「もうチャイムはなり終わってるぜ、翔。生徒の夜間の校舎への立ち入りは禁止されている。早く帰るぞ」
「あれ、甲太郎だ」
「なんだよ」
「いや、意外だなと思ってさ。いつもなら九龍とマミーズだろ?」
「あァ......九龍なら用事があるらしくてすぐに帰ったぜ。そのくせ夜の探索にはこいっていうんだから呑気なもんだ。お前もメールはきてんだろ?」
「あ、ほんとだ。来てる」
「今気づいたのかよ......」
呆れた様子でためいきをつく皆守が先を促すので私も帰ることにした。
「で、今度はなんの調べもんだ?転校してきたときみたいに図書室に入り浸りやがって。八千穂と葉佩が寂しがってたぞ」
「あ〜うん、ごめん。もう大丈夫だって2人にはメールしとくよ」
「白岐にもしとけ。毎朝図書室に通ってんのは私のせいだなんだうだうだしてるぞ」
「白岐さんには気にしないでくれっていってるのになあ......むしろ感謝してるのに」
「あのな、どこの世界に呪われていると言われて感謝する馬鹿がいるんだよ」
「ここにいるよ。白岐さんのおかげで調べる気になったんだから」
「だから何をだ。七瀬が《生徒会長》と会話してから翔の様子がおかしいっていってるんだが」
その言葉を聞いて、《生徒会長》に話を聞いてもはぐらかされてしまっている苛立ちが透けて見えた気がした。皆守はいつもそうだ。自分が心配しているとは絶対にいわない。かならず誰かを引き合いに出し、その言い訳のために聞いて回る実績をつくる。それが面倒みがいい、素直じゃない、と皆守の不本意な評価に繋がっているとはきっと本人は思わないだろう。思わず笑ってしまった私に皆守が眉を寄せる。
「あいかわらず面倒みがいいよね、甲太郎は」
「はァ?なにいってんだ」
「みんなに聞いて回ってるんだろ?要領得ないから私に直接聞きに来たんだ」
言葉が直ぐには出てこなくて、あー、といいながら言い訳を探している。照れているのか、恥ずかしいのか、私と視線はあわせない。やがて取り繕うことを諦めたのか、がしがし頭をかいた。
「......わかってるなら言わせるなよ。少しは回りに気をつかえ。なんで俺や九龍がフォローしなきゃなんねーんだ」
でてくるのは愚痴だ。声が低いから怒っている。
「うん、ごめん。図書室に入り浸るのはこれで最後だったと思うからさ、明日からは教室にいるよ」
「で?」
私は肩を竦めた。
「白岐さんに私の魂魄、つまり肉体と精神が怖いと言われたんだよ。《遺跡》の呪いと重ねてみてしまう、いつか災いをもたらす気がするってね」
皆守は沈黙した。長い長い沈黙だ。江見翔の体と精神交換した私の魂どちらも脅威であるという判定が出たことに驚いているのだろう。
「..................想像以上にきついな」
「まあね、久しぶりに泣きそうになったよ」
「......でも、泣かないんだろう、お前は」
「嘆いてる暇がないんだよ。皆神山で私を化人にしようとしたやつらと同じだと言われたんだ。魂も、肉体も。九龍と月魅の入れ替わりに気づいてるのに、肉体の変化には気づけなかった白岐さんにだ。私が無自覚なだけで襲われた理由があるんだとわかったから、いてもたってもいられなくなってさ、調べてたんだ」
「......そうかよ」
「うん、そう」
「で、わかったのか?」
「憶測ばかりだけどね。どうやら私にはあいつらと対立したあげくに殺されたやつの遺伝子が組み込まれてるらしい。かつてあいつら側に組みしながら、《遺跡》に封じられて《呪われろ地に落ちろ》と呪われたやつのね。そういう一族が祖先のどっかにいるらしいんだ」
「......おいまて、それはお前の精神の話だろ?肉体の方は......」
