コの字になっているこの病院の中庭では、木々の合間を縫うように遊歩道が設けられている。パジャマ姿の入院患者や家族が降り注ぐ柔らかな日差しを楽しんでいるのが見えた。使い古しのボールを投げ合って遊んでいるのは子供達だ。無邪気な声がこちらまで聞こえてきそうである。四角く切り取られた日だまりが車いすまで伸びている。いい天気だねえ、と間延びした声が響いた。
「葵ちゃんは紅茶だっけ」
和波が取り出したのは高級茶葉だ。葵は慌てる。
「あ、いえ、私はなんでも」
「私も誠也も飲まないこと知ってるのに、わざわざおいてく迷惑な見舞客がいるんだよ。おかげで溜まってるんだ。消費手伝ってくれるかい?」
「えっと、その見舞客ってもしかして」
「もしかしなくても、キミのお兄ちゃんだよ、財前君だ。相変わらず明後日の方向の気遣いをする男だよ、彼は。場所取ってしょうがない」
「わあああ、ご、ごめんなさい」
「いいよ、いいよ。誠也がケーキ作れるって浮かれてるから。もらったものはせっかくだし、有効活用させてもらうよ。もともとは葵ちゃんのものみたいなもんだし、飲んで飲んで」
顔から火が出るとはこのことだ。ああもう、お兄様!葵はまともに和波を見ることができなかった。
「いろいろ種類あるんだけど、どれにする?」
「……そんなに占領しちゃってるんですか…ご、ごめんなさい」
「あはは、財前君によろしくいっておいてね」
「ほんとごめんなさい」
葵は平謝りである。きっと晃なりの気遣いなのだ、葵が長居することを知っているから。和波にもきちんと見舞いの品は用意してあるようだから。別口の賄賂、もとい葵をよろしくのつもりなのだろう。余計なお世話すぎる。
「葵ちゃんは優秀なセキュリティがいるんだねえ、未来の彼氏君は大変だ」
「和波さん……」
「あはは、冗談だよ、ごめんごめん」
テーブルの上に並べられていく茶葉はどれも葵が飲み慣れたものだ。葵はおずおずとひとつ手に取り、封をあける。適当に使っていいよと言われた白いカップを手に、葵はポットにお湯を注ぐ。二分ほどすると、ゆっくりとティーバッグの葉が開いて、香りが立ち始める。紅茶の香気が周囲に広がった。最近は国産のティーバッグも非常にいい色が出るようになったから、インスタントも使うようになった財前家である。カップの中のティーバッグを揺らすと、淡い色が透明な湯の中に広がっていく。最近は口当たりも水道水かと思うほど柔らかでなめらかなのだ。ただし 値段はそれなりにするけれども。そのうちポットの湯気と共に薫り高い紅茶の香りが広がる。暖かい香りが漂いはじめ、くつろいだ雰囲気となっていく。
車いすが近づいてくる。葵は近くのテーブルにカップを置いた。
それなりに値段がするものとコンビニで売ってそうなものが並んでいる。値が張る方が多いのは、きっと晃がまとめて持ってくるからだ。きっと高そうなのは晃の差し入れだろう。そっちの方が減りが早いのに、全然無くなる気配がない。ざっと確認し、和波はひとつ手にした。封を開け、カップにつける。そしてお湯を注いだ。ミルクも砂糖も入れないようだ。大人である。弟もたしかブラックが好きだったはずだ、もしかしたら好みが似てるのかもしれない。コーヒーポットから入れたばかりのほろ苦い香りがする。香りは葵も好きだ、コーヒーは苦いから好きじゃないけど。
「こっちもいっぱいありますね……」
「だねえ。私はべつにこだわりないんだけどね、どこどこの名水とかお茶ばっかりだと気が滅入っていけない。いかにも病院ですって感じでさ。だからコーヒーばっかり飲んでる気がするよ。ブルーマウンテンでいいよっていったのに。香ばしさとすっきりとした苦みとキレのある酸味のバランスがとれてる、品のいい味と香りが約束されてる種類はないから、はずれはまずないって。そしたらこれだ。別に手土産期待する間柄じゃないのにね、律儀な男だよ、ほんと。そして融通が利かない。それがいいところではあるんだけど」
「あはは」
「おっと、今回の話はオフレコでよろしくね。隙あらばすぐナースステーションに密告しやがるんだ、あの男」
なにやらかしたんだろう、と葵はちょっと気になった。
「うん、やっぱりコレだね。やっとまともな味になった」
「え?まともって?」
「ああうん、朝クソまずいコーヒーいれちゃってね、地味にダメージ喰らってたとこなんだ。面倒くさがりな私でもインスタントコーヒーくらいは入れられると思ってたんだけどね、気を抜くとすぐコレだ」
「なにがあったんですか?」
「なんてことないさ。ついさっき沸かし始めたポットを忘れたまま、コーヒーに使っちゃったんだよ。生ぬるい水をね」
「え゛」
「とけるわけがないだろ?その上パックをセットするのが面倒で直に粉末いれるタイプを、こう、がさっと三分の一くらい入れてたのに気づかなかった」
