく。LEDライトが照らす異様に明るいトンネルは地下に進んでいき、地下どれくらいか示す看板が横切った。全く車両がすれ違わない違和感を抱えながら、ユートは加速する世界に置いて行かれないよう息をひそめた。
ようやくトンネルを抜ける。
おそらく、昔は地下にあった大型の商業施設だったのだろう、場所に出た。少しずつスピードを緩めながら城前はテナントが両脇を固めるシャッター街を抜ける。景色を見せたいのか、行き交う少なすぎる人に配慮してか、慣れた様子で進んでいった。
やがて、ビジネスホテルだったと思われる建物の前に止まる。ユートからヘルメットを回収して、開けてくれ、と自動ドアを指差した。少しの停滞のあと緩やかに開いたガラスの扉に、城前はバイクごと入っていく。ユートはあとに続いた。閑散としたフロントは無人である。機能を停止し、坂道になっているエスカレーターを上り、一番突き当たりにある部屋にある機械に立つ。IDカードを通した。電子音声が響き、緑がオレンジに変わる。シングルの部屋だった。
「適当に寛いでてくれ、冷蔵庫つかっていいから」
城前は隣の部屋もあけ、バイクごと入っていった。取り残されたユートは、土足で生活している気配を察してそのまま入る。城前の家なんだろうな、と思った。ワンルームにきたがすることがない。ユートもよく知るビジネスホテルのシングルルームである。長期滞在にありがちな雑多な荷物が目立ったが、変わり映えのしない部屋だ。冷蔵庫に目が行き、開く。クッキーやミネラルウォーターが入っている。長期保存がきくものが大半だ。
「なんか飲むか?コーヒーか水しかねーけど」
「なら水でいい」
「了解、ちょっと待ってろ」
ポットにミネラルウォーターをぶちこみスイッチを押す。湿気た紙コップを下に置いた。椅子に座ったユートの向かいに座った城前は、iPhoneのラジオアプリを起動させた。天気予報が流れている。
「さて、何から聞きたい?」
「ここはどこなんだ、城前」
「直球できたな、びっくりだよ」
「茶化さないでくれ。城前は×××から来たんだろう?×××は行ったことはないがどんな街かは知ってる。ここは×××じゃない。どこなんだ」
「気づいてるだろ、ユート。ありゃ嘘っぱちだって」
「気づいてはいた。でも、城前の口から聞きたい」
「なら教えてやるよ。ここがおれの生まれた街だ。○○○、聞いたことは?」
ユートは首を振る。城前がiPhoneのマップアプリを起動し、現在地を表示させる。本来ならユートの知る×××であるべき場所にはよく似た○○○なんて聞いたことがない街の名前が表示されていた。
「だろうな、お前の世界に○○○なんてねえだろうよ。わかったろ、おれの世界に×××なんて街はない。ついでにMAIAMIもな」
検索結果はユートの知る文字列とは異なる表記の地名だ。マイアミと読めなくもないが城前が口にした同音異義語は発音も微妙に異なっている。
「...まさかパラレルワールドかなにかか?」
「そんなSFちっくなわけねーだろ。それじゃあ簡単にユートを返せるわけねーだろーが。明日は仕事なんだ。次の休みになったら帰してやるから我慢しててくれ」
「じゃあ、一体...?」
「面倒くせえからこれ読んでくれ、ユート。どうせ時間は沢山あるんだ」
渡されたのは、なにかの年表だ。ユートが知るよりはやいスピードでネットワークが発展した世界の歴史だと気づくのは知らないニュースばかりだったからだ。MAIAMI以上にネットワークが張り巡らされ、発展し、社会も急速に変化した国が台頭して、国際社会の潮流に巻き込まれていくあらましが記されている。
年表は10年前になり、○○○という街が出てくる。ある大規模な事件により酷く荒廃したこの土地は、様々な理由により未だに復興の開始の目処すら立っておらず、事実上放置された街となっていた。県は県庁所在地の移転を宣言、あらゆる機能は別の街に移転して5年になるらしい。複雑な事情からこの街に出入りできる人間はひどく限られているようだった。
ほらよ、とお湯を渡された。一応ライフラインは確保されているが、一度沸騰させないと信用できないと城前は笑う。ミルクも砂糖もない時化ててうまく抽出もできないコーヒーをまずそうに飲みながら、クッキーをさしだした。保存食のようだ。ありがとうと受け取る。食べてみたがそれなりな味がする。この国の人間は食にだけは貪欲なのだ、どの世界においても。
「好きな場所で仕事ができるご時世なんだ。いいだろ、どこだって。ここはおれが生まれた街なんだ」
「...そうなのか。だが城前、体は大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃなかったら住めねえよ」
「だがこの街は住むには許可がいるんだろう?」
「普通の人間だったらな」
