「ほんとに来てくれるとは思わなかったな、大和」
「心外だな。さすがに何かあったら頼れといっておきながら反故にするほど薄情じゃないぞ」
「大和なら温室にいくかと思ってたんだよ」
「温室か......たしかに行ってみたが、なにも思い出せなかった。歯がゆさがますだけでな、その時に君からメールがきたのさ。君にも思い当たる節があったのか?」
「まあね。新聞部で調べたら白岐って子が《6番目の少女》が現れたら決まって失踪するってことがわかったよ」
「はは、君の瞳にはまったく迷いがないな。ここに来てよかったよ。正直いうと俺も少し不安だったんだ。俺の記憶は本当に正しいのかどうか。頼もしいな。そうか、白岐か......」
夕薙は言葉をかみしめる。
「ダメだな、思い出せない。何かがおかしくなったのは、この匂いを感じるようになってからだ。調べてみたんだが、君は《生徒会》の双樹からアロマをもらったことがあるらしいな。関係あると思うか?」
「毒については違うと思うよ、教えてくれたのは双樹さんだ。ただ、すごい調香師だとは思ったよ」
「そうか......なら、俺が何をいいたいのかはもうわかっただろう?これは意図的に撒かれたものだ。これほどまでに完璧な情報操作を行うのは容易くはないはずだ」
「そうだね、恐るべき《力》だよ。才能を極限まで高めてしまうんだ。ご先祖さまはいったい何者だったのか、ほんとに怖くなる」
「そうだな......所詮は忌まわしい《力》だ。だが、その《力》がここで生み出された以上、ここにはそれを解く鍵があるはずだ。そう気をおとすなよ」
「ありがとう」
「人に超常的な《力》をあたえ、時にはその姿さえ変貌させるような《力》か......。子孫たる君が恐怖するような《力》が本当にあるのだとしてだ。人間がそれを克服できないとは俺は思わない。思ってはいけない。それは超常現象だの神の怒りだの呪いだの、人間の覆しようがない神や悪魔や人外共のなせる技だと認めることになるからだ。しっかり気をもてよ、翔。結局のところ、最後は自分だけが頼りだからな。君もわかっているだろう?乗り越えなければ先に進めないこともあるんだ」
「......ありがとう」
「おいおい、なんで泣くんだ」
「そこまで励まされたの初めてだからかもしれない」
「君もなかなかめんどくさいやつだな」
「君にだけは言われたくないよ」
「冗談だから、銃をこちらに向けないでくれ」
夕薙は笑っていた。
私たちが警備員室に近づいたとき、爆発音がした。あわてて扉を開けてみると、ダイナミックな音が粉々になって全身にぶつかってくる。爆音が、頭の真上すれすれをかすめていった。予想外の大音響が空気をかき混ぜる。
監視カメラの集合体目掛けて頭部やら胴体やらが乱れ飛び、《レリックドーン》の工作員たちがあっけなく息を引き取ったのがみえた。ひどくあっけない、朽ち木の折れるような死が転がっている。理不尽を前にしたとき、人間は誰しもが虫のように、なんの造作ぞうさもなく死んでしまう。
「......なにが起こっているんだ?
かろうじて吐けた強気の言葉。だが夕薙の瞳の奥に怯えが見える。警備員の断末魔が、走馬灯のように頭を駆け巡る。いくつもの情景が頭の中に現れては消える。これまでの出来事が突風のように頭の中に吹き荒れる。私たちは死にたくなかった。
黒い息吹が立ちのぼってくるのだ。
けたたましい破裂音がして、私は目眩がした。頭が割れるような音だ。大風の海のような凄まじい物音が、警備員室にある精密機器にヒビを走らせる。後ろにひっぱられる。私たちはそのまま近くの宿直室に逃げ込んだ。
「や、大和、ありがとう」
気にするなとぽんぽん頭を撫でられる。夕薙はその向こう側を見つめている。恐る恐る覗き込むとすでに警備員と何者かが交戦状態だった。
ふたたび音が爆発したように一瞬だけ広がる。枕元で雷が落ちたくらいの爆音だ。猛烈な爆発音が耳の穴になだれこんで来る。電光のようなすさまじい色彩を放った。
大きな音によろけるくらいに圧され暗闇を破くみたいに、なにかが切断される音が大きく響く。耳に余る大きな音を立てて、男の苦悶の声がこだました。
耳をもつんざく程、大きな雷鳴が轟き、どおんと地を震わせて爆音がとどろいた。あたりの賑わしさを頭から叩き伏せるように力ずくの音楽が破裂している。
こちらに気づいたのか爆音が近づいてくる。私は引き金をひいた。銃声が響き、弾丸は金属音を伴って乱れ飛ぶ。構わず鋭い発砲を浴びせる。重い金属的な衝撃音が二度響いた。
さらに銃が火を噴く。撃った反動で肩に衝撃が走ると同時に、乾いた音が響く。どん、と破裂するような音がしたのはその時だ。勢い良く、鉄の杭を壁に打ち込むような、瞬間的ながら激しい響きが聞こえた。
絶叫が聞こえる。そして静かになった。
「こいつはまた......ひどいな」
あたりに漂うのは腐臭だった。腐った人間の匂いがする。どうやら警備員室は女教師のように遺体に満たされたスライムに襲撃されたらしい。対処法を知らなければどうしようもない。どこから湧いてきたのか知らないが、遺体がまだあったらしい。贄を求めてこんなところに入り込んだんだろうか?
