憑依學園剣風帖21

《美里葵、おいで》

あの声に呼ばれたとき、美里は抗いようがない強烈な睡魔に襲われた。いつかのように緋勇に抱きかかえられ、みんなが美里の名前を呼んでかけよったのが最後の光景だ。

「そんな......。まただわ......夢じゃないのに、砂漠の中にいるなんて......」

震えが止まらなかった。

それは地球の果ての砂漠にも似た場所だった。どれほどの水を注いでも、注ぐそばから地底に吸い込まれてしまう。あとには湿り気ひとつ残らない。どのような生命もそこには根づかない。鳥さえその上空を飛ばない。何がそんな荒れ果てたものを《力》をえたという少年の中に作り出したのか。想像せずにはいられなかったのである。

「あなたにその《力》を与えたのは、誰なの?」

「うれしいよ、美里。僕なんかに興味を持ってくれるなんて」

「───────!?」

美里はあわてて振り返った。そこには一人の少年がいた。

「久しぶりだね、美里」

「あなたは......」

「やっと会えた......」

美里の問いかけに嵯峨野と名乗った少年は早口でボソボソと喋り始めた。嵯峨野麗司(さがの れいじ)は墨田区にある覚羅高校の生徒。典型的ないじめられっこで、学校でも街中でもいじめに遭い、家族も理解してくれず誰も助けてくれない状況だったという。

「そこにあの人は現れたんだ」

やはり赤い髪の男だった。名前もどこの誰かもしらない。美里のような《力》が欲しいかと問われて、復讐できると言われ、嵯峨野はその甘言に乗ってしまったのだという。目の前でたまたま声をかけてきたいじめっこの取り巻きを男は嵯峨野の目の前でなんの躊躇もなく殺してみせた。触ってすらいないのに取り巻きはふきとばされて、体が砕け散って死んだ。その時の爽快感、そして《力》による復讐ならこちらが罪に問われることはないと言われてなにかが壊れるのを感じた。

嵯峨野は1人ではなかった。男は嵯峨野に協力者をくれたのだ。

藤咲亜里沙(ふじさきありさ)という同じ覚羅(かぐら)高校3年A組、陸上部所属の女子生徒だった。嵯峨野を何度も庇ってくれた子だった。妖しくセクシーな美貌を誇る激しい気性の少女だ。

話を聞けば、弟がいじめられて自殺し、それ以来いじめをする連中に制裁を加えるなどしており、同じ境遇の嵯峨野麗司と出会ってからは彼に亡き弟を重ねていたという。彼女がいうには、嵯峨野のいじめは弟と状況が似すぎている。下手に善意の第三者が介入すると弟の担任のようにいじめの首謀者にでっちあげられて全ての責任をとらされて辞職してしまう。だから自分たちだけで解決すべきだ。手伝うから頑張ろうと言われたという。今の嵯峨野は今にも死にそうな顔をしているからと。

藤咲はわさわざ嵯峨野のために《力》に目覚めてくれたのだ。

「君のいう通りだったよ、美里!神様はいるんだ!」

こうして会ってからようやく美里は嵯峨野を思い出した。白鬚公園でいじめられていた高校生だ。暴力をふるわれ、カツアゲされ、ボロボロになって放置されていたところに美里はたまたま通りかかって介抱したのだ。汚れていたからハンカチで拭いてあげて、話を聞いて落ち着くまで待ったのだ。あまりに酷い怪我だったから、内緒にすることを条件に《力》を使った。その後のことが心配だったが、大丈夫だからと名前も名乗らずに嵯峨野は去ってしまったのだ。

