鞍馬天狗

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「修学旅行、天狗のゆかりの地を巡りたいっていってたから〜、調べてみたよ〜」

「ミサちゃん、ありがとうございますッ!」

「ところで〜、なんで鞍馬天狗なの〜?」

「実はですね、150年前の戦いの時に《鬼道衆》側の仲間として鞍馬天狗に育てられたと自称する青年が仲間にいたそうなんですよ。們天丸って人が。鞍馬山の天狗に育てられ、その法力を使うことができた、女好きでお調子者の青年らしいです。さすがに京都にいけなかったので、現状を報告したくて」

「なるほどね〜、元人間でも天狗ならまだ生きてるかも〜?」

「生きてたらいいですね」

「う〜ふ〜ふ〜、そういうことなら〜、鞍馬寺に行く前に〜、崇徳院ゆかりの地を行く方がいいかもね〜」

「えっ、三大怨霊の?」

「崇徳院は〜天狗の王って〜いわれてるから〜。日本にいる〜1万2千ともいわれる〜天狗の頂点なのよ〜」

「そうなんですか!?知らなかった......」

菅原道真、平将門、崇徳天皇の怨霊は「三大怨霊」と呼ばれている。皆、悲劇の死を遂げてしまい、その後に数々の奇怪な現象が起こったことから、そのように呼ばれるようになった。

京都最恐の怨霊と称される崇徳院は、1119年生まれで父は鳥羽天皇なのだが、当時の上皇は崇徳院をとても気にかけており、崇徳天皇が3歳ぐらいになると、鳥羽天皇を強引に退位させ、父の譲位により5歳で即位させた。

鳥羽天皇は退位させられた白河上皇に対して恨みを持つようになり、また崇徳天皇のことも「叔父子(おじご)」と呼び、忌み嫌うようになった。

崇徳天皇が10歳の頃、白河上皇が亡くなると、父の鳥羽上皇が実権を握り始め、鳥羽上皇の子である近衛天皇を即位させた。この時、近衛天皇はわずか3歳、鳥羽上皇が受けた屈辱を崇徳天皇にも与えた。

鳥羽上皇は崇徳天皇に近衛天皇を養子にすることを勧める。崇徳天皇は天皇の「父」ということで、政治に関与していけるからだ。そして、崇徳天皇は近衛天皇に王位を譲った。

しかし、鳥羽上皇の罠があり、天皇即位の宣命には「皇太子」ではなく「皇太弟」(こうたいてい)と書かれていた。

つまり近衛天皇は崇徳天皇の「子」ではなく「弟」ということであり、崇徳天皇は政治を行えなくなってしまったのだ。

近衛天皇は病弱だったために、17歳という若さで亡くなり、近衛天皇には後継ぎがおらず、崇徳上皇はチャンスが回ってきた。崇徳上皇は、自身の子、重仁親王を即位させることを望んだが、ここでまた鳥羽上皇に邪魔され、崇徳上皇の弟でもある、29歳の後白河天皇を即位させてしまう。

このことがきっかけとなり、後白河天皇と崇徳上皇が争いを始め、1156年に「保元の乱」(ほうげんのらん)が起こった。

保元の乱の最中、鳥羽上皇が亡くなる。崇徳上皇は、最後はやはり父である鳥羽上皇を見舞いたいと訪れるが、対面を果たすことは出来なかった。鳥羽上皇は、自分の遺体を崇徳天皇に見せるなと言い残していたのだ。鳥羽上皇の恨みは相当なものだったのだ。


保元の乱は後白河天皇方が勝ち、崇徳上皇は讃岐国に流罪、崇徳上皇についた公家や武士も、軒並み実権を失うか斬首という厳しい措置がとられた。

その後、崇徳上皇は讃岐国で仏教を心の拠り所とし、五部大乗経(法華経・華厳経・涅槃経・大集経・大品般若経)のお経を書き写した。そして乱の犠牲者の供養と自らの反省を表すため、「私の代わりに、この写本を京の都に収めてもらえないだろうか」と後白河天皇に頼んだ。

しかし、後白河天皇は「呪いがかかっているのでは」という身も蓋もない言い方で写本を受け取らなかった。これには崇徳上皇も激怒し、舌を噛み切ったその血で国を呪う事を写本に書き足し、亡くなってから怨霊になったと伝えられている。

