憑依學園剣風帖32

「何故信じてくれなかったんですか」

「信じたかったさ、信じたかったとも。だが君は実際死んでたじゃないか、緋勇君の機転がなければ即死だった」

「死んではいないですよ、今こうして生きてるんだからいいじゃないですか」

「ちがう、そういう意味じゃないんだ。いつまで鬼道衆を退けられるかわかったものじゃない。その遺体が学院長の手にふたたび舞い戻るなんてことになったら僕はもう耐えられそうにないんだ。頼むよ、頼むから、手を取ってくれないのなら僕の腕の中で死んでくれ。そのためにここを選んだんだ。君が生まれたこの研究所を。かつて《アマツミカボシ》が降臨し、君が目覚めた思い出の場所に───────」

槙乃と比良坂先生の言い合いは、美里の想像を絶するものだった。槙乃の夢を見る度に繰り返し目撃してきたあの研究所の成れの果て。それが品川区民公園の地下に広がる寂れた研究所だというのだ。つまり、あの夢はやはり槙乃の過去ということになる。

美里は2人の会話だけで大体の事態を把握してしまった。槙乃はかつてこの研究所で《アマツミカボシ》という聞き慣れないなにかを降ろすための実験体だったのだ。実験は失敗し、《アマツミカボシ》ではなく槙乃があの身体に憑依したことで、研究所は壊滅状態に陥った。その首謀者が学院長という人で、鬼道衆の仲間。槙乃が命を狙われるのは、外法を無効化する脅威である以外にもともとは実験体だったから、殺して身体を再利用しようとしているのだ。比良坂先生は槙乃のことも気にかけていたが、不老不死に魅せられており、《アマツミカボシ》の一部である槙乃を実験台にするために近づいた。槙乃は不老不死なんてろくなものじゃないと協力体制になることを拒否している。話し合いは平行線をたどり、今まさに決裂寸前といった状態のようだ。

美里は夢で見た光景と併せて龍麻たちに説明した。口に出さないとどうにかなりそうだったのだ。

「えッ......えッ......どういうことなの、兄さん......?え......?」

あまりにも残酷な事実を突きつけられて狼狽しているのは比良坂だ。比良坂先生も槙乃も鬼道衆に誘拐されたんじゃないかと今の今まで不安でたまらなかったのだ。可哀想なくらい挙動不審になっている。

「お医者さんになりたいっていってたのに、かわりに夢を叶えてっていったの、わたしのためだけじゃなかったの?兄さん......先生になってからずっとここで研究してたの......?嘘でしょう......?」

頭が3つあるのに平然と生きている犬、水中で呼吸ができる猫、2つ目の脳みそが外部で繋がっているカエル。不老不死を実現するために日夜研究にあけくれ、ブードゥー教を歪に捻じ曲げて解釈し、ゾンビを操る《力》をえた兄が目の前にいる。

「人が強くなる研究......兄さんがいってたのって、そういう意味なの......?パパやママみたいに死ななくてすむ研究って、わたし達みたいに辛い想いをしなくてすむ研究って、お医者さんにならなくても人を助けられる研究ッて......!!」

「紗夜ちゃん、しっかりして〜ッ!大変、過呼吸になっちゃってる〜!!誰か手伝って〜!」

高見沢が比良坂を介抱しながら助けを呼ぶ。近くにいた藤咲たちが駆け寄る中、美里は槙乃を助けるために龍麻たちと部屋に突入した。

槙乃はもがき苦しんでいた。

「君が悪いんだ、君が僕の手を取らないから。僕だってこんな手、使いたくなかったのに───────」

中央に据え付けられた手術台の上に乗せられている槙乃に、龍麻がもらった《刻印》とよく似たレリーフがあった。あれだ、あれのせいで槙乃は苦しんでいるのだ。手術台の横には何本ものコードやテープ、拘束用の機材が並んでいる。

槙乃の顔は蒼い。

なんとか助けようと走り出した美里たちの目の前に、突然大きな塊が飛び出してきて、行く手を阻んだ。黄緑色に変色した巨体、異常な形に盛り上がった筋肉、うつろな目の男たちが現れた。比良坂先生は槙乃を抱き上げて奥にひきこんでしまう。

