スタンドバイミー(オリジ夢親子と遊矢)
昴が廃墟となったデュエル塾に着いたのは、午後の五時頃だった。デュエルアカデミアの舞網校校舎からチャイムが鳴り響く。ありがとう、と頭を下げた昴に、お父さんは窓越しに手を出して、大きく振る。会釈する。昴を立ち入り禁止のフェンスの前におろすと、そのままエンジンをかけて、もときた道を引き返していった。立て付けの悪い水路の鉄さびがきしむ音が遠ざかる。昴は、廃墟を囲っているフェンスを掴むとよじ登り、一気に乗り越えて着地する。じんと足の裏がしびれるが、立ちはだかる大きな不安と昴の知りたかったこと、そして昴だけの問題を前にしては大したことではない。



昴は鞄片手に、朽ち果てたデュエル塾の門をくぐった。生え放題の雑草に覆われた庭の草木の香りがする。この廃墟にやってくるのは実に8年ぶりである。初めてやってきたといってもいい。立て付けの悪い引き戸をこじ開けると、本来無人のカウンターが鎮座している。そして、そこの入り口に回り込み、お父さんから聞いていた所定の位置にキーロッカーと隠してある鍵がある。ぐるりと回し、マスターキーを手にした昴は先を急いだ。



「あら」


お母さんはいつものように微笑んでいた。


「お母さん」

「昴じゃない、どうしてここに?ああ、あの人に送ってもらったのね?」

「うん、そうだよ」

「あんまりしゃべらなかったでしょう?怖くなかった?」

「ううん、いっぱいしゃべったよ」

「あら、そうなの?それはよかったじゃない。あの人、わたしの時はただの一度だって喋ったことなかったのに。きっと機嫌がよかったのね」

「それより、お母さん」

「なに?」

「ここで何があったの?」

お母さんはうなずいた。

「昴には伝えなくちゃいけないことがあるの」

「なに?」

「まず、昴、ここであなたの憧れのデュエリストは引退を決意したのよ。後輩の新米プロデュエリストとデュエル中に、世界で一番大切な子を失いかけたトラウマが忘れられなくてね。突然だったみたい」


昴は立ち尽くしている。


「なんで肝試しの時、教えてくれなかったの?」

「そう、あの日の夜の事ね。もっと前に昴に伝えるべきだったんだけどね、わたしもうまく考えがまとまらなかったの」


昴は思考が濁流の渦に沈み込んだまま、帰ってこれない。硬直した体はうまく動かすことができない。お母さんも昴もずっとずっと黙っていた。長い間そのまま静寂を保っていた。昴はお母さんの視線の先を追う。二回の観客席からステージに降りてくる階段がある。ペンキが剥げた茶色い手すりと、踊り場の真正面には原形をとどめていないデュエル塾のはがれた塗装の名残がある。ステンドグラスのように砕け散り、溶けてまだらを描くすりガラスはもうひび割れている。その階段から降りてくる5歳の昴とお父さんがいた特等席。関係者だけが入れるステージに続く道。お母さんにとっては何よりも深い意味がある物だった。そこを降りていけばお母さんに会えるから、たぶん、昴にとっても。でも、そこはもう何の意味も持たないただの階段である。ありきたりなものでしかない。もうここには13歳の昴しかいない。


「それは多分、前から決まっていたことなのよ。わたしにもわかっていたし、あの人もわかっていた。でも、実際起こってみると、とても悪いことだわ」


昴はなにか言わなくてはいけないと思うが、二の句が継げない。


「だから、彼女は彼女の意志で引退したの。それに関するイベントは一切行われなかった。彼女はひっそり舞台から姿を消した。辞表は二階の部屋の彼女の部屋にあるわ、今もね。彼女の遺産はすべてお金に換えられ、いくつかの記念品を仲間に残した。そして彼女は街を去った。昴にも受けとってほしいの。受け取ってくれるわよね?」


