龍脈4

呼び鈴が鳴る。モニタの向こうには真神学園の制服姿の愛がいた。学校帰りにしては学生鞄といつもと違うカバンを抱えて、緊張した様子でそわそわしている愛がいる。あたりを気にしているのか、しきりに後ろをみていた。

「こ、こんばんは、翡翠。私です、愛です」

如月はすぐに柳生側の不穏な気配を感じ取る。この不躾な視線はずっとであり、愛が来てから殺意が濃厚になったから狙いは間違いなく愛なのだろう。監視はいつでも殺せるというメッセージらしい。愛がそれだけ警戒しているのかと思ったが、どうも様子がおかしい。いつもの愛ならそれすら織り込み済みで、如月は転がり込んでくる迷惑な幼馴染を招き入れる顔をするだけだ。なにをそんなに意識する必要があるのか。そこまで考えて如月は笑った。

必死で取り繕ってこそいるものの、かつて如月が幼い頃と今はまるで状況や意味合いが違うことに愛は気づいているのだ。さすがに幼馴染とはいえ18の一人暮らしをしている男子高校生の家に泊まりにいく意味を愛は知っているらしい。

如月はチェーンロックをはずし、ドアを開けた。

「いらっしゃい、待っていたよ」

「あ、はい、うん」

こくり、と素直にうなずいた愛は、おじゃまします、と入った。ドアを閉め、鍵をかけ、チェーンロックを付ける。一連の如月の動作とそれに伴う音に反応して顔が変にこわばるのは、今の如月と愛の関係に間違いなく変化が起ころうとしていることを如実に表していた。

客人用のスリッパをはき、如月に促されて歩く愛は神妙な顔をしている。どこか如月の様子を窺っているのは、どうきりだしたらいいものか迷っているからだろう。愛はとても真面目な性分だ。どこまでも真摯で誠実であろうとする。如月の意図を《如来眼》を発動させるまでもなく汲み取ろうとしている。

如月も分かっているので、いちいち指摘はしない。そうなったら今から大事な話を玄関先でしなければならなくなる。だから笑みは湛えているが、なにもいわない。その穏やかさになにかを悟った愛は、張りつめていた緊張が少しだけほぐれたのか、リビングに通されたとき、これ、と紙袋を渡した。

「これは?」

「翡翠、ご飯は食べましたか?おばあちゃんがよかったらって」

「いや、まだだね」

「そっか、よかったです。これ、美味しかったから、ここに来る前に寄って買ってきたんです。一緒に食べましょう」

「ああ、わかった」

夕食の準備に席を立つ如月に、愛も手伝うと立ち上がる。うちは基本和食だ。それを見越してなのか、お土産はメインになるものだった。味噌汁とご飯とお土産の惣菜と昼の残りの常備菜を配膳する。いただきます、と意味もなく2人手を合わせた。

「美味しいな」

食が進む如月に、愛はほっとしたように笑みをこぼした。適当に片づけ、落ち着いてきたころ。お茶をいれる如月の横で愛が和菓子を出してきた。これも時須佐先生の手土産らしい。

「電話で話してしまってごめんなさい。本当は今みたいに直接あってお話するような内容だったんですけど、龍君たちが雛川神社でみんなに連絡入れ始めてしまって。他の人に聞いたあとで私が話すのは違うと思ったんです」

「いや、いいよ。あのタイミングでよかった」

「そうですか、よかった」

穏やか過ぎる時間が流れ、愛もだいぶん緊張感が薄れてきたのか、いつもの愛がそこにいた。お茶を飲んでいる愛に、如月は目を細めた。

「時須佐先生はいつまで帰らないって?」

「はい?あ、ええとたしか、12月中は厳しいかもしれないって」

「あと3週間もあるな」

「そうですねえ。おかげで友達の家を渡り歩く家出少女になってしまいそうです。不良一直線ですね。犬神先生にバレたら怒られてしまいそうです」

「生徒手帳の禁止事項に書いてある不純異性交遊?真剣を竹刀袋にいれて持ち歩く君がいうのかい?」

「あはは......おかげで少し自由に動きにくくなってしまいました。ひとりになるな、と言われてしまって」

あーあ、と大げさにがっかりする愛である。それほどショックには見えなかった。如月の穏やかな笑みに愛は安心しきった笑みをうかべている。

「愛」

高すぎず低すぎない、知れた仲の人間のみに向けられる声で名を呼ばれ、愛は瞬きした。

色素の薄い前髪からのぞく瞳を細めた如月は、ともすれば嫌味に感じられるほど綺麗な笑みを浮かべる。声色は嬉しそうだ。

「来てくれてよかった」

「いえ......押しかけたのは私ですし」

「いきなりだったからね、断られるんじゃないかと不安で仕方なかった」

「翡翠、あの、」

「少し待ってくれないか?僕も先に言葉が出てしまったから、正直まだ頭の中でまとまっていないんだ。いや、勘違いしないで欲しいんだ。結論はある。そこにたどり着くまでの流れがね」

そういって如月はお茶を飲む。その言葉の意味を汲み取ろうとしているのか、愛はうなずいたまま真面目な顔をして沈黙した。


愛はこの10年間、如月がモテるわりに女の子の噂がないことが大層不満なようで、ずっと好きな人が出来たら教えてくれとからかってきた。それは牽制だったのかもしれないし、愛しかしらない未来において出会う運命の人とやらを指していたのかもしれない。ただ、愛は致命的な勘違いをしていた。

この世界の如月は愛の知る如月とは違い、初めから1人ではなかった。愛がいた。柳生と戦うという使命を誰よりも正確に受け止め、仲間を増やそうと尽力する《如来眼》の少女がいた。迫り来る脅威を過小評価も過大評価もせず認識して最適解を探して必死に足掻きながら進もうとする少女がいた。

まだ8歳だった如月に多大な影響をもたらしたのは間違いない。祖父は《如来眼》の《宿星》に真っ当に向き合い、使命を果たそうとする愛を気に入っていたし、かくあるべき、と如月に聞かせてきた。今思えば初恋だったのだ。

祖父が失踪していよいよ天涯孤独になった時も、父が突然高校の入学式に現れて荒れた時も、支えてくれたのは愛だった。愛からすれば、8歳の時に出会った少年が18歳になったところでなにも変わらないのかもしれない。基本的に愛は如月に対して保護者的な立ち位置を貫いていた。

恋人がいないのはもったいないと愛はうるさかった。端正に整った顔立ちとりんとした雰囲気を纏った如月は、成績も運動神経も非常に優秀で、そのくせ驕ったところも見受けられないという、絵に描いたような完璧超人である。あまり周囲に合わせず寡黙な性質のためか一目おかれつつ、様子見されていた如月だったが、構わなかった。
東京の守護という使命は1人が行うにはあまりにも難しく、多忙を窮めた如月は次第に学校に行かなくなっていったのだ。天涯孤独の身の上に店の手伝いをする苦学生という先入観が働いた上に時須佐先生の計らいもあり、特例処置がとられている。愛はよく学校に行けというが、学業に専念したら愛と接触する時間は確実に減るだろう。それにいつ龍麻たちの支援に回らなければならないか分からないことを考えたら、やはり優先順位はこちらになる。

ただでさえ、そんな状況だったのに、今回如月は聞かされたのだ。柳生との戦いは18年前以上に熾烈を極め、帝国時代、もしくは150年前に匹敵することが予想されると。つまり、それだけ死というものを強烈に意識せざるを得なくなったのだ。

その口が今日から家に誰もいなくなるといいながら、丑三つ時に会いに来るであろう們天丸がいるから柳生の襲撃は心配していないというのだ。さすがに同じことを們天丸にいったらなにかあるだろうことは容易に想像がついた。

考えすぎなのかもしれないが、妖怪が私物を人間に渡す行為はしばしば異種婚礼譚における事例でもある。法螺貝、数珠ときて、次は隠れ蓑か白装束か。ただでさえ們天丸は愛に近づきすぎているのだ。家に誰もいないし、しばらくは友達の家を渡り歩く、なんて口にしてみろ。次はなにかあるに決まっている。

それは如月の直感のようなものだったが、なにかあったら手遅れだという焦燥感があった。そして、自覚した焦り以上に焦っていた如月は口走ったのだ。泊まりに来ないかと。今更なかったことには出来ない。

如月は覚悟を決めた。

「愛」

「はい」

「今から大切な話をするんだ。ただ、話しながら考えるから長くなると思う。聞いてくれるかい」

「は、はい......」

愛は不思議そうに首をかしげる。如月は前を向いている。


愛は人当たりが抜群にいいから、社交的だ。交友関係はとても広い。愛は優しいから自分を慕う相手にはそれはもう大喜びで接する。だから人は集まる。いっぽうで、如月の隣を落ち着くと笑うのは嬉しいことだと思うくらいには絆されている。苛立ち始めたのはいつからかもう思い出せないでいた。

愛は神妙な面持ちで耳を傾けている。どんな言葉を重ねたところで結果が変わることはない。躊躇っていても仕方がない。どんどん言いづらくなるだけだ。

「愛、僕は君のことが好きだ」

如月は静かに呟いた。愛は目を見開く。心が軋むが、如月にとってはそれほど驚くものではない。やはりそうかと思っただけだ。

愛はとても聡く、他人の心の機微にも敏感な女性だ。ただ、《如来眼》による《力》が相手の無自覚な感情まで先読みしかねないため、味方にはめったにかけない。さらに自分に好意を寄せる人間に対しては鈍感になろうと努めたせいで鈍くなった経緯がある。

いつかこの世界から元の世界に帰るためだ。傷つけないようにあしらう、友人の恋愛相談的確な答えを与える。経験則から上手ではあるが、自分の影響力を過小評価しすぎているために如月の告白は驚きをもって迎えられた。言わないとわからないのだ、愛は。だからいう。

「君がこの戦いが終わったら帰るつもりなのは知っているし、今がそれどころじゃないこともわかっているよ。ただ、君がこのまま時須佐家に一人でいたら、們天丸がなにをするかわからないから先手をうたせてもらった。この戦いが僕の考えている以上に死ぬ可能性が高いなら、その前に伝えておきたいと思ったんだ。きっと後悔すると思ってね」

「翡翠......」

「君は昔から仲間には無防備すぎるところがあるから、ほうっておけないんだよ。さすがに僕も好きな女の子が夜な夜な男と会ってるのは正直嫌だったんだ。今まであったことは話し終えたはずなのに、だらだら們天丸は話を引き伸ばしているというし。その流れで君が長い間一人暮らし状態になるのに們天丸と会うというから我慢できなくなった。本当は全部終わってから、サヨナラする時に言えればいいかと思っていたんだ。でも無理だった。僕は僕の考えている以上に君のことが好きらしい」

「あの......」

愛は次第に赤くなっていく。

「まあ、待ってくれ。まだ途中だから」

「えっ、まだ......?」

「まだだよ。とにかくだ、僕は怖かった。10年間育んだ友情を、幼馴染という立場を壊してしまうのが怖かった。でもそうなると分かっていても、どうしても言わずにはいられなかったんだ。今言ったのは、待つのはやめたから。このままだと君になにもいえないまま死ぬ可能性があることに気づいたし、君がとられてしまう気がしたから。我ながら情けないよ、もう少し自分の意思で動けたらよかったんだが、今の今までずるずると引き伸ばしにしてしまった」

想いが口をほとばしる感じであふれ出し、じっと愛の目を見つめ、切々と、縷々と、思いの丈を訴えた。本音を引きずり出すような覚悟で言う。いくら言葉で打ち明けても、そこにあったギリギリの心情は半分も伝わらないだろう。でもいうしかない。今しかない。今更後には引けない。泊まらないかといったのは如月なのだから。

如月が今自分に求めているのは、自分の感情を愛にしっかり送り届けるという、ただそれだけのことだ。手を握り、指先を通して気持ちを伝えようとした。

「いつから、と言われたら最初からだ。ずっと、好きだった。君とあったときから」

愛は如月のような告白はされたことがないようで照れているのか、恥ずかしいのか、もう真っ赤だ。

「長いあいだずっと変わることなく僕の隣に君がいてくれただろう?ひとりで生き延びていくために必要なことだったよ、とてもね。苦しみあえぎながら大人になっていく僕を変わることなく勇気づけてくれたんだ。どれだけ支えだったか。指標であり、夜に灯る明かりであり、方角を知らせる磁石だったか。今ならわかる。それを失ったら、きっと僕は事実を受け止められず、正気じゃいられなくなる。だからいうよ。僕は君にずっとこの世界にいて欲しいし、帰って欲しくない。そのためならなんだってする」

「そ、そこまでいっちゃうの......?あたしまだ何も......」

「君に結論を急ぐ気は無いんだ。いっただろ?僕の結論は出てるんだ、そこまでにいたる過程がまだ思いつかないだけでね。だから、愛は気にしなくていいよ。そのかわり、僕は待たないけど」

「翡翠、いってることがさっきからむちゃくちゃじゃない......?」

「むちゃくちゃでもいいよ、君に伝わるならなんだって。何年の付き合いだと思ってるんだ。君が人の好意に鈍感になろうとしたのは、絆されて帰れなくなるのを危惧してだろうしね」

「バレてるし......」

ばつ悪そうに愛は目をそらした。如月はたまらず噴き出すのだ。穏やかな口の線や顎の輪郭が崩れて、小刻みに揺れる。愛が直視してくれないのは、普段の表情が崩れて年齢相応に笑うときが好きだからなんだろうなと如月はなんとなくわかっている。


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