明星事変3

刻一刻と時間がたつにつれて、生贄の数が増えてきたのか、《アマツミカボシ》の《荒御魂》に新たな顔が胸の肉を裂いて出現した。本来の顔はグラグラしながら揺れており、明らかに主導権を奪われている。その顔が咆哮する。意味がわから無い言葉を紡ぎ、触手がびたんびたんとしなった。

暴風が吹き荒れる。それは毒を含んだ魔の風だった。いくつもの竜巻が発生し、仲間を襲う。黄泉から強制的に帰還させる装備がなければどれだけ被害がでていたかわからない。美里さんが復活にまで手を回せばほかの回復が間に合わなくなる。まさに綱渡りだった。

「聖母の雫よ、癒しの風にのせ、仲間に祝福を!」

《アマツミカボシ》の末裔だからだろうか、効果をうけなかった美里さんがすかさず《力》を使う。生命を慈しむ聖母マリアの涙が複数の仲間へのいかなる状態異常をも取り除いていく。そして仲間を思いやる祈りを乗せた風が、離れた仲間の傷をも癒していった。

《荒御魂》の標的が愛から変わらないのはキリスト教を信仰してきた歴史が美里さんを《アマツミカボシ》の末裔でありながら、全くちがう《力》に成長させ、昇華させてきたからなのかもしれない。

あるいは、愛が《アマツミカボシ》の《氣》に無理やり変換させて、《力》をつかい、防波堤になっていることの方が大きいのだろうか。《荒御魂》の行動がパターン化出来ているのは、明らかに愛の功績だった。

《菩薩眼》の《加護》をうけた僕達は反撃を開始した。これなら何とかなるかもしれない、と思い始めた矢先だった。

「愛ッ!裏密さんッ、下がるんだ!」

愛が《如来眼》により支援者がいることに気づき、《門》を閉じようと裏密と詠唱を始めたからだろうか。あちら側のアトランダムに発生する《門》が開いたのは、なんと愛たちのすぐそばだった。僕はたまらず叫ぶ。僕の真横から飛び出してきたのは、京一君だった。

「地摺り青眼ッ!」

《旧神の印》による《加護》が京一君の《力》に装甲無視の貫通効果を付与する。青眼の構えから地をすべるようにして巻き起こす真空波を叩きつけるが、吹き飛ばされた距離から考えても《荒御魂》の射程範囲からは逃れられない。

「螺旋掌ッ!」

龍麻は体内で螺旋状に練った《氣》に、手の捻りを加えて放つ掌法の奥義が炸裂する。《荒御魂》が悲鳴をあげたが、あまり飛距離は稼げなかった。まだ足りない。

「水流尖の術ッ!」

出遅れた僕はあわてて印を結び、飛水流忍術を発動させた。吹き上がる幻視の水柱で、ダメージを承知で愛たちを吹き飛ばした。《荒御魂》は吹き飛ばしても、大きく仰け反るだけの予感がしたからだ。愛が裏密さんを庇う。《荒御魂》はまだ立ち上がってくる。

ダメージを回復するとき、こいつは岩になってしまうのだ。こうなるといかなるダメージも通らなくなってしまう。そして暗闇にとけていった。なかなか《門》をとじられない。また回復されてしまう。形勢を立て直さなくては。

フラフラの裏密さんを援護に入った仲間に引き渡す愛は呪文を唱えながら逃げていた。暗闇が出現したのは、愛のすぐそばだった。みるからに激高した《荒御魂》が跳躍して愛の目前まで驚異的な移動を見せる。触手が愛目掛けて襲いかかった。

「愛ッ!」

間に合わない。伸ばした手は空を切る。誰もが思った。その時だ。

《荒御魂》の触手により愛の胸が裂け、細かく割れ、そこに冷え冷えとした風が吹き込み、小さくざわめくような音を幻視する。美里さんたちの悲鳴があがった。

「くそッ!」

僕はせめて裏密さんたちは守ろうと即座に思考を切りかえ、水流による妨害に入る。彼女たちに迫っていた触手はひきちぎられて宙を舞った。

暗い深い穴に落ちていく感覚に襲われ、僕は必死で思考を遮断しようとした。僕達はまだ戦っている最中だ。ここで無防備に立ち尽くしたら即死級の攻撃が降り注ぐことになる。

愛が暗黒の中で二度と声も出なければ音も聞こえず、何も見えなくて、不安を覚えているとしても。その孤独を僕はもう救ってあげることができない。

家族という、確かにあったものがひとりひとり減っていって、自分がひとりここにいるのだと、久しぶりに思い出してしまったとしても止まるわけにはいかないのだ。僕はそういう運命だ。

感情を遮断しなければならないのに、心は別空間に移行してしまい、どうしても戻ってこれない。昔のような視点で、どうしても世界を見ることができない。頭が不安定に浮き沈みして、落ち着かずにぼんやりいつも重苦しい。

会いたかった。助けにいきたかった。僕は裏密さんたちが安全圏まで逃げたことを確認してから、荒れ狂う風に向かった。どうしてもなにか手や体や心を動かし続けなくてはいけない気がした。そして、この努力を無心に続ければいつかはなにか突破口につながると思いたかった。澄んでぴりぴりと冷たい空気の中でほんの少し「死」に近い所にいるように思えた。

自分がなんだかとてつもなく巨大なものと戦っているような気がした。そして、もしかしたら自分は負けるかもしれないと生まれて初めて心から思った。人が出会ういちばん深い絶望の力に触れてしまった。

