憑依學園剣風帖39

七色に輝く尾びれをひたひたと叩きながら人魚が歌っている。

《星が正しい位置に揃う時、海の底の遺跡が海上にあらわれそこに眠る支配者が目を覚ます》

《生贄を捧げよ。星が正しい位置に動く夢の信託を得たのだ》

《生贄を捧げよ。私が儀式をしている夢を見たのだ》

《生贄を捧げよ。もうすぐ必要な物は揃うのだから》

水岐が深きもの、いや違う。一瞬似たような輪郭になったのだが、どんどん姿形が変わっていく。私は思わず息を飲んだ。深きものが見慣れてきた緋勇たちですら目を背けたくなるような異形が産声をあげたのである。

その姿は灰色にでっぷりと膨らんだ人型の塊であり、メタンガスの臭いのするゼリー状の体液を滴らせている。毛はなく、黄色い目は常に開いている。鋭い歯に触手のようなものが生え、耳がないため空気中の音を聞くことができないが水中ではよく音を聞くことができそうな、水生生物によくある発達した器官が飛び出していた。発する声は悍ましく吐き気を催すほどである。こんな姿になってもなお、水岐はクトゥルフを崇拝し、私たちに敵対しようとしているのだろうか。

「───────ッ!?」

水岐の様子がどこかおかしい。自分の手を見て、体を見て、ひたひたと身体のあちこちをみて、周りにいる深きものたちと明らかにちがう自分の姿に驚いているようだ。なるほど、水岐は深きものになると思い込んでいたのに、違う姿になったせいで驚いているようだ。

「これは......どうして......僕は、僕は......まだ生贄が足りないというのかい?そうか、君たちのせいか、君たちのせいで僕は生まれ変わることができなかったのかッ!!!」

致命的に深きものを履き違えている水岐は、矛盾の矛先を私たちに向けてくる。絶望は憎悪に変わる。殺気を漲らせて私をみてきた。私は首を振る。

「それは違いますよ、水岐君。その姿があなたのいうあるべき姿です。あなたはそこの女神に働きを認められたんですよ。《クトゥルフの従者》、それが今のあなたの姿です。あなたが信奉する神ダゴンはクトゥルフの従者にすぎません。ダゴンにクトゥルフの従者たりえるとして、あなたは同じ眷属として引き上げられたんですよ。なにを怒っているのです?ダゴンを信仰するということは、そういうことですよ」

私は説明するのだ。《アマツミカボシ》が私を通じて水岐にクトゥルフ神話における誉れの理由を説明するのだ。クトゥルフの奴隷はかつてはクトゥルフを崇拝する人間であったが、特別な儀式を続けることによって変容をしていった奉仕種族である。クトゥルフの祝福によって与えられたものは人間の肉体を犠牲にして得る永遠の命である。死にかけても灰色の、悪臭のするガスの雲になり、またたくまに治癒する体を持つ。

「おめでとうございます、水岐さん。あなたの願いはたしかに叶えられました。深きものたちと共にあなたは海の底で彼の主が目覚めるのを待つことになるでしょう。星が正しき位置に揃う時ルルイエは浮上し大いなるクトゥルフは目を覚ます。そのとき、ヒトの時代は終わり、あなたの願いは叶う。でもそれは今ではない。これからも来ない。来てはいけない。だから止めます。悪く思わないでくださいね」

水岐は私のいいたいことが正確に理解出来るだけの邪神の知識がないようだ。発狂したように違う違う違うと叫びながら、呪詛を唱え始める。下水道から汚水が螺旋を描きながら中に浮かび、こちらに向かって襲い掛かってきた。

「うわあッ!?」

「───────ッ!!」

「なんて力だッ!」

前衛をはっていた緋勇たちが苦悶の表情のままクトゥルフの奴隷を睨みつけた。濁りきった水の球体が塊となり頭上から押しつぶすような圧力をかけてきており、身動きをできなくなってしまったのだ。

