憑依學園剣風帖18


横殴りの冷たい風が吹きすさび、私の髪を弄ぶ。五感がやけに冴え渡るたび、私は夢の訪れを自覚した。この夢を見るのは1週間前からだ。私は今は瓦礫とかしている時諏佐邸の前で立ち尽くしている。始まりはいつも同じだ。

「いか、なきゃ」

現実感のない焦燥感に駆られて、歩き出す。情報が欠如しているが、私は衝動を抑えることができない。奇妙な高揚感と浮遊感に苛まれながら、直感的に前に進む。

すさまじい轟音が響いた。音のする方に目をやれば、すさまじい風が産み落とされる。巨大な影が私を横切り、瓦礫の大地を真っ黒に染めた。荒れ果てた空の向こうには、巨大ななにかが飛んでいった。

「はやく、いかなきゃ」

あの影の正体を私は知らないが、《黄龍》とは似ても似つかない禍々しさがあった。死の気配が拭えない。あの影のせいで東京が崩壊したとは思えないが、なにか関係があるはずだと私は確信していた。生まれ育った街は不気味なほどの静寂に包まれている。自然と早足になり、やがて駆け出す。ここは間違いなく私の知っている街だ。そして、この光景はやがてくる破滅の序章にすぎない。

遠くなっていく竜の産み落とす暴風に紛れて、何か聞こえる。

地面に突き刺さっている瓦礫の山を背に、揺らめく影が見えた。逆光で表情が望めないが、私より下の年いかない少年だろう。それは不鮮明なホログラムのように揺らめいている。声は不自然にノイズ混じりである。意識がもうろうとしているのか、とぎれとぎれで、か細い声だった。ウエーブがかった金髪とみどりの目をした少年だった。影だと思っていたのは、すっぽりと体を覆う黒のローブだとわかる。

少年は、ぽたぽたと足下を赤く染めていく。訴えるようなまなざしのまま、さらに荒れ狂う空と同化し、消えていく。少年だけではない。この世界ごと、消えようとしている。それが世界の終わりなのか、夢の終わりなのか、いつも私はわからない。ただ少年に届かないとわかっていながら手を伸ばす。

少年の輪郭すらおぼろげになっていく。私の決死の叫びがと届いたのだろうか。少年はほんのわずかなほほえみを浮かべる。

『――――うん、待ってる』

翼をもった少年は明らかに人外だ。どうして本気で助けようと思ったのか、夢から覚める度にそれが一番恐ろしかった。

「おはようございます」

「はい、おはようございます」

私が何時に起きても時諏佐槙絵は出勤の準備をとうにすませていて、私の朝の支度をみながら朝食の準備をしている。お手伝いさんはいるのだが、出来うるかぎり家族として一緒にいたいといってはばからない。私が朝食や弁当の準備をすることもあるのだが、それは頼まれたときだけだった。彼女の中では完璧なサイクルが完成していて、そこに踏み込まれることを嫌がるのだ。直接いわれたことはないが、彼女は完璧主義なきらいがあった。

「槙乃さん、眠そうだけれど大丈夫?また眠れなかったのかしら」

「今日も同じ夢をみました」

「東京が壊れて、翼をもった少年を助けようとする夢?」

私はうなずいた。

「《如来眼》に予知夢の類はなかったように思うけれど、《アマツミカボシ》の《力》まではわからないわ......」

「予知夢......」

「愛さんの話が気になって調べてみたのだけれど、古代宗教のドグマをまとめた本に面白い記述をみつけたわ。人は広大な夢の中に生き、個々の夢は神聖な魂との繋がりを表す。マオリ族の精神の支柱は夢である。彼らは夢を見たとき、重要な場面をシンボルとして土に描く。シャーマンがそれらを解釈し、部族の生活について決定を行う。しかし我々の調査では、予言的な夢が報告されることは稀であった。つまり、毎日見る夢は予知夢ではないのよ」

「誰かに干渉されているということでしょうか?」

「そうね。いつからその夢をみるようになったのかしら?」

「う〜ん......唐栖君の事件の後だし、カラスにはもう監視されていないはず......。あ、最近、墨田区で夢が原因で不審死や自殺が相次いでいるので、アン子ちゃんと調査に何度かいってます」

「もしかしたら、それが原因ではないかしら。知らないうちにその《力》の持ち主と接触しているのだとしたら......。悪いことは言わないわ、一度桜ヶ丘中央病院に行きなさい。犬神先生には私から休むと伝えておきますから」