こくり、と昴はうなずいた。


「すぐに持って帰れるよう、彼女の部屋に包装しておいてあるわ。持って帰ってあげて」

「ありがとう、お母さん」

「いいのよ」

「ねえ、お母さん。ひとつだけ、聞いてもいい?」

「なに?」

「ほんとは、デュエル、したかったんじゃない?」

「え?」

「さよならするためのデュエル、したかったんじゃない?」

「……いいえ、と言ったらウソになるわね」

「なら、僕とデュエルしてよ、おかあさん」

「あら、どうして?」

「僕がやりたいから」


お母さんは笑う。


「そうね、逃げ回っていても、どこにもいけないものね。みんな、いろんな大事なものを失い続けながら、生きていかなくちゃいけない。大事なタイミング、可能性、大切な感情、それが生きることの意味でもあるわ。でも、それを覚えていられることが大切なのかもしれないわね。心の正しい在り方をしるためにも。まあ、いいわ。覚悟しなさい、昴。お母さん、強いわよ?」

「大丈夫、僕は負けないから。」


昴はデュエルディスクを構えた。


たくさんの時間が昴とお母さんにのしかかってくる。その時間から逃げようとして世界の果てに行っても、きっと逃げられないだろうことは、誰よりもお母さんが知っていた。でも、そうだとしても、おかあさんは世界の果てまで行かないわけにはいかなかった。そうしないとできないことがあったから。


雨が降り始めたのか、穴の開いた天井から雨粒が落ちてくる。二人は暗い窓ガラスに線を描く雨粒を眺める。お母さんは言う。そういえば舞網市から出るときは雨が降っていたと。昴が転落事故を起こした日も雨が降っていた。昴は、舞網市に降る雨や転校してくる前の街の雨を思い描いた。雨女のかもしれないわね、とお母さんは笑っている。