「槙乃ちゃんッ!」

「てめぇ、時諏佐から離れやがれ、変態教師がッ!」

「槙乃になにをする気だッ!」

「やァ、随分と来るのが早かったね。槙乃さんは君たちに一言も話さなかったのに」

「比良坂が教えてくれたんだ、遊びに行ったことがある場所を片っ端から。鬼道衆に誘拐されたなら、証拠がどこかにあるんじゃないかって。最後までアンタのことを心配してたんだぞ」

龍麻の叫びが木霊する。戦いの火蓋が切って落とされた。



龍麻の指示が飛ぶ。京一たちが眼前の敵を方陣で、あるいは強烈な一撃で屠る。巨体が力尽きたのか、ふらりとよろけた。地に伏した狂人の産物はどうやら死体と死体を繋ぎ合わせて、巨大な張りぼてを作り上げているようだった。直視することが出来ない美里は、戦いに集中する。それが槙乃を早く助けることが出来ると知っているからだ。

「オルムズドの光の粉〜」

ミサが呪詛を唱え終えた瞬間に、二元論の光の神、アフラマズダが善悪を超越した存在として敵に審判を下す。

「───────ッ!」

槙乃を苦しめていたと思われる《彫刻》が弾き飛ばされ、粉砕された。龍麻は槙乃のもしもを警戒してか、装備していたブローチを美里に投げてよこす。たしかにあの《彫刻》が扱えるなら蟲の心配はいらないだろう。

「京一、たのむ!」

龍麻は巨体の敵に切り込んでいく。

「よっしゃ、任せろ!」

京一が練り上げた《氣》を拳に送り込み、遠心力をつけるように飛ばす。《氣》は螺旋を描き、龍麻のまわりの敵を吹き飛ばした。壁にぶち当たって動かなくなったのを確認してから、京一は駆け寄る。

「おい、てめェッ!槙乃の身体に何をしやがったッ!」

比良坂先生から槙乃を奪還した京一の殺気をおびた絶叫に空気が凍りつく。

その刹那、強烈な《氣》が美里の横をすり抜けた。いつの間にか近くに迫っていた敵が、断末魔をあげながら倒れる。振り向くと、雨紋と紫暮が、先ほど京一達が入ってきた扉の前に立っていた。遅れてすまない、と謝られてしまう。

龍麻の指示が飛ぶ。戦闘を早く終わらせて、槙乃を休ませなければならないから、京一が槙乃をかかえて逃げるのを支援するよう叫ぶ。醍醐も含めてカバーに入った。

美里の目の前で新たな方陣が次々と出現して、敵を薙ぎ払っていく。醍醐と紫暮から発せられた《氣》が強力な磁場を生み出し、強烈な一撃により光が爆発した。そこには岩のように固まった化け物が膝をついたまま動かなくなっていた。攻撃をした醍醐たちも、思わず顔を見合わせている。《氣》が似ている仲間を見抜き、指示をだす龍麻はさすがといえた。これで場があき、京一は美里のところに槙乃を連れてくる。

「あとは任せたぜ、美里ッ」

「はいッ!大丈夫、槙乃ちゃん?ほら、こちらに!」

「ふ、腐童が───────ッ」

その声に、現実に引き戻されたらしい京一は、怒りを込めて木刀を振り上げた。また戦場に帰っていく。

「槙乃ちゃん?」

美里は槙乃がふらつきながらも《力》を使おうとしていることに気づいて止めようとした。

「ダメです、止めないでくださいッ!こんな今にも崩れそうな地下で英司さんに《鬼》になられたら、英司さんもみんなもただじゃすまなくなるッ!」

「えっ」

「気をつけてください、みなさんッ!鬼道衆の気配がッ───────!!」

それは京一が比良坂先生を倒した直後だった。

「ちッ、役に立たないやつめッ!」

不気味な声が響いた。

「誰だッ!」

龍麻が叫んだ途端に周囲の壁や床、天井から炎の柱が吹き上がった。血塗られたような赤装束に身を包んだ般若の面が、炎の向こうに浮かび上がる。炎角と名乗ったそれは、耳障りな笑い声をあげ、美里たちを見下ろした。一連の事件の黒幕の一人は、一部始終をどうやら監視していたらしい。

