九角2

那智家は京都の旧家であった。旧家という言葉には昔から続いている由緒のあり、特定の土地に根づいているという意味が含まれている。旧家というからには、数百年に渡って、先祖代々受け継がれた土地に住んでいることが条件となる。

したがって、華族の家であれば、明治維新や戦後の時代背景によって、住居を移転していることが多いので、旧家ではない。こうした家は、旧家ではなく名家という。

平安時代の大陰陽家として名高い安倍晴明を始祖とする土御門家は、「陰陽寮」の長官を世襲していたのだが、応仁の乱などの戦火を逃れるため、京都を脱出、全国各地に逃げ延びた。そのひとつが和歌山に逃れ、那智家と改めたのが始まりだ。

那智には安倍晴明が二人の式神をもって魔物たちを岩屋に狩り籠めた。花山法皇が那智に籠ったとき、天狗が様々な妨害をしたので、安倍晴明を招き、狩籠の岩屋という所に多くの魔物たちを祀り置いた。その後、那智の行者が不法を行ったりなまけたりしたときにはこの天狗たちが怒るのでおそろしい。安倍晴明は俗人ながら那智で千日の修行を行い、毎日、滝に打たれた。などの伝説が残る地として知られている。

応仁の乱が終結後も戦乱の世は続き、豊臣秀吉が聚楽第を建設した際の政争に巻き込まれるのを恐れて一族がふたたび都落ちの憂き目にあった。那智家がようやく京都に帰ることが出来たのは豊臣政権が倒れてからである。那智家では今でも土御門家の遠戚にあたる子孫や系譜の人たちが暮らし、今も陰陽道の数々の儀式を脈々を受け継いでいる。

跡継ぎとなるため、真璃子は幼い頃から陰陽道や《鬼道》を叩き込まれて育ったのだという。

「あたしが14の時ね、いきなり小田原に住んでる親戚のところに行けと言われたのは。詳しくは教えてもらえなかったけど、なんとなく何かあったんだろうなとは思ったわ。7歳の時にも小田原に1年間だけいたことあるし。あの時とみんなの雰囲気が似てたからよく覚えてる」

那智はそのまま小田原の大学に進学し、本家に一度も帰ることが出来ないまま気づけば10年の歳月が流れていたという。

「あたしは那智家の古文書をありったけもっていったわけなんだけど、どう考えても避難よね。冠婚葬祭や正月なんかの季節の節目の行事すら親戚のところでやるんだから筋金入りよ。あたしは何も知らされないまま普通の女子大生になっていたわ。《鬼道》や陰陽道の依頼は受けていたから、二足わらじではあったけど」

去年の春のことだ。九角を名乗る老人が尋ねてきた。彼は密書を携えており、今年も真理を見通す《力》を持った時諏佐家から予言が届いたといいながら那智に渡した。

ここでようやく那智はかつて霊力が衰えていた一族を再興させた先祖が《鬼道衆》という組織にかつて属しており、徳川幕府に仇なそうとした過去があること。そのせいで本家である御門と縁が切れたこと。最終的に討伐隊と和解したあとに解散した過去があること。ここ10年の間に何者かがかつて《鬼道衆》にかかわった討伐隊の末裔を殺して回っていることをしる。

那智家はかつて討伐隊の中核だった家から150年振りに接触があり、疑われているのかと思ったら、何者かが陥れようとしているに違いない。冤罪を防ぐために用心してくれといわれて戸惑っていることをしるのだ。根拠はちゃんと記されてはいたのだが、150年間ろくに繋がりもないのに全幅の信頼をおかれ、10年前からずっと気をつけろと言われて半信半疑で和歌山に避難させているのだと。

聞けば九角はかつての《鬼道衆》の頭目であり、今は東京にいるという。わざわざ手紙を届けにきてくれた当主を那智家は当然のように歓迎した。大学生だった那智が知らなかっただけで10年間ずっと恒例の行事らしかった。わざわざ古文書を読み解き《鬼道衆》の一族を探して回ったのが始まりとのことで、九角家と繋がりが復活したのだ。

そして、その日の夜から那智はルルイエの悪夢に苛まれることになる。初めこそみんな心配してくれたのだが、那智家でも九角家でも解呪出来ない呪いにより異形を身ごもってしまった那智に対する目はだんだん恐怖にかわっていった。日に日に不気味な人魚に変生できるようになり、《氣》の属性が変質し、夜な夜な記憶を失ってはまわりに死体が転がり、血肉の味が残る日が増えていった。

いっそのこと気がふれた方が楽だったのかもしれない。那智の次期当主として期待され、幼い頃から真面目に修行してきたがゆえの精神の強靭さが完全に裏目に出てしまったのである。

《鬼道衆》由来の《鬼道》をつかう正体不明の殺戮者に怯えるあまり、誰か裏切り者がいるのではないかと心のどこかで思っていた家族すら助けてはくれなくなっていた。

そして、今年の4月。《鬼道衆》が復活したという手紙が九角から届けられたことで那智家は極度の恐慌状態となった。《鬼》を孕んだと叫ばれた。九角家には九桐家という《鬼道》を外部に持ち出して使用した者を抹殺する使命をになう分家がおり、那智も《鬼》を産む母体となったことで対象になってしまったのだ。