「緊張してるみたいだから、いい方法教えてあげるわ」

「どうやるの?」

「目を閉じて、体の力を抜くの。そして、体の緊張を緩めてあげる。雨の単調な音に耳を澄ませる」

「……あはは、なんで泣いてるんだろ、ボク」

「かまわないわ。涙があふれて、頬を伝って、口に入っちゃってもいい。ゆっくり乾くまでそうしているの。たとえ、自分の涙じゃないとしてもね」

「よく、わからないよ」

「デュエルをするのよ。そして、みんなの歓声を聞くの。昴には、それができるはずよ」


そして、昴は最高の一日を過ごした。


うとうとしはじめた昴をおんぶして、お母さんはお父さんを待つ。


「いいの、いいの、寝ちゃいなさい、昴。目が覚めた時、昴は新しい世界の一部になっているんだから」


よく覚えていないが、とても素敵な夢をみた気がした。











「昴、準備どう?進んでるか?足りないもの買に行くんだから、早く」

「ご、ごめんなさい、遊矢先輩!ちょ、ちょっと待ってください!」

「あと何分?」

「ご、ごふ、」

「五分?」

「いえ、じゅ、じゅっぷ、もうちょっともうちょっと待ってください!」

「あーもう、時間ないんだから早くしろよ!しっかたないなあ」


がしがしと頭を掻いた遊矢は、携帯の向こうで、ごめんなさい、を繰り返す機械と化した昴が待ちきれない。待ち合わせ場所のバス停を後にした。


「それで、何とかなった?」

「あ、はい、それは大丈夫です!」

「どれくらい?」


昴から聞いた遊矢は、悪くないと思うよ、と答えた。


「とりあえずはなんとかなりますよね?」

「とりあえずは、なんとかなるよ。オレもそれくらいだし」

「遊矢先輩」

「どーした、昴」

「お金、いつかはなくなっちゃいますよね。その時はどうするんですか?」

「その時はその時考えればいいよ」

「でも」

「昴、まだ街から一歩も出てないのに、もうやめちゃうのか?」

「あ、はは。ごめんなさい、つい」

「まあ、いいけどさ。戻ってきたらいいじゃん」

「そ、そうですよね!」

「そうそう、オレたちはちょっと遠くに遊びに行くだけなんだからさ」

「誰にも内緒ですけど」

「誰かに教えちゃったら、それはただの旅行だろ、昴」

「ですよね」


生まれて初めての遠足を前にした小学生みたいなテンションで、昴と遊矢の他愛もない会話は続いていく。いつものように舞網市で高さ的にも、値段的にも一番高いマンションのフロントで比嘉家にコンタクトを取ってもらう。もちろん昴から速攻で連絡がくる。フロントマンに案内される形でエレベータに乗り込んだ遊矢は、長い長い浮遊感の末に最上階に辿り着く。リゾートホテルの内装の先には、比嘉家の玄関があるのみだ。インターホンを鳴らせばどうぞと返ってくる。どういう仕組みかしらないが、自動ロックが解除される音がする。ゆっくりと扉を開けば、昴以外の靴が見当たらない。お邪魔しまーす、と叫んだ遊矢に、どうぞーという声が聞こえる。スリッパを借りて、遊矢は昴の部屋にやってきた。施錠されずに開けっ放しのドアを開けば、一面に広がる無数の白、柄物、キャラもの。なんだこれ。


「あ、遊矢先輩、いらっしゃい」

「なにしてんの、昴。なんか神経衰弱みたいになってるけど」

「え、えーっと、どれがどれだかわかんなくなっちゃって」

「どれだけ靴下持ってくつもりだよ、昴。そんなのあっちで買えばいいじゃん」

「あ、そっか」

「それにしても、すっごいなあ」

「新しいの買ったら、奥に奥に詰めてたら入らなくなっちゃいまして」

「捨てろよ、昴」

「だってもったいなくないですか」

「こんな懐かしいキャラの履いてく?学校とか遊勝塾とかで」

「……さ、さすがにこれは履かないです!」

「だろー?絶対かたっぽなくなってるのとかあるって。捨てよう、そういうのはさ」

「わかりました」


こくりとうなずいた昴に、遊矢はとりあえず床を占領している靴下を一組にすることから始めることにした。今日の買い出しはこれが終わってから、と告げる。昴は大慌てで揃え始めた。うわ、なつかしー、とか、昴こんなの履くんだ、とか茶化す遊矢からひったくり、そういうのはとりあえずビニール袋に突っ込む。どんどん減ってく靴下。そのうちビニル袋がいっぱいになった。