「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」

「この経を魔道に回向(えこう)す」

江戸時代には、物語のネタとして崇徳上皇の怨霊が使われるようになり、怨霊伝説が定着していった。

「たしか、有名な縁切寺ですよね。赤い髪の男の行方はあれ以来知れないですし、お願いしてみようかな」

「う〜ふ〜ふ〜、その們天丸って人が〜鞍馬天狗の配下なら〜崇徳院が〜社長か〜会長ね〜。効果あるかも〜」

「あはは。でも先に決めちゃっていいんです?たしか他に3人一緒に行く子が......」

「心配いらないわ〜だってえ〜こないから〜」

「えっ」

「風邪で〜うふふふふ」

それはほんとに風邪なんだろうかと不安になったが、裏密は意味深に笑うだけでそれ以上教えてくれなかったのだった。

ずい、と顔を近づけられ、私は顔を強ばらせた。

「ミサちゃん?」

「うふふふふ〜、まーちゃんとふたりなら、あたしの夢も実現するかも〜」

「ゆめ、ですか」

「いい〜?これから話すことは〜、誰にも喋っちゃだめ〜。ふたりのヒミツだからね〜。実は〜、あたしの秘文字占いによると〜、この山にはあれがあるのよ〜。徐福が秦の始皇帝のために探し求めた、あの不老不死の霊薬がね〜。海中の神山でかの霊薬を手に入れた徐福は〜、始皇帝の時代が永劫続くことを望みはしなかったの〜。そして、始皇帝の目から逃れるために徐福は日本へと渡った〜。そして、その霊薬が愚かな人間の手に渡らぬよう〜、このあたりの山々の主であった大魔王僧正に託したって話よ〜。うふふ〜、これさえ手に入れば〜、世界は永遠にあたしたちのものよ〜」

「えええ......」

「鞍馬天狗はもともと鞍馬寺の御本尊、多聞天の夜の姿で〜、魔王大僧正っていうの〜。つまり〜、その人に会えればいいのよね〜。この大天狗は〜、日本最大の大天狗で〜、義経の剣技の師範だとも言われているわ〜。絶大な〜除魔招福の力を〜持っているらしいわ〜。人類救済の使命を帯びて〜仏から地上に遣わされた天狗〜。そうやって信仰されてるみたいね〜。だから〜、まーちゃんが会いたい人と縁があるなら〜やっぱり〜これは〜運命なのよ〜。うふ、うふ、うふふふふ」

「運命って大袈裟ですよ」

裏密は意味深に笑う。

「鞍馬天狗は金星からきたのに?」

「えっ」

裏密は嬉嬉として話し始めた。

鞍馬弘教立教後の寺の説明によると、鞍馬寺本殿金堂の本尊は「尊天」であるとされる。堂内には中央に毘沙門天、向かって右に千手観世音、左には護法魔王尊が安置され、これらの三身を一体として「尊天」と称している。

「尊天」とは「すべての生命の生かし存在させる宇宙エネルギー」であるとする。また、毘沙門天を「光」の象徴にして「太陽の精霊」・千手観世音を「愛」の象徴にして「月輪の精霊」・魔王尊を「力」の象徴にして「大地(地球)の霊王」としている。

鞍馬寺とは、どこにでも存在する「尊天」のパワーが特に多い場所にして、そのパワーに包まれるための道場であるとしている。「尊天」のひとり、「護法魔王尊」(サナート・クマラ)とは、650万年前、金星から地球に降り立ったもので、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるという。

本殿金堂の毘沙門天・千手観世音・護法魔王尊はいずれも秘仏であり60年に一度丙寅の年のみ開帳されるが、秘仏厨子の前に「お前立ち」と称する代わりの像が常時安置されている。お前立ちの魔王尊像は、背中に羽根をもち、長いひげをたくわえた仙人のような姿で、鼻が高い。光背は木の葉でできている。多宝塔に安置の護法魔王尊像も同じような姿をしている。このことから「鞍馬天狗」とはもともと護法魔王尊であったと思われる。また、16歳とされているわりに歳をとった姿をしている。

「《アマツミカボシ》の転生体であるまーちゃんには気のせいではすまないよねー」

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