封土6
私の意識は《卑弥呼》との戦いの途中で途切れていたのだが、ふたたび浮上することが出来たとき、翡翠の家の見慣れた天井だった。どうやら帰ってくることができたらしい。
「......ええと」
それほど強くない握手だった。一定の強さで翡翠は私の手を握り続けていた。その指には、患者の脈を測っている医師の、職業的な緻密さに似たものがあった。
何かを掴むように五本の指が私の手のひらを握っていた。それは、とてもしっかりとした握り方だった。力まかせに握りこむのではなくそっと包みこんでくるのに、少しもゆるぎがない。思いがけないほど確かで優しい感覚だ。
手をつないでいるだけで身体ごと包まれている安心感があった。
それだけで翡翠から向けられる好意がひしひしと感じられる。ここまで龍麻たちに送ってもらったのか、気づいたらここにいたのかはわからないが、寝かせてくれたのは翡翠だろう、きっと。
《君がいない朝に怯えるのはごめんだ》
やけにその言葉が刺さっていた。手を振りほどくのはどうかと思うし、だからといってこのまま起こすのも可哀想だし、とそこまで考えて私はまた寝ることにした。
また目を覚ますと誰もいなかった。身支度を整えて携帯をみるともう夕方である。ずいぶんと寝過ごしてしまったようだ。
「おはようございます、翡翠」
「ああ、おはよう。目を覚ましてくれてよかったよ」
翡翠は居間にいた。何事も無かったように笑って出迎えてくれた翡翠に私はこの世界に帰ってくるまでの話を聞くことにしたのだった。
「《アマツミカボシ》が......」
「ああ。なにか体に違和感はないかい?《加護》を与えるために君への干渉を強めたといっていたから、なにかあるかもしれない、とはいっていたよ」
《天御子》たる《卑弥呼》の完全体ではないとはいえ、霊体と戦うために《星の位置をうごかす》なんてニャルラトホテプクラスの邪神じゃないと出来ないことをやらかすなんてとんでもない存在だと改めて思い知ったのだった。
「《力》つかってみますね」
「ああ」
私は《氣》を《アマツミカボシ》の《氣》に変質させる。
「......すごい、こんなに強化されたんですか」
「わかるかい?《アマツミカボシ》の《加護》がなかったら、僕達だけで退けることはきっとできなかったよ。こちらの世界に帰るためにも必要な《氣》が絶望的に足りなかったのもあるしね」
「あ、なるほど!《門》を開いたんですね!」
「まさか、開かないように守護している僕がこちらの世界に帰るためとはいえ《門》を開くために奔走するはめになるとは思わなかったよ。おかげでこれからに生かせそうだがね。なかなかできない経験だったし。京一君たちが六道世羅を倒してくれたとはいえ、待っているわけにはいかなかったから」
「倒してくれたんですね」
「ああ、蟲を祓って桜ヶ丘病院にかつぎ込んだが意識が戻らないようだ。精神的なダメージが大きいらしい。柳生は......いや、《天御子》はなにをしたんだろうな」
「意識が......そうですか」
「それだけじゃない。僕達が行方不明になっている間に色々あったらしい。織部神社と靖国神社に泥棒が入って、死者や怪我人も出ているようだ。《東京の結界》付近にも不穏な動きがあるらしくてね。平行世界に僕達を幽閉しようとしたと話をしたら、相手はいよいよ本腰を入れ始めたということだ。秋月兄妹のことはこちらに任せて気をつけろ、と村雨から忠告があったよ」
「えっ、皆さん大丈夫だったんですか!?」
「織部神社の神主は重症だが一命は取り留めたらしい。今は面会謝絶で陰陽寮の警備がついているようだ」
「そうなんですか......」
「時須佐先生から伝言だよ。柳生との戦いが終わるまでは帰ってくるな、だと」
「..................えっ」
「僕も驚いたさ。でも、六道世羅という少女に才能があったとはいえ、時空を操る《力》を与えるんだ。次はなにをしかけてくるかわかったものじゃない。一人にならない方がいい」
「ええ......」
「もうひとつ、君に話さないといけないことがある」
「なんです?」
「携帯を見たのに気づいてないみたいだからいうけど、今日は12月31日らしい。そこまで言ったらわかるだろう?」
「えっ......平行世界にいったのはクリスマスイブでしたよねッ!?」
「僕も驚いたよ。どうやらあちらの世界とこちらの世界は時間の流れが違うようでね。もう1週間もたっていたようだ」
「マジですか」
「ああ、大マジだ。だから、僕達がいない間、京一君たちがよくやってくれたというわけだね」
「そっか......そうだったんですか」
「ああ。目が覚めたばかりで悪いんだが、今から靖国神社にいかないか?ここまで柳生側が不穏な動きをしている以上、これまでになく人が集まる場所は警戒するに越したことはないからね」