「……だ、大丈夫でした?」
「想像を絶するまずさだったよ、あれはなかなかできるもんじゃないね。もったいないから気合いで飲んだよ。とりあえず目は覚めたかな。おかげでしばらく舌が死んでたけど。やっぱテレビ見ながらは駄目だ。……あ、誠也にはくれぐれも言わないでくれるかな。さすがにこれは駄目だ」
お姉ちゃんは僕がいないとだめなんです、と真顔でいっていた弟を思い出し、葵は笑いをこらえることができない。
「もちろんキミのお兄ちゃんにもだよ、葵ちゃん」
「は、はい……」
黙っていることができるだろうか、ちょっと自信がない葵である。
「これこれ、苦いし濃いけど、ちっとも舌にもたれない。つい二回三回やっちゃうんだけど、駄目なんだね。財前君に怒られたよ」
「えええ……インスタントですよね、和波さん。香りもとんじゃうし、おいしくないですよね、それ」
「ああうん、みんなそういうね」
「紅茶ならお湯の量とタイミングで何度か使うことはありますし、緑茶も調整しやすいけど、うーん」
「あはは、そのえぐみが好きなんだけどね」
「薄くないですか?」
「ああうん、まあね。やっぱ一回か、覚えとこ。せっかくだし、葵ちゃんが持ってきてくれたクッキー食べようか」
いろいろと晃においしいお店教えてくれる和波から次々ととんでもない話を聞かされて、葵は苦笑いしかうかばない。
「あ、はい、わかりました。開けますね」
「あ、ごめんね、ありがとう」
葵はここに来る前にかってきたクッキーを広げる。手狭なテーブルだが無いよりはましだ。自然と体に染み渡ってくるような、自然な甘みを堪能しながら、葵はクッキーを口にする。やっぱりおいしい。和波も顔がほころんでいる。気に入ってくれたようだ、よかった。
「で、どうしたんだい、今回は」
「あのですね、和波さん」
「うん」
「和波さんってその、リンクヴレインズのアバターとか、作ってたじゃないですか。#ご#の」
「ああ、この間の」
「はい」
「楽しかったねえ、あれ。誠也が嫌がったからお蔵入りしたデザイン結構あったし」
「和波さんもああいうの、デザインしたりしたんですか?」
「基本は外注だけどね。デザイン代ケチるほどちゃちな仕事はしちゃいけないよ、アバターパーツは大事だ。でもま、楽しいでしょ?ああいうの。私はアバターで何時間もかけるタイプなんだ。そしてストーリーを忘れる」
「わかりますそれ」
「でしょ?生体情報をもとに基本アバターは生成されるけど、それなりに課金すればこれほど自由度が高い環境はないと思うよ。リンクヴレインズは特にね」
「それで、今、リンクヴレインズ、クリスマス仕様のパーツがたくさんあるんですよ」
「あー、私が誠也に着せようとしたら、怒られたやつとかね」
「あれ、みたことないデザインだったんですけど、何処で手に入るんですか?」
「あー、あれはね、没案なんだ。日の目をみることはないよ」
「えーっ、あんなにかわいいのに」
「ねえ。一目見たときから私の一押しだったんだけど、どうも2年のブランクは大きいみたいなんだ。多数決で押し切られた。民主主義の弊害だね」
「えー」
「ほんと、えーだよ、もったいない。このトナカイの着ぐるみとかセットにしたら、ぜったいいけると思うんだけどなあ。若い子には若いときにしか着れない服着て欲しいのに。せっかくだし、見るかい?」
和波はそうとう気に入っていたようで、モーションなども自作で作り始めていたようだ。パソコンの向こう側で翻るスカートに葵は目を輝かせた。やっぱり女の子である。
「これいいですね、Dボード。クリスマス仕様、細かい!あ、このモーションかわいい」
「これはもうすぐ発表されるはずだよ。クリスマスコスしろって無言の圧力をかけるために、あの手この手でクリスマス仕様になっていくはずさ。楽しみにしててね」
「ほんとですか!?やった、楽しみにしてます!ところで、和波さん」
「うん?」
「このアバター、デザインって借りてもいいですか?お金いります?」
「お、もしかしてブルーエンジェル着てくれちゃったりする?」
「すっごいかわいいです、ほしい」
「ほんとに?やった、これはありがたい。デザイナーへの支払いは私がやっとくよ。なにかカスタマイズしたいところはある?」
「いいんですか!?」
「いいよ、いいよ、それくらい。かわいい子が着るべき服だしね、コレ。デザイナーも喜ぶと思うよ、カリスマデュエリストが着てくれるんだから」
「ありがとうございます!えーっと、そうだなー」
パソコンの向こうでクルクル回転させながら、葵はデザインをじっくりと確認し始めたのだった。あれをあーして、こーして、としていくうちに、どんどん露出度が高くなっていく。
「あ、財前君にバレた時はフォローよろしく頼むよ、葵ちゃん」
「まかせてください!」