神託

下校時間を告げるチャイムが鳴り響く。

「ん、もうそんな時間か。時須佐、帰っていいぞ」

「あ、はい、わかりました」

新聞部顧問の職権乱用で授業で使うプリントやらなんやらの準備に駆り出されていた私は時計を見た。もうすぐ19時だ。外はすっかり真っ暗である。生物準備室においていたリュックやカバンを準備していると、思い出したように犬神先生がいった。

「そうだ、時須佐」

「はい?」

「お前にこいつをやろう。今日の手伝いの報酬だ」

「なんですか?......あれ、これって......」

「どうした」

「いや、その......どっかで見たことあるなあって」

「なんだ、持ってるなら付けておけばいいものを」

「あれは葵ちゃんと龍君が持ってるので」

「やれやれ......どうしてこう人間ってのはまずは自分を護ろうとしないのか。護られてるやつだって気が気じゃないだろうに。それが己の身を滅ぼすことだというのに、仕方のない奴だ。ほんとうにな」

「いつになく辛辣ですね、犬神先生」

「皮肉のひとつもいいたくなる。美里の相談に乗ってるようだが、お前もたいがいな夢をみているようだな」

「ちょうど良かった。相談したいことがあったんですよ、犬神先生。《如来眼》の《力》に目覚めた女性のなかに、未来予知ににた《力》に開眼した人はいませんか?」

犬神先生は首をふった。

「本来《如来眼》てのは《菩薩眼》の補助的な役割だ。人の《氣》をみたり、《龍脈》のエリア程度しかわからない。《菩薩眼》は《龍脈》の流れそのものがわかる。操作できる。桁違いな《力》だ」

「葵ちゃんはそこまで覚醒してませんが」

「お前がいるからだろうな。《アマツミカボシ》の転生体がいるんだ、それにくわえてキリスト教の影響もあって《菩薩眼》の《力》がだいぶ変質している。本来の在り方である必要がないから美里に合わせて開花している。予知の《力》に目覚めた人間にはお目にかかったことがない」

「そうですか......なら、やっぱり《アマツミカボシ》の《荒御魂》が私に見せているか、オディプスが警告してるんだ」

「阿呆、夢見に関しては素人の癖に自己判断ですませるやつがあるか。適当なことをいって誤魔化すのはお前の悪い癖だな」

犬神先生は私に無理やり鈴を握らせてきた。それは五色不動からもらったアーティファクトによく似ていた。

「精神攻撃に弱いと自己申告したのはどこのどいつだ。日増しに奇妙な《氣》に苛まれておいて」

「そんなにですか」

「いつからだ」

「龍君が九角君にあった日だから......前の土曜日からですね」

「なんで誰にも言わない」

「言う人を選んでるだけですよ。おばあちゃんたちには話しました」

犬神先生は舌打ちをした。

「犬神先生に言わなかったのは、なかなか今みたいなタイミングが来なかったからです。避けてたわけじゃないですよ」

「どうだかな......。まあいい。神託でもうけたか」

「いえ......《荒御魂》が私を探しているんだと思います。神は《荒御魂》と《和魂》が揃ってはじめて神たりえますから。神霊であっても陰と陽のバランスから逃れる術はありません」

「で、具体的にはどんな......」

頭上の明かりが突然、ばちっと音を立て切れかかり、それがますます穏やかさを失わせる。空に目をやれば、月も雲で霞んでいた。何もかもが凶兆に見える。

秋の不安定な空は雲でいちように覆われていた。不吉な未来を思わせる黒々としたものではないにしろ、不愉快な色だ。《鬼道衆》に毎日のように襲撃されては疲弊していく私達を見下ろしているような、そんな空だった。

「雲行きがあやしいな。車で送ろう。ちょうど校長先生に話したいことがあったしな」

「そうですか、わかりました。ありがとうございます」

「連絡いれとけ。迎えが入れ違いになると面倒くさいことになるだろう」

「あはは」

私は携帯を受け取り、時須佐家に連絡を入れる。

「どうせ寝てないんだろう。少し走るか」

「......ありがとうございます」

「俺に言うのが遅れたのはぼーっとしてたが正しいようだな」

「あはは......学校は数少ない安全地帯なのでつい」

「なら寝てろ」

「はい、そうします」






私は鬱蒼とした霧の深い森で目を覚ます。

「......いつもの夢じゃない......?」

壊滅した東京の真ん中でひとり取り残される夢ではないようだ。真神学園の制服でカバンはそのままだ。犬神先生の姿がどこにもない。周囲を見渡すと西洋的な白い教会があることに気づいた。その教会の裏の方には小さな墓地が見える。教会の入り口には建物の名前らしき看板がある。

「Limbo?複数形じゃないからダンスじゃなさそう......なんだっけ。あの世?」

キリスト教に精通しているわけではないが、宗教的な意味合いがあった気がする。イマイチ思い出せない。

「......なにこの匂い......」

私は鼻がひん曲がりそうな腐敗した匂いに顔をゆがめる。これは死体の臭気だ。おそるおそる匂いのする方にいってみると、小さな墓地の方だった。

「土葬にしても浅く埋めすぎじゃないのこれ......。あれ、いや違う?」

教会の裏の小さな墓場には、数十基のの墓が立てられていた。どの墓にも名前と寿命が刻まれ、その人を端的に表した言葉が刻まれているようなのだが、私は読むことができなかった。日本語でも英語でもラテン語でも他有名どころの言語でもない。類似する形がうかばない。魔導書の類なら読めなくても不穏な引力で意味が脳に焼きつけられてしまうから、きっと違うのだろう。不気味なのはたしかだが。

