憑依學園剣風帖38
だんだんパトカーと救急車の音が近づいてくる。救出した人達のことをマリア先生たちに任せ、逃げるように芝プールを後にした私たちは、予め用意していたライトを持って芝プールの近くのマンホールから下水道に侵入した。なお、遠野は見張りである。
誰ともなく咳をしたものだから、あたりに反響した。気持ちは分かる。足場が不自然に濡れていて視界もかなり悪く、壁にはところどころカビや得体の知れない物が張り付いている。水の濁った匂いが漂う。異常なまでの生臭い匂いが辺りに立ちこめているのだ。全身が異常を感じてなんとか体に取り込むまいと抵抗しているのである。
私は呪文を唱えて《如来眼》を覚醒させ、下水道全体の構造を把握し、ふかたちが通った経路を探知する。潮の香りと腐臭、そして異様な《氣》の残滓が追跡を容易にしていた。
「《門》で一気に生贄を調達し始めたんだ。何をしたいのかはわからないけど、急ごう。これ以上犠牲者を増やすわけにはいかない」
「なによりこの事件起こしてる《鬼道衆》のツラをまだ拝んでねェからなッ!あのキミわりぃ人魚倒せばあの《門》はつかえねェっぽいし、あそこにいきゃ会えるだろ」
「如月君もおそらく向かっているはずです。これだけ一気に動き出したんですから」
「げェッ、まじかよッ!先にケリをつけられねェようにしきゃならねなァ、龍麻」
「そうだな」
「へへッ、ほんと龍麻が来てから退屈しねェぜッ。あんな奴らを相手に、思う存分ウデを振るってみたいってな」
「そりゃよかった。俺もそんなやつが相方で嬉しいよ」
「おうッ、気が合うな。俺もだぜ」
蓬莱寺たちがやる気をだし始めたのは、頭痛がしてくるような腐臭が鼻をつきはじめたからだろう。目的地に近づいているのだ。
「みなさん、そろそろです。気をつけてください」
私は待ち受ける《氣》の輪郭を見て叫んだ。その刹那、前方から下水道の汚水がさざめき、深きものどもが現れた。
頭部は魚そのもの。大きく飛び出した眼球に、くすんだ灰緑色の光る皮膚。長い手には水掻き。何度見ても吐き気をもよおす見た目だ。そして逆の選民思想をもって私たちを見下している。
その奥では別のプールから攫ってきたらしい女性を抱えて、支水道へ折れ曲がっていく。
「待てェ〜ッ!その人を離せッ、化け物ッ!」
桜井が牽制のために矢をいった。その先には美里たちも遭遇したという水岐が現れた。
「えッ!?」
矢が止まった。汚水が自我をもったように矢を飲み込み、あたりに四散する。私たちは戦闘態勢に入る。水岐が怪しげな笑みを浮かべたまま、なにやら唱え始めたからだ。
「《星耀大放電》」
「雷光ブラスターッ!!」
雨紋が体内で高めた雷気を槍先より放つ。触れた相手を感電させる。私も《アマツミカボシ》の《力》を体内の電磁波に絡めて増大させ放つのだ。遠距離攻撃ながら、私の《力》の領域になると強制的に追加効果と貫通効果が付与される。水岐は麻痺状態になり動きが制限された。
たしかに私はハスターの狂信者の転生体だが、自分の力量を遙かに超えたことを、他人に強制するのは大嫌いだ。人間には持って生まれた限界があり、その枠を超えるだけの努力をした人間のみ、先に進むことが出来る。それを妨げるものは宿星すら許さない。そんな体の持ち主に憑依していたから、すっかり感化されたのだ。
水岐の身体から怖気がはしる《氣》が発せられる。それは何かを護るためにある《力》で全てを賭ける対象が私たちと相容れないのだ。ぶつかるのは必然である。
相手はなかなかに厄介な耐性をしていた。《氣》をぶつけるだけではだめなようで、ダメージを通すなら貫通を付与するか、電気属性の技で攻撃する必要があった。
「伏せたまえ!」
