明星事変5

現実の世界と夢の世界という二つの異なった世界が、私の意識を無音のうちに奪い合っている。まるで大きな河口で、寄せる海水と流れ込む淡水がせめぎ合うように。

不老不死の狂気に侵された男に絶縁を言い渡し、さっていく妻子の夢を見た。この男は卑弥呼の器として妻や娘をさしだそうとして拒否され、ならばと《アマツミカボシ》の器を作り出す実験体として妻をつかったのだ。そして娘は一般人としての生活をしていたにもかかわらず、歯牙にかかってしまう。道場敷地内にある立派な庭に埋められるたくさんの被検体たち。

「これは......」

私は10年越しに《アマツミカボシ》の2度目はないという最後通告と逆鱗の意味を知るのだ。夢というものは、人間の全身が眠っている間に、その体内の或る一部分の細胞の霊能が、何かの刺戟で眼を覚まして活躍している。その眼覚めている細胞自身の意識状態が、脳髄に反映して、記憶に残っているものを吾々は「夢」と名付けているのである。

これは《アマツミカボシ》がかつてみた光景なのだ。

「......九角天童君は知ってるの、これ......?蟲で先は長くないって《アマツミカボシ》いってたみたいだけど......まさかシャンに寄生されてるとか言わないわよね......?いつからよ......」

夢は微睡みとともに、ぼんやりと薄暮の中に溶ける山の景色のように曖昧になっていく。暖かくやわらかい泥の中にずぶずぶ入っていくような感覚だ。もどかしさが、奇妙な襟巻のように喉に絡み付く。浮かぶ端から、手がかりのないつるりとした意識の斜面を虚無の領域に向けて滑り落ちていった。

目覚めたときにはほとんど何も覚えていない。夢の微かな切れ端のようなものがいくつか、意識の壁に引っかかっていることはある。しかし夢のストーリーラインは辿れない。残っているのは脈絡のない短い断片だけだ。彼女はとても深く眠ったし、見る夢も深い場所にある夢だった。そんな夢は深海に住む魚と同じで、水面近くまでは浮かび上がってこられないのだろう。もし浮かび上がってきたとしても、水圧の違いのためにもとの形を失ってしまう。

気がついたとき、私は汗びっしょりなまま車の後部座席で横になっていた。

「愛、大丈夫か?」

朧気な輪郭が次第にはっきりしてくる。心配そうな顔をしている翡翠がいた。名前を呼ぶと安心したように笑いかけてくれた。

「よかった、目が覚めたみたいだな。みんな、愛が目を覚ましたよ。どうやら意識の混乱はみられないし、《氣》も安定している。後遺症はなさそうだ」

翡翠の言葉に歓声があがった。どうやら《アマツミカボシ》の《荒御魂》を無事に倒すことが出来たようだ。よかった。私は翡翠に背中を支えてもらいながら起き上がる。

「心配かけてごめんなさい。ここは?」

「もうすぐ等々力渓谷だ」

「!」

「安心してくれ、《荒御魂》は倒すことが出来たよ。君のおかげだ。どこまで覚えてる?」

「死にかけたことなら......」

「なるほど。一時的に《アマツミカボシ》が君の身体に降臨したんだよ。そして突破口を開いてくれたんだ」

「えっ」

「たくさんのバイアクへーとヴルドゥームという邪神を召喚したんだ。聞いたことも無い呪文を《門》の向こう側にかけていた。どうやら今の君を召喚したあの場に、九角家の当主はいたらしい。2度目は逆鱗にふれたようだ」

「《アマツミカボシ》がそんなことを?」

「ああ、その報いは受けてもらうと。君の魔力や《氣》を根こそぎ奪っていったようだね。うごけるか?美里さんが《力》を使ってくれたが」

「......はい、大丈夫なようです」

「よかった。本当に無事でよかった。本当にダメかと思った。《アマツミカボシ》が降臨しなかったら、僕達もダメだったかもしれないな」

「ありがとうございます。みなさんは大丈夫ですか?」

「ボクたちは大丈夫だよッ!」

「まーちゃんのおかげで助かったよ、ありがとう」

「等々力不動には行けそうか?車で待つか?」

「瘴気があたりにたちこめていますし、車で待つ選択肢はないですね。入口で私も降ります。《如来眼》による解析くらいならできそうですから。魔力を使い果たしたわりには体が軽いというか、気分がスッキリしているというか」

「そうか、よかった」

翡翠が頭を叩いた。

「まあ、この《氣》には目覚めざるをえないか」

「そうですね」

私もすぐその言葉の意味に気づくのだ。《鬼道衆》の《氣》だが、殺気は感じない。私達の様子を窺っているような視線が、四方から集まっている。仕掛けて来るつもりはないようで、あくまで監視のようだ。これ本拠地に乗り込むのだから無理もない話だが。ちらりと視線を走らせると、龍麻はなにか思い当たる節があるのか腕の黒い数珠を見ながら考え込んでいるようだった。彼らの目的を訝しんでいるのかも知れない。
 
適当な話をしつつ、私は《如来眼》で周りの《氣》を探るのだ。《氣》は揺らぐことなく、じっと私達を観察しているようだった。

この先は人通りの少ない等々力渓谷に続く細道へと入る。仕掛けてくるなら絶好の場所だ。周りを囲む鬼気が、明確な意志を初めて表したところで、私達は立ち止まり、大きく息を吐き出した。殺気が膨れ上がって、私達を包囲する。闇の中から、たくさんの鬼面が浮かび上がるイメージがうかぶ。やはり目的は私達の足止めのようだ。余程慕われている頭領らしい。

車がいよいよ等々力渓谷入り口に停車する。

「行くぞ」

龍麻の声を合図に、私達は車から降りた。数ばかり多い雑魚はさっさとご退場願うに限る。私はバイアクへーを召喚した。

「愛、三体も呼んで大丈夫なのか?」

「......呼んでおいてなんですが、まさか三体も来てくれるとは思いませんでした。《アマツミカボシ》の契約してる子達なのでしょうね。私は一体分しか《魔力》を消費していません。ありがたく使わせてもらいましょう」

先手必勝だ。数体まとめて吹き飛ばしてから、駆け寄る鬼面をみんなで撃破する。後ろに感じる鬼気には注意を払わない。その必要がないからだ。

後方から私に向けられていた殺気が、強烈に発せられた水流によって、捻れた叫び声と共に消滅した。

横をすり抜けて翡翠を狙おうとしていた鬼面に斬撃を喰らわせる。一瞬、隙の出来た私の右前方から飛びかかろうとしていた敵は、後ろから放たれた水流によって吹き飛ばされ、体勢を整える前に露と消えた。数刻と経たないうちに鬼面の姿は殆ど消え去った。

相変わらず遠巻きにしている忍びたちの視線を感じつつ、最後と言うことで、何かあるのかと思い身構えていたが、特に何も起こらない。私達は等々力不動へ向かうために渓谷へ侵入しはじめる。

そして私は、夢の話をみんなに聞かせるのだった。

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