俺の血は他人の血

おれの血は他人の血

2004年12月1日水曜日昼休み

瑞麗先生の診断により過換気症候群(かかんきしょうこうぐん)と病名がついてしまった皆守は、不本意ながら保健室に定期的に通い始めて2週間になる。

病気の成り立ちについて詳しく説明をうけ、対処法を指導されることで、発作に対する不安を軽減すると発作が抑制されるためだ。皆守の場合、《生徒会》と《墓守の責務》、《代償の記憶》という三重苦があるために、全てから解放されないと完治は臨めないだろう。瑞麗先生は発作を繰り返したり、頻発したりする場合は、抗不安薬の処方も考えているようだが今は現状維持のようだ。カウンセリングを継続して行うことしかできないという。

皆守自身は堂々と保健室に入り浸る理由が出来て喜んでいるようだった。さすがに12月に入ってから屋上で昼寝ってのもきつくなってきたらしい。

「だからって保健室でカレーパンは怒られるだろ、甲ちゃん。献上する九ちゃんも大概だけどさ」

「だって〜、クエスト形式でメール送られると体が疼いちゃうんだよ〜ッ!そこそこな報酬もらえるからつい」

「クエストやりすぎだよ、九ちゃん」

「いーや、ここまできたら行ける所まで潜るんだ蝶の迷宮!」

「どうやら今夜も強制連行らしいぞ、翔ちゃん」

「あっはは〜......たまには休ませてくれよ......」

「やだ。翔ちゃん、目の色が変わり始めてからH.A.N.T.の補正半端ないんだもん。精神値マイナスがさらにでかくなってるけど潜る分には問題ないしなッ!」

「どんだけマイナス補正あるんだよ、おい」

「戦う分には精神異常に掛かりやすくなる程度で気にならないし〜。殺られる前に殺れば問題ないだろ?甲ちゃん最近よく回避してくれるし!」

「お前が射程距離間違えてるだけだろうが。翔ちゃんのサポートあるくせにぐいぐいつっこみやがって。危なっかしいんだよ、阿呆。ウトウトする暇もねえ」

いやそれ、ウトウトしないならただの見切りでは?最近の皆守取り繕うのさえ億劫になってきたのか、回避するとき葉佩蹴飛ばしてるけどさ。そんなことを思いつつ、売店前でばったりあった私は焼きそばパンを袋に入れた。

「あれ、翔ちゃん。もしかして、今から調べ物?」

「そのつもりだけど、よくわかったね」

「最近の翔ちゃん、特に予定がない時は香水してるだろ?今日はしてないみたいだし、わかりやすいな〜って思ってさ」

「何度もいってるが、翔ちゃん。《生徒会》からもらったアロマ使うとか何考えてんだ。カモミールだろ、あれ。翔ちゃんにはあってないからやめた方がいいぜ」

「甲ちゃんはあれだろ?雛川先生と間違えるから嫌なだけだろ?」

「......ややこしいんだよ」

「甲ちゃんてカレーとラベンダーだけしかわからないんじゃなかったんだ!?」

「違うよ、九ちゃん。甲ちゃん、今まで超至近距離でラベンダー嗅いでたから鼻が今正常化してるんだ」

「あ、そっかそっか、なるほど〜。今はたまに吸うだけだもんな。吐き気治まったみたいでよかったよ、ほんとさ。どうしても吸いたいのに吐き気してたら見てるこっちがつらいし」

「あァ......そうだな。まじで2人には世話になった」

「いいってそんなの。親友だろ、俺ら」

「気にしないでよ、友達だろ?」

「......」

「そーいやさ、翔ちゃん、調べ物ってことは図書室に用があるってわけだ?なら俺もいこっかな〜、ちょっち調べたいことあるんだよね。いいだろ、甲ちゃん」

「何を調べるんだ?」

「えーっとたしか、なんだっけ、キキシンワ」

「ききしんわ?なんだそりゃ」

「もしかして、記紀神話(ききしんわ)?記録の記に、自然紀行の紀?記紀神話って日本神話のことだよ」

「あ、そうなのか〜。知らない神話があるのかと思って焦った」

「あはは、あんまり聞きなれないもんな。古事記、日本書紀、風土記をまとめて言うんだよ」

私は漢字を書いてやる。あー、と葉佩はようやく気づいたらしかった。

「《遺跡》で再現されてるやつ?」

「そうそう。紅海さんに聞いたらデータがあがってくるの時間かかるみたいだし、それなら調べてみようと思ってさ」

「(そりゃそうだろメルマガに書くために調べに行くとこなんだから)奇遇だね、九ちゃん。俺も萌生先生からも宇宙人からも《レリックドーン》の喪部銛矢に注意しろって警告きたよ」

「えっ、翔ちゃんにも?どっちからも来るってどんだけヤバいんだよ、そいつ」

「さあ?その様子だと父さんの遺品はまだ解析出来てないみたいだね」

「うん、ごめんな。時間かかるみたい。あと一週間はほしいってさ」

江見睡院の残した物品の中には《ロゼッタ協会》に回した方がいいものが何点かあったため、葉佩に渡した私である。やはり私だけでは江見睡院は救えない。葉佩の協力がなくては無理だと痛感したのである。

そのうち、私が一番気にかかっているのが4つ折版で手書きのラテン語による写本だった。H.A.N.T.による解析だと15世紀後期のイギリスあたりで製本されたものが後世に伝わる前に散見してしまったらしい。状態が極めて悪く私では解読不能だったので九龍を通じて《ロゼッタ協会》情報局に提出した形だ。イスの偉大なる種族も紛れ込んでいる《ロゼッタ協会》である。《遺跡》を探索しているうちに入手することはよくあることらしく、解読したデータを後日メールで送ってくれるそうだ。解析班のSAN値は大丈夫なのだろうか。

なんでそんな心配するのかといえば、クトゥルフ神話TRPGでラテン語に技能をふるといえば魔導書を読むことが大前提となること請け合いだからである。この學園の《遺跡》を巣食っている邪神の気配からして、いつかは出てくるだろうと思っていたらようやくのご登場である。

あのあと気になって18年前に図書委員だった女子生徒の閲覧記録や教師になってから持ち込んだ寄贈本の記録を漁ってみたら。出るわ出るわ今まで存在をあえて見なかったことにしてきたこの図書室にある魔導書の写本の山。だいたいこの人が原因だった。どうみても道を踏み外した魔術師ルートである。

それだけ江見睡院を救いたかったんだろう。大好きだったんだろう。18年前に《遺跡》の最深部で江見睡院が庇って《遺跡》に巣食うなにかに飲み込まれ、彼女自身も発狂するようななにかがあった。彼女自身は《生徒会》の人間だったようだから、もしかしたら江見睡院に正体を明かしての戦いの最中に悲劇が起こったのかもしれない。江見睡院の中にいる何かの口から語られたことのどこまで本当かはわからないが、狂気に駆り立てられるようなことがあったのは事実である。

阿門曰く、彼女は贄となる覚悟を決めて天香學園に舞い戻ってきたようで、遺品となりそうなものはすべて実家に引き上げたあと。実家にも失踪を仄めかし続けていたようで、行方不明という結末にも半ば諦めたように受け入れたという。阿門になにひとつ遺してはくれなかったらしい。

ゆえに墓はあるのに中身がない、奇しくも江見睡院と同じパターンである。《遺跡》から江見睡院を救い出すには彼女を掘りさげる必要はない。もはや彼女は江見睡院の中にしかいないのだ。

「そうそれ!それに出てくる神様の末裔とかいう物部氏について調べてみようと思ってさ。どうも《レリックドーン》の喪部銛矢(ものべもりや)ってやつがその子孫らしいんだよ」