「私は知らなかったけど、遠い親戚みたいだね。ありえないはずなんだけどな......事実ばかりが積み重なっていくんだ......やんなっちゃうよ。助けて欲しくてここにきたのに、なんでこんなことになるんだ。私がなにをしたっていうんだ」
「..................なあ、翔。今夜の探索、休んだ方がよくないか?」
「そんなにひどい?まいったな......下手にひとりでいると余計なこと考えそうで怖いから受けるつもりだったんだけど」
「あー......お前は誰かに傍にいて欲しいタイプか。意外だな」
「意外ってなんだよ、意外って」
私は思わず笑った。
「泣くのか笑うのかどっちかにしろよ。余計いたたまれないんだが」
「あー、ごめん」
「謝るなよ、俺が泣かしたみたいだろうが」
困ったように皆守がつぶやく。
「───────」
喉が腫れ上がって、うまく呼吸ができない。言葉も紡げなくなって、無理矢理開こうとすると今度は胸腔の辺りに圧迫感を覚える。 喉は張り付いたように、動いてくれない。喉が、込み上げてくる涙を
み込むかのようにごくりと動いた。
急に胸が一パイになって、どんなに我慢しても、声を立てて泣かずにはいられないような気持ちになってしまう。
涙で瞼まぶたがふくらんできて、子供のようにしゃっくりが出てきた。
冷たい涙が流れて、せぐりあげる涙をどうする事も出来ない。ほとんど話せないくらい淋しくて、私は気づいたら泣いていた。人前で泣くなんて何年ぶりだろう。
ただ黙って皆守は満月を見ていた。
こんなドラマの一コマみたいな光景、本当にあるんだという冷めた思いが胸によぎる。そうでもしないと抑え切れないものが、自分の中にも込み上げてきていた。それまで吐き出したら後戻り出来なくなるから懸命にこらえる。
私が泣き止んだのは、だいぶんたってからだった。ハンカチがどろどろになってしまう。いまはきっとひどい顔に違いない。
「......みなかったことにしてやる」
「......ありがとう」
「......探索に行くなら、そのひどい顔どうにかしろよ。九龍が心配するぞ」
「わかってるよ」
私は顔を上げた。
「......その目は、泣いたせいか?」
「え?」
「............あれ?いや、気のせいか?いや、なんでもない」
「え、なんか変だった?」
「見間違いだろ」
「待って、教えて、頼むから。今の私、体と魂が完全に馴染んできたからか、色々変化が出始めてるらしいんだ。瑞麗先生には特に目は注意しろって言われてるんだけど」
「なんだと......?次から次と忙しいヤツだな......。通りであちこち行くわけだ」
「私だって好きでこんな状況なわけないでしょ」
「あァ、わかったわかったから怒るな。今はもうなんともないみたいだが、一瞬目が変な色になったぞ、翔」
「どんな色?」
「黄色みたいな、緑みたいな、変な色だ」
「そっか......いよいよかな」
「......なにがだ」
「なんか、変なものが見えるようになるらしいよ」
私はカバンを漁る。そして眼鏡をかけた。
「いきなりどうした」
「瑞麗先生がかけなさいって」
「へえ」
皆守はまじまじと見つめてきた。
「......腹が減ったな。九龍さそってマミーズいくか、翔ちゃん」
「えっ」
「なにしてんだ、はやくいくぞ」
「えっ」
「やっぱりお前は間抜けな顔のがいいな」
「なにそれ」
私は思わず吹き出した。
「じゃあ、ひどい顔治すためにマミーズ行く前に風呂入らなきゃいけないな」
皆守はぎょっとした顔で私を見る。
「なんだよ」
「......いや、それは......」
「あははっ。なんで言葉濁すんだよ、このままマミーズ行けるわけないだろ。それこそ甲ちゃんになにかされたと思われるよ?」
「いや、だから、それはやめといてやれ。ほかの男子のためにも。お前に羞恥心はないのか」
けらけら笑う私を見て、皆守は軽く小突いてきたのだった。