月光のさす場所11

黒い空に銀紙でも張ったような明るい月が冴えた光を放っている。暗くにごった墓石に青みがかった光を浴びせている。様々な事物の影を長くのばし、まるで薄めた墨でも塗ったようにほんのりと淡く、墓地の一画をえんえんと横ぎっていく。

無数の死を築く墓地の方からは、私の毛髪の一本一本を根元から根こそぎ奪っていきそうなくらい冷めたい風が吹いて来て、私の気分を澄んだ秋の空気の底に沈めていく。

そのとき私を襲った感情は、怒りでも無く、嫌悪でも無く、また、悲しみでも無く、ただ穏やかさだけがあった。

もとはといえば、《宝探し屋》が行方不明になるたびに墓守に埋めなおされていたはずの《遺跡》の入り口が、次の《宝探し屋》が来るたびに掘り返されるのは、境の爺さんが犯人だ。彼はイギリスの空挺部隊にいたこともあるし、横から戦果をかすめとるから同業者からは嫌われているが《ロゼッタ協会》からの評価は高い困った人間である。なんでも宝に続く回廊を探り当てる力があるらしく、入り口だけはあけておいて葉佩たちにやらせるだけやらせてから横取りする算段なのだ。

その入り口を塞ぐとしたら誰か。

《夜会》の開催理由からするに《生徒会》はない。ファントムは陽動目的かつ葉佩に《遺跡》を一刻も早く暴いて欲しいからありえない。夕薙は《夜会》にはこれないが、《墓地》から腐乱死体を回収する私達を小屋から見ているはずだから深入りはしないだろう。

ならば、可能性があるのは一人だけだ。

「───────父さん......」

あの日以来だった。江見睡院は明らかに老けていた。ひと目見た瞬間に、突然、ものすごい懐かしさと親しみを感じた。生き別れた父親が私に本当にいるとするなら、実際に会ったとき、こういう気持ちになるのかな、とさえ思った。

会っていなかった時間をずっしり感じた。 これが魅入られているというのだとしたら、案外悪くはないのかもしれない。

「......また、来てしまったんだな、翔」

親としての愛情恋愛関係に発展しない、好きを感じる。声は低く、力強く、とても耳に心地いい響きを伴っている。威厳のある中にどことなく優しい所のある江見睡院がそこにいる。

「何度だって来るさ、父さんを助けるためなら何度だって」

「来ないでくれと願いながら、会えて嬉しい私がいる。許してくれ」

今の江見睡院の中にはいったいどんな姿かたちをした意識が身を潜めているのだろう。それともそこにはもう何ひとつ残されていないのだろうか。気配も残さず消え失せてしまったのだろうか。

葉佩と私の前に現れた昼間の江見睡院となにひとつわからない存在がそこにはある。長い時間によって培われたものは、それほどあっけなく無の中に吸い込まれたりはしないと信じたいが、私はいまいち自信がもてないでいた。

それなのに私の胸の中に、次第にお父さんと会えたという、本来ならありもしない喜びが、水のようにわいてきている。

江見睡院は眼を細めて私を眺めていた。まるで自分の子供の成長を見にこっそり見にきた父親のような顔をしている。

それから江見睡院はなにも言わない。喜びもしない代わりに嫌がることもない。私もほとんど会話をしなかった。なんといっていいか、わからなかった。

一言の苦痛も私には訴えず、耐えようとしている。父親の情愛から生じたその忍耐はかえって私の魂を圧しつけた。

「一つだけ教えてくれよ。なんで、オレが翔だってわかったの?」

江見睡院の瞳が揺れた。

「母さんに聞く機会はなかったよね?」

江見睡院は長い長い沈黙のあと、口を開いた。

「あるさ」

「え」

「あったさ、一度だけ」

「いつだよ」

「私が───────殺すときだ」

「母さんは生きてるよ、父さん」

「本当にそれは母さんなのか?私が愛したのは、彼女だけだった。最初で最後だった。他には誰もいないんだが」

「......翔っていったの?その人は」

「ああ」

「......」

私は鳥肌がたってしまった。江見睡院は本気で信じ込んでいた。

突然、津波のように淋しさが襲ってきた。 もう会えない、一緒に暮らせない。 言葉ではさっきからわかっていた、何でそんな簡単なことが実感できなかったんだろう、と自問してみたら、ひとりきりになってなかったからだ、と気づいた。  

今はじめてこの夜の中、江見睡院と向き合った。荒れて、ひんやりした、父親不在のこころもとない感じ。 別れの、絶対的な孤独の感じ。  この空間の不自然な沈黙の意味に気づく。空気が、別れの気配を吸い取って静かによどんでいる。