「───────......あれ?」

足が動かない。下を見ると足が物理的に短くなっている。驚いて振り返ると、私の靴や靴下が散乱し、皮膚やら肉やら欠陥やらが解剖されたあとみたいに延々と続いていた。

「ひッ......」

久しぶりに精神的にクる光景に体が引き攣る。バランスを崩して倒れ込んだ私は、地面が固まる前のコンクリートのように溶け出してゆく体になってしまったのだと思い知らされる。為す術もなく私は地面に転がる。そしてようやく気づくのだ。腐敗臭の正体は私自身だということに。

そして、腐敗した匂いを放って揺れているくさむらの先に。

「うわ......」

それはまさに死の舞踏だった。私と同じ状態になった様々な人影が行列をなしている。死の恐怖を前に人々が半狂乱になって踊り続けている。生前は異なる身分に属しそれぞれの人生を生きていても、ある日訪れる死によって、身分や貧富の差なく無に統合されてしまう。それを怖がりながら泣き叫んでいるのが見えた。体がいうことをきかないようだ。洋館から鐘の音がする。人々は不気味に踊り始め、次第に激しさを増してゆく。洋館のとびらがあいて、入口に西洋の彫刻が鎮座していた。


洋館の中は腐敗した肉のように黒く紅い唇をした人間が幾重にも折り重なっているのがみえた。うめき声が聞こえてくる。生きたまま腐りはじめているのだ。顔が一番酷い。損傷が目立つから、きっと顔から腐り始めたのだ。死んでいる人間は顔の外観を損なうほどに悪化しているから、致死的になったらこうなるのだ。どの遺体は腐敗してどす黒く変色し、生前の面影を完全に失っていた。

「あたしもああなるの?勘弁してよ......」

《このまま死んだらそうなるね》

「───────ッ!?」

私の背後に猛烈なプレッシャーが襲いかかった。《旧神の印》を体に押し付けられた時のような金縛りと強烈な圧迫感が迫り来る。一瞬私は呼吸を忘れた。視界の隅っこに黒いローブのようななにかがチラついた。やけに威厳のある若い少年の声がする。

《ここは夢の世界のはずなのに、どういうわけか辺獄と繋がっている。洗礼の恵みを受けないまま死んだ人間が死後に行き着く場所。イエス・キリストの死と復活、昇天によって天国の門が開かれる以前に、原罪を持ったまま小さな罪を犯した可能性もあるが神との交わりのうちに死んだ者が行き着く場所。地獄には行かないけど、キリストの贖いによって救われるまでは天国にも行けない場所だ。君たちの価値観からいえば、裁きを受ける前に滞在する場所といった方がしっくりくるだろう》

少年はひどく立腹なようで、言葉の端々にトゲがある。

《僕が警告していることに相手は気づいたようだ。まあ、君はそれなりの働きを見せたからね。報復のつもりかしらないが、困るんだよな。勝手に夢の世界と辺獄を《門》で繋がれると。このままじゃここがパンクするわ、ドリームランドの封印がとけるわ、大惨事になるじゃないか。このまま夢をみつづければ、君もあれになる。みんなあれになる》

指さす先には鐘の音がなりやむと同時に閉ざされた洋館の扉がある。

《あの建物はもともとここにはなかった。誰かが繋げたんだ。一瞬見えただろう?あの洋館の中にある入口にツイになる形であったヨーロッパの彫刻。あれが本体だ。グルーンていう旧支配者だ。月桂冠の冠を戴く美形の青年の形態を取っているから、そうは見えないんだけどね。ギリシア風彫刻と全く同じ姿なんだけど、身長は3m以上もある。あの洋館は空間が歪んでるんだ》

「......」

《その正体は木の枝を編んで作った粗末なボロを纏った大きなナメクジそのもの。でも、装甲を無視して犠牲者の体を腐敗させる接触攻撃を行う。だから絶対に勝てない。君が接触してないのにその有様なのは、僕が疑似体験させてやったからだ。経験しなければその厄介さは理解し難い》

私は気づけば五体満足になっていた。それでも言葉一つ発することができないのは、少年が《旧神》だからだろう。

《グルーンは何か媒体がなければ外の世界に干渉することができず、それを手にした人間に影響を与える。本来は海底に水没した都市の中にそびえる玄武岩でできた神殿の夢を毎日のように見せて、死に至らせる。奴らは夢の世界と辺獄を繋いで夢を見せたまま腐らせようと目論んでいるんだ。グルーンの見た目は僕とよく似ている。勘違いされては困るんだ、君達には門を閉じてもらわなくてはならない》

少年は私を起こす。黒いローブをつけた少年は、なぜかコンビニの傘をさしていた。

《瀧泉寺にいくといい。門を開いた不届き者たちがグルーンを番人にしている》

そして私は目を覚ました。

「おい、まきッ......」

揺さぶられていることに気づいて目を見開くと、ホッとした犬神先生がいた。

「いきなり死んだように眠り始めるから驚いたぞ、大丈夫か」

「あ、はい......やっぱりヒュプノスの呼び出しだったようです」

「神託であってたじゃないか」

「あはは......」

「また呼び出されないうちに帰るぞ」

カーナビは21時をさしていた。

「とりあえず話せ。忘れないうちにな」

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