封土1

1999年12月24日木曜日

柳生側からなんの動きもないまま真神学園は終業式を迎えた。不気味な沈黙にぞわぞわしているものの、転校生の連続失踪事件は解決したし、シャンに感染した人間による襲撃にさえ気をつければ、平穏そのものだった。終業式をおえて今日から冬休みである。もっとも、私は遠野と終業式の写真を見繕ってPTAや職員室に渡したり、次の真神新聞の作成に追われていたので気づけば夕方になっていた。

「はい、時須佐です。どうしました、翡翠」

「いや、今日は終業式だとは聞いていたけど、肝心の何時頃に帰ってくるのか聞くのを忘れていたからね。今大丈夫かい?」

「あ、はい、今アン子ちゃんと新聞部の打ち合わせをしてたんです。なにか用事でも?それともなにかあったんですか?」

「いや、今校門近くにいるから」

「......えッ!?」

私はいつもは暗幕がはってある新聞部の窓から校門をみた。こちらを見上げる翡翠がみえた。

「な、な、ななな......い、いつから......?」

「たまたま用事があってね、通りかかったものだから」

にやにやしながら私を見ていた遠野がそれに気づいて笑い始めた。

「ほら、槙乃ッ!彼氏待たせちゃダメよ、さっさと帰んなきゃ」

「えっ、でもアン子ちゃん、打ち合わせ......」

「そんなのメールでも出来るし、取材やる時は連絡するからいいのよ。今日やるべきことは終わったんだから。ほーら、はやく」

「でもアン子ちゃん1人で帰るのは......」

「いーのいーの、まだ犬神せんせ、残ってたし!遅くまで残るなら送ってやるっていってたじゃない。忘れたの?」

「うッ」

「馬に蹴られたくはないんだから、早くしなさいよねッ!だいたい、なにを今更もたもた、あわあわしてるのよ。如月君との距離感はずっとそうじゃない」

「いや、だってですね、今まではただの幼馴染でッ!」

「それはあんただけだったんでしょ?」

「それは......」

「だいたい今日はクリスマスイブじゃないッ!あー、あたしとしたことがうっかりしてたわ。ごめんね、槙乃ッ」

「アン子ちゃん、からかわないでくださいよ!もう!」

私はおいたてられて、カバンを投げてよこされた。落とした携帯を拾われてしまう。

「そーいう訳だから、今からそっちに行かせるわね〜ッ!く・れ・ぐ・れ・も・槙乃のことよろしくね、如月君!槙乃泣かせたらただじゃおかないわよ〜ッ!」

「わあああああッ!アン子ちゃんッ!なにいって!!」

「はいはい楽しんできてね〜ッ!今度会ったら惚気話聞かせなさいよ〜ッ!じゃあね、槙乃!ばいばーい」

私は新聞部から締め出されてしまったのだった。私の手元には未だに通話状態の携帯が残された。

「翡翠......」

向こうでは笑いをこらえている翡翠の声がする。

「翡翠ッ!」

「ああうん、ごめん。予想通りの反応すぎてつい」

「なんですか、いきなり......真神までくるなんて......」

「特に理由はないよ、たまたまだ」

「ほんとですか?」

「ほんとだよ、もちろん」

私はきられてしまった携帯にしばし沈黙して、玄関に向かった。

最近ずっとこんな感じだった。状況的に仕方ないとはいえ、女子高生が幼馴染の男の子の家に親公認の同棲生活をしているなんて漫画かアニメかゲームの話だと思ってしまう。一人になってはいけない、という現実が如月の行動力となっているのはわかる。

今の今まで如月の本心に気付かないふりをして軽率なことをしたな、と思うし、如月のことをどう思っているのかわからないまま同棲生活をしている今が正直不誠実だなと思う。今思えば何がなんでも拒否して如月の家の前で降りなければよかったのだ。他に代替案が思いつかず、如月ととにかく話さなければ、と頭がいっぱいで完全にテンパってしまった結果の今である。

何度考えてもどうすればいいのかわからないでいる。如月は18年かけて答えを出したんだから、返事はすぐじゃなくてもいいとは言ってくれているが、それとこれとは話が別だろう。

最近は、物思いにふけっているうちに時間が過ぎてしまっている。

「また考え事かい?」

「え、あ」

呼び止められて、ようやく校門前に来たことに気づく有様である。如月は穏やかに笑っている。

「こうして見ると嬉しいね。なぜ今まで我慢していたのかとさえ思うよ。君は必死で考えてくれている訳だからな」

「〜〜〜〜ッ!!」

私は真っ赤になるのを抑えることができない。

「ひとり暮らしから同棲を始めて、最初に感動したのが、ひとりじゃないことだな。当たり前といえば当たり前なことだけれど」

「そのうちひとりが恋しくなりますよ」

「どうだろう?君はそうだったのか?」

「同棲して1か月くらいは、朝も夜も一緒にいられるし、デートの待ち合わせをわざわざ決めなくても良いことが魅力だと思ったんですけど、1か月経ったくらいから、ひとりの時間がなさすぎることがストレスになってきますよ」