「安心しろ、鬼道衆。僕は君たちの世話になるつもりないさ。もちろん、槙乃さんたちにもね」

比良坂先生はまだ《力》が残っていたのか、京一をはじき飛ばした。炎は情け容赦なく、比良坂先生と美里たちを引き裂いて行く。

「英司さんッ!」

槙乃の悲鳴が木霊する。

「どうしてですか、どうしてッ!死にたくないから今まであなたはッ!」

美里は何も出来ず、槙乃を引きずるようにして脱出口へとむかう。

「10年前......になるのかな。大型旅客機の墜落事故で、僕と紗夜は数少ない生存者となった。奇跡だと、ずっと紗夜には両親に守られたから生き残ったと言い続けてきた。実際は違うんだ。今際の際すらなかった。即死でバラバラになった両親は、遺体をかき集めるのにも苦労する有様だった。真夏の山の中、ひたすら紗夜を背負って下山したことを昨日のことのように思い出せる。これは僕の罪の証だ。わかってくれるだろう、緋勇君」

比良坂先生の言葉に龍麻は目を見開いた。

「紗夜の《力》を無駄にしないでくれてありがとう」

「まさか......」

「僕はいつも旅客機の中だったからな、やれることなんてほとんどなかった」

「あの時......あのとき、繰り返したのは......」

「そう、10年前のあの日、僕らは父さんたちの《力》で生き残った。《力》を持っていても死からは逃れられない。その瞬間に、僕は......比良坂英司は、死んだんだ。今なお救えなかった人たちの、見捨てた人たちの呪詛が僕を蝕んでいる。それでも懺悔しながらも生きてきたのは紗夜がいたからだ。紗夜の《力》はきっと君たちを守るために使われるだろう。もう紗夜はひとりじゃない、君たちがいる」

「なにいって───────ッ!」

「ありがとう、槙乃さん。さよならだ」

燃えさかる炎が槙乃の前から比良坂先生を奪った。美里の手を振り払い、走ろうとする槙乃を京一と龍麻が二人がかりでかかえる。槙乃は連れ出されていく。じっと見つめている槙乃に誰も声をかけることが出来ない。

美里が、そっと制服の上着を手渡して、何か言おうと口を開いたが、結局俯いてしまう。

「どうして───、英司さん......」

槙乃は泣いていた。遠くからサイレンの音が近づいてくるのに気付き、とにかくここから離れようと、京一は槙乃に声をかける。槙乃の身体がぐらりと傾き、膝をついてしまった。

「お、おいっ、大丈夫か、槙乃ッ!槙乃?」

一瞬だけ虚ろな瞳が京一を見つめた。何か言いたげに、唇を開いたが言葉になる前に体の力が抜けていく。

「気絶しちまったのか......、無理もねェな......」

頭をくしゃりと撫でたあと、京一が槙乃を背負った。

「とにかくこの場を離れよう」

龍麻の声にみんな頷き、早足で地下を後にした。少し離れた広場から、未だ鎮火しない煙を見上げる。

「槙乃ちゃん......みなさん......ごめんなさい、ごめんなさい、わたし、わたしッ......兄さんが......知らなかった......」

泣きじゃくる比良坂を宥めながら、美里はため息をついた。比良坂先生も鬼道衆を利用するつもりが、利用されていただけだった。《鬼》になることも、槙乃の手を取ることも拒否して、炎の向こうに消えていった。

「ずるいですよ、比良坂先生......」

人の絶望につけ込み、鬼道衆が何をしようとしているのかはわからない。目的が何であれ比良坂先生は、槙乃より自分をとったのだ。自分の想いよりも自分の悲願をとったのだ。そして槙乃を悲劇に巻き込み、目の前で死んだ。
そして槙乃に新たな傷を負わせた。お互いにその想いに気づいて名前をつける前に消えてしまった。ずるいではないか、これでは槙乃が......。

「どこまでふざけた野郎なんだよ......」

京一は舌打ちをする。

「鬼道衆…......必ず倒す。この手で、仇をとってみせる」

龍麻が新たな誓いを心に刻み込み、拳を握りしめたのだった。


prev next


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -