憑依學園剣風帖29


それは四方をクリアガラスの障壁で覆われた収容室である。壁面には緩衝加工が施されていた。綺麗な花が咲いた植木鉢がおかれ、人が生活できるスペースが確保されている。真っ白なベッドに槙乃が横たわっていた。

槙乃ちゃんと呼びかけてみるが、反応はない。いないかのように扱われる。まるで幽霊になった気分だった。たしかに美里はそこにいて、五感も冴え渡り、現実と見紛うばかりの絶望感が迫ってきたのだが、映画やテレビを見ているようだ。美里は世界から隔離され、なにも影響を受けないかわりになにもできない。

槙乃は入院患者の服を着ており、無表情のまま起き上がる。傍らに置かれている薄いスリッパを履き、あたりを見渡す。収容室の周りは研究室が広がっおり、槙乃の目覚めに気づいた一人が誰かに言葉を投げる。防音のため言葉は拾えない。ぼんやりとベッドに座っていると、白衣を着た職員と思われる男女が入ってきた。立つよう促される。こくりとうなずいた槙乃はぺたぺたと職員の後ろをついてく。

美里はあわてておいかけた。

クリアガラスの扉の横には機械が取り付けられており、カードをスキャンするのがみえる。すれ違いに作業員の男たちが掃除用具を持って入っていく。収容室の清掃や植物の世話は彼らがしているようだ。

槙乃には、リュックを背負うようなひもが通され、リードを白衣の男がもっている。この男と女の腰には護身用の警棒やスタンガンが下げられていた。

つれてこられたのは、食堂である。渡されたトレーによそわれた食事を口に運ぶ作業を黙々と行う隣で、白衣の男女は様々な機械で槙乃を調べていた。二人の交わされる言葉は非常に難解で、理解することができない。こんな質素な食事では発育不良になってもおかしくないだろう。ここまで健康的に育ったのは奇跡といえた。研究対象だから最善の栄養価を与えてはいるらしいが、そこに彩りや食欲を増進させる工夫は皆無である。病院食の方がもっとおいしそうにみえるだろう。


食事が終わり、トレーが下げられる。白衣の男に促され、槙乃は立ち上がる。次につれてこられたのは、教室のようだ。テーブルと椅子があり、真正面には教卓とホワイトボード。そこでパソコンを広げていた白衣の女性が槙乃を出迎えた。付き添いの男女はすぐ後ろで待機している。槙乃は椅子に座る。ノートと筆記用具はすでに用意されていた。そこで1時間ごとに休憩を挟みながら、カリキュラムをこなす。お昼になるとまた食堂に戻り、食事を与えられる。そして、1時間程度の散歩と体育館のような施設で本格的な運動をこなし、ふたたび教室に戻る。まるで学校のような施設だ。常に白衣の男女が付き添い、槙乃がどこにも行かないようにリードをひいているという異様さをのぞけば。


午後からつれてこられたのは、どこかの演習室である。渡された機械を槙乃は左腕に装着する。アナウンスが響いた。前に進み出たマシンは緑色の光を放つ。


不自然な爆発を起こし、火花が散る。黒煙がくすぶる中、目を開けていられないまぶしい光がほとばしる。槙乃はいっさい表情を変えないまま、なにかの調査は終わりを迎えた。

背後でその模様を監視していた白衣の男女がやってくるが、槙乃は微動だにしない。機械を返却するよう促されるが、槙乃の意識はここにはないようだ。光のないまなざしをさまよわせながら歩き始める。口元は意味を伴わない、不思議な響きがこぼれ落ちる。

今まで冷徹に槙乃を見つめていたまなざしが凍り付いていく。悲鳴があがる。やめさせようと白衣が突撃するが、不自然に荒れ狂う風がそれを阻む。突然槙乃を中心に発生した暴風は、どんどん威力を増していく。

頑強に作られているはずの演習場はみるも無惨に崩れ落ち、瓦礫に変えていく。槙乃の周りは無風状態であり、歩みにあわせて風は防壁のように包み込んでいるようだった。 それは光の爆発だった。一瞬にしてすべてを灰や塵にかえるほどの衝撃のあと、待っていたのは大炎上する研究所、逃げ惑う人々、そして。 





「あ、葵ちゃん、おはようございます。珍しいですね、葵ちゃんがうたた寝なんて」

聴き慣れた玲瓏な、玉を転がすような音が響く。寒々しい心に暖かな波紋が幾重にも広がる。ゆっくりと、優しい音色が満ちていく。聞こえてきたのは、槙乃の声だ。

ふわふわとした感覚のまま、美里は目をさます。もっと夢と現実の狭間で微睡んでいたかったが、ゆさゆさとゆり起こそうとしている手を伸ばしたくなる。色白でほっそりとした指に、健康的な薄紅色をした手のひら。美里はゆっくりと目をさます。

