2004年12月5日日曜日夜
今日は葉佩から夜遊びのメールがこなかったので、いつもより早く水泳部のシャワールームを借りることにした。部活が終わる時間帯までマミーズで時間をつぶし、双樹にシャワーを借りるとメールを送る。快諾の返事が来たので、誰もいないのを見計らって鍵を開け、洗濯乾燥機と同時進行で要領よくすませてしまう。着替えを突っ込んだビニール袋をかかえて外に出ようとすると、玄関近くで双樹がいた。私を待っていたようで、すぐに立ち上がって近づいてくる。
「こんばんは、江見。待っていたわ」
「こんばんは、双樹さん。驚いたな、どうしたの?」
「どうしたもこうしたもないわ。あなた、最近、なにかあったでしょう?勝手に部屋の中に入られたりしなかった?」
「え?ああ、うん、たしかに入られたけど。情報はやいね。まだ捕まってないけど、空き巣がね」
「やっぱり......」
「双樹さん?」
「あなた、《夜会》からずっと、あたしがあげたアロマを使ってくれてるじゃない?」
「うん、気に入ったし」
「昨日から香りが変だわ。あたしが調香したアロマじゃない。成分が変わってしまっているのよ、なにかいれられたんじゃなくて?」
「えっ、それほんと?九ちゃんに頼んで解析してもらったら問題なかったんだけどなあ」
「精密機械は誤魔化せても、私を誤魔化すことは出来ないわ。ねえ、よかったら、そのビン貸してもらえないかしら?」
「ああ、うん、わかった。双樹さんがいうならやばいんだろうね。返すよ」
私はアロマのビンをさしだした。
「......やっぱりそうだわ。精油は非常に高度に濃縮された液体だから、間違った使い方をすると危険な場合があるのよ。あたしは100%天然純粋の精油しか作らないけど、多量の別の安価な精油や、合成物質を混ぜ物として加えても見た目や匂いで判断するのは困難だわ」
「......もし、使い続けたらどうなるの?」
「神経毒を定期的に摂取するようなものよ。肝心な時に体が動かなくなったり、痺れや痙攣が止まらなくなるかもしれないわ」
「......怖いな」
「怖いでしょう?悪いことは言わないから、私に預けてちょうだい。また今度新しいの調香してあげるから」
「わざわざありがとう」
「いいのよ。冤罪になるのは嫌だもの」
「たしかに......このタイミングでならにかあったら双樹さん疑うかもしれないね」
「でしょう?というわけで預かるわね」
「わかった」
「あ、そうそう、男子寮の前にトラックがとまっているわ。誰か引っ越してくるみたいね」
「引っ越してくる?」
「ええ、嫌な香りを學園に連れてくる男だわ。危ない香りがする男は好きだけど包容力はなさそうだからあたしの好みからはハズレるわね。あなたも注意したらどうかしら」
「そうだね、ありがとう、双樹さん。注意するよ」
「素直な子は大好きよ。《生徒会》は《遺跡》の見回りを強化しているから、あなたもそうだけど夜遊びはほどほどにしなさいね」
そういって双樹は去っていった。
12月13日に転校してくるはずの喪部銛矢が一週間もはやく来てしまった。それだけで緊張感が違う。双樹が監視する日のようだから、このまま大人しくしてくれよと願いながら私は男子寮に向かった。
何かを見下している人間は、特に目の形が面白くなる。そこに、反論に対する怯えや警戒。もしくは、反発してくるなら受けてたってやるぞという好戦的な光が宿っている。あるいは優越感の混ざった恍惚とした快楽でできた液体に目玉が浸り、膜が張っている場合もある。喪部銛矢の場合は明らかに後者だった。
気がつくと私の五感が警戒する距離に迫ってきている。それが大胆なだけに、五感の警戒が一歩遅れてしまうのだ。気配がなくて気づけなかった。そして慌てて警戒信号を発することになる。本能が警鐘を鳴らす中、喪部が近づいてきた。そんな感覚が付きまとう。
「やあ、夜遊びかい?時諏訪慎也君......いや、今は江見翔君だったかな?」
なんで知ってるんだこいつ。鳥肌がたつのがわかった。警戒は緩まない。内面まで視線を突き刺し、その心理に触れようとする鋭い眼差しに臆するわけにはいかない。
「なにを驚いているんだよ、皆神山以来だろ?」
「あの時君はいなかっただろ」
「何を言っているんだ、我々のじゃまをしておいて。ああ、そうか。あれから精神的におかしくなったんだって?つまり、僕とは初対面なわけだ。それにしてはずいぶんと警戒されているようだけど」
「カマ掛けするやつなら警戒もするさ」
「クククッ......奇妙なものだね。もしかしたら、と思ってはいたんだ。君とはこれで2回目だけど、やっぱり君からはあいつと同じ水を感じる」
「2回目?」
「そうさ。もっとも人間には知ることのできない領域の話だ。人には見えないが、時や場所を越え、つながるもののことだ。かつて僕がしるあいつと君は同じなんだ」
「過去でも見たのか?でも、今とは関係ないだろ」
「それもそうだね。過去は過去、現在は現在、君は君であり、彼でも彼女でもない。どのみち遠き時の果てのことだ、曖昧なのは事実。実際はどうだったかなんてわからない。友達かもしれないし、敵かも知れないし、戦いの中では思い出せるかも知れないが、僕はね、面倒事があまり好きじゃないんだ」
「......友達だけはないと思うよ。接点がなさすぎる」
「たしかに、邪神を信奉して精神に異常をきたし、親族諸共岩になって砕かれた《魂》の持ち主とお近付きにはなりたくないね」
「神の末裔から落された君にだけは言われたくない」
初めから風前の灯火だった喪部に対する遠慮や最後の敬意をたった今私は失った。喪部は肩を揺らして笑い始める。
「私達に危害を加えるようならタダじゃおかないからな、喪部」
「できるものならやってみろよ、最後は次元を超えてまで逃走した臆病者が」
「今と過去が分離できずに同一視してる君にだけは負ける気はしないね」
「クククッ......黙れよ。ついつい熱くなってしまうじゃないか。今はまだ動く時じゃないんでね、僕はこれで失礼させてもらうよ」
喪部は去っていく。私は大きく息をはいた。汗がどっとふきだすのがわかる。異様な緊張感から開放された私は、急いで自室に戻ったのだった。
嫌な予感がして部屋をまた確認してみる。
「......やられた。喪部の野郎......自室で大人しくしとけよ、あの野郎......」
鍵はかかっていたし、一見するとなにも取られていないし、空き巣にはいられたようでもない。でも押し入れにしまってあるH.A.N.T.を確認してみると、今回の不正アクセスは成功してしまっている。私はあわてて《ロゼッタ協会》に連絡を入れた。どうやら情報統括部が直ぐに気づいて私のアカウントを停止させてくれたらしい。肝心の情報流出は防がれたが、ハッキングする手段となった葉佩のH.A.N.T.からのメールのやり取りは見られたようだ。
「九ちゃん......ほらやっぱり!」
私は頭を抱える羽目になるのだった。情報抜かれたあとだからもう対策しても無駄だとは思うんだけど、セキュリティ云々についてもっと口煩くすべきだったんだ。このあたりはあまやかしすぎた私の自業自得な所もあるとはいえ、あんまりじゃないだろうか?いや、私が1番被害を被ること伝えるべきだったのか?もうやだあのノーガード戦法......こっちの迷惑も少しは考えろよな......!