憑依學園剣風帖20

ブラックホールみたいに深くて飲み込まれたら二度と戻れなくなりそうなほど甘い声がする。つややかで繊細な節回しだ。美しい鈴のような声で歌う。
そこに高見沢の哀しみを照らす太陽のような歌声が加わる。2人の声が優しく包み込むような春が来たような清らかなコーラスとなる。私は心が安らぐ歌声に心と身体をゆだねていた。

そのどちらもが存在感のある素敵な歌声だった。本当にそこから太陽がもう一度顔をのぞかせそうな気がしてきた。それはとてもあたたかいやさしい気持だった。2人は歌いながら笑顔で見つめ合う。目だけ合わせて、笑い合った。つられてくちもとが笑うと、歌も明るい笑顔の相になる。

いつまでもこの空間に、一度きりの生の音のなかで泳いでいたい。 誰もがそう思う。そういう天才の歌だ。 白くて、粒子が細かくて、甘くて、光り輝いていて涼しい風のような、そういうものでできた歌声だ。

さすがは方陣を組む2人である。相性は抜群なようでなによりだ。それなのに紗夜は園芸部、高見沢はソフトボール部なんだから意外というかもったいないというか。

私は拍手していた。こころなし、気分が軽くなった気がする。

「槙乃さん、顔色がよくなりましたね、よかった」

「ほんとだ〜っ!」

高見沢に抱きつかれた。

「ありがとうございます、2人とも。とても気分がよくなりました」

「よかった......」

「すごいですね、紗夜ちゃん。そんな《力》があるなんて」

「えへへ......ありがとうございますッ。生まれた時からずっとそうなんです。この病院に来て、高見沢さんや岩山先生に受け入れてもらえて、ようやく自信が持てたんです。槙乃さんならきっとおふたりのように受け入れてもらえると思っていました。力になれて良かったです。あなたになにかあったらと思ったら怖くてたまらなくて」

「ねッ?ねッ?舞子の言ったとおりだったでしょ、紗夜ちゃんッ!槙乃ちゃんは優しいんだよ〜ッ。初めてあった時も〜、舞子が幽霊さんとお友達だっていっても〜、気持ち悪いって言わずにすごいですねっていってくれたんだもん。ね〜」

きゃっきゃ喜んでいる2人が可愛い。私はつられて笑ったのだった。

「槙乃、槙乃、気分転換してるところ悪いがこれるかい?高見沢もだ。アンタの《力》が必要になる。比良坂は受け付けにもどりな、また急患だ」

「えっ、あ、はいッ!」

「なんですか〜?」

「急患?!」

「美里って子が倒れたらしいからね。アンタの友達なんだろう、槙乃?」

その一言で私は立ち上がる。岩山先生の後を付いていくと、ベッドに寝かされている美里とこれから治療が始まるからと追い出されたばかりの緋勇たちがいた。

「それほんとですか?」

美里の悪夢について話を聞いた私は驚くしかない。

「さっすが槙乃、わかったんだ?」

「ミサちゃんが槙乃に聞いてっていうだけはあるね〜」

「ううむ......正直どちらもオカルトにしか思えんが......」

「深いこと考えない方がいいぜ、大将。せっかく時諏佐はオカルト嫌いだからってぼかして話してくれるだけ良心的だってのに。裏密なんかいつだって隙あらば深淵に引きずり込もうと画策してるじゃね〜かッ」

「そうだな......ははは」

どうやら美里が倒れたとき、緋勇たちは裏密を頼った結果、こちらの病院に行くよう言われたようだ。

「ミサちゃんはオカルト全般で私は専門分野に特化していますから......あはは」

さて困ったことになった。今回の事件、どうやらクトゥルフ神話にかかわる神格がかかわっているようである。

「ヒュプノスってご存じですか?ギリシア神話に登場する眠りを神格化した神様なんですが」

とりあえず、一般人向けの話をしてみることにする。美里はキリスト教を信じているからクトゥルフ神話をそのまま話すとSAN値がやばいことになりかねないのだ。

ヒュプノスは兄のタナトスと共に、大地の遥か下方のタルタロスの領域に館を構えている神である。ニュクスが地上に夜をもたらす時には、彼も付き従って人々を眠りに誘うという。兄のタナトスが非情の性格であるのに対し、ヒュプノスは穏やかで心優しい性格であるとされる。人の死も、ヒュプノスが与える最後の眠りであるという。