四肢がすさまじい損傷を受けても平然としている2人の警備員を殺戮した犯人がこちらを向いた。
「死後3ヶ月ってところか。爪のあたりがすごいことになってるな、引っ掻いたのか?」
「......まさか、ほんとの警備員?」
「なんだって?」
「《レリックドーン》の諜報員が入り込んでるのはわかってるけど、本来の警備員がどうなったのかまでは考えてなかった。まさか物理的に交代したのか?」
「なんで警備員だとわかるんだ?」
「実は、父さんの墓を掘り返したんだ。空っぽだったんだけど、内側から外に出ようと必死で引っ掻いたあとがあったんだよ」
「それは本当か、翔」
夕薙が驚くのも無理はない。《生徒会》に言われてミイラを埋葬するのは墓守の仕事、つまり夕薙の仕事なのだ。一定期間が過ぎたら遺留品とミイラを入れ替えるのは夕薙の仕事だから、それ以外なんて考えたことすらなかったんだろう。江見睡院の墓自体は18年前にできていたはずだから中身なんて知る機会はないはずである。
「ずっと疑問だったんだよ。遺留品を阿門から返してもらった時点で、墓には何もいれていないって言質はとってる。なのになんだって棺桶の内側から傷だからけなのかわからなかった。でも謎が解けた」
私は爆弾を手にする。
「おいおい、警備員室吹き飛ばす気か?」
「吹き飛ばす気でかからないとオレたちがああなるよ、大和。腕1本でも残したら這ってでも襲ってくる」
夕薙はいきをのんだ。
「初めてじゃないって顔だな」
「最初は甲ちゃんが大好きだった先生だよ。《遺跡》に甲ちゃんと九ちゃんさそいこんだからね」
「なるほど、よくわかった。でもな、翔」
「なに?」
「死ぬなよ?」
「そっちこそ」
この死んだような音色を私は忘れることはないだろう。迫り来るゾンビの呻きには陰気さの底には永劫消えることのない怨みの響きが残っている。人間の力では打ち消す事の出来ない悲しい執念の情調がこもっている。無間地獄の底に堕ちながら死のうとして死に得ぬ魂魄のなげき。八万奈落の涯をさまよいつつ浮ぼうとして浮び得ぬ幽鬼の声。それは呪いの言葉だった。
それを背負ってもなお、私たちは前に進まなければならないのだ。それぞれの真実に到達するために。
私がただちに千貫さんに連絡したからだろうか、それとも瑞麗先生にお願いしたからだろうか。物々しい武装をした《エムツー機関》のフロント企業スタッフが警備員室を封鎖してしまった。
「はは......ひどい有様だな、翔」
「大和もね」
「あれは任せていいのか?」
「いいよ。隅々まで司法解剖されて火葬されて遺族に送られるかわりに警察は介入できないからね」
「こういうところを見ると、君もあちら側なんだと実感するな」
「あはは、ほんとに今更だね」
「九龍みたいに公言してるわけじゃないからな」
「ほんとはそういう仕事なんだけどね......。《ロゼッタ協会》規則は3か条があるんだ。まず正体を明かさないこと。次に
「九龍はよく怒られないな」
「それだけ《ロゼッタ協会》が本気でこの《遺跡》を本腰すえて攻略しようとしてるってことだよ。それだけ江見睡院は《ロゼッタ協会》の精神的支柱だったんだ」
「君にとってもか?」
「江見翔について提案したのはそもそも私だからね」
校舎からチャイムが鳴り響く。
「ある意味今日でよかったのかもしれないな、誰もがボーッとしている一日だった」
「そうだね。さて、お風呂に行かなきゃな」
「そうか、なら俺は......」
「水泳部のシャワー借りるから大丈夫だよ。まだ放課後まで時間あるしね」
「そうか?悪いな」
「青少年に悪影響及ぼすといけないからね」
「ははっ」
「大和はそういうの気にしない?」
「いや、遠慮しておくよ」
「ですよね」
私は肩を落としたのだった。残念だ。
そして、男子寮に一度帰ってから着替えようとした時だ。
「......」
ポストの前に化人よけの香料に反応する虫が群がっているのがみえた。
「......父さん......」
今、いれたところだったようだ。
「翔、か?」
「最近、手紙くれなくなってたよね。寂しかったよ」
「すまないな、手持ちのパビルスがきれてしまったんだ」
「だからブローチくれたんだ?」
「ああ。......つけてはくれていないのか」
「ごめん、ファントムに操られそうになってる友達助けるために使ってるんだ」
「そうか。役に立ってるようで良かった。翔は私に似たのか諦めが悪いみたいだから、これを渡そうと思ったんだ。少しでも危険から逃れられるように」
渡されたのはなにかが刻まれた札だった。
「最近、命の危険にさらされたようだからな、使ってくれ」
「心配かけてごめんね」
「度重なる警告もものともしないで私のために進み続けようとしているからな、困った息子だ」
江見睡院はどこか悲しげな目をして笑った。呆れたような雰囲気すらある。これはいい変化ではないだろうか。今までは来るなの一辺倒だったのにここにきて変化が現れたのだ。
「......翔」
「なに?」
「あまり、無理はするなよ」
「え?それってどういう?」
江見睡院は苦笑いしたまま頭を撫でてくる。私はされるがままだった。