魔獣行7

谷中霊園敷地内に、ただの空き地が大人なら乗り越えられそうなフェンスにかこまれている。その空き地に男がいた。

「お前たちは知らないかもしれないが、ここには昔、立派な五重塔がたってたんだ」

誰に聞かれたわけでもないのに、男はいった。

「今は土台の礎石しかない。礎石の面積がほんとに小さい。こんなに狭い敷地に建っていたのかと思うとびっくりするよな」

私達は警戒を緩めない。憑依師なのか、憑依師に動物憑きにされた男か区別がつかないからだ。そんな私達を知り目に男は語りつづける。

「忘れもしない、1957年7月6日早朝に心中による放火で焼失したんだ。火の手は午前3時45分ごろに上がり、塔から50m離れた地点にも降り注ぎ、心柱を残してすべて焼け落ちた。焼け跡の心柱付近から男女の区別も付かないほど焼損した焼死体2体が発見された。のちの調査で男女は不倫関係の清算を図るために焼身自殺を図ったことがわかった。塔は再建されず、今はこうして礎石だけが残るのみ。なんとも脆いもんだ」

諸行無常を口にしているが、その顔にはニヤニヤとした笑いが浮かんだままだ。

「お前が憑依師か」

「そうだといったらどうする?」

ピリッと張り詰めた空気がただよいはじめる。

手駒を全て失った筈なのに、一体何を根拠にそれ程の余裕を保てるのか、私達はわからない。まだなにかあるのかもしれない。《如来眼》では解析しきれないなにかが。その警戒心が緊張感を昂らせていく。

「くくく、まったく単純な奴らで助かるぜ。あははははははははッ!!てめェら、もう終わりだな」

火怒呂と名乗った男は、呪術博士を排出してきた一族の末裔であり、冤罪により廃止したあげく弾圧してきたやつらに復讐するために騒動を起こしているのだという。赤い髪の男に協力して東京を混乱に陥れ、人蟲(じんこ)を作り上げた末に、それを生贄にしてさらに強力な呪詛を発動させるつもりらしい。

火怒呂としてはもっと秘密裏に事を運び、もっと手駒を増やし、多少の妨害など意にも介さない状態になってから動くつもりだった。

だが、私達や《エムツー機関》、宮内庁といった敵対勢力の初動がかなり早かったために、不完全なまま術を発動させるつもりのようだ。

自分の能力に自信があり、そのくせやけに慎重で用意周到過ぎる罠を張り巡らせているあたり、陰陽寮への恨みが透けて見えた。

「復讐なら陰陽寮のやつらにやれよッ!俺たち関係ないじゃねェかッ!!」

嗤笑に苛立ったのか、蓬莱寺がカッとなって啖呵を切ろうとした。その瞬間に蓬莱寺たちの体が不自然に硬直する。

「───!?」

喩えるなら「熱い闇」のようなものが、身体の奥の、更に奥底から急激に膨らんで、蓬莱寺たちの身体を数秒で捉える。私は憑依師が仕掛けたのだと悟った。

一瞬、感覚が周囲の全てから遮断される。普通に立っていた筈が、急に後ろに引っ張られ、部屋から引き摺り出された。

「うッ───!?」

「京一、大丈夫か!?」

意識だけが身体から遠く離され、身体の奥底から、自分ではない自分が目を覚ますのを感じるのか、蓬莱寺はうずくまった。

「小蒔、大丈夫ッ?」

「醍醐まで?!」

法螺貝の音が大きくなっていく。

「憎いだろう?喰らいたいだろう?己が欲するままに、殺したいだろう?そうするために必要だというなら、闇に堕ちてもかまわないだろう!!」

抑圧され続けていた獣の咆吼が全身を揺るがすために、火怒呂が叫ぶ。かろうじて残っている人間の心、理性が外へ出ようとする激しい欲望に浸食されていく。蓬莱寺、醍醐、桜井、ほかの仲間たちも次々と自分を抑えるために行動不能になっていく。

「さあ、魂の奥底の扉を開くのだ!闇の中に光る、今にも飛び出さんばかりの獣の眼で世界を見るがいいッ!」

法螺貝の音がいよいよ鼓膜がやぶれるんじゃないかというくらいまで大きくなる。

「うるさいッ!そのお経を唱えるのをやめろッ!!こいつらは獣に堕ちたのだッ!!」

「七十五靡ノ印ッ」

凛とした声が響いた。谷中霊園全体の《氣》が明らかに変化した。一瞬にして清廉な《氣》が流れ込んでくる。

「き、貴様はッ!!」

「熊野にある難所、七十五山を修めたる者にのみ伝する印や。高められた氣は、他者を助ける力となるってな。大丈夫かァ?」

にひ、と笑ったのは們天丸だった。いつの間にか私達と火怒呂の間にたっていた。

「法螺貝持たしといてよかったわ、ずっとお経唱えるのは手間やったけどな。わいもやること山ほどあったんや、間に合ったから堪忍してや?ところで、あんさん、いつの時代の火怒呂や。今の時代にこんだけ蟲毒極められるやつなかなかおれへんで?」