嵯峨野はあの時とはちがい、目がギラギラしていた。

「美里、君のおかげで僕は生まれ変われたんだ。《力》を手に入れることができた!みてくれ、あの時僕を犬みたいにうつ伏せにして歩かせて、リードをひいていたやつらだ!」

そこには見るも無残な遺体となった男子高校生たちが積み上げられている。

「───────っ!?嵯峨野君がやったの?」

「そうだよ。僕が、僕がやってやったんだッ!」

「ほんとうに......嵯峨野くんが......」

美里は見えていた。今の嵯峨野にはあり、前の嵯峨野にはなかったもの。染み付いて離れない気配がする。サラリーマンに染み付いていた蟲の気配だ。《力》に溺れただけじゃなく、蟲に脳を侵されてから数週間のうちに徐々に精神を蝕まれ、今では悪魔的な儀式や拷問を喜んでやる狂人と化している。

「美里、僕はもう君なしでは生きられない。だから君を守るためにこっちの世界で二人で生きていくんだ」

それは完全に嵯峨野のエゴだった。美里の気持ちを無視した自分の考えの押しつけそれでは幸せになどなれない。それすらも気がつかないほど嵯峨野は追い詰められている。1度しかあったことがないはずの美里を唯一無二のよりどころにするほどに。

なぜ嵯峨野に赤い髪の男は《力》与えたのか。本当に望んでいたのは彼の復讐だったのか。その《力》で何をしてほしかったのか。嵯峨野だけではない。唐栖に対してもいえることでもある。わざと精神的に弱いものに《力》を与えている気がしてならない。蟲がうえつけられている以上、善意でないことはたしかだった。

「美里があの時《力》で守ってくれたように!今度は僕が守ってみせる!」

美里はこの瞬間に後悔が押し寄せてきた。きっと別れたあの日以降に赤い髪の男に出会って《力》を得たのだ。こんなことなら無理やりにでも連絡先を交換して向き合うべきだった。今更どうにもならない現実が嵯峨野と美里の間に横たわっていた。

「何故なの、嵯峨野くん......」

「なぜって、君が現実世界に生きている限り、僕の愛は夢のうちに消えてしまうけれど、君がここにいれば僕の愛は永遠に君のものになるからなんだ」

完全に破綻した思考と価値観で嵯峨野は生きていた。いざいじめっこを排除したはいいが、嵯峨野がちゃんとした学校生活を送るにはそれだけでは足りない。だから見て見ぬふりをしたクラスメイト、巻き込まれたくないからと密告した生徒、嵯峨野のせいだとまともに取り合わなかった先生。次々に《力》の餌食にしていったという。

そこにはかつてハンカチを受け取り、ありがとうといって笑った嵯峨野の姿はどこにもなかった。

「嵯峨野君......私は現実世界で生きていきたいわ。もちろん、あなたとも」

「どうして。今更もう無理だよ」

「遅くなんかないわ。あなたのように間違いをおかしたけれど、罪を償おうとしている人はいる」

「君の口から他の男の話なんて聞きたくないッ!」

「......」

嵯峨野の思考回路が蟲に弄り回されているのが透けて見える。冷静で打算的で無情な蟲は、人間の感情の理解不可能な非合理的活動に魅了されているようでもあった。それがもっと欲しくてたまらなくなり、嵯峨野の恐怖と苦痛から特別な快楽と、それに伴い合理的思考の完全な喪失を体験させることを好んでいる。人間の苦悶を創造し経験する事で得られる刺激に耽溺する蟲のせいで完全な性格破綻者になってしまっていた。

嵯峨野は激高して衝動のあまり掻きむしってしまう。

「怪我を......」

美里は《力》をつかおうとした。

「まちな」

邪魔してくる少女がいた。

「さわるなッ!いくら亜里沙でも許さないぞ!」

豹変した嵯峨野が叫ぶ。

「......ああうん、ごめんよ、嵯峨野......」

彼女が藤咲だろうか、と美里は思った。

「なんの用......?」

「美里を取り戻しに邪魔者が来たみたいよ」

「なんだって!?それは大変だ、美里はここにいてくれ。必ず撃退してくるからね!」

そういうやいなや嵯峨野と藤咲は居なくなってしまったのだった。

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