ワダツミ興産

私達はヒュプノスの瀧泉寺に行けという話をもとに、ワダツミ興産が行っている下水道の工事現場に踏み込むことにした。遠野からもらった現場一覧の地図をにらめっこしながらたどり着いたその場所は、瀧泉寺とほんとうに目と鼻の先という距離である。

目黒区や近隣住民とトラブルになっているにもかかわらず、中止になる気配はなく、むしろ当てつけのように工事の騒音が凄まじい。普通は防音対策に工事現場をかこう壁はかなり厳重にするよう気を使うものだが、私達が振動を感じたり、音に圧倒されたりするのだ。よほどの手抜きかつ突貫工事なのか、周りをかこう壁に描かれた幼稚園や保育園から提供された絵全体がが大きな太鼓のようになっている。

こうしてみると、東京は様々な音に満ちていることに私は気づく。

コンビニ、ファミレス、すれ違う人、公園脇、工事現場、昼間の駅、電車の中、ほとんど十歩ごとに音が変わった。人間っていう生き物は集まるとこんなにたくさんの音を出すんだと、私は今まで知らなかった。

その音の世界すらかき消してしまうほど工事現場はうるさい。かなりうるさい。頭が揺さぶられているような気分になるほどだ。互いの声すら聞こえなくて、ついつい声が大きくなってしまう。

下水道に用がなければわざわざこんなところに来るわけがない。耳を塞いで迷惑そうな顔をしている人、睨みつける人、通行人の誰もが工事現場を迷惑に思っているに違いないのだから。

周囲からの視線から完全に隔絶されているであろう壁の隙間から工事現場を見てみた。そこでは、今も私たちの街が造られ続けていた。ごうん、ごうん、と、空き地が潰れる音がする。

砂だらけの工事現場は、小さな砂漠に似ていた。私は砂漠をもがきながら沈んで行くキリンみたいなクレーンを見上げながら、作業員を用心深く見つめる。

《如来眼》の《力》で解析するためだ。

「......」

「まーちゃん、なにがみえる?」

「......やっぱり、彼らは普通の人じゃなさそうですね。深きものとまでは行きませんが、非常によく似た《氣》の持ち主たちです。混血なのかもしれません」

私の言葉に緋勇はやっぱりかと呟いた。深きものの血が流れている人間はある程度歳を重ねると非常に特徴的な外見の変化が現れる。ここにいる作業員たちはいずれもその特徴と合致していた。

それ自体は別に構わないのだ。人間社会に人知れず溶け込み生活をしている人外は意外といる。その受け皿として機能を果たしているというのなら、私達は驚きはするが深入りはしない。彼らの工事現場が東京の幾重にも張り巡らされた結界を破壊するために行われている疑惑があるから問題なのだ。

しばらく待っていると、まだ夕方ではないし、おひるも過ぎているというのに、どこからも工事の音はしなくなった。工事現場をかこう白い壁がこちらを見つめている。

覗き込んでん見ると、作業員たちが下水道の工事現場とは思えないぜんまい人形のように単純作業をいつまでも繰り返している。想像力を伴わない仕事は、肉体的には楽でも精神的には疲れる場合が多いが、それとは違う。

たしかにルーチンワークは、何も考えないロボットを作り出す。人の頭から、自分でものを考える回線を取り外してしまう。そういう脳死的な状況を求める連中も、少なからずいる。その方が楽。ややこしいことは何も考えなくていいし、言われたとおりにやっていればいい。食いっぱぐれはない。

単調な仕事は、続けているうちにけっこうハイになってくる。一定のリズムに乗っているうちにエンドルフィンだのエンケファリンだのの麻薬物質が脳内に分泌され出すのだろう。

一日中、ひたすら穴のなかに何かを運ぶ締め単純作業の繰り返し。流れるような作業ぶりを、ただただ眺めるしかない。誰もが機械と化している。

「なにしてんだ?こいつら」

蓬莱寺は困惑していた。

かつての深きもののように人を誘拐したり、生贄にしたりする様子もない。ただただ工事現場で怪しい行動をしているだけ。突入するような気分にはなれない。どうしようかと考えていた矢先。

「葵っ!」

いきなり美里がふらつき、倒れた。緋勇があわてて受け止める。美里が身につけていた鈴がなり始めたのだが、内側から弾け飛んで壊れてしまった。

「これは......」

「葵!大丈夫か、葵?」

「最近葵変な夢みるっていってたよ......お不動さんでもらった鈴が起こしてくれるからいいけどって」

「葵も?」

「まさかひーちゃんもか?」

「葵が見る夢が自分じゃない誰かになって江戸で暮らす夢なら間違いないな」

「あ、そうそう、それ!葵はお姫様になって大きな御屋敷に閉じ込められる夢なんだって。《鬼》がどうとかいう話なんだけど、葵がなにをいっても外に出してもらえないし、《菩薩眼》の《力》を強要されるし、《鬼道衆》に狙われてるにしても扱いが酷かったって。なにかを降ろす儀式の贄になれば待遇がよくなるからそれまでの辛抱だって言われたらしいよ」

「葵はあれか、鬼修に攫われたお姫様の夢か。《菩薩眼》つながりかな。俺はあれだよ、ご先祖さまになる夢だ」

「いつかのように、夢の世界にいったまま戻れないようです。助けにいかないと」

「!」

「よし、葵のこと頼む。桜ヶ丘中央病院に連れていってやってくれ」

仲間に美里のことを託した緋勇は私達と共に先に行くことにしたのだった。

「ヒュプノスはいっていました。人間への干渉はグルーンを象った像を使い、人間の夢の中で接触する。夢を見た人間は睡眠中に塩水や海草で溺れそうになりながら、徐々に狂気に陥る。最終的に夢を見た人間の魂は神殿へ引き込まれ、その生命活動が消滅するまでグルーンの拷問を受けることとなる。気をつけてください。美術館でよくある石像があったら必ず距離をとって触らないで。体が腐っていきますよ!」

私がみたヒュプノスの夢を思い出したのか、緋勇たちはうなずいてくれた。

そして下水道に潜入した私達は、茶色い鬼の面を被った《鬼道衆》の忍びたちと遭遇することになる。作業員の格好をしていることから、地上にいた人々なのだろう。私達に気づいて迎撃の準備を整えていたというわけか。

「こっから先はいかさんど!」

言葉足らずな男の声がする。

「誰だ!」

「おでの名は《鬼道衆》の岩角ッ!御館様の命令だ、お前らをここで倒すど!」

たくさんの忍びたちと現れたのは、巨漢の男だった。例によって天戒の部下が《五色の摩尼》により《鬼》に変じた時の残留思念と《五色の摩尼》に封じられている異形が150年の時を経て融合、岩角と名乗っているのであって、部下そのものではないはずだ。

部下は泰山という男だった。剛力を持つ巨漢だが、その心根は優しく穏やかで、動物と仲が良い。かつては木こりとして暮らしていたが、住んでいた山で見つかった金鉱を独占しようとした幕府の役人によって頭部に傷を受け、思考の一部を失ってしまっていた。

彼もまた曲折を経て柳生を倒すための仲間になったわけだから、こうして徳川幕府の恨みをはらそうとするのは異形が主人格だからにほかならない。

「こいつも誰かが面を被ってやがるのか?」

「雷角みたいに怨霊が体を与えられたかもしれないぞ」

「あのガキみてーなこと出来るやつがいんのかよ」

「まーちゃん、どう?」

「ダメです、あの仮面を破壊しないと解析不能みたい」

「わかった。はやく葵を助けに行かないといけないからな。そこを通してもらうぞ!」

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