背後から鋭い声が飛んできた。私たちはあわてて屈む。頭上をすさまじい水流が螺旋を描き、まるで生きているかのような挙動をしたかと思うと水岐ごと周りの敵をまとめて押し流してしまった。壁に激突して動かなくなった深きものたち。水岐はふらつきながらも立ち上がる。だいぶ距離ができたことで私たちは形成を立て直す。振り返ると既に戦闘態勢に入っているち如月が立っていた。
「幻水の術ッ!」
どこからか、無数の水泡が現れたかと思うと深きものたちを包んでいく。相手は次々と混乱に陥り、仲間内で自爆し始めた。これでさらに時間が稼げる。緋勇たちは如月が作った隙を狙って反撃を開始した。
「愛さん、中に人は?」
「何人か」
「まだ間に合うか?」
「おそらく、今のタイミングなら」
「ならやることは一つだな」
「はい、如月君。私の《力》をあなたに預けます」
「北方を賜りし我らが守星よ」
「この《地》を乱せし鬼氣妖異の不浄を清めよ」
「「玄武黒帝水龍陣ッ!!」」
浄化の《力》を伴った激流があたりを斡旋する。巻き込まれた深きものたちは元の姿に戻ったものもいるし、私たちの《力》では及ばない領域にまで侵食されてしまった人もいる。ならば。私は美里を見た。美里も頷く。
芝プールで美里は《菩薩眼》の《力》が覚醒しかかっている。《鬼道》を解呪できたのは、ひとえに美里家が150年前から派生した九角の家系であり、世が世なら卑弥呼の器になっていたかもしれない人間だからだ。相手が《陰の鬼道》しか使ってこないために、美里に流れている九角の血がバランスを取ろうとする《氣》の流れに引きずられる形で《陽の鬼道》を無意識のうちに使い始めている。しかも美里家は150年もキリスト教を信仰してきたため、西洋の《聖なる力》と親和性が高い。ゆえに《陽の鬼道》が《聖なる力》として顕現しているのだ。
ここに《菩薩眼》の源流たる《アマツミカボシ》の《力》が加わればどうなるか。
「葵ちゃん!」
「はい!」
「私の身体に宿る星よ。どうかこの《瞳》に北辰の《氣》をうつしたまえ」
「私の《力》で誰かを救うことができるなら───────ッ!」
「「七曜星神方陣」」
私たちの方陣が深きものたちを包み込んでいく。深部まで《鬼道》に侵食されていた人が本来の姿を取り戻していく。次々倒れていく人間、そして迫り来る苦手な光を伴った攻撃に水岐は後退しはじめた。
介抱に向かう紗夜たちにあとは任せて、私たちは先を急ぐ。
芝プールの向こう側で見えた景色がいった。深きものたちにむかって、人間が本来あるべき姿だとか、みんなああなるべきなのだとか、見当違い甚だしいことを高らかに呼びかけを続ける水岐は正気を完全に失っていた。
「───────ッ!!」
私たちはその最も奥にある祭壇から、嫌な瘴気が溢れ出てくるのを感じて身構えた。虹色にかがやく人魚の傍らには鬼の面があった。やはり《鬼道衆》が一角、水角だったらしい。本来の水角は妖狐と安倍晴明のあいだに生まれた子供である。いったい彼女はなんなのだろうか。なんにを蘇生した死体になんの魂をいれたらけんなにおぞましい姿になってしまうのだろうか。それがわからなかった。
「…......おのれ…......忌々しき飛水の末裔よ…......未だ江戸を守るか......」
人魚がうめく。
「水岐よ......我の眷属よ......どうか我が宿敵を倒してくれ......」
人魚が唱える呪詛は《鬼道》ではなかった。おぞましき邪神の呪文だった。
水岐の身体が異形に膨れ上がり、深きものに変わっていく。美里はあわてて治そうとしたが拒否されてしまった。美里が悲鳴をあげる。それが、戦闘開始の合図となった。
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