一般には有翼の青年の姿で表され、疲れた人間の額を木の枝で触れたり、角から液体を注いだりして人を眠らせるという。

ヒュプノスはレームノス島の奥深い洞窟に眠っており、モルペウスをはじめとする三種類の夢の神、オネイロイが漂っているとされる。また、キムメリオス人の住むという世界の果ての島の近くに暮らすともいわれる。

ヘーラクレースを迫害するヘーラーに頼まれてゼウスを眠らせたことがあり、その後ゼウスに罰せられる所を母であるニュクスに助けられた。また、トロイア戦争の際にも、戦争からゼウスの気をそらそうとしたヘーラーに頼まれてゼウスを眠らせており、その後ヘーラーからパーシテアーを妻とすることを許された。

「おそらく、ヒュプノスが怒っているのではないでしょうか。夢を司る神様ですから、人間が好き勝手していることが我慢ならないのでしょう。神様からすれば、私たちの戦いなんて関係ないですから」

私の言葉にみんな顔を見合わせた。

「味方でもないし、敵でもないんだと思います。助けてくれただけ有情ではないでしょうか。私が思うに金髪の少年はあまりあてにせず、邪険にしなければこれ以上怒りをかわない。夢の世界に葵ちゃんを助けに行く以上、怒りをかうのは目に見えていますから、少しでも刺激しない方がいいと思いますよ。そうじゃないと夢の世界から出してもらえなくなると思います」

ちなみにクトゥルフ神話に取り込まれたパターンの神様でもある。眠りの中で魂が宇宙の秘密に迫る者に災いをもたらす存在とされている。

悠久に若く、美しい若者がヒナゲシの冠を被っている姿をしているといわれている。別名〈眠りの大帝〉。

しかしその本当の姿は悪夢のように歪んでいる恐ろしい存在であるらしい。美里が本能的に《氣》を読むことを拒んだのは懸命だ。SAN値が吹き飛びかねない。

ヒュプノスは現実世界とドリームランドというニャルラトホテプ(クトゥルフ神話におけるトリックスター)が支配するやばい世界の間にあるという眠りという境界に関係する存在だ。夢を見る人はヒプノスの領域を通って旅行しているのだというドリームランドでいくつかの非人間によって崇拝されている存在である。

夢見る人が夢のなかで問題を起こしたりしてヒプノスに目をつけられてしまったら、ヒプノスの思う通りの姿に変えられてしまうのだという。そうなった者は基本的にはもう二度と元の世界に帰ることができなくなり、夢のなかでヒプノスと永久に暮すことになるといわれている。

この世界においては、おそらくヒュプノスは旧神だ。クトゥルーたちを封印したりこの時空から追い出したのは彼等であり、彼等の中で唯一名前が判っているのはノーデンスだけだという説が正史となっていることを私は知っている。夢の世界だからヒュプノスは除外なんだろうか。

なにせ私は《天御子》が創造したウボサスラを模倣した生命体と接触したことがある。そのため旧神達が道具として作ったウボ=サスラが自分達の子供である旧支配者達を引き連れて叛乱を起こしたという歴史がこの世界においては正史だと知っている。

だから、ヒュプノスはドリームランドと現実世界とが繋がる前の空間を統括しているといいたいのだろう。今回の敵は夢の中に人間を引きずり込んでいる。それがドリームランドに繋がりそうになって、封印がとけそうになったものだからヒュプノスは怒っているのだ。

《如来眼》も《菩薩眼》もその源流は《アマツミカボシ》にある。その《アマツミカボシ》は旧支配者ハスターの狂信者だった。美里はキリスト教徒だとしてもヒュプノスにはハスター側の人間にしか見えないのだろう。そして
私は《アマツミカボシ》転生体な訳だがあの夢はあれか、クトゥルフかアザトースが目覚めるかもしれないから気をつけろ、なんとかしろって警告だろうか。それともヒュプノスが死ぬ時はクトゥルフかアザトースが目覚める時だから覚悟しろって意味だろうか。

美里が過酷な条件つきで助けてもらえたのはそのためだろう。さすがにそれを包み隠さずいうわけにはいかないので、私はオブラートにつつむのだ。

「海外の神様なのに、日本っぽい神様ねえ」

「私たちが日本人ですから、ヒュプノスもあわせているんじゃないでしょうか」

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