九角天童

世田谷区内を流れる谷沢川の流域にあり、多摩川との合流地点のやや上流に1キロに渡って、深さ10から20メートルの渓谷が形成されている。それが等々力渓谷だ。等々力の由来は渓谷の中程にある不動滝が轟くほどであったとされるが、今となっては過去の話だ。かつては多くの修験者が修行に励んだという滝も今や一筋の水流でしかない。今聞こえるのは渓谷の頭上を横切る環八通りの車の騒音だ。

渓谷の入口は人ひとりがやっと通ることができる程度の広さしかない階段である。等々力渓谷の中程にある等々力駅から環八通りを渡り、少し行った先にあるのがその等々力不動尊だ。正式名称は明王院。

整然と配された本堂と弘法大師堂、能舞台造りの展望台。そこはかとない神聖なる《氣》が感知できる人間は多いだろう。

渓谷といえば奥多摩などの清廉な森に包まれた清流を思わせるが、東京都世田谷区にある等々力不動尊のある等々力渓谷も東京23区内にあるとは思えないほどの自然美に囲まれた静かな景観を呈し、東京を代表する自然の景勝地としても知られている。

四季折々の自然美がすばらしく、春は桜の名所としても有名だ。奥深い静けさのある景観を呈し、境内に隣接する等々力渓谷の自然や不動尊にまつわる仏様からあやかるパワースポットもたくさんある。

飛鳥時代の呪術者で、修験道の祖とされ、山岳仏教のある各山に伝説が多数残る役小角(えんのおづの)の夢の中にお不動様が現れて関東に霊地があることを告げた。そこで役小角はお不動様を背負って関東に入ると夢に見たものと同じ渓谷があり錫杖で岩を掘ると滝が流れ出した。そしてそこにご不動様を安置し、霊地としたことに始まる。岩から流れ出した滝はその後み枯れることはなく、湧出る水の音が付近にとどろき、この一帯の地名「等々力(とどろき)」となったという謂れがある。

風水は平安時代に安倍晴明が唐から日本に持ち帰ったのが歴史上の通説だが、奈良時代に役小角が開いた修験道にはすでに《氣》の思想に通じるものかあった。さらに不動明王は仏教、特に密教の仏尊である。役小角は800年代に成立した天台真言宗よりも早くからその思想をえていた。

創始者の役小角は陰陽道や密教の成立以前からその思想を体得していた、いわば先駆者なのである。等々力不動はそういう意味でも紛れもない《聖地》だったのは間違いない。

かつて九角家がこの等々力不動に住まいを構えていたと九角天童は今は亡き両親に聞かされて育った。両親が亡くなりこの敷地内にある柳生新陰流の道場主をしていた九角家本家に引き取られた天童にとっては、この地は庭も同然だった。

柳生新陰流といいながら、他の道場とは一切交流がなく、自称である可能性もあったが九角という名を決して名乗ってはいけないと厳命されていたため、そのせいなのだろうと思っていた。

「いいか、天童。お前は九角天童だが、今日からその名は決して公言するな。これ以上、わしは家族が迫害されるのを見とうない」

引き取られたその日のうちに戸籍から九角の字が消える手続きをしているときに、祖父はそういって天童の頭を撫でた。祖父の公的な名前は九角ではないため、養子に入った天童は自動的に九角ではなくなった。

忘れもしない。天童が8歳の時だった。共働きの両親の代わりに電話にでた天童はあたりまえだが九角となのった。その日、両親は帰ってこなかった。駆け落ちした娘夫婦の忘れ形見を引き取った初めて見る祖父は天童に九角の因果を話して聞かせたのである。


徳川家光公の時代に遡る。九角家は関ヶ原の戦い以前から徳川家の忠実な部下であり、天下を享受していた。遡れば卑弥呼にまでたどり着く由緒正しき家であった九角家は、その秘伝の呪術《鬼道》をもって徳川幕府を支えていた。卑弥呼の血が流れているからだろうか、代々九角家は女系であり、忠誠の証に女を大奥に入らせていた。

