明星事変1

ぶちり、と嫌な音が響いた。それはなにかが千切れた音ではない。何か、生き物の肉が無理やりに断たれる様な、不快な音だった。短い呻き声をひとつ上げたかと思うと、何かはそのまま、糸の切れた操り人形の様にその場で地面へと崩れ落ちた。その肢体はぐったりと地面に横たわるものの、静かな呼吸が繰り返されていた。

ずるずると這いずりながらそれは半身を探して歩き回っていた。二息歩行のガマガエルの両手からは触手がいくつも溢れている。

よく見れば、点々とわずかではあるが、道路にぬめりが散っている。まるでそこだけが雨でずぶ濡れになったみたいな色をしており、濃厚な潮の香りを残していく。そのヌメリを辿れば、「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた看板があり、その下水道の工事現場に入っていく。

しばらくは下水道の薄暗いジメジメとした通路がつづき、ある地点から打って変わって目がくらむほどの光が差し込んで来る。どうやら強烈な光源があるようだ。

そこには真っ赤な髪の男がいた。

「どうした、片割れを探しているのか。それともガワの信仰心がまだ残っているのか?」

男は侵入者の気配に気づくと振り返り、眺めてから愉快げに声を上げて笑った。男の背後には、先程目をくらませた光の正体が鎮座している。明るい光が激しく瞬き、激しく輪郭を変化させつづけている。次第に肥大化しはじめたそれを眺めながら、男はいうのだ。

「《アマツミカボシ》から置き去りにされた哀れな《荒御魂》よ。お前が探している半身はここから北にある桜ヶ丘中央病院にいるはずだ。お前が欲するものはそこにいる」

沈黙していた《荒御魂》だったが、無言のまま手を伸ばした。光は集束したかと思うと波紋を描いて広がっていった。激しい閃光と共に電気が《荒御魂》におそいかかった。ふらついた影法師は無様に転がった。

「誰も彼もに拒絶される哀れな憑依者よ。お前を受け入れてくれるものはここにはいない。それはお前が半端なかたちで覚醒しているからだ。さあ、目覚めるがいい」

男が手をかざして冒涜的な呪文をとなえる。背後の光がひと際強く輝きだし、白熱したプラズマが吹き出した。強大なエネルギー体が轟音を立ててあふれだす。《荒御魂》の触手が弾け飛んだ。吹き飛ばされた《荒御魂》はふらふらと立ち上がる。

「さあ、変生せよ」

かろうじて深きものの原型をたもっていた体がぶくぶくと膨れ上がり、みるみる内に膨張していく。奇妙な形をした触手が腕だけでなく、足も、腹も、全身が水風船の様に膨れ上がり、耐えきれなくなった体の表面を散り散りに破り捨てた。その中から現れたのは、幾重にも重なる触手の塊、まぎれもない異形の化物だった。

触手の異形となり果てた《荒御魂》は、目の前でうねる光へと全身をくねらせながら飛びかかった。ぶつかる度に地響きの様な轟音が響き、触手と怪しいプラズマが、混じり合いながら飛沫を散らす。轟音は増し、やがてぐらぐらと下水道全体が揺れはじめる。

光り輝くエネルギー体は抵抗していた。実体がえぐられ、電気となって四散していく。萎んでいく閃光が《荒御魂》に捕食されているのだ。激しい衝突音が鳴り響く。まばゆい光の集合体に絡みつく異形の触手の塊は激しくぶつかり合い、争っている様に見える。
 
やがて蠢く光の集合体は激しく点滅を繰り返し、そのまま四散して姿を消してしまった。その刹那、激しい閃光と煙の狭間から、幾重にも重なる巨大な触手が、噴き出す様に広がった。

 
巨大な異形の先端に触れ、壁は楊枝の様に容易く穴があき、地盤は粘土の様にえぐられた。とうとう地面に穴をあけてしまった《荒御魂》が跳躍する。



ふと目の前が暗くなった。それは月を厚い雲がかくした為ではない。そこには巨大な異形の先端があった。それがまるで意思を持って自分を見ていると誰もが本能的に感じるだろう。次の瞬間、全身を包む不快な感触に、自分がそれに取り込まれた事を理解する。次に感じたのは、みしり、という体の内側から響く音と、全身を包む激痛だった。圧に耐えられずに体中の骨という骨が悲鳴を上げる。そして、ついに。
 
