「あ−、お酒が飲みたい」
「は?」
「なんだかとっても、今無性にお酒が飲みたいんだよ、財前君」
「はあ」
「今夜飲みに行かない?いいとこ見つけたんだけど」
「……なんだ突然」
「だからお酒が飲みたいんだよ」
「いつもキミは突然だな、和波君」
「いーじゃないか、せっかくプロジェクトも軌道乗り始めたんだし。景気づけに一杯どう?」
「北村課長と行ってきたらどうだ」
「こないだいったばかりだもん、北村課長。それに今日から出張でいないし」
「なら他の奴誘え。キミならいくらでもいるだろ、飲み友達なら」
「三次会四次会行く気分でもないんだよね」
「なら宅飲みでいいだろ、なんで外で飲む」
「外でおいしいお酒を飲みたい」
「真顔で言われても困る。今から葵に連絡いれるわけもいかないし…」
「ところでさ、こないだのリークのお礼まだもらってないよね」
「……忘れてることを期待してたんだが」
「ざーんねん、こういうことは忘れないタチなんだなー、これが」
にやにやしながら和波はウインクする。
「ん」
「これは?」
「これから行くところだよ」
「全く、どこで手に入れるんだ、こんなチケット」
「んー、持つべきものは友達だね」
晃に渡してきたのは、2人の住んでいる高級住宅地にほど近い、この間オープンしたばかりのホテルのレストランだった。
「5時に落ち合おうか」
「だから私は行くとは一言も……」
「今ならケーキバイキングのチケットが安く手に入るらしいよ」
「……」
「葵ちゃんいきたいなーって調べてなかったかい?チラシとかこれ見よがしにテーブルに置いてあったりとか」
「………あ」
「いきなりはハードル高いだろうからさ、せめてどういうところで、どういうケーキが出るのかだけでも下調べは必要だとは思わないかい?デートとかにはさ」
「いつも思うが、キミは誠也君とは行かないのか?」
「え?行ったよ?何度も行ってるよ?オープンから通い詰めてるよ、未だに制覇できていないからね。今回の敵はなかなか手強いんだ」
「……ほんとに好きだな、甘いもの」
「大好きだよ、私の大事な動力源だ。誠也とも会話が弾むしいいとこだらけだ。ちなみにそのチケットは溜まりまくってるからあげる」
「私はそれほど好きじゃないんだが……」
「だからセーフラインを探りに行くといいんだよ。先に知らなきゃなにもできないんだ、何事もね。あーだこーだ空論振りかざしたってどうしようもないだろ?」
「……それもそうか」
「そうそう。葵ちゃんのために奮発してあげなよ、そこそこいい値段するからね」
「……お金、降ろしてくるか」
「うん、そうしなよ」
「キミは誠也君とくるのか?」
「いんや、誠也は今日サイコデュエルの実験が入ってるんだ。終わったら迎えに行くつもりだよ」
「酒飲むのにか?」
「なんのためのタクシーだい?」
「……キミは全く」
「あいにくウチは土日はどこかに食べに行く家庭だったのさ。なるべくみんなで家に帰って家庭団らん、なんて家じゃないもんでね。誠也も私も家でゆっくりは一番ほど遠いんだ。なにもない日が一番嫌なんだよ、退屈だろ?」
「忙しないことだ」
「まーね、キミとは真逆の家庭環境だったんだよ」
「そうだな、ほんとうにそうだ」
普通に考えれば一番気が合いそうにないが、どういうわけか異性であるにも関わらず、同期の中では一番しゃべる方だった。和波とつながってさえいれば、他の同期達の動きから置き去りにされなくてもすむ。いちいち気を回さなくていい。気が楽、それが晃が和波と友人でいる理由なのかもしれない。すくなくても、名前で呼ぶ気はおきない。晃の中では男友達に分類されているのかもしれない。さすがに口に出したら言葉の節々にとげが生えて痛いからいわないが。
「それじゃ、七時にホテル前でね。お疲れ」
ウインクして去って行った和波を見届けて、財前はため息をついた。
警備員やドアマンのチェックをかいくぐり、晃は葵と共にホテルに向かった。
「……すごい」
さすがはオープンしたてのホテルである。何処を見てもスーツ姿の男性、ドレス、あるいは着物の女性、そこそこおしゃれな服を着ている子供達しかいない。どうやら今日はなにかの式典の会場となっているようで、思っている以上に騒がしい。
「こんばんは、早いね」
「こんばんは、和波さん」
「はい、こんばんは、葵ちゃん。財前君もきてくれてよかったよ。さすがに今から誠也呼び出したら怒られちゃうからね」
「えっと、どこにいけばいいんですか?」
「あっちだよ」