身体が痺れたように動かない。行動を起こすのに必要とされる力を、身体からそっくり奪っていったようだ。

今の緋勇たちの体には奇妙なスペースが生じていた。それは純粋な空洞だ。自分自身の内部に生まれたその見覚えのない空洞に腰を下ろしたまま、そこから立ち上がることができない。胸に鈍い痛みが感じられるだろうが、正確に表現すればそれは痛みではない。欠落と非欠落との接点に生じる圧力差のようなものだ。

まるで深海の底におしこまれたみたいだった。濃密な闇が奇妙な圧力を加えていた。沈黙が鼓膜を圧迫していた。世界全体がそこでいったん動きを止められた。風もなく、音は空気を震わせることをやめていた。緋勇たちは次第にその空洞の底に座り込んでいく。

「体がッ......」

「なんだ!?」

「......!!」

私の《如来眼》は、彼らから《氣》がすさまじい勢いで水岐にうばれていく様子を映し出していた。まずい、 発動に必要な能力を緋勇たちから確保する気のようだ。なんの呪文からはわからないが、おそらく次にくるのは緋勇たちの最大戦力からくる大ダメージをともなった水球に違いない。

「水岐君を止めてください、大きいのが来ますよッ!!」

私はあわてて呪文を唱え始めた。どうこういっていられない。水岐をとめなくてはならない。



前衛を封じられてしまった私たちは、時間をおいて飛んでくるクトゥルフのわしづかみとこぶしのコンボによる水岐との戦いに熾烈を極めることになる。

そして、私たちは増上寺の結界を守ることはできたのだが、人魚を逃がしてしまったのである。



断末魔の絶叫を残し、水岐の身体が崩れ去る。後には不思議な光を湛えた珠が一つ残され、静けさが戻った。緋勇が珠を拾う。よく見ると、うっすらと龍の模様が浮き出している奇妙な球体だ。どんな効力があるものかは全く分からないが、《力》が封じられているのはたしかだ。

「槙乃、どう思う?」

「邪神由来のものではないですね、安全だと思います」

緋勇は気になるのかその蒼い宝珠を眺めていた。

少し離れたところで美里が人間の姿に戻すことができなかった水岐を助けられなかったと嘆いている。桜井が隣で励ましている。

「葵......ボク思うんだ。騙されてたんだよ、水岐君は。今までのみんなみたいに、《鬼道衆》にさ。ここにくるまで、どれだけの女の人を深きものから元に戻してあげられたと思う?水岐君のことは残念だけど、葵はなにもできないわけじゃないんだよ?」

「............ええ、小蒔のいうとおりだわ......そうよね......。わたし、嬉しかったの......。みんな、みんな救うことができるんじゃないかって、期待してたの......」

泣き始めてしまった美里を桜井が撫でている。私は美里のところに向かった。

「泣かないでください、葵ちゃん。まさか、あの人魚があの呪文が使えるとは思いませんでした」

「......!!」

「そんなにやばいの、あれ?」

「はい。葵ちゃんにはお話しましたよね?私だって、《アマツミカボシ》を介せずにかの神の呪文を使うと自我か吹き飛ぶって。本来なら長い準備期間を経て初めて発動できる儀式のはずなんです。それをあの人魚は即席でやってのけた。私たちが考えている以上に、《鬼道衆》はやばいのかもしれません」

水岐も《鬼道衆》に唆された犠牲者の一人にすぎなかった。邪神の本質を知らされないまま、繊細な心をもっているために自分の無力さを誰よりも知り、嘆いているにすぎない若き詩人に《力》を与えて、後戻り出来ないようになるまで取り込んだのだ。

私の話を聞いた緋勇が仲間たちに声をかける。

「今は俺たちが生き延びることを考えよう、みんな。生きていれば、生きてさえいれば、犠牲になった人達の仇もうてるんだからな」


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