們天丸にそう言われた男はいよいよ口が裂けるくらい笑った。

それは、今は伝わっていない飛鳥時代の呪禁博士の名前だった。一説に役小角の一族の者とも言われる者らしく、医術の知識に優れ、また良く蟲獣を使役したという。諸国に疫病の広まったとき、これを癒すべく諸国を行脚したが、そのために疫病をもたらす者と讒言され、処刑され、一族は路頭に迷ったのだという。

死の間際自分を死に追いやったものたちを呪い、悪疫を都まで運ばせようとした。

しかし、功徳のある高僧が們天丸が唱えたお経により防いだために、復讐を達成することはできなかったらしい。
本来力のある呪者であり、呪禁博士を務めるなど尊敬を集めた人物であったが、最期の呪詛によって悪鬼としてのみ名を残すこととなった。その名もやがて多くの鬼たちの間に埋もれてしまい、近代に至るまで忘れられたという。

それを再現され、激高している。

「やっぱなァ......」

「誰に呼ばれたんですか?」

私は們天丸のいいたいことがわかって血の気がひくのだ。

蓬莱寺たちは們天丸のおかげで解呪できたようで、いつしか法螺貝はやんでいた。今にも暴れ出そうとしていた獣が、元々居なかったかのように、静けさを取り戻す。醍醐たちは汗ばんだ掌と、まだ収まりきらない鼓動だけが、今の葛藤が現実のものであったことを示している。

何が起きたのかは、すぐに分かった。火怒呂の策略に嵌ったのだ。裏密たちに注意されていた事を忘れ、感情が揺らいで、憑依師の術式の侵入を許してしまい、自らに眠る本能とリンクする「獣」の霊に取り憑かれたのだ。

「そうか......。今のが、獣の......」

顔をしかめ頭を振る醍醐を、軽く揶揄しつつ立ち上がる。そうする事で普段通りを装ったつもりだったが、心配そうに声をかけてきた美里の表情からすると、まだ相当顔に出ていたらしい。

「大丈夫だよ、ありがとう」

《力》を使おうとした美里を桜井がとめる。

「みっともねェとこ見せちまったな、諸羽」

蓬莱寺が皮肉をこめて笑うと、霧島は安堵の表情を浮かべた。

「この体の中に、俺の知らないもうひとりの俺がいる、か。霊云々よりも、そのことの方が嫌な後味だな」

醍醐の呟きに、悔しいが同意せざるを得ないと桜井たちはうなずく。


「へッ、俺の中に獣が棲むことなんざ、とっくに知っていたけどよ───振り回されんのは気に食わねェぜッ!」

「感化されちゃ意味ないですもんね」

「うっせえ!」

「......あの程度で心を乱し、低級な動物霊に引き摺られ、人ではないものの感情に囚われるてしまった。僕としたことが」

「えッ!?翡翠もですかッ!?」

「抑えるのに精一杯だったよ」

「如月もだってよ!ひーちゃんと美里とまーちゃんはわかるぜ?でも、まじでさやかちゃんと諸羽がなんともねーのはまじでなんなんだよ!」

「さ、さあ......?僕にはさっぱり......」

「わからないですけど、皆さん無事でよかったです」

形成は逆転した。それに激高した火怒呂が術を発動させようとする。それは霊感のない仲間たちさえ、身体中の毛が逆立つような負の《氣》が充満していく。明らかに憑依されていると覚しき人の群れが現れた。

「稀代の憑依師の《力》、みせてくれるッ!!」

「あんさん、その赤い髪の男になにを吹き込まれたんや?」

ぎろりと眼を見開いた火怒呂にも臆さず口を開いたのは、劉だった。

「そいつはどこや。今、どこにおるんやッ!?」

その背から、烈しい怒り。憎しみのようなものをビリビリと感じ、私も思わず眉を顰めた。気持ちはわかるがまた憑依師の術中にハマっては意味が無い。私が動く前に們天丸が動いた。

「劉はん、気持ちはわかるけど相手があかん。あかんて、落ち着き」

だが劉は益々烈しい怒気を放ち、無造作に間を詰めていく。危うさを感じたらしい們天丸が無理やり押し留めた。

「あかんいっとるやろうが、じっとしとれクソガキ」

声が低くなり、劉は動きをとめた。どうやら神通力で無理やりとめたらしい。

「これ以上足引っ張んならオトすで。今が《将門公の結界》防衛の瀬戸際なんや、あんさんが一番わかっとるんやろうが。ちゃうんか?あ?」

「..................ごめん」

「わかりゃあいいねん、わかりゃあな」

ウインクした們天丸が劉を解放した。息を吐いた緋勇が仲間たちに指示をだす。私も気合いを入れ直して木刀を構えた。


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