「さっきからいってる《レリックドーン》てのはなんだ、九ちゃん」

「あれ、いってなかったっけ?俺がここ来る前に砂漠横断する羽目になって死にかけた原因だよ。秘宝横取りしようとして襲ってきたやつら」

「あー、あの出口で待ち伏せてたとかいうやつらか」

「そうそう」

「なんつー時期に来るんだよ......」

皆守は面倒くさそうに呟いた。今だからだと思うよ。

「《レリックドーン》も注目しちゃうのか、この學園の秘宝。そんなにやばいんだ」

葉佩はひとりごちる。

白いスーツをまとった車椅子の男シュミットと銃器で武装したものものしい軍団、《秘宝の夜明け》。シュミットは100歳をゆうに越えている《秘宝》の力で延命している老人である。《P·I·B(ピース・イン・ブラック)》黒の1片という組織が前身であり、チェスをモチーフにした組織で役職や階級もビショップやクイーンなどのコードネームで呼ばれていた。なお組織はやがて壊滅し、レリックドーンが立ち上げられることになる。《秘宝》の力を使って世界を牛耳ろうと本気で考えているカルト宗教じみた集団である。

「《レリックドーン》自体は100年以内に立ち上げられた組織なんだ。《ロゼッタ協会》はロゼッタストーンを解き明かした学者の子孫が立ち上げた《宝探し屋》ギルドだからさ、こっちは200年くらいの歴史があるんだ。ぽっと出のやつが何してんだか」

葉佩は辛酸を舐めさせられた記憶が新しいため、めずらしいくらいに言葉に刺がある。皆守はどっちも同じじゃねえかとボヤいた。

「全然違うよ、俺はテロなんか起こさないだろ?」

「ハア?テロだ?」

「そうだよ。《秘宝》使ってテロ起こそうとしてるんだよ、あいつらは。一緒にすんなっての」

心底不快だといいたげな葉佩に皆守は悪いと謝った。たしかに葉佩は全く宝探し屋だということを隠してはいないが、いきなり學園にトラックで突っ込んだり特殊部隊で制圧したりはしないと皆守はよくわかっている。

「じゃあいこっか、2人とも。オレ、1回日本神話調べまくったことあるから、本探してあげるよ」

「ありがとう、翔ちゃん。さすがは図書委員」

「いっとくが俺は手伝わないからな」

「じゃあその代わりに辞典ゲットレしようとする九ちゃん見張ってて」

「わかった」

「わかられたっ?!」

皆守は笑って葉佩の背中を押した。

今日の図書当番の後輩に挨拶して、奥の本棚から何冊か本を抜き出し、すでに座っている2人のところに向かった。さっそく調べ物を開始する。

「やけに早いな」

「オレのルーツを知るためだったからね、必死にもなるさ」

「翔ちゃんのルーツ?」

「聞きたい?聞きたいなら後で話してあげるよ、いくらでも。まずは調べ物から片付けよう」

私は葉佩に本を差し出した。しばらくして、該当箇所を見つけた私は葉佩と皆守を呼んだ。


蝦夷という言葉は、弓と大という字が組み合わされた文字で《ゆみし》と読んだ言葉が変じて《えみし》と呼ぶようになった。これは本来、《東の国の勇者》や《武に秀でたモノ》という意味があったのだが、やがて《東の国の乱暴者》、つまり《大和朝廷に従わない民》という意味に変じたといわれている。

その蝦夷を率いていたのが長髄彦(ながすねひこ)と安日彦(あびひこ)という兄弟であり、饒速日(ニギハヤヒ)という大和朝廷とは違う系統の天照系の別の神に仕えていた。

ニギハヤヒは大和朝廷に負けて傘下に下る時、ナガスネヒコの説得に失敗して殺してしまう。仕えてきた主に殺されたことになる。

天照より授かった《十種の神宝(とくさのかむだから)》とそれを用いた鎮魂法を天皇家に献上し、それが今の鎮魂祭の始まりだと言われている。

このニギハヤヒが物部氏の祖神とされている。物部氏は石上神宮を祀る古い豪族で、大和朝廷の祖神たるニニギより先に古代日本に降り立ったため大和朝廷より古い歴史があるとされる。天皇家に恭順したあとは、軍事や警察、祭事、武器の管理などを任され、武士の語源ともなった。