にいと城前は笑う。ユートは察する。この世界はMAIAMIよりもネットワークとリアルが絡みついた歴史を歩んでいるのだ、おぞましいほどのスピードで。だからそれに応じた社会になり、ふさわしい法律や国が作られている。保険会社の広告が目障りだが、義足やナノマシン注入など慣れない単語が踊れば嫌でも察する。年表にあった通り機械化に社会保険の適応が20年も前ならば、おそらく普通の人間の方が少数派なのだ。
「面白いものはみんなここに集まるんだ」
コツコツと城前はノートパソコンを叩く。
「外はこんなんだからな、つまんないだろ?行こうぜ」
「どうやって?」
「ユートはなんも用意しなくていいだろ、そういうもんなんだから。おれがお前連れて帰ったのも、なんの影響もないからなんだぜ?わかるだろ?ついてくんなって言ったのについてきた罰だぜ、ユート。悪く思うなよ?」
体が熱いのは白湯のせいだけではないだろう。震える指でディスプレイに触れる。0と1が世界を覆いつくした。
「...っ」
ひどい目眩がした。くらくらしてうずくまってしまう。ユートは雑踏の只中にいた。それはユートが知る×××そのものだ。駅を中心に大型ショッピングモールやビルが立ち並ぶ自動車中心の地方都市が広がっている。
「立てるか、ユート?」
城前の呼びかけにユートは首を振る。すまない、とかろうじて紡がれた言葉に、城前は了解と返した。ん、としゃがみこむ気配がする。
「いや、城前、しかし、」
「んなとこでじっとしてる方があれだろ。ほら、はやく」
「......」
「なんだよ、姫様抱っこがご所望かい?」
茶化す城前に、ユートはあわてて顔を上げる。ぶんぶん首を振る。急いで無言で城前に背負われた。羞恥のあまり体が熱を帯びるのがわかる。
周りの視線が恐ろしくて、ユートは目を瞑るしかなかった。城前はよいしょっと立ち上がるとゆっくりとした足取りで歩き始める。
先ほど提示された情報が本当ならこの世界はパソコンの中に作られた仮想現実というやつだ。しかし、ユートの五感はここが現実だと知らせている。パソコンからアクセスダイブしたにもかかわらず、ユートのすべてがここが現実だと主張している。だから、ここが仮想現実だと知っていても受け入れることができない。
それを認めるということはユートがこの仮想現実を現実と認めるような世界観の中で生きていた。ユートの今まで生きていた世界は仮想現実なのかもしれないという疑問が生まれてしまう。可能性を疑うだけでもアウトである。生きている確信が持てない苦悩を抱えている遊矢という大切な相方がいるのに。苛烈な現実を受け入れることができるほどユートは心の準備ができていなかった。
頭痛がする、吐き気がする、悪寒がひどい。くらくらすると死にそうな気分でつぶやくと、城前は肩をすくめた。
「だから言っただろ、ユート。ついてくんなって」
「...遠征の時はいつも連絡を入れていたのは誰だ」
「仕方無えだろ、こっちは仕事なんだよ。互換性ないサーバ同士じゃねーか、アクセスできるか」
「......なんで俺たちの世界に来たんだ?」
「偶然だよ、偶然。ログイン先間違えたんだ、アドレスをさ。そしたら、こっちのカード情報渡す代わりに自由にしていいって言われたんだ。悪い話じゃないだろ、いつもは普通の社会人なんだから」
「...そう、か」
「悪い夢は覚めるもんだぜ、安心しろ。ここで得た全ては帰るときには残ってねえさ。おやすみ」
ユートは沈黙した。
「遊矢は、あっちにいるのか?」
「オリジナルが外に出るのをあいつらが許すわけないじゃん。何言ってんだ、ユート」
「......2度とその言葉は使わないでくれ。城前がどんな存在だろうと城前は城前だろう?突き放すような不本意な言葉はやめてくれ。俺は城前を嫌いになりたくはない」
「わかったよ」
「さっきの言葉は聞かなかったことにする」
「ありがとな」
「いや、お礼をいうのはこちらだ。本来なら俺は捕まるんだろう?匿ってくれてありがとう」
「まあ連れてきちゃったのおれだしなあ」
寂しかったんだ、とポツリとこぼした城前は前を見ている。表情は望めなかった。荒廃した世界から逃避するために人々は1日の大半をこの在りし日の仮想現実で過ごすという。虚しさを抱えながら誰しもが生きている。そんなものを垣間見た気がした。
「ついたぜ、ここだ」
自動ドアに突撃しようとした城前にぎょっとしたユートは立てるから!とジタバタ暴れる。なんとか無理やり降りたユートはひどく赤面した。あやうくおんぶされたまま入店するところだった。どう見てもカードショップである。冗談じゃない!
「おれが開闢買った店なんだ」
「行きつけなのか?」
「まあな。今日はイベントがあるんだ、行こうぜユート。世界を知るならデュエルが一番だ」
「わかった。付き合おう」
二人は自動ドアに吸い込まれていった。