「槙乃ちゃん?」

宝石のような輝きをした瞳が美里をのぞいていた。《力》をつかわれている。美里が体調不良かなにかと心配されているようだ。

今の槙乃は夢の中のいきる人形のような不気味さも、違和感も、なにもない。無邪気に黄色い瞳がほほえんでいる。

「あ、ごめんなさい、私......」

ここでようやく美里は生徒会の仕事が片付いて、教室に帰ってきたら日直の槙乃がいたから待っていようと思っていたことを思い出す。

「よほど疲れが溜まっていたんですね、お疲れ様です。中間テストの結果がようやく張り出されましたもんね。一位死守おめでとうございます」

「いえ......テスト勉強の疲れではなくて、その......」

「うなされていたようですが、大丈夫ですか?」

「私は大丈夫......今年に入ってから、いろんなことがあったから、精神的に疲れているのかもしれないわ......。いろんな夢を見るの」

夢見がいいとはいえない。今の槙乃をみたおかげで夢だと確信できた。でも目の前で学級日誌を書いている槙乃の過去をのぞき見てしまった。後味の悪さと後悔、後ろめたさがない交ぜになり、美里は首を振る。

あのときの槙乃の瞳はまるで深淵のようだった。こちらがのぞき込んだらのぞき返しているような、むしろ、手を伸ばして引きずり込まれそうな。あまりに妖艶で、恐ろしい、雰囲気があった。今の槙乃にはそれがない。だから安心できる。

「どんな夢ですか?」

「それがね......ほとんど覚えていないの。そのとき感じた感情だけが置き去りにされていくというか......悲しさとか、そういったものが漠然と胸の中に残ったままで......」

「葵ちゃんはやさしいですから。怒涛のように事件が起きますから、頭が整理するのに時間がかかってしまうんですよ、きっと」

「そう、かしら」

「きっとそうです」

「槙乃ちゃんの夢をよく見るのだけれど」

「え、私ですか?」

「えェ......鬼道衆に殺されかけたから、その時の衝撃が忘れられないのかもしれないわ......」

「ああ、なるほど......。心配してくれて、ありがとうございます。鬼道衆は初めて現れた敵ですからね。絶対に次はないようにしましょう」

「そうね......」

こういうところが不安でたまらない。美里は時諏佐になる前の槙乃を知らないし、真神学園の前の槙乃を知らない。だからあの異質な毎日によって精神をすり減らし続けた夢を当てにするのはばかばかしいが、あの現実と認識せざるをえない異常な感覚は、目が覚めてもぬけない。

美里はつい槙乃を頼ってしまう。無意識のうちに守ってもらうことが当然のように感じてしまう。明らかにおかしい感覚だし、やめようと律していても槙乃は悲しそうな顔をする。守ってあげないといけないと思っているようだから、もしかしたら。思い当たることが多すぎて、困ってしまう。すくなくても槙乃はふつうの女の子ではない。 いつでも槙乃は美里たちを守ろうと見えないところで足掻いている。そんな槙乃に報いたいのに、美里はうまくいかない自分が歯がゆかった。

美里は話題を変えることにした。槙乃が目の前にいるのに話をしないで槙乃のこと出悩むのもどうかと思うのだ。

「比良坂さんは、どんな感じなの?お兄さんと仲直りできそう?」

「それがですね......家出が長引きそうです。私がどうこうできる問題じゃなくなってきました」

「そうなの?」

「はい。私たちの《力》になりたい紗夜ちゃんと二度と危険な目に合わせたくない英司さんの喧嘩は平行線みたいです。おばあちゃんが互いに落ち着くまで、距離をおいた方がいいだろうって、うちでしばらく預かることになりました」

「比良坂先生の気持ちもわかるけど、比良坂さんの気持ちも嬉しいし......難しいところね......」

「そうですね......。少しでも《力》が使える仲間がいてくれると心強いですが、紗夜ちゃんは誘拐されていますし、鬼道衆は私のように命を狙っているようですし」

「私は、比良坂さんを守るためにも、私たちのそばにいて欲しいのだけれど......危険がつきまとうのは事実だものね......」

槙乃は困った顔をしている。

「英司さんからも紗夜ちゃんからも説得に力を貸してくれと言われてしまって......あはは」

「そうなの。槙乃ちゃんを頼ってしまいたくなる気持ちはわかるけど......それは2人の問題じゃないかしら」

「そうなんですよね......。さすがに私はそこまで2人の人生に責任は持てないですよ。力になりたいとは思いますけど」

「そこで力になりたいといえるのが槙乃ちゃんらしいわ」

「あはは、やだなあ。葵ちゃんだってそうじゃないですか」

「私は......私は、思うだけよ......そこに至るまでたくさん悩んでしまうから羨ましい」

「それでもです。恩を仇で返されても、酷い目にあっても、手を差し伸べるのが葵ちゃんです。ちゃんと考えて、立ち止まって、悩んでいるのなら成長している証じゃないですか。なにもおかしなことではないですよ」

「ありがとう、槙乃ちゃん。相談に乗ろうと思ったのに、いつも励まされちゃう......これじゃあ意味がないわ」

「あはは、ありがとうございます」

そんなことを話しているうちに、下校時刻を知らせるチャイムが鳴った。

「そろそろ帰りましょうか」

「そうね、そうしましょう」

学級日誌をもって槙乃はたちあがる。職員室によってからになるだろうか。

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