おしゃれなカフェのすぐ横に重厚な扉がある。一礼するスタッフが開けてくれた。案内してくれる彼等についていくと、一番奥の中庭が一番きれいに見えるところに案内してくれた。ライトアップされた中庭を水のベール越しに見るのはなかなか楽しいものがある。見入る葵はうれしそうに笑った。つられて笑った晃だったが、和波がスマホでぱしゃぱしゃしているのをみてあきれ顔になる。
「あのな、和波君」
「いいじゃないか、怒られやしないよ。はい、葵ちゃん」
「はい?あ、はい」
うれしそうに映った葵に、とれたよ、と見せる。きれいなアングルでとれていた。
「それじゃ、送るね」
「はい、ありがとうございます」
「……いつの間に交換したんだ、連絡先」
「そりゃするさ、貴重な女友達だもの。ねえ?」
「はい」
「……葵、和波君から変なこと吹き込まれるんじゃないぞ。この女は平気でとんでもないこと吹きこむからな」
「ひっどいなあ、なにそれ」
「私は事実を言ってるんだ」
葵はくすくす笑いながら肩をふるわせた。
「やっぱりチーズだね、チーズ。ふふ。食べる?」
「ぶ、ブルーチーズですよね、これ?」
「うん、そうだよ。もちろんこのままだと、ただの塩辛いチーズだからね、こうやって食べるんだ」
和波は慣れた様子でクラッカーにブルーチーズをのせると、蜂蜜をかけ始めた。
「はい」
「あ、ありがとうございます」
「おいしいんだよ、これ」
おそるおそる口をつけた葵は目を丸くした。
「あ、おいしい」
「でしょ?ブルーチーズにイチジク挟んでホットサンドにしてさ、ハチミツかけても殺人的なおいしさなんだ、これ。葵ちゃんもお酒飲めるようになったら、財前くんとこーいうお店いっぱい連れてってもらうといいよ」
「は、はい」
「いい返事だね、うん。私もいずれ誠也と一度はこういうお店来てみたいもんだわ」
和波の隣にはいろんなビールが並んでいる。カクテルと合わせたらチャンポン状態だ。
「和波さん、お酒好きなんですか?」
「うん、大好き」
にへら、と和波は笑う。
「もうこんなに飲んだのか、和波?さすがに飲みすぎだぞ、明日も仕事なのに」
「大丈夫、大丈夫。明日にはきっちりやることはやるからね」
「全く……」
晃もアルコールは入っているが量は調整しているようだ。和波ほど酔いは回っていないらしい。取引先からの電話を終えて帰ってきた晃に、葵はさっき教えてもらったばかりのおつまみをみせる。
「お兄様、ブルーチーズ初めて食べました。おいしいです」
「そうか、よかったな」
「はい」
「すいませーん、クラッカー追加で」
「それと、ここは生クリームが出てくるんですよ、ほら」
紅茶の横に置かれている白い陶器を見せてくる葵に晃は目を丸くした。
「出てくるんだよ、これが。コーヒーもなかなかだよ」
「そうなのか、グレード高いな」
「探すの大変だったんだ、楽しもうよ。せっかくだしね」
葵ちゃんは18時までしかいられないしね、と和波は笑った。ほとんど和波が葵に晃について暴露し、眉を寄せた晃が和波について毒を吐くパターンが続いた。葵は終始笑いっぱなしだった。
「和波」
「んー?」
「いつにもましてペースが早いが大丈夫か?」
「たまにはそういう夜もあるんだよ、見逃して。君たち誘ったのは監視役お願いする意味合いもあったんだから」
「こういうところはもっと故意にしてる男と来い、ういてるぞ、私たち」
「気にしすぎでしょ、楽しもうっていったじゃないか。つれないなあ。あ、葵ちゃん。メニューみせてくれる?」
「あ、はい」
「まだ飲む気かお前な」
「さすがに飲まないよ、チョコレートが欲しいんだ。そろそろ甘いものがね。あ、すいません。シャンパーニュとチョコの盛り合わせくださーい。葵ちゃんも食べるでしょ?」
「え、いいんですか?」
「いいよ、いいよ。食べてくれないと私またボトル空けなきゃいけない」
「ありがとうございます」
「いえいえ」
ニコニコ笑いながら和波は空になった水を三人分そそいだ。
「えっと、どこまで話したっけ?財前君がバレンタインのお返しにマシュマロ配ろうとしたから全力で止めた話とか?」
「よりによってその話はやめろ」
「無難にクッキーばら撒けばいいものをなんでか部署ごとじゃなくてわけて配りそうだったから焦ったよ、さすがに」
「和波」
「……お、お兄様、本当ですか?」
「葵、意味知ってたなら教えてくれ。私は何年マシュマロ渡してたと……」
「まあおかげで変な女性が寄り付かなくてよかったんじゃないかい?」
「代わりにへんな噂がたったがな……はあ」
笑い始めた和波に葵は先が気になって仕方ない。先を急かす妹を兄は恨めしげに見つめていた。