封土2

赤い瘴気が立ち込め始める。私は《如来眼》を発動して辺りを見渡した。

「柳生か?」

「おそらくは」

これは柳生の手下である六道世羅(りくどうせら)が《力》を発動した時に発生するものだ。今頃、美里とクリスマスイブを楽しんでいるであろう緋勇は大丈夫だろうか、と心配になる。

六道は逢魔ヶ淵高校2年B組。二重人格者で、時空を操る能力を持つ。緋勇龍麻と最初に出会ったときは大人しい性格だったが、後に柳生宗崇に操られ、凶暴な性格となって緋勇達を異次元に誘い込む。緋勇達に敗れた後、新宿中央病院に担ぎ込まれるはずだが、この世界ではいきなり襲っできたのだ。主人格の安否もさだかではない。


六道とは、仏教において、衆生がその業の結果として輪廻転生する6種の世界のことだ。

天道(てんどう)
人間道(にんげんどう)
修羅道(しゅらどう)
畜生道(ちくしょうどう)
餓鬼道(がきどう)
地獄道(じごくどう)

このうち、天道、人間道、修羅道を三善趣(三善道)といい、畜生道、餓鬼道、地獄道を三悪趣(三悪道)という。

天道は天人が住まう世界である。天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は非常に長く、また苦しみも人間道に比べてほとんどないとされる。また、空を飛ぶことができ享楽のうちに生涯を過ごすといわれる。しかしながら煩悩から解き放たれておらず、仏教に出会うこともないため解脱も出来ない。天人が死を迎えるときは5つの変化が現れる。

これを五衰(天人五衰)と称し、体が垢に塗れて悪臭を放ち、脇から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の花が萎む。天の中の最下級のものは三界のうち欲界に属し、中級のものは色界に属し、上級のものは無色界に属する。

人間道は人間が住む世界である。四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、苦しみが続くばかりではなく楽しみもあるとされる。また、唯一自力で仏教に出会える世界であり、解脱し仏になりうるという救いもある。地表の世界。三界のうち欲界に属する。

修羅道は阿修羅の住まう世界である。修羅は終始戦い、争うとされる。苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界である。

畜生道は牛馬など畜生の世界である。ほとんど本能ばかりで生きており、使役されるがままという点からは自力で仏の教えを得ることの出来ない状態で救いの少ない世界とされる。他から畜養(蓄養)されるもの、すなわち畜生である。地表の世界。三界のうち欲界に属する。

餓鬼道は餓鬼の世界である。餓鬼は腹が膨れた姿の鬼で、食べ物を口に入れようとすると火となってしまい餓えと渇きに悩まされる。他人を慮らなかったために餓鬼になった例がある。旧暦7月15日の施餓鬼はこの餓鬼を救うために行われる。地表の世界。三界のうち欲界に属する。

地獄道は罪を償わせるための世界である。地下の世界。三界のうち欲界に属する。

どこか違う平行世界に飛ばされるのかもしれない。私達は身構えた。

《見つけた》

「この声はまさか、《天御子》ッ!?」

《見つけたぞ》

「なんだって?」

《アマツミカボシの転生体よ》

「この声は間違いないです。気をつけてください、翡翠ッ!」

《今度こそ、その魂もらいうける》

性別不詳のくぐもった声があたりに響きわたる。

「愛ッ!離れるなよ」

「は、はいッ」

翡翠から伸ばされた手をとった直後だった。一瞬の浮遊感が私達を襲った。

《二度とふたたび千なる異形のわれらに出会わぬことを宇宙に祈っていた矮小なる人の子よ。己の悲運を心底恨むがよい》





目覚まし時計の音で目が覚めた。

「いつまで寝てるの、槙乃。起きなさい。今日から新学期でしょう」

知らない女性の声がした。驚いて飛び起きる。私の部屋だ。あわてて身支度を整えて階段をかけおりる。

「慎也はもういっちゃったわよ、槙乃も早くしなさいな」

「お、おはようございます」

「はい、おはようございます。なにどうしたの、敬語なんかつかっちゃって」

知らない女性がさも当然という顔をして家事をしている。

「さっさと食べちゃいなさい。おばあちゃんに恥をかかせちゃだめよ」

「おかあさ......?」

「なあに?」

「な、なんでもない......いただきます」

「変な槙乃」

くすくす笑う女性は間違いなく時須佐槙乃と慎也、姉弟の母親となるべき人だった。18年前に死んだ時須佐槙絵の一人娘だ。私はどうやら平行世界に飛ばされたらしい。あわてて私は学校に向かった。

「......《力》が......」

《如来眼》が発動できない。どうやらこの世界は柳生との戦いが発生しなかった世界のようだ。なら。

「......阻害されてる......?」

《アマツミカボシ》の《力》も上手く発揮することが出来ない。まさかと思ってカバンに入っていた携帯で調べてみた。ゾワッとした。

山手線はあるのだが、私の知る山手線ではなかった。まるで東京の結界をそのままに分断しないように出来ているではないか。しかも江戸時代と神社仏閣がなにひとつ変わらない場所にある。守護の結界がそのまま機能しているのだ。

「東京にいる限り異形が入り込めないってわけね......」

《アマツミカボシ》と交信できないということは、バイアクへーも呼べないし、《アマツミカボシ》の《力》も使えないということだ。私に残されたのは竹刀袋ひとつである。

「あれ、メール?」

見てみると蓬莱寺からメールが来ていた。今日の新入生歓迎会に向けた部活動紹介めんどくさくなったから副部長に丸投げしたのでよろしくと書いてある。剣道部副部長からも直前にごめんとあったので、ようやく私はこの世界の時須佐槙乃が剣道部の女子部長をしていることに気づいた。どうやら新聞部は遠野だけらしい。今日の部活動紹介のときよろしくねとメールが来ていた。

なるほど、それなら剣道の腕は期待できるのかもしれない。いざとなったら攻撃ぐらいはできるだろう。

歩いていると、着信があった。登録されていない番号だったが、すぐにわかった。翡翠からだ。もしかしたら、と思って私はすぐに電話に出た。

「もしもし、翡翠ですかッ!?」

私の声に翡翠は安心したのか息を吐いた。

「ああ、僕だよ」

「よかった、無事だったんですね!」

「君の方こそ。その様子だと無事らしいな、よかった。さっきまで本気で生きた心地がしなかったよ......。よかった......本当によかった......。ここは一体......?母が生きているし、祖父はいるし、父は仕事にいったと言われて混乱してるんだが......学校に行けと言われて追い出されてしまったよ」

「翡翠もですか?私もなんですよ。お母さんもお父さんも生きていて、小学生の弟までいるみたいなんです。《力》が使えないのは、この世界だと東京の霊的な守護が強固なまま残されている証です。私、《如来眼》も《アマツミカボシ》の《力》も使えなくて」

「そうなのか......僕も《玄武》の《力》
が使えなくなっているんだ。さいわい忍びとしての腕はそのままだから、この世界の僕も普通の人間程度なら戦えるらしい」

「私も剣道部の女部長やってるみたいなので、異形じゃなければ何とかなりそうなんですが......」

「僕達は平行世界に閉じ込められてしまったのか......?」

「おそらくは」

「一回、落ち合おう。愛。始業式に呑気に出ている場合じゃない」

「そうですね、分かりました」

私達は待ち合わせ場所を決めて、先を急いだのだった。


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