「靖国神社......《将門公の結界》を弱めながら、新たに構築された《鬼門封じの結界》の中枢にある場所ですね」
「ああ。今夜は大晦日だからね、一応見回りをしたいんだ」
「わかりました。......あの、翡翠、それは?」
「時須佐先生から」
「おばあちゃんなにやってるの!?」
「初詣にはまだ早いけど、厄落としをするなら相応しい格好で行きなさい、らしいよ」
「制服でいいじゃないですか、私達まだ高校生ですよッ!」
「僕は構わないよ、どちらでも。わざわざ仕立ててくれた時須佐先生の好意を無碍にできるかどうかにかかっているだろうしね」
「うっ......ずるいですよ、そのいいかたァ......」
「それに着るなら着るで君はきっと僕に助けを求めることは目に見えているからね」
「やっぱりィッ!!」
翡翠はニコニコしながら紙袋を渡してきた。どこをどう見ても冬仕様の着物だ。
「僕はここでまっているから着替えておいで。洋服にしろ、着物にしろ、同じだろう?」
「..................わかりました」
私は紙袋をもったまま2階に引き返す。携帯を取りだし、槙絵に抗議しようとしたのだが、先を見越したようにメールが来ていた。
「また御門君のところッ!?いや、襲撃に備えてるんだろうけど......ああもう!」
結界内では圏外になってしまうのだ。きっと通じないだろう。私はため息をついたのだった。
結局私は20分ほど格闘したのだが、やっぱり上手く着れなくて翡翠に泣きつくことになるのだった。
「なんだかんだで君なら着てくれると時須佐先生がいっていたが、その通りだね」
「だって、見るからに高いじゃないですか......そんなのさすがに......うう......」
「10年もたてば、一番君の扱いがわかっているのは時須佐先生なのかもしれないな」
「おばあちゃん......」
私はもう気力がだいぶん削がれていた。翡翠に着付けしてもらったせいで無駄に疲れてしまったのである。これからめっちゃ混んでいるであろう靖国神社に行くのだと思うとうんざりしてくるが、柳生のことを考えたら四の五の言ってられないのが悲しいところである。
長着からして、紅花染の手紡手織の紬生地という高そうな代物だ。薄い黄色がかった真綿の暖かな風合いや質感と共に、ある程度フォーマル感もある生地なので、おばあちゃんは結構重宝して袖を通していたのを覚えている。
帯は、翡翠曰く寒椿を染め上げた塩瀬九寸名古屋帯。羽織は飛び柄小紋で誂えた薄い水色がかった一着。小紋を一反を使った羽織なので、結構な重量感のある一着だが、重みからくる裾の落とし具合が最良で、自然とフォーマル感が出てくる一着、らしい。一級品らしいが全然わからない。高そう、としかわからない。
翡翠のおかげで水色の羽織に色味をおさえた薄い黄色の着物はなんとか形になっていた。
「あいかわらず君は変なところで律儀なんだな。嫌なら断ればいいんだよ。人の好意を真正面から向けられて迷惑だといえない性分なのはわかるけど」
「いや、だって......うう、そこまでわかってるなら......ああもう......」
そこにいたのは、冬仕様の着物を着た翡翠だった。淡い春色の小千谷紬に濃茶の角帯、別珍の足袋を履いている。本人曰く室内にいる分には、これで十分快適に過ごす事が出来るらしい。
着物の時の防寒対策のポイントは「首回りの防寒」で、着物で寒さを感じる箇所である、「首」「手首」「足首」の防寒をすれば、思っている以上に快適に過ごす事が出来るという。普段使いで着物をきるだけはある。
たしかにスヌードは暖かそうだ。和装の時にも合わせやすく、和洋兼用で使っているお気に入りらしい。手首は、九分袖&Vネックの暖か系肌着を着用している。
「着物は特別なものという楽しさと、日常の延長線上の楽しさがあると僕も時須佐先生も思ってるからね、君にも楽しんで欲しいんだと思うよ」
「おばあちゃん、いってましたね、そういえば。特別なものの時は徹底的に着物らしさに拘り、肌着類も和装専用を着て過ごし、準備の段階からその時を楽しめる。日常の延長線上の時は、出来る限り使いまわしの出来るものを取り入れて、心身ともに気負いのない装いを楽しめるって。私には敷居高いですけど」
「自分自身が心身ともに快適で楽しめるスタイルが一番大切なことだからね、無理強いはしないさ。さすがに今日はハレの日だからね」
「あはは......なにもないといいですけどね」
「まったくだね。さあ、いこうか」
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