ナガスネヒコを殺害したニギハヤヒの子孫たる物部氏の末裔が今度転校してくる喪部銛矢(ものべもりや)その人である。

つまり、11月22日に行われた《夜会》の秘技を墓守たる阿門一族にもたらしたのが喪部の遠祖なのだ。天香學園の《遺跡》と喪部銛矢とは深い因縁があるのだ。

ちなみに物部氏は名家として隆盛を誇ったが、仏教を巡る政争で蘇我氏と激しく対立し、歴史の表舞台からは姿を消している。のちに石上と改名して一族は存続する、あるいは長髄彦の末裔とされる安東氏を頼って東北に落ち延びたとされているが定かではない。

もっとも長髄彦はこの《遺跡》の最深部で自身を荒覇吐だと思い込むほど錯乱し手に負えない化人とかしていることを考えれば、落ち延びたのはまずありえないだろう。私は石上からの下りはこの世界では誤りだなと思った。

「............なんだよ、これは」

「......そっかあ......だから今なんだ」

「《夜会》で犠牲者は出なかったけど、《鎮魂の儀》は失敗したんだろうね。ただでさえ解けかけていた封印がさらに弱まっている」

「翔ちゃんのせいじゃないよ」

「わかってるさ、オレがあの時犠牲者になったところで《遺跡》を巣食う正体不明の生命体は満足しない。力をつけて次の贄を求めるだけだ。ファントムとは別の存在だろ。父さんがくれたブローチつけたとたんにファントムには襲撃されなくなったけど、あいつに魅力状態にされたんだから」

「そんで、《鎮魂の儀》をもたらしたのが喪部だから、わかるんだな、きっと。封印がとけかかってること。儀式が失敗したこと。そりゃ来るよね」

「...........とんでもなく不安定になっている《遺跡》にかつて《鎮魂の儀》を授けた一族の末裔がやってくる。この時点で《生徒会》が警戒するのも無理はないわけか」

皆守はなにやら深刻そうな顔をしている。意図的に情報流してるんだからこれで少しでも悩みが解消されたらいいんだが。12月に入っても皆守への呼び出しはあいかわらず定期的にあるわけだから。

「う〜ん、やりにくいなあ......」

葉佩はがしがし頭をかいている。

「なにがだよ、九ちゃん」

「なにがって《レリックドーン》の連中は特殊部隊であって普通の人間なんだよ、甲ちゃん。この意味がわかるか?」

「───────......」

「化人でもない、《黒い砂》で強化された超人でもない、ただの人間が本気出して殺しにくるんだぜ?こんなに怖いことはないって。まいったなァ......」

私もため息をつくしかない。

この世界だと歴史から抹殺された物部氏は、ニギハヤヒという天照から連なる神の子孫でありながら、政争に破れて滅亡、鬼となった。どれほどの屈辱があったのだろうか、いわばキリスト教に取り込まれた土着宗教の神が貶められて悪魔になるようなものである。本来の姿を取り戻すのに野心に燃えて《レリックドーン》に入るのもわかる気がしたが真意は喪部にしかわからないだろう。

困ったことに龍脈が活性化している今、私たちは生まれて初めて《魔人》という人でありながら魔である超常的な存在を前にしなければならないのだ。嫌すぎる。

「喪部銛矢って名前で転校してくる時点で喧嘩売るき満々だな」

「だよね。さすがは《レリックドーン》」

「へー、そんな意味があったのかあ」

「おい、九ちゃん」

「九ちゃん、九ちゃん。《遺跡》にある碑文にはずっと日本神話が書いてあって、それに由来するギミックやトラップがあっただろ。忘れちゃった?」

「いやあ、ギミックの解き方はわかっても、意味はわかってないからね、俺」

「九ちゃん......なんのための葉佩だよ」

「これじゃあ《生徒会》も呆れるわけだ」

「え、なんか意味あるのか?俺本名なんだけど」

「えっ」

「えっ」

「............そうなのか」
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