「入らなくなったって、靴下だけで?」

「靴下のとこだけ盛り上がってたんです」

「どこ?」

「ここです」


洋服ダンスの一番下を指差した昴は、だいぶん減った靴下をその空いたスペースに突っ込む。畳むという発想は中学生男子には無い。


「下着もあっちで買えばいいんだし、そんな持ってかなくていいよ」

「わかりました」

「昴ってさ、旅行あんま行ったことない?」

「ないです、だからすっごく楽しみで!」

「そっかあ。なあ、その今にもはち切れそうな旅行鞄見てもいいか?たぶん、いろんないらないの入ってる気がするし」

「あー、はい、お願いします。僕、全然わからなくて」

「これからずっと持ち歩くんだよ。すっごく重いのやだろ?」

「そうですね」


ただいま、という声がする。残念、今回はここまでのようだ。昴はあわててクローゼットに突っ込む。遊矢はリュックから宿題を取り出した。


「おかえりなさーい」

「お邪魔してまーす」


二人の声に、仕事から帰ってきた昴のお母さんは扉から顔を出す。


「いらっしゃい、遊矢君」

「こんにちは」

「いつも昴と仲良くしてくれてありがとね」

「はい」

「昴も昴よ。遊矢君が来てるなら、なにか出してっていつも言ってるでしょうに」

「あ、忘れてた」

「もう、仕方ないわね。ごめんね、遊矢君。これから準備するから」

「え?あ、大丈夫ですよ」

「いいのいいの、気にしないで。じゃあ、ごゆっくり」

「あ、はい」

ぱたん、と扉が閉められる。鼻歌交じりに遠ざかる足音。はあ、と二人は安堵した。

「なあ、昴。あんなおっきな荷物もって、知らない街うろうろしてたら、捕まるよ」

「警察、呼ばれちゃいますね」

「へんなやつに追っかけられるかもしれないし」

「遊矢先輩、どうしたら小さくできます?」

「いろいろ用意するからダメなんだよ。寒いとこいかなきゃいいんだ」

「あったかいとこですか?」

「そうそう、あったかいとこなら少なくて済むし」

「そうですね!」

「だろ?これで半分くらいになるよ。それじゃあ、もっと小さいやつ買ってこよう、昴。あれじゃおっきすぎる」

「わかりました!」


楽しみだなあ、とワクワクしている昴に遊矢もつられて笑う。せっかくだから、デッキ調整でもしてしまおう提案すれば、昴はすぐにデッキケースを取りに立ち上がった。学校の宿題ここのところ、昴も遊矢も舞網中学校の授業を信じられないくらいの真面目さで聞いて、遊勝塾にも意欲的に参加している。これは半年ほど前、二人が決めたことだった。これから二人は家出するのだ。これから学校に行く機会はいつになるかもわからない。教えてもらえる知識や技術はとりあえず全部詰め込んだほうがいい。何の役にたつか分からなくても、これで終わりなのだから、好き嫌いもなく入れてしまった方がいい。学校に行っていた記念くらいにはなるだろう。柚子たちは突然気合を入れ始めた遊矢達にびっくりしていたが、デュエルにのめり込みすぎて成績が下がった。このままだと禁止令が出る、と昴が泣きついたら、いわんこっちゃない、とあきれ返りもう何も言わない。遊矢にくっついている昴である。そりゃ学校の成績だって同じようになるだろう。素良だけはほんとに??という顔をしていたが、昴がうとうとして先生に注意されるのは見ていたので、夜遅くまでデッキ調整してることはわかっていた。ふーん、という顔をしていたが、深入りはしなかった。


宿題をしていると、お母さんがやってくる。


「デュエルの予選はいつか決まったの?」

「はい、1か月後の日曜日です!学校終わったらすぐ行かないと間に合わないから、深夜バス使います!」

「そっか。がんばってね。応援に行けなくて悪いけど、遊矢君、昴のことよろしくね。ちゃんと連絡するのよ?」

「はい!わかりました!」

「気を付けてね」

「はい!」


え、という顔をした昴をしりめに、遊矢は大きくうなずいた。


「もう、昴。遊矢君に任せきりにしちゃだめでしょう?少しは覚えなきゃ」

「これから説明するところだったんです、中学生だけでもOKのところがなかなかなくって。やっと母さんが見つけてくれたから」

「あら、そうだったの。ほんとに遊矢君は頼りになるわね。ほんとに昴のことよろしくね、ご迷惑かけてばかりだと思うけど」

「そんなことないですよ、おばさん。大丈夫です。オレもすっごく楽しみだから」

「それじゃあ、そろそろおばさんは失礼するわね」


お母さんは去っていった。


「遊矢先輩、あの、デュエルの大会って?」

「あー、うん、ごめんな、昴。中学生でも乗れる深夜バスって、なかなかなくてさ。母さんに相談する時に、聞かれたからつい。目的地がはっきりしてるなら大丈夫だろうって。携帯に連絡してくれれば証明してあげるって言われたんだ。とりあえず、デュエルの大会に出ちゃえば後は自由だからさ」

「あ、そっか。そうですよね。わかりました。あの、どんな大会なんですか?」

これだよ、と遊矢はチラシを見せる。昴はそのチラシを受け取り、食い入るように見ている。生まれて初めて出るデュエルの大会である。さっさと負けて家出にシフトするもよし、がんばってみるのもよし。

「遊矢先輩」

「うん?」

「ボク、これに出たいです」

「どれ?」

「これ」

「タッグのやつ?」

「はい。先輩と出たいです」

「いいよ、頑張ろう」

「はい!」

「楽しみが増えたなあ!よーし、それじゃあ、宿題終わったらリュック買に行こう。明日からはタッグの練習もしなくちゃな!」

「はい、がんばります!」


遊矢達が目指しているのは、そのデュエル大会の街から海を隔てた、今まで一度も足を踏み入れたことのない土地だ。舞網よりもずっと南にあり、気候も温暖な場所。そこには遊矢と昴のことを知っている人はもちろん、親戚だっていない。だから、もし、誰かが家出に気付いてもその行方を捜す時、少しだけ目くらましになったらいい。

夜行バスの乗り方を調べている二人は、どうしようもなく無邪気だった。


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