こうやってひとは死ぬんだと思った。残された者の両手にありあまるほどの「そのひと」を残したまま、そのひとはもう二度とひっくり返されることのない砂時計になる。やがて記憶はどんどんこぼれていく。両手に何もなくなっても、もう、そのままだ。 憂鬱な気配は僕たちのあがきを冷ややかに見つめる。死の影。目をそらすと忍び寄ってくる無力感、気を許すと飲みこまれる不毛。せめて、人目だけでも。そう願った先で。

「───────ッ!?」

突風が吹き荒れた。風魔の笛が空高らかに鳴り響く。愛の声がする。バイアクへーを呼ぶ呪文だ。無事だったのか、と歓喜より先に湧き上がったのは、本当に愛なのかという疑問だった。愛は無傷だったのだ。《荒御魂》がはるか後方に弾き飛ばされていたのである。

誰も予想だにしない奇跡の事態だった。それゆえに飲み込めない。愛の姿をした誰かは、《氣》が太陽を直視しているような強烈な閃光と灼熱で焼かれそうになるくらいのエネルギーを放っていたからだ。愛にも片鱗はあったがここまで目がくらむような威力はなかった。

「あれは......」

はるか上空から飛来するものがある。何体ものバイアクへーが《荒御魂》目掛けて突撃してきたではないか。

「まーちゃん、呼べたのか!?」

「いや......そんなはず......」

だが、愛はたしかに笛を吹いていた。さらに高々と印をきり、なにやら聞いたことがない呪文を紡ぎ出した。

『神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。これにより時間が誕生した。名を───────」

おそらくは冒涜的な神の名だ。僕達の頭は理解するのを拒否した。

『神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と風とを分けよ」。その名は───────と───────」

平然と名前を紡ぐことが出来る愛は、果たして僕らのしる愛なのか自身がなかった。

「神はまた言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。その名は───────」

好戦的に笑う愛を僕は見たことがないのだ。

「神はまた言われた、「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。さあ、降臨せよ神代の果樹の神。ヴルドゥーム」

この名前だけ聞き取れるということは、目の前のモンスターの名前なのだろうか。

「ヴルドゥーム?」

「なんだこりゃ、新手の邪神かよ?」

「いや......《荒御魂》を攻撃してるみたいだ。またバイアクへーのように召喚したのか......?」

いつの間にか、青白く膨らんだ、幹から枝状に分かれた根をもつ巨大な球根植物が出現していた。てっぺんには花のがくを思わせる朱色の部分があり、そこから妖精を思わせるモンスターが生えている。

このモンスターが発する甘い香りには催眠効果があるようで、《荒御魂》は幻覚に陥ったのかあらぬところを攻撃しはじめた。そのモンスターは明らかに《荒御魂》を攻撃しており、龍麻たちの味方だった。花から蔦のようなものを出し、《荒御魂》を攻撃する。愛の《力》ですら追加効果が無効化されていたというのに、あっさりこのモンスターは《荒御魂》を翻弄してみせた。それだけでとんでもないものだとわかる。

そのモンスターはさらに正体不明の怪物を呼び出し、《荒御魂》に追撃を命じ始めた。3つの頭を持った蛇みたいな怪物は、目の部分から舌に似た炎が吹き出しながら《荒御魂》を攻撃しはじめた。

邪神の従者や奉仕種族を呼ぶには無償などありえない。なにかしらの準備は必要だと愛が常々いっていたのはたしかだ。にもかかわらず今の愛はいきなりバイアクへーをたくさん呼び出し、さらに新たなモンスター、ヴルドゥームを召喚したではないか。僕は愛に呼びかけてみるが、愛は呪文を唱えるのに集中しているようで答えない。

「すご〜い、槙乃ちゃ〜ん。《門》の向こう側にも攻撃が届いてる〜」

「!!!」

「ミサ、それほんとか!?」

「うん〜!初めて見た〜。呪文唱えてたおじいさんの手足が〜、どんどん縮んでいったわ〜。あっちは〜、大混乱みた〜い。これなら《門》、閉じれるかも〜」

裏密は嬉々とした様子で《門》を閉じる詠唱を再開する。

「よ、よくわからないけど、今のすきに《荒御魂》を倒そう」

龍麻が動揺を無理やり押さえ込み、仲間たちに指示を出していく。僕は恐る恐る愛に近づいた。呪文は終わったというのに、愛は微動だにしない。なにやら印をきっている。

「君は誰だ?」

顔を上げた愛はにたりと笑った。

『子孫の繁栄と安寧を願わない先祖はいない。それを邪魔する者はたとえ同じ末裔だとしても2度目はない』

「まさか、君......いや、あなたは......」

『あの不愉快な蟲で先が長くないとはいえ、これ以上好き勝手されるのは我慢ならない。私がなんのために自ら分割して《力》を末裔たちに継承させたと思っている。それを───────」

愛の中にいる誰かはそういって冒涜的な呪詛を唱えた。暗闇が四散していく。空が晴れ渡っていく。秋晴れの空が広がっていった。

《荒御魂》が苦しみはじめた。愛の中の誰かは不敵に笑って空を仰ぐ。

『なによりも許せないのは我が神をこのような形で招来しようとしたことだ。その報いは受けてもらうぞ、九角───────』

それは暗闇に向けて投げられた呪詛だった。《アマツミカボシ》は僕を見た。意味深に笑うと目を閉じる。愛の力が抜けた。僕はあわてて抱き抱える。どうやら魔力を使い果たして気絶してしまったようだ。僕はホッとした。

《荒御魂》の体が崩壊し始めたと龍麻が叫んでいる。どうやら回復手段が絶たれたこと、太陽の光が弱点だったようだ。

これならなんとか突破できそうだ。僕は愛をかかえて一足先に戦線を離脱した。


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