那智は家を追い出された。その先で那智は赤い髪の男に拾われることになる。そして異形を身篭る術をかけたのはその男であり、那智の《氣》を無理やり《水》に作りかえるためだったと知らされた。もはや殺戮兵器に変異するのは時間の問題。世にもおぞましい異形を産んでしまった望まぬマリアとなった那智は、水角の面を被ることになる。

「那智さん......私が尋ねた時には、もう......?」

「そうね。あんたがあたしの《氣》を調べさせてくれと直談判に来た時にはもう......。《鬼道衆》の復活の直後にきてくれたのにね......待ってくれやしなかったわ」

「どうしていってくれなかったんですかッ!!」

「言えるわけないじゃないの。那智のお家騒動にまで巻き込むことになるのよ?九桐家にまで睨まれてみなさい、真神に乗り込まれるわよ」

「それでも......」

「まあ、正直な話、あの時のあたしには正常な判断なんて出来やしなかったわ。10ヶ月も化け物孕んだお腹が大きくなっていく恐怖が迫り来るのに狂えない。周りは四面楚歌、一年に一度の手紙の送り主だけがあたしを心配してくれてるだなんて笑えるじゃない。狂いはしなかったけどまともでもいられなかったわ。そうじゃなかったら水角の面をとることはなかった。あんたの恩を仇で返すような真似しなかった」

「そんな......九桐家から具体的なアクションがなかったのは、まさか......」

「お家騒動なんて醜聞、外部にそうそう話せるもんじゃないでしょ」

那智は皮肉混じりに笑うのだ。

「で、あたしはどうやって罪を償ったらいいの?償いきれるとは到底思えないんだけど。正直な話、まさか生き残れるとは思わなかったわ。《菩薩眼》を《鬼道衆》が血眼になって探す訳よね。九桐ですらせめて人間のうちに殺してやるって介錯申し出られるレベルだったのに」

「そんなのは治ってからにおし」

巨体を揺らして現れたのは医院長だった。

「あんた若いのによくぞまあ廃人にならずに人間の感性保ったまま生き抜いてこれたね。たしかにアンタがしでかしたことは極刑に値するが、この世には情状酌量の余地って言葉がある。それに他ならぬ緋勇たちがあんたに生きることを望んでるんだ。今は治療に専念するんだね。それまでアンタの全てはうちの病院のもんだ。好き勝手することは一切許さないよ」

「......わかったわよ」

那智は肩を竦めた。私は口がからからに乾いている自覚があった。

「那智さん、九角という老人はいつも一人でしたか?」

「......?質問の意図がわからないけど、そうね。郵送だと誰が見てるかわからないし、内通者がいるかもしれないから一人で来たといってたわよ」

「そうですか......。九角についてなにか聞いていませんか?」

那智は首を振った。

「東京のどこにあるかは知らないわ。那智家の誰かが連絡先くらいは知ってるかもしれないけど、今となっては......」

「他の《鬼道衆》と会ったことは?」

「ないわね。他にいるとは聞いていたけど。指示はいつもあの赤い髪の男だったわ」

「九角ではなく」

「そうね、九角じゃなかったわ」

「そうですか......」

「やけに聞いてくるじゃない。あたしみたいに心配してるやつがいるの?」

「私たちと同い年の少年がいるはずなんです」

「名前は?」

「天童。九角天童君」

「知らないわね。会えてないの?」

「会えてないんです。1度も」

「1度も?それってヤバいんじゃないの?」

「私もそう思います......ああもう、なんでお家騒動になっちゃうのよ......それどころじゃないでしょうに......なんで誰も自分の家について調べようとしないのよ」

私の言葉に那智は不思議そうにいうのだ。

「なにいってるのよ、自分の家のことは自分が一番よく知ってるわよ」

「どこがですか。《鬼道衆》と討伐隊が和解したのは、柳生というあなたのかつての棟梁を倒すために団結したからですよ。あなたはハメられたんです。九角さんも九桐さんもきっとそう」

「───────え?」

「私、送りましたよ?時諏佐家や討伐隊の末裔に伝わる伝承をまとめた手紙」

那智は青ざめた。

「知らない」

「えっ」

「なによそれ、しらないわよッ!?九角はそんなこと1度も!!」

「九桐は?!」

「九桐とは1度会っただけでそんなに話してる間なんてないわよ。相手はあたしを殺しに来てるのにッ!!」

「まさか......九桐は他の家が失伝してることを知らないんじゃ......?」

「それよりおかしいじゃない。なんで九角はアンタの手紙を素直に渡してくれなかったのよ。それがわかってればいくらでも対処出来たのに!本家がそんな体たらくじゃ分家も表立って動けないわよ!」

私は青ざめた。1番あってはならない可能性が浮上したからである。

「───────まさか、九角の当主が握りつぶしたんじゃ......」

那智の悲鳴があがった。

「やめてよ......本気でシャレにならないんだけど......もしそうならあたしは今までずっと呪いかけた術士本人に治療を受けてたの!?やめてよ......」

今にも泣きそうな那智は心当たりがありすぎるようだ。私は話を聞くことにする。那智の治療には避けて通れないのは事実だから。






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