「あ、ありがとうございます」

「いいのよ。あなたは精神的な攻撃に弱いのだと教えてくれたからできることはしなくてはならないわ。あなたは私の希望なのだから」

私はSPの人が運転する車に乗り込み、病院に直行することになったのだった。




「どうしてこんなことになる前に来なかったんだい」

開口一番に私はかかりつけの医者である岩山先生に怒られていた。岩山たか子(いわやま たかこ)先生は新宿中央病院院長。表向きは産婦人科医だが、現代医学では説明不可能な怪我や病気も治療する心霊治療のエキスパートだ。真神学園のOGで、当時は担任の犬神に憧れる普通の美少女だったが、その容姿と引き換えに驚異的な治癒力を得るためにあえて肥満体となり、年齢も年をとらない犬神を追い越してしまった。

若くていい男が大好きで、大の女性嫌い(ただし高見沢についてはその能力を買っている)。京一の師匠とは顔見知りのようであり、京一にとっては悪夢に近い存在だ。

「アンタが時諏佐先生の娘じゃなかったらこんなもんじゃ済まないからね、全く......」

私がこの病院の設立にも深くかかわっているおばあちゃんの養女じゃなかったらもっと扱いが酷かったに違いない。さすがに誘拐された娘を殺害されたせいで《アマツミカボシ》のホムンクルスを養女に迎えるほど追い詰められていた恩師の気持ちを慮ると女嫌いもなりを潜めるようだ。ただしおばあちゃん贔屓のため私が無茶をすると当たり前だが小言が多くなる。

「こないだの定期検診の時は異常なんて見当たらなかったってのに、ちょっと合間があいたらこれだ」

「槙乃ちゃん、大丈夫〜?」

「大丈夫じゃないみたいですね......」

心配そうに見つめてくるピンク色のナース服の少女は高見沢舞子(たかみさわまいこ)。新宿桜ヶ丘中央病院の看護婦見習いだ。性格は天真爛漫で言動はやや幼い。一人称は「舞子」で、年上であっても男子を「クン」、女子を「ちゃん」づけで呼ぶ。天真爛漫な言動の裏に深い思いやりの心を持つ。霊魂と会話できる特異な能力を岩山院長に見込まれており、彼女が裏で行う心霊治療にも携わる。ピンクの白衣姿で歌舞伎町界隈をウロウロしているため、風俗関係者と間違えられそうになることもあるらしい。新宿区の鈴蘭看護学校2年百合組で宿星は「仁星」だ。

「どこが大丈夫に見えるんだい。ホムンクルスであるにもかかわらず《氣》の力が弱まってるんだ。一体どんな状況に陥ったらそうなるんだい、全く。このペースで魂削り取られちまったら、死ぬよ。まずはなにがあったか話してごらん。診るのはそれからだ」

私は事情を説明した。

「墨田区ねェ......《力》に目覚めた者がいるってわかった時点でなんで自ら首を突っ込むんだか......。ただでさえ柳生に目をつけられてるってのに、飛んで火にいるなんたらじゃないか。ところでアンタは睡眠の状態を脳波であらわすのは知っているかい?」

「ノンレムとレムのことですよね?」

「そうさ。眠りはノンレムの最終段階でもっとも深くなり、そして醒めた時の脳波と同じ状態をレムと呼ぶ。このふたつの睡眠パターンが移行する時、人の体には急激な体内変化が起こる。眠りが浅くなると脳の動きが活発になる。つまり、循環機能の働きが増し、血圧上昇や脈拍増加が起こる。その時に恐怖や不安を引き起こす夢を見るとどうなるかわかるか?」

「───────......」

「機能の急激な変化が急激な圧迫や過度のショック、内臓出血などの症状を引き起こす。つまり───────このまま行けばお前は死ぬということだね」

岩山先生は苦い顔をする。

「《氣》の回復は上手くいったんだが、精神力が戻らないんだ。これは《力》ある者だけの仕業じゃないね」

「えっ、夢に閉じ込められてるだけじゃないんですか?」

「違うね、精神力と魔力がごっそりもっていかれてる。アンタだから眠いだけで済むが、普通の人間だったらそのまま覚醒の段階で障害がでて廃人に一直線だろうさ。恐ろしい話だよ。意識はノンレムでとどまったまま、無意識のうちに死ぬんだ。本来なら同じレベルに意識が留まることなどありえないのだがね」

私は思わず閉口した。

「今回の件は関わらない方がいいよ。......とはいえ、もう捕捉されちまってるからねえ......どこにいようが夢に誘われて終わりがオチか......。さあて、どうしたもんかね」