ぐちゃり。初めて聞く、自分の体が潰れる音。それを最後に、通行人の意識は途切れた。

「いったか」

男は笑った。東京全体の亀裂が入った気配がしたからだ。等々力不動がある南から瘴気がたちこめはじめている。

「さすがは九角天戒以来の赤い髪なだけはある。才覚は匹敵するようだ」

かつて天海大僧正が敷いた《五色の摩尼》、そして北斗七星の《加護》をえるために敷いた神社仏閣の結界、これがいままさにワダツミ興産の下準備のおかげで《荒御魂》が覚醒した瞬間にやぶられたのだ。おそらく一夜にして該当の場所は焦土と化している。

「冬至を待って将門公の結界に手をつけたかったが、まあ上出来だ。あとは思う存分に殺し合うがいい。《アマツミカボシ》の末裔たちよ。そのためにわざわざ用意したのだからな」

神の霊魂は2つの側面にわけることができる。《荒御魂》は神の荒々しい側面、荒ぶる魂である。勇猛果断、義侠強忍等に関する妙用とされる一方、崇神天皇の御代には大物主神の荒魂が災いを引き起こし、疫病によって多数の死者を出している。これに対し、《和魂》は神の優しく平和的な側面であり、仁愛、謙遜等の妙用とされている。

荒魂と和魂は、同一の神であっても別の神に見えるほどの強い個性の表れであり、実際別の神名が与えられたり、別に祀られていたりすることもある。人々は荒魂と和魂を支えるために、神に供物を捧げ、儀式や祭を行ってきた。この神の御魂の二面性が、神道の信仰の源となっている。

また、《荒御魂》はその荒々しさから新しい事象や物体を生み出すエネルギーを内包している魂とされ、同音異義語である新魂とも通じるとされている。

和魂はさらに幸魂(さきみたま)と奇魂(くしみたま)に分けられる。幸魂は運によって人に幸を与える働き、収穫をもたらす働きである。奇魂は奇跡によって直接人に幸を与える働きであり、知識才略、学問、技術を表す。幸魂は「豊」、奇魂は「櫛」と表され、神名や神社名に用いられる。

幕末に、平田篤胤の弟子の本田親徳によって成立した本田霊学の特殊な霊魂観として、人の魂は天と繋がる一霊「直霊」(なおひ)と4つの魂(荒魂・和魂・幸魂・奇魂)から成り立つという一霊四魂説が唱えられるようになる。

たとえ神霊であっても陰陽の理から逃れることはできない。《陰氣》しかない神もなければ、《陽氣》しかない神もない。ゆえに18年前、《アマツミカボシ》の《荒御魂》が封じられていた《宿魂石》を核に《アマツミカボシ》の《和魂》を降ろすのは理にかなっていたはずだった。《アマツミカボシ》は完全な形で降臨するはずだった。《鬼道》が人間しか降ろすことができない呪術でさえなければ。

おかげで《アマツミカボシ》の《荒御魂》を降ろしたとしても、核となる《宿魂石》は《アマツミカボシの器》たる《和魂》の転生体が所持しているせいで、不完全なかたちでしか呼ぶことができない。

ゆえに、男は九角の当主にいったのだ。《アマツミカボシ》を完全な形で復活させたいならその不完全なまま呼べと。欠陥をかかえたまま降臨した《荒御魂》は半身を求めて東京を探し回る。きっと東京の結界も破壊できるし、焦土と化すことができる。かつて軍人だった時代に不老長寿の目論見を《龍閃組》の末裔たちに潰された復讐が果たせるだろうと。

孫を使ってまで復讐とは畏れ入るが利用価値があるから手を貸したまでだ。どのみち蟲が頭に巣食う当主の命は風前の灯である。


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