どんなに言葉で言おうとしても、その圧倒的によせてくる淋しさの力にはかなわなかった。  

「江見翔と名乗るのは、それしか考えられない。だから私はわかったんだ。だから《遺跡》に来て欲しくはなかった。彼女のように手にかけてしまう日が来るからだ。私はもう手遅れなんだよ、翔」

「その日が来るのを恐れて、埋めようとしてるの?」

「......そうだな」

「父さんがきっかけで《宝探し屋》になった九ちゃん達を?」

「......ああ」

「もろとも生き埋めにするために?」

「......葉佩九龍、だったかな。彼は優秀だ。今までこの《遺跡》に潜入を試みた者は誰一人として私のメモの存在にすら気づかなかった。だが彼はたしかに私の痕跡を辿り、最深部に近づこうとしている。かつてのロックフォードを彷彿とさせる、勇猛果敢な青年だ。だからこそ、私は恐ろしくなった。もはや私だけの意識ではその衝動を止められない」

江見睡院は私の目を真っ直ぐに見ながらいった。

「私はもう手遅れだ、翔。私の意識は数多の犠牲者達の魂と混ぜ合わされ、もはや残っているのはこの体だけだ。今こうして意識が浮上していられるのも利用価値があるからにすぎない。これ以上近づかれたら私は......」

「近づかれたら、なに?」

「..................みなまで言わせないでくれ」

悲痛な言葉が墓地に響いた。私は息を吐いた。

「父さん......その言葉だけは聞きたくなかったよ」

自分でも驚くくらいに底冷えする声が響いた。私の本能が根拠不明の感情など毅然とした態度で切り捨てろと叫び始め、こころがみるみるうちに凍りついていく。

江見翔という存在そのものにモデルがいたとは思わなかったが、私が演じている江見翔という存在は虚構そのものだ。この學園に転校してくるより前のことはすべて惨めな夢のようなものに過ぎない。卒業したらどこかに捨て去ってもなんら問題はない。いくら私が江見翔であろうとどれだけ努力しても、ことあるごとにその惨めな夢の世界から引き離される運命にあるのだ。

自分が手にしているもののほとんどは、その暗い土壌に根を下ろし、そこから養分を得ている。諜報員はそういう存在だ。

哀れな勘違いをしている江見睡院の望むような存在を最後まで演じるということは、葉佩を見殺しにすることになる。そんなことできるわけがないだろう。

眼底の奥が焼けるように熱くなる。私は無意識のうちに忍ばせていた銃を構えていた。破邪効果の見込めるブローチは江見睡院から送られてきたものだ、通用するとは思えない。正体不明の生命体とはいえ、中身はショゴスやアブホース、ハスターリク、さまざまな邪神の遺伝子が混ぜ合わされた粘着質の生命体なのだから、魔法攻撃かつ貫通効果が見込める方がいいだろう。なら、冷凍か電気か、私は冷静に電気の力を宿した宝石をセットした。

「九ちゃんに危害を加えるなら、オレは父さんを排除しなくちゃいけない。どんな手段を使おうとも」

目が焼けるように熱い。おそらく今私の目は黄色に染まっているに違いない。真っ直ぐに銃口を向ける私の向こう側には悲しそうな顔をした江見睡院がいた。そこに殺意はない。私は引き金をひいた。

「アラーヨ……オ救イ下サイ」

「───────ッ!?」

電気銃がはじき飛ばされた。それだけではない。ありとあらゆる物質が空を舞う。私はもちろん江見睡院も攻撃手段を一瞬ではあるが喪失する。私は後ろに飛びのいた。

「翔、聞こえるかばかやろぉッ!!早まっちゃダメだって!諦めちゃダメだって約束したじゃんかッ!!肉体も精神もまだ残ってるって言質取れたんだぞ、なんの問題があるんだよ、しっかりしろよッ!!」

埋められかけていた入り口から声がする。私は灼熱の熱さから解放されてしばしばする視界の中で、江見睡院の口元がにやりと弧を描くのがみえた。

「昼ならまだしも今は夜だぞ、夜ッ!しかも丑の刻ッ!江見睡院さんの意識乗っ取られてるに決まってんだろーが、肉体破壊したら手遅れなんだぞ、忘れてないだろうなッ!?」

「......ごめん、九ちゃん。頭に血が上ってそれどころじゃなかったよ」

「ほらみろやっぱりぃいいいッ!そこでじっとしてろ、馬鹿翔ッ!!」

私は完全に我にかえってしまい、笑うしかなくなる。なんて滑稽なんだろう、あれだけ忠告されていたのに一人でまた《遺跡》にいこうとするなんて。

舌打ちが聞こえた。

「あと少しだったのに」

江見睡院の中にいるなにかが嘲笑したのを聞いた。顔を上げると一陣の風が吹き抜けるだけで何も残されてはいないのだった。私はその場に崩れ落ちてしまう。溢れてくる涙は誰のために誰が流しているものなのか、全くわからないのだった。
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