「なるほど。それを考えたらまだ気を使ってくれてるんだな」

「あはは......。ところでどこに行くんですか?」

「カテドラル教会にね、霊水をくみにいこうと思って。在庫が少ないから」

「めっちゃ遠回りじゃないですか!」

如月はなんでもないように笑った。



東京カテドラル聖マリア大聖堂。このカテドラルとは《最高権力者がいる場所》という意味がある。文京区にあるカトリックの東京大司教区教会だ。現代建築の粋をかんじさせる造りが象徴的だ。

女性の身体を思わせる独特な外観は上空から見ると《十字架》の形に見えるという。外装はステンレス、スチール張りで、燦然と輝いている。まさに社会や人心を照らすキリスト教の教えをわかりやすく示している。

高尚な表情をたたえる教会は、《強さ》が全面に押し出された《氣》が流れていた。

今、私たちはその敷地内にある《ルルドの洞窟》にいた。澄んだ霊力がうずまいているパワースポットである。湧き出た霊水を飲んだ者の病が治ったという奇跡を伝える《フランス・ルルドの洞窟》を1911年に再現したという。



1858年2月11日、村の14歳の少女ベルナデッタ・スビルが郊外のマッサビエルの洞窟のそばで薪拾いをしているとき、初めて聖母マリアが出現したといわれている。ベルナデッタは当初、自分の前に現れた若い婦人を聖母とは思っていなかった。しかし出現の噂が広まるにつれ、その姿かたちから聖母であると囁かれ始める。


聖母出現の噂は、当然ながら教会関係者はじめ多くの人々から疑いの目を持って見られていた。ベルナデットが聖母がここに聖堂を建てるよう望んでいると伝えると、神父はその女性の名前を聞いて来るように命じる。そして、神父の望み通り、何度も名前を尋ねるベルナデットに、ついに自分を「無原罪の御宿り」であると、ルルドの方言で告げた。

それは「ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・クンセプシウ」という言葉であったという。

これによって当初は懐疑的だったペイラマール神父も周囲の人々も聖母の出現を信じるようになった。「無原罪の御宿り」がカトリックの教義として公認されたのは聖母出現の4年前の1854年である。家が貧しくて学校に通えず、当時の教会用語だったラテン語どころか、標準フランス語の読み書きも出来なかった少女が知り得るはずもない言葉だと思われたからである。

以後、聖母がこの少女の前に18回にもわたって姿を現したといわれ評判になった。1864年には聖母があらわれたという場所に聖母像が建てられた。この話はすぐにヨーロッパ中に広まったため、はじめに建てられていた小さな聖堂はやがて巡礼者でにぎわう大聖堂になった。

ベルナデット自身は聖母の出現について積極的に語ることを好まず、1866年にヌヴェール愛徳修道会の修道院に入ってシスター・マリー・ベルナールとなり、外界から遮断された静かな一生を送った。ベルナデットは自分の見たものが聖母マリアであったことをはっきりと認めていた。例えば1858年7月16日の最後の出現の後のコメントでも「私は、聖母マリア様を見るだけでした。」とはっきり述べている。1879年、肺結核により35歳で没し、1933年に列聖された。

ベルナデットが見た「聖母」は、ルルドの泉に関して次のような発言をしている。「聖母」はまずベルナデットに「泉に行って水を飲んで顔を洗いなさい」と言った。近くに水は無かったため、彼女は近くの川へ行こうとしたが、「聖母」が「洞窟の岩の下の方へ行くように指差した」ところ、泥水が少し湧いてきており、次第にそれは清水になって飲めるようになった。これがルルドの泉の始まりである。

ルルドには医療局が存在し、ある治癒をカトリック教会が奇跡と認定するための基準は大変厳しい。「医療不可能な難病であること、治療なしで突然に完全に治ること、再発しないこと、医学による説明が不可能であること」という科学的、医学的基準のほか、さらに患者が教会において模範的な信仰者であることが条件される。このため、これまで2,500件が「説明不可能な治癒」とされるが、奇跡と公式に認定される症例は大変少数(68件)となっている。

1925年にベルナデットが列福され、1933年12月8日、ローマ教皇ピウス11世によって列聖された。その後もベルナデットによって発見された泉の水によって不治と思われた病が治癒する奇跡が続々と起こり、鉄道など交通路の整備と相まって、ルルドはカトリック最大の巡礼地になり今日に至っている。

それを再現した、いわば人工的なルルドの洞窟のはずなのだが、なぜか泉が湧いているのだ。私の世界だと立ち入りできなかったが、自由に汲むことができるようになっている。不思議すぎるスポットである。

「やっぱりクリスマスイブだからか、人でいっぱいですねえ」

「そうだな。少し並ばないといけないみたいだ」

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