「ええっと〜、入院ですか〜?」

「まあ、ウチにいた方が応急処置はできるしね。泊まっていきな」

岩山先生にいわれ、私は受け付けに向かった。

「紗夜ちゃ〜んッ、お客様だよ〜」

「あッ......」

がたっとカウンターごしに研修中の札をつけた看護師見習いが立ち上がる。

「ま、槙乃さんッ!」

「紗夜ちゃん......どうしてここに?」

「え、あ、あの......」

「あれ〜?紗夜ちゃん、槙乃ちゃんとお友達なの〜?やった〜、お友達がお友達だと舞子うれしい〜」

「そうなんです......。わたし、実は高見沢さんと同じ品川区の鈴蘭看護学校に通っている2年生なんです。4月からアルバイトとしてこちらで......」

「そうだったんですか、驚きました。私、定期的にこの病院にお世話になっているんです。今まで会えなかったのが不思議なくらいですね」

「......そう、ですね。で、でもッ、こうして会えてわたし、うれしいです」

「私もうれしいです。これでまた紗夜ちゃんと友達になれましたね」

「......はいッ」

「槙乃ちゃんと紗夜ちゃんは〜、どうやってお友達になったの〜?」

「あ、それはですねッ、兄さんから聞いた話なんですが......私と兄さんが飛行機事故でお父さんたちが亡くなった時からずっと時諏佐先生が色々と手助けしてくださったそうなんです」

「時諏佐先生って、槙乃ちゃんのおばあちゃんの〜?」

「はい。以前、アルタ前でお兄さんにお会いしまして。名刺を頂いたのでおばあちゃんに渡したら、この前の休みに連絡して遊びに来てくれたんですよね」

「あの時はありがとうございました。一緒にご飯食べて、お泊まりできて、楽しかったです」

比良坂紗夜(ひらさかさよ)は憂いを秘めた儚げな笑みを浮かべてわらった。比良坂、そう以前アルタ前で出会った比良坂英司の10才年の離れた妹で、その外見に相反するかのような最強無比の《力》を持つ美少女である。

その能力は歴史さえ改変し、死すら乗り越える奇跡をも起こすが、その《力》が発揮されるためには、緋勇龍麻との間に強い絆が結ばれることが必要だ。唄に《力》を乗せることができる能力者でもあり、宿星は「伊邪那美命」。

口には出さないものの、美里葵とは龍麻を巡って無意識的に反発し合う運命にある。

私は正直驚きを隠せない。本来比良坂紗夜が私たちの前に現れるのは、兄の命令で緋勇を誘拐するための前段階として一般人の振りをして現れるためだ。出会いを重ねるうちに本気で緋勇に惚れてしまうかどうかで彼女の《力》が覚醒するかどうかが決まる。覚醒しない場合、そのままフェードアウトする運命にあるのだ。

フェードアウトしなかった場合、品川区の桜塚高校から鈴蘭看護学校に転校して再会し、初めて仲間にすることができる。

今、この段階で鈴蘭看護学校に在学し、この桜ヶ丘中央病院にいるということはあれだろうか。私がおばあちゃんに情報提供したおかげで比良坂兄妹は少しでもましな人生を歩んでこれたんだろうか。そうだったらうれしいのだが。

「兄さんも会いたがってました。また今度、どこかに遊びに行きましょう!」

「そうですね、どこかお茶にでも」

ずいぶんと懐かれたなあと思う。比良坂兄妹からしたらおばあちゃんは恩人というか、ちの繋がらない親戚みたいなものだろうし、その養女であり邪険にした覚えもないので補正込みで好感度が高いのかもしれない。

こうしてみると妹は大丈夫そうなのだが、兄は妹を遠ざけているパターンかもしれない。どうも私を見る兄の目がただの好意には素直に受け取れないでいた。妄執というか執着というか、そういった言葉にしにくいぐちゃぐちゃとした感情が見えてしまっている。それが初恋をこじらせたヤンデレだったらまだマシなんだが、崇拝じみたものも可視化されてしまうあたり《如来眼》は因果な《宿星》である。

「......それで、どうしたんですか、槙乃さん。入院手続きはこちらになりますけど......」

心配そうに聞いてくる紗夜に高見沢はぜんぶ喋ってしまう。どうやらこの病院にアルバイトに入れたのはそれなりの理由があるからのようだ。おばあちゃんが推薦したのかと思ったがちがうのか。

「夢......ゆめですか......」

紗夜は考え込む。

「お昼休みになったら、病室にお邪魔してもいいですか?わたしの《力》で少しでも元気になってもらえたらいいんですけど」

えっ、もう《力》つかえるの?

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