ある日、当主であった九角鬼修は、既婚であったが時の将軍に請われて大奥に入った妹が全くの別人として皇居を出入りしていることに衝撃をうける。なんと九角家が代々女をさしだすのは、ある役目をおった女の転生先として体を提供するためだったのだ。

九角鬼修はこの国の深淵を知ってしまった。神武天皇の時代から脈々と受け継がれてきたこの国の歴史に葬られてきた歴史を知ってしまった。大和朝廷は《天御子》という超古代文明に支配され、民は残虐非道の扱いを受けていた。代々九角家から女に憑依転生を繰り返して卑弥呼率いる邪馬台国も長らく戦いを続けていたのだが滅ぼされ、卑弥呼は自らの命と《鬼道》をひきかえに国をまもったが二度と帰らなかった。それから代々使える主に女を差し出す伝統が生まれたのだ。

卑弥呼は九角家を護るためになにも語らなかった。《鬼道》の秘技は一部を除いて失伝し、九角家の安全は女を差し出すことで護られていた。卑弥呼が徳川幕府の時代になっても影響力を残す《天御子》の下で働くことで繁栄を極めていたのだ。

九角鬼修はその禁忌に触れてしまった。不信感をもち、妹と再会しようとしたことが逆鱗に触れたのだ。九角家は謀反を起した冤罪をかけられ一族諸共皆殺しにあってしまう。そして九角家の女はその日から《天御子》に執拗に狙われるようになってしまった。女を差し出さなくなったからだ。

実は九角家の女は《天御子》の人体実験の被験体としては価値が高く、いつしかその末裔は《菩薩眼》という特殊な《力》を継承するにいたっていたのだ。

菩薩とは仏教の開祖である仏陀釈尊の滅後、広く衆生を救済するために遣わされた仏神のこと。《菩薩眼》とは、その菩薩の御心と霊験を有するものの証でもある。《菩薩眼》を持つ者は、大地が変革を求め乱れる乱世の時代の変わり目に顕現し、その時代の頭領となるべき者の傍らにて、衆生に救済を与える。そのため、時の権力者の姿をした《天御子》により《菩薩眼》を巡って幾多の悲劇が繰り返されてきた。《菩薩眼》の歴史は戦乱の歴史。九角鬼修は最後まで闘い、そして滅んだ。実の娘である《菩薩眼》の女を護るために死んだ。

「お前の母親もそうだ。老いぼれの耄碌だと信じてはくれなんだわ」

母の消息は未だに不明だ。父の遺体は道場に見るも無惨な形で送り付けられてきた。その葬儀を淡々とこなしていくうちに一気に老けこんでしまった祖父はそういって笑った。

だから、先祖の意に従い、《鬼道》を蘇らせ、その全てでもって《天御子》が今なお《菩薩眼》を求めているか探ったのだ。天童は愕然とした。より強い《宿星》の持ち主が《菩薩眼》たる《八咫》に目覚めるのだが、《菩薩眼》に1度でも目覚めた女が現れた家は様々な理由で途絶えているのだ。18年前に《菩薩眼》だった女の正家もなにものかの襲撃により皆殺しにあっている。今回、150年振りに《菩薩眼》に目覚めた美里家の女は奇しくも天童と同じ歳だった。やはり《天御子》が今なお暗躍しているのだろうか。

「───────《鬼道衆》が全滅しやがったか」

天童は顔を上げた。

「このまま《五色の摩尼》が封印されたら、せっかく不安定になった結界を破壊する機会が失われちまう。冬至を待ちたかったが、仕方ねえな」

そして印をきる。等々力不動に瘴気がたちこめはじめた。天童に迷いはなかった。天童はただ隠れなくてもいい生活が欲しかっただけだ。かつて抗い敗北し、片腕を失った祖父を少しでも安心させてやりたかっただけだ。

なにもしらないまま繁栄を甘受しているこの国の連中がどうしようもなく理不尽だから思い出させてやろうと思っただけだ。

「さあ、こい。この地に漂いし、怨念たちよ。この街に巣食うおぞましき呪詛に押さえつけられし者たちよ。形を与えてやる。目を覚ませ」

穢れた国の民であることを思い出させてやろうと。

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